おはようございます。
コメント欄にしっかり対応できなくてすみません、毎日、読ませていただいてます!
それにしても、すごい15分ですよね。
実はレビュー執筆にかかる時間は、前作の倍以上です。
しかし、本作のように完成度高く組み上げられていると、脚本段階で練りに練っていることが伝わってきて、スッキリとした爽快感があります。
子供ですら観察し、自分なりのやり方があり、それに沿って生きていることが把握できる。
この人は、この子はどう考えて、そして行動しているのか。
どういう生活を送ってきたのか。
今までどんな生き方をしてきたのか。
みっちみちに考えている。セリフの中にある。
それを役者さんが噛み締めて、しっかりと言い切っている。そのことがわかります。
これがスカスカだと、演技に現れます。
・イライラしている雰囲気が出てしまう
・顔芸、身振り手振りが大げさになって、中身のなさをくどい演技でごかましていると伝わってくる
・ワンパターン、投げやりになる。ルーチンワーク感が消せない
演技指導の問題も大きいものだと感じていましたが、根本的な問題は脚本だと思うのです。
中身が詰まっていれば読んでいて面白く、その魅力をどう伝えるのか、考え抜いた演技になるはずです。
逆に中身がなければ、それができない。
どうしても演技に歪みが出てしまうのでしょう。
追跡チームは川へ向かう
川べりにこそ、なつはいる――。
そんな知略の高い追跡一向が現場へ迫ります。
途中、富士子が心情を吐露します。
あの子の親になる自信がない。
他人の家にいたら、失った自分の家族に会えない。この富士子の嘆きに、15分以内にきっちりと答えが用意されています。
剛男は、言いました。
「あの子を見つけることだけ考えなくっちゃ!」
「そだね」
この対応は現実的です。男性だからそうということでもない。
富士子に余計なことを言うな、邪魔するなとは言わない。
あとでちゃんと考えよう。そういう含みを持たせています。
こういうとき、怒鳴り散らすように彼女の心情を遮ると、確実に禍根を残しますからね。
父はいつでもそばにいる
なつは天陽からもらった魚を食べようと、火を燃やしておりました。
そしてカバンから手紙を取り出します。
咲太郎。なつ。千遥。
お父さんは遠い戦地にいる。
大好きなお母さんと離れ、生きるために戦っている。
会いたくて恨んでいる。
チクショー!
バカヤロー!
帰らせろと思っている。
そう思って、お前たちと一緒にいるんだ。
この手紙を受け取ったときは、この世にいない。
だけど、いつも一緒にいる。
やっとお前たちのそばに戻れて、一緒にいる。
浅草に行こう。
神田のお祭りに行こう。
うちは商売していて行けなかったから、いつか一緒に行こう――。
父の声とともに、アニメーションが動き始めました。
この場面は、本作序盤屈指の名場面であり、かつ重要な要素が詰まっています。
・ナレーターの正体は、なつの亡父だった
・咲太郎は【店の再建】による家族再建を願っていたが、なつの場合は【アニメーション】による家族再建を目指していることがわかる
・実質的な成果を得たい咲太郎、想像力による成果を得たいなつ
起きたまま見た夢、想像力で描いた最初の夢――。
流れる歌は『私の青空』。
印象的です。
そして本作のタイトルである『なつぞら』とは、
【なつにとっての青空】
ではないかという解釈もできます。
青がメインカラーで、これはNHK東京近年共通しているものでもあります。『ひよっこ』は黄色でしたが。
青は夢の色なのかもしれない。そう思えるのです。
そしてここで、ナレーター予想が正解だとわかりました。
事前に予測して、感動を少し減らしてしまったのであれば、申し訳ありません。
ただ、私も思いつきで書いているわけじゃないってことを、ご理解いただければ幸いです。
このあと、なつの目から涙が零れ落ち始めます。
追跡について考えよう
すると、捜索隊が追いつきました。これも辻褄が合います。
追跡に必要となるポイントは?
ここで真田昌幸流で考えてみましょう。
・生きていくために必要なこと:食事、就寝、排泄は跡を残す
・特に食事のために火を起こすことは、捜索する側にとっては重要なポイント
→リアル合戦であれば、行軍の際に竃の数を偽る計略も可能
→煙、臭い、夜間の光はなかなか隠せないので、追跡する側には重要
これをふまえますと、なつが魚を焼いた直後に見つかることは、極めて理にかなっています。
もっと怒れ、怒ればいい!
かくして柴田家一行に発見されたなつ。
今までずっと押し殺してきた感情が、爆発します。
うまいけれど、いかにも演技をしている、ちょっとわざとらしい感じがする。そんな意見もあったなつ役・粟野咲莉さん。それもそのはず、いい子を演じていたのだから。
そしてここもポイント。昨日の咲太郎といい、柴田家のきょうだいの感情を解き放つトリガーは、父への思いです。
どうして?
