八郎は困惑する。
彼は地元のもので作ると言う。ブランドとしてはそうなるでしょう。
でも、昔の八郎だったらそうだったかな? そこは考えたいところ。
三津は、ベースは信楽、よそもん少し入れると主張します。それでも折れない相手に、三津はこう毒づきます。
「頑固やなぁ、頑固オヤジちゃんや。新しいもん取り入れんなら、新しいもんできるわけないやん。舌打ちの数が増えるだけやで」
三津は半端ない
その5「礼儀という概念を時々置き忘れる」
いきなりすっ飛ばしてきおった。
視聴者のサンドバッグになることを物ともしない、こういう姿勢嫌いやないで!
でも、忘れんで欲しいのは、この人は相手を正面切って侮辱するつもりはないのです。
剥き出しにした感情を、周囲がどう受け止めるか、理解できていないだけ。だから許されるわけでもないと、本人も幼少期から痛い目にあって知っているので、そこは理解したいところ。
鈴愛が笛を投げた秋風に怒った時もそうでした。
ここで喜美子と八郎は突っ込みます。
「大阪弁?」
別れた彼氏が大阪出身。
一年前に別れてさそり座だったそうです。
「なんや、この子?」
八郎も引く。うん、別に彼氏の星座情報いらんしな。
三津は半端ない
その6「そんなこと聞いてへん」
興奮すると聞いてもないことを語り出すんですね。酒が入ると悪化しそうだわ。
「なんで別れたん?」
喜美子は突っ込む。
八郎は「聞くんか?」と驚く。
「今でも好きです。今でも好きで、好きで、会いたくてたまらん! うぅ〜、うう!」
八郎が接近して、別れた理由を聞こうとします。
うーむ……八郎は世間から悪いもんを吸収して、ピュアさを失いつつあるのではないだろうか?
失恋で悩む女に接近する。ゲス男しぐさやんか。
「弟子にしてくれたら教えます!」
「ほなええ、教えんでええ」
「教えますよ! 弟子にしてくれたら!」
な、何いうとるの!
いじり方?……いや、それ以前の問題や
八郎は引きます。
「もう、いじり方まちがえた……」
お、おう、せやな。
ここは、鈴愛が原稿で脅して、秋風にメシアシをやめさせるよう迫ったところにも似ている。
三津がふられた理由? そんなん……性格やろ。
当時の女性の一人旅は、今でもそうですけれども危険です。
この年齢の女性が一人で旅をして、無事で済んでいる。ご都合主義かな? それはどうでしょう。
・幸運であった。暴力や薬物を使う人間に遭遇しなかった。これは幸運です。
・ファッションセンスが独特。絡まれて困っていたベビーカーを押す母親が、金髪にするだけで被害がなくなったという話はよく聞きます。ファッションではなく、防衛で過激なファッションをするのは有効です。
・ズレとる。いじり方を間違えると、ひたすらめんどくさい。ついていけない。ゆえに、下心満載の男ですら逃げ出す。ついでに彼氏も。
・「黙っとったら可愛いのになぁ」というのは今更言わんでやってください。鈴愛同様、本人が一番よう知っとるわ!
