円卓を囲むようにして、集まった川原家と寺岡先生。腕組みするジョーの前で、先生は百合子の成績表を見せます。
「うーん、なかなかやーん!」
特に家庭科が得意なんだとか。
成績を見て喜ぶ喜美子とは正反対に、今日も清々しいほどカスっぷりを発揮するジョーは一瞥すらしません。
寺岡先生は切り出します。
県短(県立短期大学)に家政科が創設され、百合子はそこに通いたいとのこと。
マツの顔に緊張感が走ります。
「大学!」
「短大です」
動揺する相手に、先生は短大だと訂正をしてきます。喜美子も驚いています。
「ごめんな、初めて聞いたから。大学行きたいの?」
喜美子は妹の希望に驚きます。
そしていつものオープニングソングへ。
屈んで泣く喜美子が、今日はいつにも増して辛い。
そんな喜美子の下から、ボコっと上がってくる顔つき粘土。
陶芸のことかと思っておりましたが、ちょっと誰かの顔に似ているような気がします。
ゆりちゃんの家庭事情
「って何が大学や! 短期もクソもあるかもう!」
ジョーがここでキレます。安定感のあるクズっぷりやで。
寺岡先生は短期だと訂正します。これは彼の几帳面さもあるんでしょうけれども、別の理由もあるのかもしれません。
四年制大学はちょっと大げさだし、婚期も遅れてしまう。けれども高卒だとちょっと物足りない。
そんな女子だからこそ短大。しかも家政科を出たら立派な花嫁修行――そういう考え方もあるわけです。
照子も短期大学でした。跡継ぎの彼女は婿をとることも決まっているから、学歴は不要のはず。
それでも箔をつけるために、短大はピッタリなのです。
話聞こうや。
そう促され、先へと進みます。
百合子の一番仲が良い友達・ともちゃんは、家庭科が得意な親友に家政科のことを教えてくれました。
そこへ行けば家庭科の先生になれる。百合子も調べてそうわかった。
教員免許が取れると寺岡先生もつけたします。
百合子は喜美子を見ていて、自分のやりたいことを見出して、進路を考えたのです。
うーん、この姉妹たちの差よ。
直子のように、ともかくジョーカスはじめ家庭からの脱出を重視して、やりたいこともわからないまま飛び出すわけではない。
それに、ともちゃんと百合子もなかなか残酷で……どこで差がつくのか。経済、家庭環境の違いですわ。
◆ともちゃんの場合
・親は信用金庫支店長
・高卒ではちょっと物足りない。県立短大ならええやん!
・しかも家政科。ええなぁ! 家のことが得意な子としてアピールできるわ
◆ゆりちゃんの場合
・親は運送業者
・家訓は「女に学問は不要」
・短期もクソもあるか!
ともちゃんの親のことは想像ですけれども、当時、こういう考えのご家庭は多かったものです。
短大は女子比率が高かった。そもそも学科も、家政科や看護師養成コースが多い。嫁さん育成感覚やろなぁ。
四年制大学まで進む、ましてや医学部なんて生意気――女のくせに、何様のつもりだ!
でも、短大で看護科に進むならええよぉ。介護もこなすええお嫁さん候補やね。
こういうド直球差別があることは否定できないわけです。どっちも医療分野なのにな。
そういうからくりが入試差別で明かされたわけで、その根本にある差別が本作からは見えてきます。極めて優秀や!
女やし中学しか出てないから
これね……百合子も寺岡先生も、精一杯考えてきたんですよ。
短大と強調して、百合子も「学問は教員になるから必要」と言えるようにしてきて。
武力突破する直子タイプとは違う。
ここでジョーは、最後の手を出してきます。
百歩二百歩譲って大学はいい。
けど高校はあかん。
その理由は困窮と学費の欠乏です。
「また先生の前で同じこと言わんとあかんのか」
そう言い出すジョー。
百合子は姉とは違う、姉二人はもう働いていると反論します。そう言いつつ、ちょっと怯えるようなところもある。
直子があてになるか。いろいろ送って来いと電報がきているとジョーは吐き捨てます。
マツは働き始めていろいろ物いりだと庇いますが、どうなのでしょう。まぁ、あの性格からして仕送りをそんなに真面目にせんやろな。
そしてこれだ。
「喜美子も一緒や、ほんまに。火鉢の生産大幅縮小されんねん。当たり前やお前、こっちは運送したってん」
喜美子が「知ってたん?」と驚くとジョーは事情通ドヤ顔を見せています。
その顔ったら……めっちゃくちゃムカつくわ!
北村一輝さんが名演すぎるわ!
