わろてんか77話あらすじ感想(1/4)見栄え立派で、味ダメダメなお節料理

ロマンと活気と笑いあふれる、大正10年の大阪。
この街で興行元として大繁盛しているのが「北村笑店」です。

ただいま経営者の北村藤吉とてん夫妻が売り出したいと目論んでいるのが、安来節の4人組「乙女組」なのですが、チームワークもギクシャクして……。
さてこの4人、一体どうなるのでしょうか。

 

ラブシーンの練習って、なんでやねん

あけましておめでとうございます。

昨年は、息子がいなくなっている中、主人公の夫妻がよりによって2人も配偶者以外の相手とキス寸前&ハグという、なんとも言いがたい幕切れとなっておりました。

しかし、アバン(OPタイトル前に流れる場面)では、そんな不穏なシーンに対する解説があるハズもなく……。
まずは北村笑店の繁栄、伊能栞の成功が流れます。

さて、年を越してまで引っ張っていた隼也の迷子劇は、栞が連れて来て、あっさりとスピード解決となりました。
隼也がいなくなると誰かが連れて来るというお決まりのパターン。悲しいかな笑いの要素は一つもありません(´・ω・`)

一方、藤吉にキスを迫ったリリコは、
「活動写真のラブシーンのため、稽古をしていた」
という言い訳をします。なんでやねん。

ちなみに、キスシーンが出てくる初の日本映画は、昭和21年(1946年)公開の『はたちの青春』。
「日本人はもっと感情をオープンに出すべきだ」
と考えた、GHQの指導によって出てきたそうです。リリコのこの言い訳は、あまりにありえないものです。

以前から本作は、ハリセンやドツキ漫才など、時空を平然と歪めておりました。
ドラマですから創作はいくらあっても構わないのですが、ベースとなる史実はある程度守っておくべきではないでしょうか。

桶狭間の戦いに大量の鉄砲が持ち込まれて、今川義元が織田信長の三段撃ちで討たれる――では、さすがに戦国物語として成立しません。

その点本作は、漫才の時代背景が一般的には知られていないものですから、時代考証もユルくなって大正も戦後昭和も区別がついていないのでは?と、そんな気持ちにさせられました(´・ω・`)

 

乙女組の部活動感が止まらない

さて、栞が言うには、大阪駅にぽつんと隼也がいたところを保護したそうです。
大阪のような大都会で、なんとも奇遇過ぎるなぁ……。

安来に帰りたがったとわと一緒に、家出しようとしたとか。
荷物も何も持たず、しかも夜に?という疑問も湧いてきますが、ここは彼女の感情の高ぶりが突拍子もない行動に走らせたと考えるべきですかね。

実際、とわは、自分が足手まといになっていると感じていたと反省します。
するとチームメイトがメモを取ってまで練習していたとか言い出しまして。完全に部活モノ作品のシーンです。

追い打ちをかけるように綺麗なピアノの旋律が意味ありげにメロディを奏でて、「さあ、ここから感動的な和解の場面ですよ」という圧がスゴい。

「もういっぺん一緒にやろう!」
「踊りたいけん!」
ここまでやる気が再燃すればそれでいいと思いますが、藤吉がドヤ顔で、
「このままだと乙女組を解散するしかない」
と言い出しまして……なぜ、こんなタイミングで言いだすのでしょう。

この台詞は、とわがいなくなった時点、あるいは戻って来たばかりで言うならわかります。
あるいは、単にヤル気を引き出すために、はっぱをかけたのですかね。
表情や声色からはイマイチ読み取れませんでした。

結局、乙女組の4人は超絶イージーに仲直りとなり、互いをかばいあい、最後に風太が言います。
「悪いのは俺や!」
風太はもう、大番頭ちゅうより部活動の熱い顧問でんがな。

ここで藤吉、
「北村笑店の命運は、風太と乙女組に預ける」
って、おいおいおいおい、またかよヽ(・ω・)/ズコー

安来節は、10軒もの寄席を運営する会社が命運を賭けるとか、そんな花形の出し物ではないはずです。

そりゃあ、少しでも大きくヒットして欲しいでしょう。しかし、かつては寄席の経営を左右するような契約金を払った落語家・月の井団吾やら、一派を連れてきた文鳥師匠やら、なんだかんだで総勢200名以上も芸人さんがいて、なぜ、乙女組にそこまでの比重がのしかかるのか。

藤吉=校長
風太=部活動顧問
乙女組=部員
という構造を、そのまま当てはめているとしか思えないトンチンカンなやりとり。これのどこが吉本興業なのでしょうか(´・ω・`)

 

お母ちゃんと一緒にいたいから芸人になる……って?

