わろてんか94話あらすじ感想(1/24)正解だけで数式のない解答用紙

時は昭和。
大阪の芸能興行元「北村笑店」では、経営者の北村藤吉が中風に倒れた後、仕事に復帰して、妻のてんに興行のイロハを教え始めます。

母の啄子もアメリカから一時帰国することになり、色々と急展開になっておりました。

藤吉は、何か思うところがあるのでしょうか……。

 

万歳→漫才は万丈目のシナリオ一本で解決

キースとアサリは、銭湯にのぼせる寸前まで入っていたようで、風鳥亭に入ってくると倒れます。

えぇと、ここが笑わせポイント?ですよね。
あんなコントみたいな寒いコケ方では、かえって視聴者に引かれてしまいそうです。

風呂で疲れてせっかく仕入れたネタを書こうとしない2人に対し、風太がいつものようにギャンギャン怒鳴っています。

しかしここは、てんが、
「万丈目がシナリオを書けば解決」
といっておしまい。
万歳から漫才への変革はチャッチャと変遷してしまうのでした。

場面変わって啄子。
「アイムホーム! サプラーイズ!」
そう叫びながら帰宅します。

ここで意地悪く、1930年代のファションについて参照しておきましょう。
啄子については、リリコのようにしつこく出てこないぶん、あんまり突っ込まなくてもよろしいかとは思いますけど、以下のYoutubeに米国30年代のファッションが流れています。

ファッション感覚のズレもさることながら、急に啄子を出して、しらじらしいんですよね。
せめて絵葉書が時々アメリカから届くとか、北村夫妻が「この寄席の賑わいをお母ちゃんにも見せたかった」と言うとか。そういう積み重ねを、今まで何にもやってこなかったわけでして。

キース渡米の時さえも
「そんならごりょんさんに手紙でも出してみまひょか」
すら言わなかったんですよね……。

 

当時のアメリカで12店舗のクリーニング店なんて無理ゲーです

啄子は北村夫妻が未だに長屋暮らしであることにビックリ。
そりゃそうだ。大阪の都市開発の流れを無視する本作の設定に私も驚いています。

てんは啄子から高そうなブローチをもらって、その箱を開けて「ひゃ!」と一言だけです。
「あら素敵やわあ」
とかなんとか、少しシットリした反応はできないんですかね。

突然、目の前を猫が横切ったみたいなリアクション。久々に再会した義母から、高そうな装身具をもらった反応じゃないでしょコレ。
本当はこの程度のことに突っ込みたくないんですが、こういう小さなマイナスの積み重ねが、どんどん印象を悪化させていると思います。

このあと、再会した親子の会話ですが……。

啄子は唐突にクリーニング店を12軒出していると言い出します。
このあたりは、「風鳥亭もチェーン化しているし、その母親ならそのくらいしていてもいい」とでも思ったんでしょうか。

20世紀前半、日系アメリカ移民一世の苦労なんて調べる気すらないからこういう適当なこと書くのでしょうね。

当時の日系移民はじめアジア系は、厳しい人種差別にさらされていました。
そのため、日本人街やチャイナタウンを作り、そこの中で商売するほかなかったのです。

一体どこに12店舗も出すエリアがあったのでしょう。
お気楽に「全国チェーンでクリーニング店なんて流石ごりょんさんでしょ!」とか無理ゲーです。

もう、ありとあらゆる歴史に泥を塗りたくっていますよね。

 

ほぼ初対面の孫に抱きつくルー大柴

啄子は隼也に再会すると抱きつきます。

アメリカナイズされた姿を見せたいのでしょうが、あまりにバカっぽい言動でげんなり。
英語圏から帰国した人々は、みんなルー大柴みたいな喋り方して、やたらハグするのがデフォルトなんでしょうか。

実の孫といっても、初対面でもう思春期で男の子です。
これじゃただの変なおばちゃんやん……この、距離感の嫌な詰め方、志乃(栞の母)を思い出しましたわ。

啄子は、芸人らとも再会します。
そして、イキナリ、万歳を変えるなら服装を何とかしろと言い出す啄子。
芸人たちは感心していますが、どこまでご都合主義なのでしょうか。展開が早すぎて呆然としてしまいます。

藤吉はまた倒れています。
そこへ風太がやって来たのに、何故か両者とも行動が変。

病み上がりの社長が不自然なポーズであきらかに異常な様子を見せているのに、気づかない風太。
プルプルしていて苦しそうなのに、何もなかったふりをする藤吉。

普通に医者呼ばんかーい!

