なつと咲太郎は、雪月で雪之助に迎えられます。
「まぁ入って入って」
雪之助は柴田家から電話があり、そろそろだろうと待っていたそうです。
「雪之助さん、よろしくお願いします!」
二人はそう頭を下げ、店の中に入るのでした。
千遥に会いたくて
雪之助は、まだ千遥には会っていません。
きょうだいより先に会ったら悪いと思っていたそうです。
休むか? と聞かれても、今すぐ会いたいと即答するなつ。3人は軽トラック雪月号で柴田家に向かいます。
ロゴ入り軽トラックがそれらしいですね。咲太郎は荷台に乗車でした。
「ただいま!」
柴田家では、富士子が朝食のための野菜を刻んでいました。
そこへなつが入り、母子はしっかりと抱き合います。
「いらっしゃい、咲太郎さん」
「ご無沙汰しています」
咲太郎も挨拶をします。
そこへ、牧場から作業を終えた一団がやって来ました。
泰樹、戸村親子、照男、砂良です。
「どうも、咲太郎です」
「じいちゃん、ただいま!」
感無量のなつと泰樹。しかし……。
「じいちゃん、千遥は?」
「おらん。おらんようになった。急にいなくなった」
そんな衝撃的な言葉が語られます。
放牧された牛を見に行ったのかと思ったけれども、そうではない。阿川弥市郎も探したそうですが、見つからなかったそうです。
これも田舎、酪農家の怖いところかもしれない。
なつが冬季に遭難した時も、危険性の認識までタイムラグがありました。
「そんな!」
黙って帰ってしまった千遥に、衝撃を受けるなつ。
家を飛び出し、走り出してしまいます。慌てて後を追いかける咲太郎。
「なつ、なつ!」
「千遥!」
なつはしゃがみこみ、たまらず泣き出します。
これは辛い……何があったのか。
朝食の重い空気
このあと、朝食を囲みます。
豪華な食事に、暗い空気――見ているだけで辛いものがあります。
「咲太郎くん、大きくなったな」
剛男がそう言います。
彼からすれば灌漑深いものがありますよね。富士子は、東京で咲太郎と会ってからの再会ですが、剛男は孤児院でなつを引き取って以来のことです。
富士子は謝ります。
「ごめんね、もっと楽しい朝ごはんになってるはずだったのに……」
なつは、千遥はここで皆に会って悪い思いはしていないはずだと言い切ります。
自分に言い聞かせているようでもあります。
「千遥は私に会いたくないんだ……」
「俺に会いたくないんだ。電話も切った……」
なつと咲太郎がそう言い出します。
これは重い。この場面で秀逸であるのは、誰もが責任転嫁していないことだと思います。
誰もが、自分のせいにしてしまう。
だからこそ、辛いのです。これが戦後の日本人が抱えていた部分でもあります。
戦争の責任を追及すると、復興できない。きりがない。
そこは誰もが悪い、自己責任だと考えて、そこは忘れてひとつの目標を探そう。
それが「受忍論」です。
誰も悪くないはず。
それなのに、一人一人が自己責任にして、苦しみ、耐えてしまう。そういう苦しみがそこにはあります。
ただ、「受忍論」こそ美徳と言い切らないのが、本作の進歩ではあります。
結局、何が悪いのか。
制作側の意識は、示されているのです。
「鬼畜米英あれほど言っておいて、アメリカ礼賛とは……」
このセリフは朝ドラとして、なかなか画期的だと思うのです。
戦争の責任所在、それに憤るセリフは、実は最近の作品ですと私が見る限りでは、ほぼない状況です。
どうして千遥はいなくなったのか
ここで富士子は、電話を切った理由を説明します。
忘れていたはずの、きょうだいを思い出してしまったから――。
千遥別人説もあるようですが、あの反応と記憶からそれは否定できましょう。ナレーションを考えてもその線はない。むしろ、別人説ならば明るい声を上げて、喜びはしゃぐ方が自然です。良心の呵責という可能性もありますが。
あの反応は、なかなか装ってできるものではない。
そこまで考えた脚本と演出でしょう。
本作はこの二点がまず細かいので、深読みのやりがいがあります。
……とかいいつつ、別人だったら騙されちゃった〜! とびっくりしますけどね。
ここで富士子は、千遥が打ち解けて今までのことも話してくれたと説明を始めるのですが、「置屋」育ちという一言で、なつと咲太郎の反応がわかります。
キョトンとしているなつ。
ギョッとする咲太郎。
こういう反応一つで、二人の生育環境までもわかるというものです。
ストリップ小屋にいた咲太郎ならば、ダンサーたちの悲哀がざーっと思い出されることでしょう。
川村屋のさっちゃんも戦災孤児です。
レミ子も年代的に、そうであってもおかしくはありません。
※ここからが戦後だった人々もいたもの……
「信頼できない」千遥の言葉
剛男がここで、いい置屋で運が良かったとかばいます。
千遥自身がそう言った、嘘じゃない。
このフレーズが、ちょっとくどいくらいに示されることこそ、むしろ疑惑を深めます。
「千遥はずーっと幸せだったの?」
「そう言ったんだよ」
富士子もそう言うのですが、東京のどこの置屋であるかは聞き損ねたそうです。
きょうだいを交えて話したかったのだと。
※続きは次ページへ
千遙はどこにいるのか。
東京から来たにしては、柴田牧場に現れたときの荷物が異様に少なかった(ハンドバッグ一つだけ)ことと併せて考えると、千遙は、「帯広に投宿していて、荷物はそこに預けて柴田牧場に来ていた。」のではないか。
そして、柴田牧場から姿を消した後も、帯広の宿に留まっているのではないか。
そのようにも思われます。
ちなみに移動手段は、バスでしょう。自家用車がまだ普及していない昭和30年代、バス路線は、「開設、延伸すれば金になる」時代であり、僻地にも路線開設が続いていました。柴田家の地域に路線が引かれていても全く不思議はありません。
千遙が何故十勝にやって来たのかは、まだよくわかりませんが、あの写真を撮られたときの反応から見ても、何らかの理由で逃げてきて、身を隠さねばならないような事情を感じます。
荷物やお金も用意して、決意の上での逃避なのではないか。
明日以降の展開が待たれます。
千遥は軽装で荷物も持っていないようなので、連れがいるのではないでしょうか。牧場で連れに見つけられて戻された、とか。
推理しながら見るのも楽しみです。
前のドラマではヒロインの「なんとかなります」というセリフが何度か出てきていましたが、主体性を極力外した設定をワザと作ったなと感じていました。
朝ドラヒロインならば「なんとかします」という前のめりなイメージがありましたが、****は成り行きドラマでした。
****礼賛のファンには今作のなつの性格には嫌悪感を覚えるでしょうね。