わろてんか72話あらすじ感想(12/23)あまりに急、あまりに雑

空前のにぎわいを見せる、大正時代の商都・大阪。

上方芸能の世界にも「仁義なき勢力争い」が勃発し、おちゃらけ派の寺ギンが、伝統派の文鳥とまで手を組んで、北村笑店の息の根を止めるべく暗躍します。

芸人がつかまらず、三軒あるうち二軒が既に閉鎖状態となっている北村笑店。

ここから逆転なるか? 浪花のお笑いの明日はどっちだ?

 

「おちゃらけ派の芸人150人、全員雇って下さい!」

寺ギンが勝利宣言しながらドヤ顔をしていると、風太が芸人たちをゾロゾロと引き連れてやって来ました。

「おちゃらけ派の芸人150人、全員雇って下さい!」
突然、藤吉とてんにアタマを下げる風太。

「お前らこんなことをしてただで済むと思うなよ!
凄む寺ギン。

う、うぅ……。誰もがこういう展開になるとは予測していたでしょうが、まさか、しょっぱなからこうなるとは思いませんでした。

「ありがとう……」
言葉に詰まりながらも感動を隠せない藤吉。結局、今回の騒動において、何一つ役に立っておりません。

寺ギンは借金の証文を掲げ、この返済はどうするのかと芸人相手に凄みます。
ん? そんな重要書類をなぜ携帯しているのだろう。

なんて疑問に劇中で触れられるわけもなく、
「芸人はモノやない!」
「そうです、芸人は家族です!」
藤吉とてんがそう言うと、家族なら2500円の借金を返せや、と寺ギンが言います。

いよいよ、風鳥亭、詰んだか……?

 

2,500円の借金に対し2,511円のヘソクリてwww

証文を突きつけられたてんは笑顔で応えます。
「よろしおす、その借金、肩代わりさせてもらいます!」

そこへ文鳥師匠がふらっと顔を出しました。
「何しているんですか。大阪夏の陣……いや春の陣ですか」

急に中心に割り込んできて、文鳥師匠、どうしたのでしょう。
寺ギンと手を組んだのでは?

てんは、壺の中に貯めたへそくりを出してきます。
中身は2511円50銭あります。芸人の借金は2,500円。ドンピシャすぎるやろぉおおおおお!
あまりの都合良すぎる設定に、思わず噴きそうになりました。

そんなてんに文鳥が語りかけます。
6年前にカレーうどんを食べさせて貰った頃(第7週)と同じ着物だ、ごりょんさんなのにそんなに始末してコツコツ貯めていたとは……と感じ入ります。

そうは言いつつも、いくらなんでも見ず知らずの芸人の借金肩代わりするのはアホらしいとも指摘する文鳥。

「見ず知らずやありません、うちは家族や思うてます。大変な時は家族にお薬あげるのと同じです」
制作サイドからしてみれば、『ほーら、てんを薬屋のお嬢さんにして正解だっただろwww』ということかもしれませんが、いやいや、何かが違うような気がしてモヤモヤです。

文鳥は落語の「貧乏花見」を思い出す、ここなら貧乏でも楽しく暮らせそうと言い出します。

そして……。

「伝統派53名、世話してくれ!」
え? えっ? ええ、えええ~?

 

芸人の数は一気に208名 小屋は3軒 回せるの?

ともかくこの時点での芸人の数を確認してみましょう。

現時点で、
団吾:1
四銃士:4
ここまでの5名が風鳥亭のお抱え(他に数名ぐらいはいるのかもしれませんが認識上)。

そして新規で
おちゃらけ派:150
伝統派:53
一気に203名加わって、合計で208名となりますね。
これにお茶子や亀井などの社員も合わせると、現実的に、風鳥亭の財布から出ていく月給はいくらになるのでしょう。

寄席小屋は3軒です。それに対し208名の芸人。
素人が見たってムリがありすぎます。

昨日まで「お茶子をクビにしないと駄目かも」とか言っていたのに、なぜ、こんなことが可能になるのでしょう。
風鳥亭には、団吾契約の借金だけでなく毎月の高いギャラもありますし。

 

寺ギンにも笑顔強要って、さすがにウンザリ……

ここで焦り出す寺ギンに対し、てんは、
「寺ギンさんにも笑って欲しい♥」
とかなんとか言い出すんですよ。一体どこまで笑顔ブルドーザーを炸裂させるのでしょう。
さすがにウンザリして脱力してしまいました。

ともかく誰がどう見ても風鳥亭の拡大計画はムリがありすぎます。

私が寺ギンなら、芸人たちに向かって言いますね。
「風鳥亭は、団吾の借金抱えて、一気に芸人増えて。オマエラみたいなカス芸人まで面倒見るわけないやろ! 食いっぱぐれても知らんで! とりあえず他の寄席には出れんよう、手は回しとくさかいな」
と、脅しておけば、150名のうち数名は崩れるでしょう。
んで、数名が崩れれば、雪崩式に何人か何十人かは、寺ギンのところに戻ってくるはず。

しかーーーーし!
寺ギンは、なぜかこんな段階で完全敗北だと悟り、証文を取り出して全部譲ると言い出します。
借金の証文から権利関係の書類まで全部持ち歩く男、寺ギン。
あんたは人間金庫かっ!

