もくじ
そして仔馬もぬかりなく
このあと、山田家にはうれしい出会いが待っています。
仔馬だーーー!!
喜ぶ天陽。
彼をちょっとドキドキしながら待っているかのような、仔馬がそこにいます。
「畑ができるころには、よく働くだろう」
そう言う泰樹。
彼は山田家の話し合いで、天陽が馬の死を悲しんでいたと聞いていたのでしょう。畑のためと名目をつけて、きっちりと少年の心を癒すことにしたのではないでしょうか。
値段を気にする天陽に、出世払いでいいと言い切るところもイイ!
恩着せがましさがないわけです。
これは重要です。
◆「友人に絶交されました…」 鴻上尚史が指摘する原因“無意識の優越感”とは
善意を施すことで、気持ちよくなりたい。
そういう人がいます。
そうじゃないでしょ。
あんたが気持ちよくなりたいために、困っている相手を利用すべきではない。
「人のため」とか言いながら執拗なまでに値段にこだわったり、高値で売れるからと病院食にしたり、そんな調子でも満足している気持ち悪い駄作がありましたけどね。
そんな世界と、本作は違います。
なつはたまらず、泰樹に抱きつきます。
「おじいちゃん、大好き!」
「フフフハハハハハ!」
そう笑う泰樹。
何人の視聴者が、同じことを叫んだことでしょうか。
「おじいちゃん、大好き!」
本当に、高ステータスを全部道徳と善行に振り切った、神としか言いようがないおじいちゃんだわ……!
『アヴェンジャーズ エンドゲーム』あたりに、このおじいちゃんがしれっと混じっていても、特に違和感がない。それほどまでに完成しおったわ!!
※「泰樹に任せるぞ!」と言われていてもおかしくない
9年後、新たな物語へ
そして、この場面の切り替えがお見事!
カメラが映すのは、青々と生い茂る山田家の畑です。
幼少期からの年代ジャンプで、ここまで見事な例もそうそうないでしょう。
馬に乗り、オーバーオール姿のなつが登場。
天陽がニッコリ笑顔で迎えます。
まだまだなつの人生は、始まったばかり。青い春が始まります。
ああ、なつよ、大いに生きよ――。
来週に続くぞ――。
ナレーションがまたよいものです。
この声が聞けなくなる日を想像して、今から辛くなってきました。
ホワイト草刈正雄さん、降臨!
もう、これは何度でも書きたいのですが。
ついにNHKは見出しました。
草刈正雄さん【ブラック】(あるいは【グレー】かな?)の頂点が真田昌幸ならば、【ホワイト】はこの柴田泰樹でしょう!
繰り返しますが、泰樹には昌幸が持てなかった道徳心が備わっています。
先日、彼はガンダルフになるんじゃないかと書いたのですが。
2週目で、本当にガンダルフ級に到達。
もう尊さにひれ伏しています!
※このレベルになったね……
イケメン投入〜〜!
というニュースもありますが、それでも泰樹が至高であることには変わりはありません。
全出演者を高みから見下ろす。
そういうレジェンドになってしまいました。
女性のものとされる朝ドラで、男性のレジェンド誕生というのも、100作目にふさわしい快挙です!
夢の扉を開く鍵は
2週目のテーマは「夢の扉を開け」でした。
しかし、本作はこれが一筋縄ではいきません。
扉を開ける前に、鍵が必要でした。
それを週の前半部で丁寧に探ります。
鍵とは【怒り】です。
週の半ばで、なつは家族がいない怒りを爆発させます。
そしてその結果、夢の扉を開く第一歩を踏み出すのです。
怒りなんていらない。
意地を張らずに笑顔でニコニコ柴田家に戻ればよかったかって?
