今日は、真一さんがエエセリフを言ってくれました!
「つらい時はつらいと言ってくれ」
はい、言います。
「とてもつらい」(横山光輝『三国志』病床の献帝顔で)
今朝、ツイッターで話題のタグが「 #男女格差110位ショック」なんだとか。
世界一ジェンダー平等な国・アイスランドで、あえての「男女分け」幼児教育!?そこでは性別役割分担なんて吹き飛ぶくらい「ありのままの自分」が大切にされていて―?【記事】 #男女格差110位ショック #男女平等 https://t.co/Sqyt1jJL3B
— NHKハートネット (@nhk_heart) December 18, 2018
◆「日本は男女平等が進んでいない」ジェンダーギャップ指数2018、日本は110位でG7最下位。 #男女格差110位ショック
「そんな日本の現状を反映したドラマがありますか?」
と問われたら、自信を持って推薦できる――それが本作です。
今日もそんなクソの極み価値観が反映されていたので、どのへんが「#男女格差110位ショック」なのかを踏まえつつ見ていきたいと思います。
まずはジェンダー以外のダメ要素から見て参りましょう。
【69話の視聴率は21.7%でした】
ブランドへのこだわり、ゼロ
決して高評価とはいえない『べっぴんさん』も、今、見返すとよいところもあります。
例えば、デパートとの攻防ですね。
本作ではいとも容易くデパートでのダネイホン販売が始まりましたが、あの作品では攻防がありました。
私たちのキアリスブランドを大事にする――そんな気概があったわけです。
んで、本作。
ダネイホンをホイホイ他社に譲歩して、よかったですねモード。ブランドに泥を塗りかねない行為を全く心配していません。
それもある意味納得ですね。
本作は、朝ドラ、日清食品、出演者など、兎にも角にもプライドに泥を塗りたくっています。
ブランドとか今まで築き上げた信頼などへの誇りなんてあるわけない。
「道頓堀の母」ってあのさあ……
もう本作の時代考証に何を期待しとんねん、って話やけどな!
「ナントカの母」っていう占い師は、もっと後じゃないですかね。
元祖「新宿の母」は、1958年(昭和33年)デビューです。
リンク先のサイト画像を見ておわかりの通り、ドラマのようにエキゾチックな衣装を着て、水晶玉を見るスタイルじゃありません。
昭和前期の占い師ならば、筮竹(ぜいちく)と手相見のために手鏡を構えている易者スタイルが典型的です。
『サザエさん』なんかそうですよね。
↓このようなタイプは、もっと後なんです。
何十年単位で時代考証を間違える。ドコまでスッとぼけた連中が作っているのでしょうか。
『わろてんか』のハリセンも眉をひそめてしまいましたが、本作も何なんですか?
水晶タイプの占い師スタイルを思いついた脚本家さんは、かなりお若い方なんでしょうか。
昭和の空気感を再現しようという気力すらない? もう少しプロらしい仕事をして欲しいところです。
イッセー尾形にまで毒づく萬平
もう言いたくないんですけど、文句タラタラスタイルの萬平(まんぷくモデル→安藤百福)。
完全に嫌気が差しています。
イッセー尾形さん演じる囚人には同情しかないわ。
というか、あんな態度してたら刑務所の酷いイジメに遭ったりするんじゃないですかね。
素朴に心配です。
他にも、
・東の活躍はナレーションのみ
・ダネイホンが子供を救ったこともセリフのみ
・源の成長速度をまったく把握できない、想像もできない萬平。あれ? なんか成長速度おかしくない? ハイハイくらいしそうなところまで見ていなかったっけ?
・追徴金額が10万円ぴったりという、端数を出さない親切仕様
とまあ、大概ですけど。ダメーホンには笑った。本作、それはまさに【ダメなホン(脚本)】ですもんね。それを言う福子(まんぷく立花福子モデル→安藤仁子)の神経はどうかと思いますけど。
はい、ここからは『まんぷく』で学ぶ!#男女格差110位ショックです。
女はバカで占いが好き
本作の占いに頼る描写はじめ、鈴からは「女が浅はかでいかに愚かであるか」という刷り込みが漂って来ます。
男だって占いに頼ることがありますよ。
軍師って何かご存じですか?
