なつぞら5話 感想あらすじ視聴率(4/5)私も怒っているべさ!

思い出の中にいるからこそ、生き生きと

なつは、かばってくれた天陽にお礼を言います。
彼が描いているのは、馬の絵でした。

この馬の絵――小道具さん、本気ですね。

手抜き朝ドラは、小道具のリアリティがダメなもの。
Illustratorで作ったとバレバレなものとか。
当時の技法を理解しないで、担当者の手癖がそのまんま出ているとか。

これは本気だ。
そう思えたのは、10歳程度、絵が抜群にうまく、観察眼がある子供が描いた絵としてのリアリティがあったからなのです!

大人が描いたようには、ぱっと見てわからない。これはすごいことですよ。

そして、この馬の話も、結構泣けるんですよ。
買った直後、すぐ死んでしまったそうです。東京から来たもんならいいべさ、と老馬を売りつけられたようです。

馬というのは、開拓者にとっては命綱です。
しかし、東京から来て知識がない天陽の家族は、地元の人ならば絶対に買わない馬を、買ってしまったのでしょう。

このあたり、北海道ダークサイドも見えてきました。

あのいじめっ子の言葉とこの馬の話から、よそ者を見下し、騙す。
そんな排他性が見えてくるのです。どんな土地にも、そういう部分はありますよね。

天陽は、そんな馬の思い出を紙に封じ込めるように描いているのです。

絵では生きているようにしなくちゃ、意味がない――。

この天陽のセリフは重要です。
生きているように絵を動かすこと。アニメにもつながります。

大好きな思い出だからこそ、生き生きとしていなくては。
これも大事。死んでしまったものでも、絵で生き返ることがある。そういうメッセージに思えました。

作った人が亡くなってからも、作品は残る。
そんな絵やアニメの持つ力も、感じさせるセリフでした。

※あなたの作品は、これからも残ります

私も怒っているべさ!

さて、帰り道。
夕見子はどうしてなつが怒らないのかと言い出します。
なつは性格的に、何て言い返したらわからないのだとか。

あー、わかります。
怒るタイミングが少しずれるとか、その瞬間思いつかないとか。そういうタイプっていますよね。怒るにしても、タイミングや訓練が必要なものです。

あんたのせいじゃない、もっと怒れ!
浮浪児なのはあんたのせいじゃない!

夕見子はそうなつに言うわけです。この子はいいなぁ、よい友達だなぁ!

大事な人が、侮辱されて怒りが湧いてきたとき。

まぁまぁ、そんなことで怒っても仕方ないとなだめるか。
一緒になって怒るか。

名前を出したくない朝ドラは、前者でしたね。
周囲の誰かが怒る、特に男性に対して怒ると、なだめてこそ賢い女という振る舞いでした。

2019年現在、そんなことはもう古い。

私も怒っているんだよ!
皆がそう言い出したこと、時代の流れを変えています。

◆あいちトリエンにも#MeTooの潮流 作家男女半々に:朝日新聞デジタル 

そして、それこそがアニメの描いて来た価値観でもあるはずです。

手紙を書きたい

学校から帰ってきたなつは、自分宛の郵便が来ていないか確認します。

来ていません……。

郵便配達夫を追いかけて、手紙が届いていないか確認するなつ。
同時に、親切そうな郵便のおじさんに、手紙の出し方を尋ねます。

東京の家族という言葉を聞いて、おじさんの顔がちょっとこわばる。細やかな演技です。
「明日取りにくる」と言うおじさんに、なつは「いくらですか」と聞くのです。

いじらしい〜〜!!