そうではありません。
この怒りは、ここでは終わらないのです。
なつは天陽のために怒ります。
それは少なからず幸せだからだと、ナレーションが語ります。
そう。
怒ることは幸せ。これが大切なのです。
なつの怒りが、天陽とその家族を代弁したものであること。
それは、鬼畜米英から反転した国に怒りを見せ、封じ込める正治の姿からもわかります。
夢の前には、怒りを持たねばならない。
踏み出したそのとき、他者の怒りも理解できるようになる。
そうやって、怒ることで世界がよりよくなる。
幸せなことだ。
怒りと夢。
怒りと幸せ。
そう結びつけた本作は、画期的です。
彼女には怒る力がある
『半分、青い。』でヒロインの鈴愛が怒りを見せた時のバッシング。
そして、ヒロインは笑うべきだという抑圧。
◆『キャプテン・マーベル』に寄せられた不満にブリー・ラーソンが粋な返し – フロントロウ
これに負けず、本作は2週目で鮮やかな反撃をしっかりと見せてきたと思うのです。
怒りは、なつだけのものでもありません。
他の女性も、きっちりと怒りを見せています。
そこも、見てみましょう。
夕見子は精神的に成熟性を感じさせる少女。
ストレートな怒りを通り越して、軽蔑すら見せています。
その夕見子の軽蔑パンチでも痛烈だったのは、父・剛男へのものです。まだ子供なのに恋愛感情なんて早いと戸惑う父に、きっちりと軽蔑を見せつけるのです。
いつまでも子供扱いするな。
あんたのものじゃないんだよ。
彼女はきっぱりと、そう見せつけています。
これはかなり重要なことです。
怒ってもいいんだ。
人生の大半を、怒りを封じ込めて過ごしてきた。
そう視聴者に見せる。重要なことなのです。
ここまで生きた人にも、これから生きる人にも、大事なこと。
怒ってもいいんだ。
そうだ、もっと怒れ!
怒りは人を、そして世界を変えていきます。
あなたの人生を変えて、無念を晴らす力もあります。
※閲覧先の性暴力記述にはご注意ください。
◆北原みのり「『あれは性暴力だった』」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
そんな怒りを止めようとする人は、ナゼなのでしょうか?
怖いんですよ、きっと。
世の中が変わるのが。
思い通りに出来なくなるのが。
過去の悪事を裁かれるのが。
そんな相手に、遠慮する理由はありません。
もう、あなたの心には泰樹がいる。
彼は、怒るあなたを応援しているのだから。
怒りが怖い人たち
あの駄作を出したくはありません。
しかし、比べる上でやむなく出しますね。
****においては、父親の娘への干渉が異常でした。
中でも悪質であったのが、異性として、女性としての魅力を値踏みすること。
そして、交際相手や恋愛に介入しようとしていることです。
「微笑ましい父娘のやりとりではないか」
そんな指摘を受けましたが、私は全くそうは思いません。
感性の問題?
好きにすればいい?
それは違います。
あの作品では、父が娘に「誰が学費を出しているのか」と声を荒げる場面もありました。
息子ではなく、娘にばかりこうした干渉を繰り返す。
これは、深刻な虐待にも直結しかねない、危険なことなのです。
※閲覧先の性暴力記述にはご注意ください。
◆19歳の娘に対する父親の性行為はなぜ無罪放免になったのか。判決文から見える刑法・性犯罪規定の問題(伊藤和子) – Y!ニュース
「誰が学費を払っているんだ!」
「誰が養っているんだ!」
そんな言動は、子に重みとなってのしかかります。
そんな負い目のある子に、親が性的な目線を見せる。
そのことが、どれほどの涙と苦しみを生み出してきたか。
こうした異常な支配を、
「微笑ましい親子の関係だ」
「よくあること」
「目くじらを立てるな」
と周囲が見逃すこと。そういう状況の果てに、何があるのか?
外野が笑って見ていたとしても、当事者が傷ついているかもしれない。
深刻な虐待の隠れ蓑かもしれない。
そういうことを、受信料で流す。
それをかばう人がいる。
異常だと指摘する側の口を強引に塞ぎにくる。
そんなことは、終わらせるよ!
怒るべきなのは、あなたもそうだ
なんだ、女ばっかり!
って?
そでないんだわ。そこが本作のすごいところです。
男性である泰樹に、怒りを引き出される女性のなつ。
そのなつが、男性である天陽の怒りを引き出し、彼を救おうとする。
救われる!
そうやって、女も男も乗り越えて、怒りと夢がつむぎあって、よりよい世界が出来ています。
本作の素敵なところは、まさにここ!
