スカーレット95話あらすじ感想(1/24)オーラル・ヒストリーで紡ぐのは

八郎は自分の作品と、自分自身の区別が曖昧でしたね。

新人賞受賞前に、敏春の言葉に落ち込んでしまいました。その切り替えのために、自分の作品を好む大野夫妻へのコーヒー茶碗作りを引き受けたほど。

三津の態度も、お礼を言いつつ、受け入れたいような、そうでもないような。くすぐるような態度なのです。どこまで意図的なのか、これが難しい。

八郎は、松永さんが変わったのかと言って来ます。前はもっと思い立ったことをなんでも言うてた。端的に言うと、図々しかった。

三津は大人になったと照れています。誕生日を迎え、24になったのだと。

そんな三津を祝福する八郎です。

ああもう、つらい……。

八郎は、三津が言いかけた言葉を言って欲しいと促すのです。

「先生の和食器セット、どんな人が買っていったのかなぁ、って」

今頃こんなことを聞くのはあれなんですけど。そう言う三津。

「松永さんのおかげや。ディナーセットの話してくれて、団地の話もしてくれて。ごめんな、ありがとう」

お礼を言われ、照れる三津。
八郎は上機嫌になって、家族連れや若者もいた銀座の客の話をする。それから三津がお腹空いていないかと気遣っているのです。

結婚前の八郎は、喜美子が無理にでも食べさせなければ、自分自身の空腹にすら、気付けなかったのに。

喜美子には、あんな歪んだ不器用おにぎりを差し入れしていたのに。

座ってご飯を食べるように言い、僕も座って話すと言い出す八郎。

人と人が接近する。何も、それはハグだのチューだの、そういうわかりやすい萌え描写でもなくて。

「おいで砲」だの。「流石ヒロインだ!」だの。そういうもんでもなくて。

二人はぐんぐん接近している。もう、結ばれる流れができている。

自分の作品の評価と、自分自身への評価を混同する。そんな八郎。

喜美子ではなく、八郎のコーヒーカップに感銘を受けたと示唆する三津。

うどんを食べる人のことを想像しながら、作ることが大事だと語っていた八郎。

そんな彼に、和食器セットを買うのはどんな人かと問いかけて来た三津。

自分を子供扱いされていると不満だった三津。

24になったと聞き、それを祝福する八郎は、もう子ども扱いをしていない。

八郎は「三津が変わった」という。

確かにそうかもしれない。三津はかつてあった個性や、ヒロシのことを語る過去も、薄れて来て、何か別のものになりつつある。

水が器にあわせて、形を変えるようなこと。三津はそれができる。

八郎という器にあわせて己自身を変えて来た。彼女はそういう存在です。

悪女。魔女。誘う女。

そういうことは言われる。そんなものはそこに溺れたお前が悪いんじゃ! そこは考えたいところではあります。

三津こそ、そんな誘う女の真骨頂を極めた感がある。

八郎からすれば、芸術を昇華させるミューズ。いわば彼女は女神になる。

でも喜美子からすれば、おそるべき魔女なのです。

そういう堕落の瞬間を、発掘した松下洸平さんに演じさせる。NHK大阪がおっとろしくて震えるわ、こんなん。

ここまで役柄と一致してしまったら、将来実生活で何かがあったとき、気付けるんじゃないかと思います。

外側だけではなく、内側まで鍛える。どんな策士がいるんですか!!

喜美子、一国一城の主へ

喜美子は、そんな夫の変心を知るわけもない。

直子と百合子が、穴窯の場所である畑からカカシを抜きます。

直子は穴窯で一儲けと言い出す。なんやこの、悪徳商人顔は。どんだけお父ちゃんに似とんねん。

百合子は「ええ作品作ってな」と、励まします。

佐久間と柴田。喜美子と三津。それに直子と百合子。

本作って、一人でなくて二人を並べることで、お互いの違いや個性を強調しますよね。天使と悪魔効果やな。八郎と信作も、要注目で。

でも、ここで三姉妹がふざけてじゃれてはしゃぎあうので、そういう効果がわかりにくくする。だから、どういう策士が背後におんねん!

三ヶ月の整地作業が終わり(※全治二ヶ月の信作もたぶん回復しました)、煉瓦で壁を築きます。
窯の熱を逃がさないように、土壁を塗る。武志も参加。

もうすぐ穴窯の完成です――。

なんというヒロイン!
この戦国大名、一刻一城の主ぶりよ。

かつてここまで、大名っぽいヒロインが朝ドラでおったか?