三津は個性が強烈過ぎるんですね。
でも、いきなり彼氏のことを話す彼女は、さみしいのだとは思う。
吹っ切れていた直子とは違うのよ。それを取引材料にするあたりが、わけがわからんところではありますが。
三津はさらに言い切ります。
「新しいものを取り入れたら、先生の作品、変わります!」
「……その話すると怒るで」
ここで八郎はムッとする。
三津は無礼そのものだとは思いますよね。先生先生と言われていたら、そりゃこうなる。
それはそうとして、最近の八郎は毎回怖い顔を見せていると思う。松下さんは将来、アサシン役できますよね。
「かんにんな、あきらめてくれ」
そう言われて、やっと三津はこうです。
「私の方こそすみませんでした! 不躾なことを聞いてしまいました! わがまま言ってすみませんでした!」
喜美子が荷物をまとめるところを手伝うと、こうお礼を言います。
「ありがとうございます! では失礼します!」
喜美子は泊まっていけと言いますが、こうです。
「これ以上甘えられません! 日本全国一人で回った、心配ご無用! お邪魔しました!」
うーん、タフというか、ズレているというか。
ここで愛想笑いをして、恥ずかしそうに身をくねらせながら泊まることを受け入れて。それで台所に立って喜美子を手伝う。翌朝、そっと味噌汁でも作ればええやん。
そういう普通の対処ができひん。
本人も子どもの頃からそこをずーっと周囲から言われていて、だからこそ補うためにも大袈裟なくらい丁寧にお礼を言うことを身につけたけれども、周囲は理解してくれない。
わがままで非常識でお礼も気遣いもないアホな子だと思ってしまうんやろなぁ。
鈴愛も、おとなしくメシアシをして、胃袋で相手を掴むことはできなかったっけ……。
八郎はここで気づきます。
「喜美子のこと、ちゃんと名前で呼んだな。奥さんやのうて、喜美子さんて」
そうそう。
昨日の信作と同じ指摘を、一直線でたどり着いてしまっている。
信作と三津は、アプローチは違いますけれども、両者ともに本質を突いてきてしまっているのです。
八郎も彼なりに、そこに気づいてしまったのかもしれない。
さて、三津は川原家の庭に忍び入る不審な二人を発見します。
曲者じゃ、出会え出会えぃ、ここは甲賀じゃ、忍じゃあ!
いや、忍者でなくて弟子なんですけどね。どうなることやら。三津は武力が高そうですし。
知識に裏打ちされた自由奔放さ
工房では、八郎が次世代展に応募すると柴田に言ったと喜美子に告げます。来月頭に取りに来るから、タイトルつけとき、だってさ。
ここも、しなやかどころではない。
女性特有というか彼女自身のパワー全開なのです。
「どうせ応募するなら、新しいもの作りたい。あれ作ったの、だいぶ前や」
「せやけどええ作品や」
「もっとええの作るわ。決めた、これとは違う新しい作品作って応募させてもらいます!」
二週間しかない。そう八郎は戸惑いますが。
「構へん。八郎さんの横で、新しい作品作りや。一緒に前に進もうな、なっ?」
喜美子は気づいていない。
八郎の創作の泉は枯渇しそうで、前に進むこともできない。
過去の名声だけを頼りにして、惰性で動いていることに。
これがどれほどおそろしいことか。
先にいても、止まっていたままでは追い抜かれるのも時間の問題です。
信作が指摘し、三津が嵐を巻き起こす。
そして佐久間はこう言っていた――。
「ひらめきと感覚だけでパッパッとやってうちは、たしいたことないんや。怖いんは、これに知識がついたときや。豊富な知識に裏打ちされた自由奔放な作品ほど、怖いもんはないで」
愛する人が最大の敵になりかねないこと。
そのことに、八郎と視聴者は耐え切れるのでしょうか。
三津はハリケーンウサギだから
新年早々、とんでもない大暴投をしそうなNHK大阪。
さんざん指摘しましたが、鈴愛があれだけサンドバッグになり、なつすら叩かれたあと、この立ち位置で三津をぶん投げる勇気には敬服しかありません。
私はむしろ期待しとるで!