このあと家に戻ったなつは、富士子に尋ねられます。

「なっちゃんからは手紙を出さないの?」

こう問われて、なつは切り出します。

「手紙を出す10銭、貸してもらえませんか」

これは富士子も、視聴者も、そのいじらしさにいっぱいいっぱいになるわ。

「そんなことはいいから! なっちゃん、なっちゃん……大事な家族を隠す必要はないの。そういうなっちゃんをここで育てたい!」

思っていることを素直に言って欲しい。
いくらでも出していい、お金のことは気にしないで欲しい。そう語りかける富士子です。

「ありがとうございます!」

頭を下げるなつでした。

絵の中で生きている家族

このあと、なつは父からの手紙を取り出しました。そこには、家族を描いた絵が入っていたのです。

戦死してしまった父。
空襲で死んでしまった母。

しかし、父の描いた絵の中では生きている。懐かしい一家としてそこにいる――。

「お兄ちゃん、どうして手紙をくれないの」

そう言いながら手紙を胸に抱くなつ。

本当の家族が恋しくなったのか? と、ナレーションが語りかけます。

絵の中では、家族はずっと生きている。
そんなメッセージも感じました。

アニメの原点回帰を目指して

コメント欄でも「往年の名作アニメを思い出す」というご意見が集まっています。意識してそう作っていると感じるのです。

第一回冒頭からも、アニメのような表現を感じました。

今日の教室の場面でも、カメラワークまで往年の名作アニメのよう。
孤児院から来て、大自然で育つなつの設定も、寄せてきています。

往年のアニメのような生き方をした少女が、日本の歴史にもいたこと。そんな彼女が、アニメを作ること。本作は意識的に、アニメの回顧と原点回帰を目指しているように思えるのです。

アニメや漫画、ゲーム。そういういわば二次元、オタクカルチャーの担い手の意識が硬直化していないか?

個人的にそんな危惧感がありまして。
そのことに気づいたのは、コミックマーケットの歴史を担ってきた漫画関係者が、『アナと雪の女王』を理解できないと愚痴っていた時です。

彼だけではありません。
サブカルの最先端をになって来た、そんな文化人がその手の批判を繰り返していたものです。

◆「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈

批判そのものは、自由です。
問題はその中身です。

自分が理解できない価値観。
アナとエルサに感動する女なんて、どうせ男――特にオタクの気持ちやアニメのことなんかわかっていない。
そんな論調でした。

おそろしいことです。
彼らの中で自分の価値観が古くなっているという自覚がありません。

女性が王子様よりも、同性の友情を求める。そんなことを理解できずに【お前らは王子様が好きなはずだ】という固定観念をあてはめて、文句を言っているのです。

かつて彼らは、世間から「くだらない」と嘲笑されたサブカルチャーや二次元を推し進めてきたはずです。

それが、いつしか、自分たちが文句を言う側に回ってしまっている。
それなのに、自分自身は「永遠に反抗的な若者なのだ!」という自意識だけは残ってしまっている。

これはまずいのではないか。
そう思ったものです。

このニュースからも、そうした懸念を感じます。

◆平成最後の中高生トレンドは韓国!チーズドッグ、化粧品、K-POP、ハングル文字・・・すべてがカワイイ 

以下、本作からちょっとズレ、前作以前に言及しますので、ご興味のない方はここで終えてください。

「萌え〜」の思考停止

2018年朝ドラ二作への【雑な批判と応援】で痛感したことです。

『まんぷく』感想あらすじ総評 マイノリティが胸を張れる時代に

『半分、青い。』への批判には、スペック重視、萌えの観点からと思われるものが数多く並びました。

・イケメンを出せば萌えると思うなよ!

・キスシーンなんて萌え狙いがあざとすぎる

・10歳年上の女とつきあう男なんて、スペックを考えればありえない。ファンタジーだ!