丸熊の婿が火鉢縮小を言い出した。みんな右に倣え。この先みんなどないしたらええねん。
そう苦々しげに語るのですが、これも飲みニケーションやろなぁ。男同士、仕事の話を酒を飲みつつするということは本作で散々描かれてきてはいる。
最近は情報漏洩リスクや労働問題の観点から、減ってきた観点です。
昔はこれができないと情報入手できないこともあり、女性は圧倒的に不利でした。なくなってよかった昭和の悪習やね。
もう一点、敏春です。
代替わりして業務改革する婿となれば、テンプレ悪役にできるわけです。
フカ先生を蹴り出す悪役にしてもええ。
それが本作はそうではない。
フカ先生本人も納得していますし、火鉢縮小は理にかなっています。むしろ残したら丸熊ごと潰れてしまう。
敏春と視聴者って、照子と同じような見方になるのかも。最初はちょっと嫌な感じがあったものの、現時点では別にそういう感じはしなくなってきています。
けれども、クビになる側からすればそこはどうでもええことでもある。
喜美子はそれでも強い口調でこう言い切ります。
「絵付け火鉢はなくならん!」
ジョーは火鉢そのものがなくなると断言します。
「うちの仕事はなくならん!」
「何が仕事や、しょうもない」
ジョーに対して百合子も反論します。
喜美姉ちゃんは信楽初の女性絵付け師、マスコットガールミッコーなんだと。寺岡先生も知っています。
しかし、ジョーは容赦がありません。
ミッコーちゃう、キュウちゃん。九番弟子だから、見た目だけ一人前でもお給金は一人前には全くならない。
週に二回、おかずが一品増えるかどうか、そんなもん。
「それはやっぱり……」
寺岡先生は困惑し、百合子は愕然としています。百合子の中で、活躍する姉はロールモデルであったはず。それなのに……そういうことだったのです。
ここで喜美子は、言います。
「女やし中学しか出てないからです。女やし学問ないから。女やから学問もないからちゃうの!」
この合間に、ジョーが「九番弟子だからや」と挟む。
この構成が残酷すぎてたまらなかった。
そして彼はこう言う。
「この先どうなるかわからん。こいつの仕事も、お父ちゃんの仕事も。そういうことですわ。すんまへん」
喜美子も黙り込むしかありません。
本作の主演と父親役が、関西弁ができるかどうかを重視したことがよくわかる場面でした。あの早い掛け合いは、そうでなければできない。
それに象徴として完成度が高いと思いました。
女である喜美子は、阻まれた道、蔑まされて低賃金になる理由を語る。これは大久保やちや子もそうでした。
大久保は「女にできる仕事は誰にでもできると思われる、低賃金」と語っていた。
ちや子は男の同僚に負けないくらい奮闘してきたのに、「女は気楽だ。結婚すればええ」と言われる。
それに対して、男のジョーは?
九番弟子どまりの自己責任論を振り回す。社会構造を無視して、お前の努力が足りんことを社会のせいにするなと言っている。
役柄を超えて、偏見の構造を描き出した――そういう構図に見えました。
ジョーはキャラクターとしてはおもろいんですわ。
けれども、だいたい常にアカン。徹底してジョーカスや。
絵付け師に反対していたのに、フカ先生に酒の席で言い返すために、なし崩し的に認めた展開があったじゃないですか。
あれをSNS投稿を集めたネットニュースでは「ツンデレ」と呼んで大はしゃぎしとった。
なんでもかんでもアニメ用語みたいなもんばっかりで呼ぶのはどうかと思う。考えが浅いっちゅうか……個性を言い表す便利な単語が、没個性をもたらしかねんことは考えていかんと。
「豹変」でもなんでも、そういう言い方は大昔からあるわけですし。
何が嫌かっちゅうと、こういうキャラクター属性に丸め込んではしゃいで終わって、
【構造問題まで切り込まない】
ところだと思う。
ツンデレでおもろい?
だからなんやねん。
結果オーライ?
いやいや、問題はプロセスや。
見ていておもろければええんか?
いかんでしょ。
あのジョーの変心は、ただの意地の張り合いで、結局、自分のメンツしか考えてへん。
そこに当事者・喜美子の意見は一切入らない。
そういう決定では、結果オーライだろうとあかん。
当事者抜きの思いつきで話を動かすな!
人の人生、進路を決めるな!
そういうグロテスクさがあったし、そこをすっ飛ばしてツンデレとはしゃいでいた記事にも、アルミホイルを噛みしめたようなスッキリせんもんがあったで。
※続きは次ページへ
コメントを残す