三津か……武志もややこしそうな性格の片鱗が見え始めておりますが。
この配役に『アシガール』の二人を起用するということは、外さない固い布陣ということでしょう。
「黒島結菜さんなら、この難役もいけるんちゃうか!」
そういう期待ですね。
『半分、青い。』の永野芽郁さん。
彼女を脚本家の北川氏が褒めただけで、
「お前が発掘したと思うなよ、脚本家め! 『真田丸』の千姫で出ていただろう」
なんて強引なバッシングもありましたけれども。
私はむしろ、こういう構図だと思います。
永野さんと中川大志さんの才能を認めた『真田丸』と共通する誰か、『半分、青い。』と『なつぞら』に採用を決める
↓
それを北川悦吏子氏が感謝し、褒める
そもそも北川氏は、別に永野さんを発掘したとは言っていないわけです。
演技を褒めただけなんですけどね。どういう曲解や。
話を『スカーレット』に戻します。
三津と武志は、演技力がないとできない。半端ではない役。そこを踏まえたと、私は推察します。
三津は可愛いけれども嵐を巻き起こす、いわばハリケーンウサギなんですよ。
黒島さんは大変だろうけれども、がんばってください。三津や鈴愛のような、ウザくてうるさい奴を、どうして出すのか? 狙いはあるんやろなぁ。おとなしくてかわいい子だけを出しておけば、そりゃ波風は立ちませんけれども。
これって朝ドラだけの話でもない。
ジョージ富士川に扮する西川貴教さんが出ている、このEテレ番組でもいろいろ言われとったことですよ。
でも、朝ドラでも子ども番組でもするということは、迷走でもなくむしろ確信的にしていることだと思うわけです。
※ちなみに西川貴教さんはスキッパー役です
朝ドラで下克上宣言
今朝は、三津に圧倒されるけれども、佐久間のセリフも怖い。
「ひらめきと感覚だけでパッパッとやってうちは、たしいたことないんや。怖いんは、これに知識がついたときや。豊富な知識に裏打ちされた自由奔放な作品ほど、怖いもんはないで」
本作の作り手も、ひしひしとこういうものを聞いていたのではないかと思わせるから、怖い。
ユーモアのセンス、自由奔放さ。
こういうものは女性ではなく、男性と結び付けられがちなものです。
『なつぞら』は、アニメスタジオをモデルにしながら、明確にそれとは違う路線を打ち出す試みがあった。
モデル通りではないということは批判対象でしたが、むしろそこを外すことで、差別構造や革新性を出したかったのだと思います。
何がか?
性差別です。
◆スタジオジブリ元幹部の発言に「男女差別」と海外で批判 何を言ったのか?
果たしてジブリは、女性監督を起用するだろうか。西村はこの質問に対してきっぱりと、次のように言った。
「それは映画の種類によります。実写と違って、アニメでは現実世界をデフォルメする必要があります。女性は現実的な傾向があり、日々の生活をやりくりするのに長けています。一方、男性は理想主義的な傾向があります。ファンタジー映画には、そうした理想主義的なアプローチが必要です。そうした映画に男性監督に起用されるのは偶然だとは思いません」
言っている側は気づかないかもしれない。
毎日家事のことを考え、家計をやりくりする女性は現実的だと語ることは、真実であり褒めていると思うかもしれませんが。
ほんとうにそうですか?
女性でも理想は掲げられますし、ファンタジー作家だっているわけです。
※女性原作者の理想が反映された、そんな雄大な意図を、スタジオジブリが台無しにした。それで激怒されたこともありましたっけ
その点、『スカーレット』は挑んでいると思った。
それが、芸人が多く採用されてもギャグが多用される点でもあります。
朝ドラとギャグというとNHK東京の『あまちゃん』が画期的とされた。
あれは男性脚本家ですよね。ここで彼を貶すわけではありませんが、男性脚本家でないと革新的でギャグセンスのあるものはできないという誘導が強すぎて、正直どうかと思うところではあった。
『スカーレット』のギャグ。ジョーが死ぬ間際で放屁するところ。
こういう要素は、むしろ男性性と結びつけられそうなセンスではある。後者の場合、北村一輝さんの発案ではありますが、それを採用するのは本作では女性である、上層部の権限でもあります。
本作のトップに女性がいることを無視するかのように、関西人の特性だの吉本だのに結びつけようという意見は多いけれども。
どうして女性のギャグセンスをまぐれ当たりだと思うかなあ?
ええんか、それで?
今朝の八郎の困惑には、なまなましさがあった。女が下だと思い込めずに、焦る感情があった。
昨年の放送事故は、観察がおもしろかった。
「私はあのヒロインそっくりです!」
そういう投稿が多い。どうしてかな?
今にして思えば生存戦略かもしれない。
あのヒロインは、夫から感情をもらって生きる。
上には絶対に逆らわず、カーストが下だと実母だろうといじめる。そういう抜群の生存戦略の持ち主でした。
彼女のような生き方をしていれば、いじめられっ子、カースト最下位にだけはならずに済む――そんな牙を抜かれた安全性があった。
波乱のない、従順な関係性が最善だと思う心理にフィットするんやろなぁ。
NHK大阪だからと、昨年と今年を同一視する意見もあるでしょうけれども、それはどうでしょうか。
喜美子たちと本作スタッフの下克上を、これからもじっくり応援したいと思います。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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