朝ドラはおばちゃん向けでレベルが低いだの、なんだかんだで言われてきた。

昨年大河の題材も「(低レベルでガバガバなおばちゃんの暇つぶしに過ぎない)朝ドラなら名作だったかもしれへんなぁ」みたいなことを未だに言う者もいる。

そういう認識は終わった。

朝ドラ下克上宣言――。

朝ドラは、ヒロインも、作り手も、大河に負けぬ何かを見出しつつある。

穴窯だけではない、おそろしいもんを作りおった。そう言いたくなる、そんな朝でした。

ちなみに、滋賀の宝である戦国武将は石田三成です、やっぱり三成!

石田三成~日本一の嫌われ者を再評価! 豊臣を背負った忠臣41年の生涯

明智光秀も(岐阜)、織田信長も(岐阜)、松永久秀も(奈良)、豊臣秀吉も(大阪)、徳川家康も(静岡)、足利義昭(京都)もいいけど。

やっぱり三成!
滋賀の石田三成もよろしく!!

※正しい理念で素敵な治世!!

平和あっての芸術だ

今日の八郎と喜美子の会話は、NHKの良心の発露であるとも思えました。

どうにもひっかかることがある。
それはエンタメにおける戦争の扱い方でして。

かつて、戦中派が関わっていた頃は、彼ら自身の戦争への想いがどうしたってあふれてきました。

さんざんここで言及する『仁義なき戦い』。あれはヤクザ映画でありながら、第一作目の冒頭と最終作の結末は原爆が映し出されて終わります。

深作欣二は生涯戦争への思いが抜けきれなかった監督なのです。
『バトル・ロワイアル』然り。

※これが出世作の方も多いですね

エンタメとしても面白いのですが、それだけではなく、どうして人と人は争わねばならないのか。そういう人間の本質への嘆き、争いが終わらないことへの警告がそこにはあるのです。

リメイクが決まった『柳生一族の陰謀』にせよ。

『MAGI』に脚本家が移った、『戦国自衛隊』にせよ。

『戦国自衛隊』武田vs伊庭の川中島はトンデモ歴史映画の最高傑作だ!

※サニー千葉は最高です

自分たちの直面した戦争、闘争、その愚かしさと残酷さと向き合いたい。そういう思いがある。

ここ数作の朝ドラや大河脚本家の年代を見ていると、なかなかおもしろいものがありまして。

彼らは喜美子以下、ギリギリでも百合子世代くらい。むしろ喜美子たちの子ども世代という印象です。直接的に戦争を経験していない。

となれば、どれだけ親世代の話を聞いてきたか。向き合ってきたか。
教科書や受験勉強ではない、オーラル・ヒストリーの理解度や摂取量が反映されます。

戦争をデカい台風レベルのものとして扱うか。イケてる俺らの娯楽を奪うめんどくせえイベント扱いするか? それとも八郎のように、人が起こし得るものだと警告として認識するか?

ここの違いは大きい!

こういう理解度の差は、偏差値ではわからない。出身校は関係ない。政治的な立場も、関係があるようで、必ずしもそうではない。

誰のフォロワーか? フォロワー数は何人か? これも関係ない。

誠意と理解度の問題です。

100作目前後から、このパラメータが明確に見えるようになってきました。

そしてこれは作品の出来にも通じる問題です。

与えられた資料をアリバイ的に取り入れて、あとは手癖で仕上げているか?
萌えだのエロだの美男美女を取り入れて、ネットニュースでバズるネタを入れれば、それで(ネットでの)成功作への階段は割と簡単に登れるのですが。

練り込んで、多くの要素を読み込んでいるのか?
難易度をあげ、ネットニュースでバズる要素を策として使うか?

妄想癖があるとさんざんバカにされる、そんなレビュアーとしては、うれしいのか困るのか、結構悩むところなのです。

確実に、難易度をあげている策士がいる。そのことがわかる問答でした。

あの会話そのものは、そこまで唐突でもない。
フカ先生の火鉢問答も入れたら、実は二度目。繰り返すことで飲み込みやすいようにはしておりますからね。

バランスをとりながら、本作は何かすごいものを目指しているようです。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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