 

ここで笑え!ここで泣け!の押し売りに辟易

ここで画面は北村宅台所へ。

料理はほぼ完成しています。
あとは配膳すれば終わりというところで、てんは「休んでいて下さい」と啄子に言います。

いや、もう全部作り終わっとるやろ。
昭和初期、外国から久々の来客、義母。それに食事を作らせるとか、ありえへん。どこのパラレルワールドやねん。

ここで啄子、「毎日、一生懸命手足をさすっていたてん」を褒め出します。

これね。今週のあらすじなんかでも「てんの懸命な看病の甲斐があって藤吉は回復」と書いてあったりしましたけど。
うーん、おかしいなぁ。

・医者の指示をぼさっとした顔でオウム返し
・手足をさすれと言われたのに、鈴を枕元で鳴らす
・非常識なまでにうるさい見舞客と一緒になってヘラヘラ笑い
・さするというか、手足をそろそろなでているだけ

どこが懸命な看病なんでしょう。

さらに啄子はこう言います。
「スマイルが大事、アメリカ人も笑った顔はみな同じ」
だからなんやねん、そんなん当たり前やろ。

小学校の学級目標レベルのことを、大仰なBGM流して言っておけば、感動するみたいなのありえへんわ。

ここから家族団らんです。
母が作ったと思ったおかずが実はてんが作ったものでした、というつまらないネタで笑えとプレッシャーをかけてくる本作。

本作の劇伴はなかなかいいと思いますが、ピアノを強めにならして、
「さあ! ココで! 泣いてください、笑ってください!
と迫ってくるような使い方ばかりで、もう心の底から辛くてイヤになります。

食後、藤吉と啄子が互いに最高の親子だと言い合う場面。
ちらっと映るてんの顔が冷たい無表情か張り付いたような笑顔で、演じる人の疲労感がにじんでいます(本当は嬉しそうにすべきでしょ)。

とりあえず今日の放送で、回想シーンに使える母子再会の素材は全部揃いました。
そして、それさえ撮れれば、啄子の出番は終わりのようです。

 

今日のマトメ「沖田総司のモノマネかっ!?」

今日の短い会話で、万歳改革はたぶんほぼ終わりです。

・てんの台詞「万丈目にシナリオを書かせる」
・啄子の台詞「服装に気を使う」

これで正解が出ました。
あとは試行錯誤や過程をすっとばして、いきなり最終形態である軽妙な語りと、スーツ姿で演じる「漫才」が出てきて終わるわけです。

本作ってまるで、数式を書いていない数学テストの答案みたい。

・問題文の下に広く数式を書く場所
・そこに落書きを書いて、答えだけは正解を書く

そういうカンニング答案なんですよね。
面白いわけがない。

今日だって物語を紡ぐわけではなく、ただのご都合主義の塊です。

ハガキ一枚なかった啄子が帰って来ていきなり全力で我が子を褒めるのは、
「死んじゃうのに親子再会していないと文句言われそうだし」
というアリバイなんでしょう。あるいは総集編向けの素材集めとしか思えません。

そういう薄ら寒い褒めあいよりも、藤吉なり隼也が、渡米した際の段取りでも語り合えばマシなのに。

それと「何故か藤吉が二度倒れるか問題」の答えが見えた気がします。

脚本家さんとしては、中風で倒れて突然死という展開が嫌だったのでしょう。
少女漫画ではそういう退場の仕方をするイケメンって、あまりいないですし。

病に耐えてクールに格好つける姿、愛する人に対して死を覚悟しつつ振る舞う姿、そういうのが描きたかった。
要するに、難病ものフィクションの死に方ですね。

沖田総司が喀血してゴホゴホ、みたいなやつですわ。あるいはケータイ小説。

今日の藤吉と風太の場面なんて、まさにこれですよね。
あそこで藤吉が体調悪化を隠す意味がわかりませんけど、「沖田総司のモノマネ」って考えればすっきりしません?

だから史実にそって倒れるアリバイを作りながら、その手のカッコイイカウントダウンを今週やるつもりなのでしょう。最終日には新しい漫才お披露目も重ねてバッチリ!って。
そういうのはもう、いいから……。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

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吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

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