1992年(平成4年)の東京。
秋風羽織の三人の弟子である楡野鈴愛、ボクテ、ユーコは漫画家デビューを目指して奮闘し、ついにユーコがデビューを飾りました。
祝福する鈴愛の一方、ボクテは嫉妬心のあまり、あることを企んでしまい……。
【65話の視聴率は21.6%でした】
もくじ
金沢の鬼才と呼ばれていた
ユーコは『5分待って』を連載視野にネーム作りに励みます。
一方で鈴愛は『月屋根』、ボクテは『女光源氏によろしく』で、ガーベラ新人賞に応募することになりました。
が、ボクテは『アモーレ』編集者の黒崎と、悪魔の取引をしてしまうのです。
散英社みたいな大手ではページもあかない。
高校時代にボクテがコミケに出展し、「金沢の鬼才」と呼ばれていたころから、目をつけていた。
秋風塾なんていうけど、条件がよいわけじゃない、と黒崎は焚きつけます。
ボクテと黒崎、ボクテと秋風羽織。
両者のヤリトリが交互に出てきます。
こういう時系列や視点の移動は、高度なテクニックで、正直言って朝ドラというフォーマットに向いているとはあまり思えません。
しかし、本作は、時計がわりにダラーっと流すだけのドラマではないのです。
水面下での裏切りの進行という重たい展開も、こういうテクニックも、これがあってこそ本作の味です。個性ですね。
ボクテのセリフは掲載誌のカラー(特色)に合わせると言っていますが、本作は、朝ドラのカラーを大胆に無視してきています。
羽織はそんなボクテを励ますのですが、やっぱり不穏です……。
ボクテのもとに届いた母からの手紙が……
秋風ハウスのピンク電話で誰かと話しているボクテ。
彼が提案している話は『神様のメモ』です。
そこへユーコが帰ってきて、あわてて投資信託勧誘電話だったと誤魔化すボクテですが、ユーコは気づいているようです。
あせらないで、秋風塾は天国だよ、と告げるユーコ。
たぶん、この天国とは、もう長続きしないのでしょう。
ボクテの部屋には母親からの手紙が届いておりました。
この手紙が辛い。
わずかこの一通で母親を嫌いになるようなひどいものでして。
父の病気が重い。
着物が嫌いじゃないだろうから、呉服店を継げとボクテにプレッシャーを与えます。
金沢の鬼才というから、あの加賀百万石を代表する金沢市なのでしょう。その呉服店だと、さぞかし保守的なことが思い浮かびます。
母からの手紙は、ゲイだの漫画家だのをやめて戻ってこい、いいお見合い相手もいるぞ、と続いておりました。
秋風塾は確かに天国です。
彼の才能が認められ、性的嗜好を矯正し、人生を決めつけようという人はいません。理解者しかいないのです。
しかし、ボクテは追い詰められて、その天国を壊しにかかっています。
漫画家と違ってゲイはやめられないんだよ、という台詞がズッシリ響きます。
朝ドラでここまで言うようになったか……。
『神様のメモ』のプロットを貸してくれ
鈴愛は庭を歩く満月を見ています。
律と別れた夜はあんなに辛かった月に、いまや何も感じない!どうしたことだ!と嘆く鈴愛。
うーん、これは、こねくりまわしてアイデアがかえってダメになったんですね。
よくある話。寝かしているときが一番よかった、という。
鈴愛は、走り高跳び選手と少女の恋を描いた『一瞬に咲け』で勝負すると言い出します。
もしかしたらですけど、『月屋根』は本作でも終盤に完成するのか、それともしないのかも。
律との別れを作品にして完成させるっていうのは、どうかと思うのです。
ボクテは鈴愛に折り入って頼みがあると言い出します。
『神様のメモ』のプロットを貸してくれ――。
不穏なBGMが流れる中、ボクテの懇願に押し切られ、かつボクテが描いた作品も見たいという思いから許可してしまう鈴愛です。
いやいや、それは危険ですよ!
実はボクテは、『女光源氏』はパンチが弱いと、黒崎からダメ出しされていたのです。
つまり、ガーベラ新人賞に応募するわけではなく……。
ロンバケならぬロンバーにブッチャー&ナオちゃんが!
「つくし食堂」では、晴が鈴愛の作品は掲載されないとため息をついています。
弟の草太は名古屋のよくわからない大学に進学、TVプロデューサーのような服装になったそうです。
トレンディっすね。小石田純一さん(モノマネ芸人)を思い出しました。
羽織は『ロングバージョン』というトレンディドラマを鑑賞中。菱本に、ユーコの作品は連載になったらドラマ化されるだろうと語ります。
このドラマのタイトルはどう考えても、あれですよねえ。
面白いのは、この手のトレンディドラマを肯定的に描いているとは言い難いところでして。
キムタクを長髪ブッチャー、山口智子さんをナオちゃんが演じているところから、もう、込み上げて来る。
トレンディドラマをセルフパロディにしてプロットに組み込んでしまうというのは、脚本家さんの豪腕っぷり、大胆な遊び心には恐れ入るばかりです。
朝ドラでここまでやりますか!