ど、どうしたんだ?
この作品は萌えアニメじゃないぞ。
そう首をひねったものです。

続く前作****のニュースでは異常なものが目立ちました。

・拷問される場面がエロチックでセクシーと話題になる

・浴衣で横たわり「おいで」という場面は「おいで砲」と名前がつけられる

・特に意味のない入浴場面の頻発

・褌尻で盛り上がっているとニュースになる

・若い女、思春期になれば周囲が欲情して当然。未成年に見える女優を「合法ロリ」と呼ぶ

・クリエイターである、名門大卒である、そんなスペック重視路線

こういう場面や要素で、いちいちわーっと盛り上がっているとネットニュースになったものです。

ニコニコ動画で際どい場面があると弾幕が出るとか。
アニメを見ながら実況していて、SNSで盛り上がるとか。
そういうノリに酷似しています。

スペックがともかく大事で、身長体重スリーサイズ。
そうキャラクタープロフィールに入れてくるノリも感じますね。

こういう二次元ノリ、オタクノリの主戦場はちょっと古いのです。比較的歴史の長いSNSや、某大手掲示板が中心。その投稿をネットニュースが拾いあげ、ネットを中心とした世論が形成される。

しかし、です。
研究結果によるとこうした世論は【ノイジーマイノリティ】であり、実際に多数を代表しているものではありません。

それは前二作でも証明されました。
****放映中に集計した朝ドラ人気投票で、****信徒があんなものは誰も好きではないと言い切った『半分、青い。』が****を上回っておりました。

ネットニュースやSNSだけが盛んで、実数が追いついていなかったんですね。

次のような指摘もありますね。

◆ピエール瀧薬物依存報道を伝えるメディアはインターネット依存症勝手にメディア社会論 – Yahoo!ブログ 

こうした大炎上は必ずしも民意を反映したものではない。慶応大学の教員である田中辰雄と山口真一は『ネット炎上の研究』(勁草書房)の中で、攻撃的な書き込みをする炎上参加者はネットユーザー全体の0.5%に過ぎないことを統計的な視点から明らかにしている。だから鵜呑みにするのは厳禁なのだ。

このことをハッキリ確信できたのは、ある信徒のおかげです。

本人以外誰も使わないハッシュタグを作り、延々と独り言のように、このサイトへの批判を繰り返している。
こちらの予測通り、二次元好きであり、ある少年漫画の熱心なファンだそうです。

その方は、こういう趣旨のことを書いておりました。

【****の褌や裸体は批判していたのに、『いだてん』の褌と裸体には大喜びwww】

いや、喜んでいるのではなく。
全く無意味に褌を出す****と違い、『いだてん』は時代考証をふまえているものだからよいと褒めたのです。

ところが、あまりに二次元ノリの萌え〜に浸かりすぎると、思考回路がこうなってしまう。

【褒める・好き=萌え〜・劣情を抱く・性的に興奮している】

読解力と想像力の欠落とは、恐ろしいものです。

2018年度朝ドラ批判と評価は、女性側のオタクカルチャーへの接近、参加の歪みを反映しています。

熱心な信徒は、男女を問いません。
それどころか、****の安易なエロ描写によって、オタクとしての市民権を得たのだと、そう感じた女性が多かったことを感じます。
私たちも、エロい男の肉体を消費していいんだ。オタクカルチャーの担い手になれたんだ!
そんなやや上の世代、女性でありながら二次元好きのニーズを感じたものです。

しかし、そうではないでしょう。

何かを踏みつけ、加害し、消費する権利を得ること。それが一人前になること。
そうではありませんよね。

極めて不幸なことに、彼ら彼女らより若い世代は、そんな価値観は古いとわかっているのです。

市民権を得た瞬間に、古臭い存在と化している。そんな悲劇性を感じました。

滅びつつある世代に、コミットした前作。

そうではない前々作。
こうした流れを受けて、アニメは萌え〜だけじゃない、誰もが全ての命を権利を尊ぶ世界であり、それを第一とするところまで回帰するのではないか。

本作にそう期待しているのです。

※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!