諸葛亮みたいなスゴい参謀を想像する方も多いでしょうが、日本の戦国時代ですと「軍配者」。吉凶判断をする占い師的な役割がありました。
男だって吉凶や占いくらい気にします。神頼みでお守り買ったり、神社にお参りしたりするでしょ?
それを、女の鈴だけデカデカと敢えて出して
「占い好きな女w スイーツw」
と言いたがるこのクソドラマには、偏見がみっちみち。
女に仕事のことはわからない、金を稼げない
「経済的機会」分野の評価項目別の内訳では、収入での男女格差が大きいこと(103位、スコア0.527)や管理職ポジションに就いている男女の人数の差が大きいこと(129位、スコア0.152)などが大きく影響している。
服役した萬平のセリフを思い出してください。
世良や真一といった男性には苦労をかけていると言うくせに、妊娠中の福子や源の面倒を見ている鈴に御礼の言葉すらありません。
「女のシャドウワークやケアワークなんて、女がやって当たり前のことで、金を稼げるものじゃない。感謝の必要なんかないのだ」
そんな傲慢さがひしひしと感じられます。
若い女たちも、そんな役割に甘んじていると思えます。
勉学の時間を奪われていても、薄給か無給でコキを使われることに浮かれるタカ。
容貌を品定めされようと、ダサいリボンをつけたポニーテールで、エールを送ると言い出す美代子。
本作の若い女性には、知性はありません。
あれだけ夫の仕事を見ていれば、少しは勝手がわかりそうな福子の電話応対を思い出して見ましょう。
「とーきょーざいむきょく?」
「じゅーまんえん?」
素っ頓狂な声をあげて、相手の言うことをオウム返しにするだけ。
女の鈴もワーワー騒ぐ中、男の真一だけが、マトモなことを言います。
まあ、東京撤退に際して悔しがるわけでもなく、女の容貌を吉本喜劇調BGMを背景にギャースカ喚く男どもの、どこが仕事できるのかって話ですけど。
男様に文句を付ける女はババアだけだ!
あの東の事務所にいる尾崎という女性の描き方は何でしょう?
男である東の仕事に理解を示さない、浅ましく金勘定のことだけを考える、ムカつくクソババア。
そう言いたげでした。東の態度もぞんざいです。
人付き合いが苦手である東をしっかりと支えているはずでしょう?
それなのに、なんなんですかね、あの態度!
これは萬平も同じです。
男様の高潔で素晴らしい事業を理解せず、キーキー文句を垂れるのは、鈴や尾崎のようなクソババアだけ。そう言いたいようです。
福子以下、若いお姉ちゃん枠はニコニコしてエールを送るだけだもんね。
ったく、ヒラリー・クリントンをさんざんババア呼ばわりしていたトランプじゃあるまいし、いい加減にしてくれよ。
本作の描く世界は、こんな感じです。
中高年齢向け週刊誌の見出しを読まされているような気分だ……好きですよね、ああいう雑誌はこういう世界が(続きは次ページへ)。
体を成してない脚本を渡され、演技指導は的外れ。
それでも番組がコケれば世間は役者ばかりを叩く。
そんな理不尽な中で尽力する役者の方々は哀れとしか言いようが…
願わくば、美代子さんを演じた方が、今後素晴らしい作品、役柄に恵まれんことを。
マァくんやケンティーばかりが言われておりますが、今思えば草太の元カノ(?)も大概だったなあと。
「まんぷく」レビューのコメント欄に書くことではないと知りつつ。
それはそうと、食堂の美代子さん。
今週いっぱい、下手すりゃ今日で退場でしょうか?