女性だけではなくて、男性にもエールを送っていることだと思うのです。
昨日、気持ち悪いロマンチストだと突っ込んだ剛男。
彼は、ホモソーシャルでは生きづらい典型的な男性だと思うんですよ。
力づくで、マッチョに、ロマンなんか捨てて生きろ――酪農の世界はまさしくその典型でしょう。
そこで、彼は生き抜いている。
辛いこともあったはず。
そんな剛男タイプの男性に、あなたも生きていってよいとエールを送る。
彼のような人を受け入れたら、きっとよいことがある。
彼の周囲にも、そうヒントを示します。
頑張れば報われる世界を作ろう
傑作とは、世相にがっちりとつながることがある。
本作は、そう示しました。
◆「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】
頑張ったら報われる――。
泰樹の言葉に、嘘つき! と食ってかかるなつ。
頑張ったのに、報われない。それは邪悪なことで、間違っているのだと、本作は示します。
世の中そういうものでしょ。努力したからここまで来られた。
そう思い上がったものに、鋭い一撃を食らわせます。
****では、当時未成年であった女性にアプローチしていた悪徳宦官が、そのことを問われてふてぶてしい顔でこう言い切りました。
「俺は帝大卒やぞ」
そこにどんな幸運があったか、知らない。
その上で、帝大卒は特別なんだぞ、女を好きにしていいんだぞ、という邪悪の極みのような思い上がりがあったものです。
エリートの奢りを、本作はきっちりと否定します。
そして本日の、泰樹の言葉。
「事情なんてものはくそくらえだ! 大人の事情で、この子らはどうなった! 子供の怒りを、今こそきちんと大人が聞いてやるべきだろう!」
泰樹の世代には、負い目があります。
これは『いだてん』で描かれることでしょう。
日露戦争後、辛勝であったことを隠し、日本は世界でも一流の国家だと浮かれていました。
その浮かれた結果、太平洋戦争敗北につながります。
なつの隣で死んでいった子供たち。
剛男の戦友であったなつの父。
子孫の世代を殺した。
わしらはそういう世代なのだ。
そんなことはもうやめだ。終わらせる!
そういう覚悟を感じます。
そしてこれは、そうしなかった結果のもたらす大きな悲劇をも、思い出させたのです。
◆遅きに失した「就職氷河期世代への『早期対応』」(木曽崇) – Y!ニュース
こんなことは、もう終わらせましょう。
めぐる感情は世界を豊かにする
「お前のおかげだ、**!」
****のお約束です。
**さぁんが、密室である夫妻の寝室で感謝する。喜怒哀楽は、まるでこの小さな空間で閉じてしまう。
なんて息苦しく、つまらない世界なんだ。
萌え狙いであざといだけではない。くだらない。
私はずっとそう感じてきました。
その理由が、本作や上記のようなニュースから理解できるようになったのです。
夫婦の寝室。
同族経営の企業。
そういう閉鎖的で、自分たちのことばかりの世界って、つまらないし邪悪でもある。いくら口先では「世のため人のため」と言ったところで、そんなものはお題目でしょう。
感情が世界の中に流れないで、止まって回るだけ。
それはあまりに、つまらない。
NHK大阪制作直近の二作は、感情を封じる傾向が強烈にありました。
特に女性側に、それを求めていたのです。
ポスターは、いかにも作っているとわかる、女優満面の笑み。
同時期のNHK東京の表情と比べると、露骨にそれがわかります。
ともかく笑え。
ネガティブな感情を出すな。
そういう重圧感があり不愉快なほど。
そしてそんな作品では、どんなにわざとらしくラブシーンを入れても、感情をぶつけあっている感覚がありませんでした。
女性差別が強烈で、妻が夫の顔色を窺う――そんな国から脱出した女性の手記を読んだことがあります。
彼女は、近所に住む男女が対等なある夫妻を見て、衝撃を受けます。
夫は妻の葬儀で、さめざめと泣いていたのです。
夫婦はこうも愛し合うものなのか。彼女はそうショックを受けたのです。
なぜなら彼女の祖母も、母も、姉も。夫の顔色を窺っているばかり。
家族はあっても、そこには生々しい感情も、愛もありませんでした。
本気でやりとりする、そんな感情の交流がない世界。
それは女性だけではなくて、男性をも不幸にしている。
感情的になることは、悪いことばかりじゃない。殴り合って何かを得る、そういう展開もあります。
心の底から笑う妻の顔を、夫は見ないで死んでゆく。
怯え、無理に笑う妻のことだけを、あいつはそういうものだと思い込んだまま、この世から去ってゆく。
あまりに、悲しいことだ。
感情の否定は、残酷なことなのです。
弱り、孤立し、怒ることすらできない。そんな誰かの代わりに怒ること。
そのことは、巡り巡って世の中を幸せにすることなのだ。
『なつぞら』から、そんなエネルギーとメッセージを感じるのです。
節目の本作は、女性だけではなく男性にもエールを送る。
そんな朝ドラの転換点だと、何度でも主張していきたいと思います!!