どうして私には家族がいないの?
どうしていないの?
そう泣きじゃくるなつに、泰樹はこう語りかけます。
もっと怒れ。
怒ればいい――。
この励ましからも、彼の開拓者としての人生経験が伺えます。
酷寒の地で、自分の家族はどうしていないのか?
一人なのか?
そう思いながら生きてきたのでしょう。
「それでこそ赤の他人だ」といった言葉。
とよと言葉をぶつけ合わなければ生きて来られなかったといううやりとりからも、推察できます。
本作の面白いところは、まさにここなのです。なつは、まず性格やふるまいが描かれて、ここで彼女の人生経験が明らかになりました。
泰樹の過去も、いつか明かされることでしょう。非常に楽しみですね。
そんな泰樹が「怒れ!」となつに呼びかけている。
彼自身も、怒りを炸裂させてこそ生きて来られたのでしょう。それは富士子や夕見子からも伺えます。
「女の子なんだから怒らないでニコニコしていなさい! 愛想よく、笑って」
なんて一切言われてこなかった。それはこの二人の言動からもわかります。
バカヤロー!
チクショー!
バカヤロー!
泰樹の言葉への、この返し。これは父からの手紙にもあったことでした。
これは重要なのです。
検閲があれば、この怒りの言葉は残りませんでした。
天皇陛下ばんざーい!
そう満ち足りた笑顔で死んでいった――それが当時のお題目です。
正直者は迫害される。空気を読め、忖度しろ。
それが出来なければ、何があるかわからない。
以前、紹介した西竹一は、そうした犠牲者の一人でしょう。
日本を神の国とする風潮に疑念を抱いていました。
しかも、どうにも空気が読めないマイぺースなところがありまして。意味があるとは思えなかったのか、宮城遥拝をしなかったことがあります。
そうしたことから陸軍で冷遇され、そのことが硫黄島での戦死へとつながってゆくのです。
特攻隊の手紙を美談として扱う風潮がありますが、そう単純なことではありません。検閲があったのですから。
これは、あの戦争が遠くなったということでもあります。
戦争体験者がまだまだ存命中の映画『あゝ決戦航空隊』。
特攻隊を扱う映画ですが、圧巻の演技です。
それというのも、出撃を命じられた特攻隊員が全く納得しておらず、激怒を滾らせていると、ビリビリに伝わって来るのです。
最近の特攻隊の映画は、どうにもそういうビリビリする怒りがないんですよね。
要は、美化されちゃっているんです。
名作として評価される『この世界の片隅で』でも感じました。
『はだしのゲン』のような怒りが足りない。
前作朝ドラ****は、あまりに酷すぎて言うまでもありません。
日米開戦をノホホンと受け止め、自分さえよければよく、怒りなんてありません。
世の理不尽への怒り――。
その感情は間違っていないのです。
怒りこそ生き抜くために必要なんだ。そう本作は、強く訴えかけて来ます。
怒るなつをたしなめずに、抱きしめる泰樹。
「そばにはもう家族はおらん。だがわしらがおる。一緒におる」
「おじいさん! おじいさん!」
怒りごと、なつを抱きしめる泰樹でした。
※怒りが勝利の原動力となった一例です
何事も受け入れてから、そして言葉が強い
なつは安心したのか、謝ります。
「おじさん、おばさん、皆さん、ごめんなさい!」
まずは受け入れること。そうしなければ、謝罪にもつながりません。
なつをいきな叱り飛ばすとか。
「女の子なのにそんな言葉を使うな!」と怒りを封じるとか。
そうしていたら、この素直な謝罪には繋がりません。
受け入れなければ、心は開かないものです。
そしてここで、富士子がこう言うのです。
「もうほんとにバカなんだから。今度、黙っていなくなったら、絶対に許さないからね。わかった?」
「はい!」
富士子の演技にも無駄がありません。
とよ、富士子、夕見子。
本作の北海道の女たちは、セリフだけを打ち込んでいるとなかなかきつい口調なのです。
富士子「頑固ジジイ!」
夕見子「あの子、腹立つ!」
とよ「バーカ!」
これだ。これですよ。
そこへ、如何にして暖かさを練り込むか?