栞は、てんに隼也が家出をした原因を語ります。

学校で芸人になりたいと言ったところ、「芸人なんてアホがなるもんや」と言われて喧嘩になったと。
隼也は芸人になればお母ちゃんといつも一緒にいられるから、と思っていると。

隼也くらいの歳の少年となれば、母親よりも級友と遊びたいのがごく自然だと思いますが……。
この世界の男は、なんだかマザコン癖がかなり強めですね。

一方で藤吉は、隼也に語りかけます。
「喧嘩のわけも、家出のわけも聞かん。ただ俺はお前を信じる。ただ迷惑かけた人には謝らなあかんで」
たぶん、昭和(本作は明治も大正も昭和もミックス状態なのでこれで正しいのです)の、背中で語る親父像なんかを意識しているんでしょうけど、ここは話聞いてやった方がよいのでは? 実際、栞には語っているわけですし。

てんはてんで、母親失格やと言い出します。藤吉も、
「あいつの気持ちはわかる。乙女組のお母ちゃんになったてんに、心配かけたかったんや」
なんて調子なのも、藤吉自身が母親の気を引きたくて「ホーホケキョ!」連呼をしたりしてましたもんね。

わろてんか35話あらすじ感想(11/10)ホーホケキョぉおお!

本作の息子たちは、母親の気を引きたいあまり痛いことをするのがデフォなの?(´・ω・`)

てんは、乙女組のお母ちゃんと言う割には、面倒を風太に丸投げしてますよね。
セキュリティがザル状態の寮でも、心配していませんし。

「あの子、芸人になりたいなんてかわいいわぁ」
そう笑い合うてんと藤吉。
「まだまだ俺らも成長せなあかん」
藤吉がそうまとめ、感動的なBGM。いやほんまに、2018年こそ多少は成長してください。お願いします!!

翌朝、出かける前に隼也は謝ります。
乙女組も良くなってきました。稽古を監督する風太のもとに、トキがやって来て亀井に渡して欲しい封筒を置いてゆきます。いや、だから、そういう雑用は大番頭にやらせるなと。

トキは今日は非番で、キースと活動写真を見に行くそうです。
トキ、風太、キースの間で三角関係!?
また恋愛推しですか……そうですか。

新年早々どうでもええ。

心の底からどうでもええわ!!!!!

 

今日のマトメ「見栄え立派で、味の酷いお節料理」

年をまたいだら面白くなるとか、そんなことになるわけないんですが……今年の一発目も、やっぱり安定バツグンの駄目さ加減でした。

・ワンパターンを焼き直す(隼也失踪、母親を困らせたがる息子)
・数十年単位で時空の歪む時代考証
・中高生の部活ノリ
・三角関係推し

今年もこのパターンでお願いします、という高らかな宣言かもしれません。
本作を改めて見ると、見栄えだけよくて味が酷いおせち調理を思い出します。

そういえば本作の総集編が年末に放映された折、団真とお夕が一カ所も出てこなかったようです(私自身が未確認で申し訳ありませんが)。
一番面白かった場面が、この扱い。キャラクターを使い捨てにする本作らしさを感じました。

それでは今年もよろしくお願いします(´・ω・`)

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【関連記事】
吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

2 Comments

朝どら大好きニャンコ

悪いのは私が…いや私が…私が…私が…俺や!
ダチョウ倶楽部???

ビーチボーイ

ふふっ、「見栄えだけ立派で味のひどいおせち料理」全くその通りです。この比喩には笑えました。ドラマ自体はいつも15分間1回も心から笑う場面はないのに。
年越し懸案(凄くわざとらしい「懸案」)を一気に解決・回収して新春じゃそらめでたやな、というわけでしたね。安来節少女隊の挫折も隼也とわの失踪も、リリコ藤吉とてん栞のダブル不倫疑惑?も全部まとめてチャンチャン。
ところが、解決したらしたで視聴者にはちっとも充足感がなく、「それがどうしたの?それから次は?もうあと何もやることないじゃん、繰り上げ最終回?」って印象しか残さない。それも毎度の繰り返し。
最初にボタンをかけ違ったまま視聴者に根深い不信感を与えてしまった脚本家さん制作陣さんに、起死回生の「春」はいまだめぐって来ないようです。

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