パクられたわよ!
鈴愛は、羽織の元でまたしてもプロットの練り直し中です。
ここでおずおずと変更を提案。羽織はアッサリと許可します。
『一瞬に咲け』のネームもこれまたアッサリ。
まぁ、それも『月屋根』との格闘あっての進化かも。
余計な回り道はないというのが、本作の隠されたテーマかもしれませんね。
月屋根で、女から男、そして犬への視点変更がダメだったのかな?という鈴愛に羽織はあっさりと、「かもね」。
三文字かよ、と突っ込む鈴愛でした。
こうして締め切りはで必死で漫画に取り組む鈴愛。
1992年の夏は、勝負のときでした。描いて描きまくり、あとは運を天に任せるだけ!
しかし……。
ある朝、菱本が慌てた様子で「パクられたわよ!」と鈴愛を起こしに来ます。
他誌『アモーレ』に掲載されていたのは、ボクテの『神様のメモ』でした。
今日のマトメ「私の物語ではなく私たちの物語」
水面下で親友が裏切りを企む――という、これまた朝ドラにしてはヘビーきわまりない展開。
朝の爽やかさを期待した人に、突然『真田丸』の真田昌幸レベルの極悪非道ぶりを届けるという、あんまりな所業にココロ震えっぱなしです。
殺伐幕末のはずの『西郷どん』より、こっちのほうがきついから!
心理的にエグりに来るから!
何度も指摘していますが、本作は、実は大変な暗さを常に伴っています。
さわやかで甘ったるい青春だなと思っていた読者のマグカップに、平然と、悪魔のように黒く苦いコーヒーを注いできます。
フランスの政治家・タレーランの言葉を思い出しました。
カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い――。
そしてそれこそが本作の味わいですし、90年代に青春を送った人にふさわしいドラマだと思うのですね。
『ひよっこ』が明るくキラキラして、ひまわりみたいな黄色い色が似合う作品であったのは、高度経済成長期の物語であるから可能だったのです。
同じことを『半分、青い。』でやるとしたら、とても不誠実な作品になるでしょう。
1990年代に青春を送った人々は、バブルの輝きのあと、黒い雲がこの国を覆うことを知っているどころか、その煽りを社会人デビューの頃に真正面から喰らうのです。
時代の暗さを無視して、主人公周辺は補正がかかって輝いている。
そういう作品は薄っぺらく、不誠実です。
出征兵士が長い髪をしていて、死ぬべき者が平然と生きていた『わろてんか』がその悪例です。
『半分、青い。』の常に漂う黒さが私を魅了します。
この話が脚本家さんにとって非常にパーソナルな要素が組み込まれながら「私の物語」ではなく「私たちの物語」という高い次元にまで昇ってきているのは、まさにこの暗さのおかげではないでしょうか。
私たちの、この国の失敗から逃げないからこそ、本作品は貴重なものとなるのです。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
すみません。今頃になってですが…。
見た後、このコメントは非公開にされていいですから。
>ある朝、菱本が慌てた様子で「パクわれたわよ!」と鈴愛を起こしに来ます。
先生のレビュー、いつも楽しみに拝見しています。直虎レビューの頃から欠かさず読んでます。ドラマ見た後にこちらのレビューを見ると、友達と感想を言い合ったみたいに、そうだよね〜!と声をあげて共感できるので、嬉しくなります。辛口レビューも、感動レビューも、どっちも大歓迎です!
律くんが出なくなってしまって、この先どうやって再会して、また絡んでいくのか楽しみですね!
私はロンバケ世代なので、北川悦吏子先生の作品はドンピシャで好きです!毎朝、楽しみで、日曜はちょっと寂しいこの頃です
「半分、青い」、かなり意味の深いタイトルですよね。
左耳の失聴、半分雨が降っとるし…、
登場人物の長所と短所…、
プロとあまちゃん、
人の明るい部分と暗黒面(ダークサイドかっ!)、
散英社も半分合っとる(笑)、
半分青いドラえもんもネタに、
あ、そう言えば、登場人物の清の名前も半分青いなぁ…。
ホント、遊び心を持ち、登場人物を丁寧に描く本作品、素晴らしい出来ですね❗
作中で年単位が経過して鈴愛も引きずってないし、コミカルな演出か多いので雰囲気は重くないのですが
視聴者目線では短期間に鈴愛が痛い目に遭ってるのもあり、こちらの心の中も「半分、青い」ですねぇ……