【参考】なつぞら公式HP

 

8 Comments

aa

広瀬すずちゃんとスピッツが好きなので楽しみにしてたんですが、期待以上です!
前作も長谷川博己さんは好きだったんで期待はしてたんですが^^;
今作は本当に毎朝が楽しみで「これこれ、こういうのが見たかったの!」という気持ちになっています。
すごく丁寧に作られていて、登場人物の一人一人がいきいきと生きていて、子役始め演じる方々も素晴らしく、名作になりそうな予感がします^ ^

あしもと

「なつよ…」と語りかけるうっちゃんの語りも面白いですね。今日なんかは、なつに問いかけをする形で気持ちを慮っていました。

その声が包み込むようで、涙ぐんでしまうのですが。

本当になつを見守る誰かのような人格を感じるのですが、人というより空のようでもあり、誰目線なのかしら。

匿名

やはり草刈さんのインタビュー記事に、台本についての言及がありましたね。これが、本来あるべき姿ですね。

匿名

なつぞらになってから毎日が楽しいです。
人の温かさや思慮深さ、人生経験から培われた賢さ、などに触れることができる喜び。
そして子供たちへの向き合い方には、毎朝涙なくしては見られません。
名前を言ってはいけないあの超駄作には欠片もなかったものが、なつぞらには詰まっています。
予想通り前作信者のなつぞら叩きも始まっていますが、何とかの遠吠えですね。

匿名

となりのトトロやおもひでぽろぽろといった、ジブリの傑作を見ているような感触にひたりました。
後は赤毛のアンかな。夕美子やいじめっこ達が良い味を出しています。
なつはサツキとメイ姉妹やタエ子のように、主体的で伸びやかな人生を送ってくれるのか。
楽しみにしております。

そして萌え~の思考停止について。
記事を読み、個人の価値観や信仰は自由ですが、力を得た途端、それを使って他人に信仰を強制するのはよくないなぁと改めて思いました。
彼らとてかつては『マイノリティ(笑)』として『爪弾き』にされたり『マッチョな価値観を信仰すべし!』と押し付けられ、抑圧されて、途方もなく苦しんだ側であったはずなのに…。
マウンティング+いじめっ子根性を内面化してしまっていて気の毒です。

匿名

あまり口にすべきではありませんが、もしも前作があんなに優れたものだったら、おそらくシナリオ集が出ているか、『月刊ドラマ』という雑誌にシナリオが出ているでしょう。この雑誌には、過去に『カーネーション』や『あさが来た』も掲載されていましたし、あの『わろてんか』も掲載されていました。

しろばにあ

「余所者を騙し、見下す」
『そうそう。どこの土地でもあるあるで、私にもそういう部分があった。』
『外集団バイアスって奴だな。昔は(今でも?)余所者=侵略者・交配相手を奪って行く存在・自分の地位を奪い取る存在ということが多かったから、自身と家族を守るために脳に備わった機能なんだって聞いたことがある。』
と頷くと共に、この作品に寄せられていた
「田舎者の貧乏人がヒロインとかないわー!田舎者は田舎者で慎ましく生きていろ。」
というアンチコメントを思い出しました。
自分が『見下している田舎者』と同じ『外集団バイアス全開』な思考回路じゃないですか。
なんという皮肉でしょう。

まめしば

市民権を得た瞬間に古臭い存在となる…本当に悲劇ですね。
そういえばアップされていた『かぐや姫の物語』も
「女の子が社会からありのままを受け入れてもらえず、周囲から抑圧されて(彼らに悪意はなく、良かれと思って)育ち、最後には地球での暮らしに絶望して月へと帰る物語」
「ありのままでいる事事態が世間では罪なのだ」
と受け止める人よりも
「ワガママな女が最後まで好き勝手する話だった」
「男を振り回しまくったビッチ」
と、受け止めて攻撃的な感想を漏らす人が目立ち、ウンザリした記憶があります。
ゲームオブスローンズも、デナーリスやサーセイの活躍を称賛するより
『浅はかな女達が鉄の玉座を争ったり、軍議で多数を占めるなんてあり得ない!展開に無理が有りすぎる!!』
『行きすぎたフェミニズムだ!!渋い男キャラこそが至高!』
という、ミソジニー&凝り固まった価値観全開なコメントを多く見て悲しくなった記憶も。
恐ろしいのは、こういった記事を真に受けて名作から遠ざかってしまう事です。
半分青いは圧勝しました。なつぞらも負けないで欲しい。切にそう思います。

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