 

寄席は10軒、芸人は208人になった北村笑店

トキはうっとりとした顔で、風太に「おおきに」と御礼を言います。

「お前のためにやったんやない」
そう告げると去ってゆく風太。

その風太を引き留め、藤吉とてんは番頭としてスカウトします。
藤岡屋でも手代止まりだった風太は感動する、という流れです。

寺ギンは出家の道を選ぶのでした。

寄席は10軒、芸人は208人になった北村笑店。
日本初の寄席チェーン化に乗り出したとナレーションで解説は入ります。

こうなると、おそらくこの先、松竹芸能との戦いは出てこない気がしてきました。
寺ギンの扱いを見るに、松竹にとってはその方がよいでしょう。大火傷するだけです。

そして、ついに千日前にまで新たな本拠地「南地風鳥亭」まで構えた北村笑店。
文鳥と、今週ずっと姿が見えなくなっていた団吾がやっとここで顔を出し、口上を述べます。

 

今回のマトメ1「計算がムチャクチャや」

戦前に起きた上方での芸能界統一戦。
史実における吉本興業の立場は、ドラマとは完全に真逆でした。

寺ギン的なことをしたのはむしろ主人公サイドで、そちらが大勝利を収めているわけです。

そこはもう諦めたとしまして。
5人から208人まで、無茶ぶりにもほどがある拡大を一気にした、北村笑店。
壺のへそくりでカバーできたのは芸人たちの借金分だけで、208人分の月給という大問題があると思うのですが、どうするつもりでしょう。
昨日まで算盤をはじいて「月給を支払えない」と悩んでいたのは何でしたか。

まぁ、208名を一気に月給化するのではなく、資金繰りに合わせて計画的に月給化すれば問題ないですかね? あとは銀行から借金して寄席を増やせばイケるんですかね?

しかし、スグに月給化しないと困る連中もいて、騒ぎ出しそうです。それこそ「北村笑店も寺ギンと同じやないか!」とか言い出したら暴徒化必至です。

というわけで、もう呆れるというか、一体どないな計算をしてこういうストーリーになったのか、本気で教えて欲しいのです。

色々とデタラメな展開となっている本作。
これは「杜撰な時系列入れ替え」が原因でしょう。

史実では、人が増えたから管理のために月給制にしております。
一度サイクルを安定させてしまえば、日銭商売ですから、売上が下がらない限り資金繰りは困らない。非常に納得できる理屈です。

しかし、ドラマでは全くそうした計算が提示されない。

 

今回のマトメ2「米沢藩を思い出しました」

今日思い出したのは、米沢藩です。
米沢藩は関ヶ原の戦いのあと、石高を4分の1まで削られました。
その後もさらに石高を減らされるのですが、米沢藩は藩士を減らしませんでした。結果として藩士に支払うべき給与を削ったため、藩全体が貧困に苦しみ続けるという、大変な労苦を味わったのです。

米沢藩がリストラをしなかったことは美談として語られますが、しわよせで家臣領民全員貧乏に陥ったことは、スルーされるんですよね。

なぜこんな話を持ちだしたかというと、てんや制作側の考えていることが同じようなスタンスだと感じたからです。
全員まとめて引き取るって、美談のようで別にいいことじゃないと思いますよ。

寺ギンの『適性がない人は別の道を見つける』っていう方がはるかにマシ。せめてテストくらいしなさいよ、と思います。
まとめて抱えるのって、しわ寄せが来たり、倒れたりしかねないわけで。

そういう現実的なことを本作は全く考慮しない。
組織存続のために、泣く泣く切り捨てる痛みや、工夫する苦しみはまったく無視。ただ、目の前の人を助けて、笑顔でニコニコ。そこで止まるだけです。
何の人間的深みも魅力も感じられません。

てんが薬屋出身だから、「家族には薬をあげる」と言ったのでしょうが、それとこれとは別問題だと思います。
治療と雇用を同列に扱うな、と。
そういうことをやりたいのならば、貧しい人に施しを続けたヒロインでも見つけてくるべきであって、なんで、よりにもよって吉本興業の話でそんなことをするのでしょうか。

史実では、このあと吉本興業は増えすぎた落語家をもてあますようになります。
そこで、落語にかわる演目を探そうとして、安来節や万歳のテコ入れをするようになっていきます。
まぁ、リストラ的な話は絶対に描かれないでしょう。

それにしても今回の展開は急&雑過ぎて、ただただ呆然とするしかありません。
ボタンを押してるだけで何のアタマも使わせずにストーリーが漫然と進む――そんな昔のアプリ・ゲームを見ているようでした。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【関連記事】
吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

2 Comments

ビーチボーイ

武者さんの指摘、全て正しいと思います。
ただし、都合が良すぎといえば「ひよっこ」だって結局同じくらいひどかったですよ。失踪した記憶喪失の父親と同棲する大女優は、このだだっ広い人間の洪水の東京で鈴振り亭に出入りしてみね子と顔見知りになっちゃう。谷田部家はお婆ちゃんが先に他界してるから嫁姑戦争が無いお陰で「日本一の家族」にたやすくなれたし。その他もろもろ全て。
(ひよっこに限らず、あまちゃん等過去のヒット作もみんな要するにご都合主義のかたまりでしたね。)
なので、本質は大して変わりゃしないと思うが、ひよっこはあんなに視聴者を引き寄せ大人気だった。わろてんかは何故ひよっこになれないのか、どこが違うのか、を残り半分、私もさらによく見て考えて追究してみたいです。

朝どら大好きニャンコ

一気に芸人が増えても、全員自分とこの寄席に出す必要はなく、太夫元になって他の寄席に貸し出せばいいのだから、そこはまあ何とかなるんじゃないのかなぁと思いました。(マネージメントは今のスタッフだけでは大変そうですが)
それよりも、あまりにも話がきれいごと過ぎて呆れました。
興行には後ろ暗い部分が付き物だと思うんですけど。(現代はそんなことないと思いたいですが、ちょっと前まではバックにヤの付く人達がいるのは当たり前のことだと誰でも知ってましたよね?)
そんな部分を朝からNHKのドラマで見せられないのは解りますが…、なんかモヤモヤします。

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