これは演じる側も、精一杯考えているはずです。
受け入れたからこそ、バカだの許さないだのと言える――そんな距離感が伝わってきますね。
だからこそ、富士子、夕見子、なつの三人が手を繋いで帰るのでしょう。
※続きは次ページへ
そうなんですよね(万感込めて)ジョセフです。彼は主人公のなかでも異色で…(中略)、しかし彼の最大の強みは波紋でもスタンドでもなく…(中略)。誰もが内なる世界を持っていて、同じ人間でも周囲との関係性によって引き出し方、引き出され方は変わるのかもしれません。そう考えると…(中略)…その視点で物語を見ても楽しく、キリなく話せそうでした。ありがとうございます。
それにしても、語りを明かすタイミングと方法が、とてもさりげないのに、もの凄く秀逸だと思いました。なつがようやく父は自分のなかに生き続けているのかもしれないと気づき、そしてなつの周囲の人もそれぞれ気づきを得たタイミングで、視聴者も疑似体験のように、気づきを得る仕掛けだったんですね。
数日前のコメント欄で、なつに対し何もしてやれない語りを物悲しいと書きました。また、私にとってなつは家族を失った子どもでした。それが、違うんだ、と感じた本日でした。
お父さんは、自分たちの子どもの力を信じ、手紙がその力になると信じていたんだと思いました。お父さんの思いは、手紙が届くことで、自分は子どもたちの側にずっとあると誓った、力強い思いでした。なつは、物語冒頭から父の手紙と一緒にありました。なつは、失った子どもではなかった、ずっと一人ではなかったんだと気づきました。
もちろん、語りはお父さんだったんだという気づきも含めて。
これまではプロローグだったんですね。今回、誰もが、視聴者までもが「なつぞら」という物語のスタート地点に立てたのだと思います。物語の未来を希望とともに見はるかす、まさに朝ドラらしい回でした。
「父親=内村さん」のネタバレは結構早い段階で来ましたが、これは脚本家が「ここで明かすことが効果的」と思ったからなのでしょうね。
その流れで言えば、こういう場面では実写の回想が入って、内村さんが顔出しをするところですが、それをやらなかったということは、後でここぞというところのためにとっておいたのでしょうか。
なつの家出に誰も気づかなかったという失態のフォロー(再発防止策)を大人たちがちゃんとやっていた(それが放送された)のも、良かったです。
素敵でした!なつが心を開くまで、
皆が受け入れるまで、
手紙が読まれた時。お父さんでしたね!
お兄ちゃんは、お守りになつに父親の手紙を持たせたんだ。精一杯の愛情を感じます。僕には歌と踊りがある、絵が好きななつにあげようってことかな。
外向と内向の話、興味深く読みました。
友人が思わぬ方向へ自分をひっぱることがあります、これか、と思いました。身近な人間関係の違う見方ができて楽しい、うん、協力してこそ。
毎日ドラマがとても素敵で、だから武者さんのレビューを読むのも毎日楽しくて気持ちがいいです。
本来レビューってこれだったんですよね?今日のドラマを一緒に振り返って共感して、鋭い考察に唸らされてさらに深くドラマを愛する繰り返し。
私も前作のことはもう思い出したくないんですが、あれは途中で見るのを止めて武者さんのレビューを読んでいただけなのに苦しくて仕方がなかった。
だから前作はもう捨て去りたい一方で、今週の月曜日の武者さんのレビュー2ページめを読んで、私突然号泣してしまったんです。咲太郎君の決意と前作の発明家の動かなさの対比、前作の作り手の靴磨きは小遣い稼ぎ認識という指摘に、これまで私の中にたまっていた前作に対するモヤモヤ、怒り、悔しさ、苛立ちがあふれ出た感じです。比べたくはなかったんですけど、なつぞらを見ながら前作の能天気さがちらついて、腹が立って悔しくて仕方なかったんです。ただ泣いて少し吹っ切れたようなところもあって、駄作の場合はこう、という冷静な分析は訳もわからず(言語化されず)不愉快に感じていたところが整理されて、結果心が癒されるんじゃないかとふと思いました。
今日の『私の青空』はしみた。実写で内村さんが登場するのではなく、お父さんが遺した絵が動き出すのがよかった。と書きながらまた涙が滲んでしまう。
ウッチャンは、『半分、青い。』のパロディーをやっていましたし、今回のナレーション起用は、余程この作品を評価しているのかな。ちなみにあの作品については、言及がありませんでした。
今朝は、おしんが川の冷たい水でおぼこのオシメを洗うシーンから、なつの川辺の絵に繋がりました。幼い子の健気な姿には弱いです。今日の泰樹との抱擁シーンでは皆さんも涙したのではないでしょうか。剛男の帰還時には描かなかった抱擁は、此処で効いてきます。感動の安売りはしないのです。一つ一つのセリフが計算されつくしており、無駄がありません。実に巧みですね。 今日も秀逸な考察をありがとうございます。ひとつひとつ頷きながら読んでます。ナレーター父説は大当たりでした。予測が当たって詰まらないとは思いませんので、これからも存分にどうぞ。 編集者さま、レス有難うございます。「半分、青い。」のイラストは故意にタッチを変えているのですね。今回のイラストは伝わってくるものがあり、とても好きです。