願わくば、美代子さんに新しい出会いがあらんことを。
おっしゃる通りで、毎日見ては腹立たしく感じます。
こんな脚本がまかり通るNHKって、大丈夫なんだろうか…。
何にせよ、話を進めるのはいいけど端折り過ぎ。描かなすぎ。
お仕事パートも恋愛パートも全部端折って結局何を描きたいのかしら?
そのくせ男たちが女性の美醜について品定めする場面はしつこく出す。
朝ドラ視聴者がバカにされてるとしか思えない。
登場人物が画面に出ていない時に、何をして生きているのか想像が出来ない。
実在の人物をモデルにしているとはいえ、ほとんどフィクションだと言っておけば、時代考証も何も関係ない、オリジナルの世界だということなのかなぁ…。
なんか、私の生きている世界とは別のパラレルワールドのお話しみたい。
個人的に、好きな役者さんがたくさん出ています。
萬平さんのことも、福ちゃんのことも、好きになって応援したかった…泣
とても楽しみにしていたのに、本当に悲しいのです。
今日のシーンで福子が会社の電話を取るところ。
会社のフロントをやっていると誰の電話かわからないので、
ハイトーンで自社の社名を発するものです。
そして怪しい相手、もしくは打ち解けた知り合いだとわかった瞬間に
ローボイスに変わるものです。
福子は受話器を取る前から怪しい人からかかってきた電話だとわかる演技でした。
今時だとナンバーディスプレーだし、携帯ならかけてきた人物も特定できる。
しかし当時の黒電話もそうですが、今でも相手が見えないからこそ、
受話器を取った瞬間の電話はハイトーンで明るく応対しますね。
(日本の独自の習慣だという話も聞いたことはあります)
これは演技のミスだろう。もしくは演出ミス。だれも気付かない。
現場の士気が低下しているのではないかと勘繰ってしまいます。
プロならこの辺はミスしないと思います。(やる気を失っているのかも)
撮影は一か所であらゆる場面を撮りだめしているでしょうから、
ストーリーの流れもわからなくなっていることも多いでしょう。
だからこそ細かい部分もきちんと管理しなければいけないのだと思いますが、
手抜きをしてしまうと視聴者に勘づかれてしまいます。
良作と呼ばれる作品はそういう細やかな部分も作りこまれていると思いますよ。
半分青いは電話の取り扱い方も巧かった。
母がとうとう今朝いいました。
「このドラマ、すごいつまらないね。わくわくがひとつもない」
それなー。
ボタン連打ゲームだからなー。
母は「半分、青い」を強く好んではいませんでしたが、勢い余って私が買ってしまった秋風本やももたさんのマンガなどを読んだりしてましたし、ドラマの展開は楽しみにしていたようでした。
今日の武者さんのレビューのなかで、
「前作は、うわっつらでない言葉を投げすぎたのかもしれない」
とのコメント、本当にそうだなあ、としみじみしました。
もちろん、私にとっては「うわっつらでない言葉」たちは楽しみでしかなく、一言一句、1シーン1シーンに観ているものに問いかけてくるものがあり、あの15分はしっかりとテレビに向き合わないといけないな、真剣勝負だな、と思える時間であり、1日また問いかけに対する答えを考える、というような密度とメッセージがありました。
確かに、そのような問いかけを受け取りたくない人には、否応なく自分が揺るがされてしまう、恐ろしい呼びかけに思えただろうなとも改めて思います。
そして、今作、ある意味では視聴者が問われているなとは、思います。
武者さんが繰り返し指摘されている差別的な視点に迎合してはいないか、考証や整合性をないがしろにする姿勢を容認してはいないか、自らに問いかけているという状況です。
今日もひどかったです。
「あ~、オレ、オレ、東京財務局だけどォ、お宅のマンペェさんの脱税で
追徴金をもらわないかんことになったんでェ、金額は10万円!。
係の若いモンが取りに行くんで用意しといてェ。」
電話で金額まで知らせてくる描写に、つい連想しちゃいました。
ありがとう。