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
道民様
ご指摘ありがとうございます。大変失礼いたしました。
「思い込み」は駄目ですね。
反省しています。
904型さま
横から失礼します。あれはジャガイモの畑です。
畝の作り方、花の形ともソバとは違いますので録画しておられましたらご確認くださいね。
泰樹の、「川の水を引き入れて、土の酸性を洗い流す」という方針は、恐らく、土質の異なる上流の土壌を豊富に含んで流れてきている川の水を引き込み、酸性の土壌を押し流して土を入れ替えようとしている、つまり「客土」をしようとしていたのではないかと思います。
泰樹の出身地の富山県でも、このあと昭和26年から、黒部川扇状地で「流水客土」事業が大規模に始められます。こちらは、扇状地の水田の保水力の低さを改善するために、粘土質の土を用水路を通じて流し込むもの。
実際には、十勝開拓と富山県の客土事業に直接の関係があるのかはわかりませんが、この作品を見ていると、「古くから富山県で考えられていたが、実現には及んでいなかった手法を、泰樹らは応用していた」、あるいは逆に「泰樹らが実践していた手法が、富山県出身者を通じて富山県の土地改良に採り入れられた」等、作品世界中での経緯がいろいろ想像され、興味深いです。
泰樹おじいさんって、まるで、真田昌幸とチャールズ・インガルスを足して割ったような人ですね!
半青が受け入れられなかった理由は
「ヒロインは笑うべきだ」ではありません。
脚本の時点で
登場人物やヒロインに、表出した感情の根拠となる心象背景を演出する機会を充分に与えていなかったことです。
間違っても、役者自身の感情表出や、朝ドラとしてのパターンの問題ではないのです。
他の全ての箇所では大変深い考察をされているだけに、
この、半青との対比のさせ方だけはどうしても納得できなかったので、書かせていただきました。
初めてコメントします。
草刈正雄さん【ホワイト】柴田泰樹、【ブラック】真田昌幸、どちらも大好き!と叫びたい気持ちです。それぞれの人物が生きた時代の”怒り”をとてもよく表現していると思います。
“怒り”の発露は明日への希望に繋がるエネルギーとなる一方で、”怒り”を封殺した諦観は絶望に繋がる。怒れるということは幸せなことだ……『なつぞら』を第2週まで視聴して最も強く感じたメッセージです。
『半分、青い。』『まんぷく』と毎回欠かさず武者さんのレビューを拝読しております。これからもずっと応援しております。ご自愛くださいませ。
最後に言わせてください。文:武者震之助さん、絵:小久ヒロさん、どちらも大好き!
アイスクリームを食べて平和の味がするといった剛男と、バターを食べて新時代を感じた泰樹は、根本の感性が似ていると感じています。ロマンチストとでもいうのでしょうか。その大事な想いを心の奥に秘めている泰樹にとっては、ぬけぬけと口にしてしまう剛男は「そりが合わない」と感じても仕方がないかもしれません。剛男の素直さが羨ましいという気持ちもあるのかなと思っています。
「怒り」については、個人的にもここ数年とても大切な感情だと肌で感じるようなところがあり、なつぞら並びに本レビューはまさに、といった思いで見ています。
「怒り」が印象的なドラマとして2017の直虎がありましたが、特に33話、「鶴が忌み嫌われるためにいきてきたなどあるか」という直虎の怒りがとても好きでした。鶴の選択に訳知り顔をしない、個人の美徳で世界の理不尽を贖って良しとない、真っ直ぐな怒りでした。
さらには漫画版のナウシカも、大いなる怒りが描かれ、一方で全てを忘れようとする楽園も途中に用意されていました。「怒り」は、本当に興味深いテーマです。
日常的に発生する「怒り」と、人として(生き物として?)の根源的な怒り、その違いを私はまだうまく表現できず、他の方からのご教示や自己整理が必要な段階です。なつぞらや本レビュー、ご紹介いただくリンクを楽しみながら、また考えていきたいです。
※直虎の怒りについては個人ツイートのリンクをぜひご紹介させてください。メールアドレス欄に記載させていただきます。
ラストの見事なソバ畑。
日本有数のソバ産地になっている北海道ですが、それも開拓者の人々が文字通り切り拓いたものだったのですね。
ただ、
今回は、おそらく「御都合主義的」「演出過剰」という受け止めをする人もいるかも知れないな、とは思いました。
確かに、多少の脳内補完を要した=説明不足だったか、という点はありますので。話数や時間的な制約もあったのでしょうが。
それでも、「人々の努力にも関わらず、いくつかの幸運、好条件が伴わなければ、入植は叶うものではなかったこと。」それを表わそうとしたことは、伝わってきました。
泰樹が天陽の両親と話した後、地区の人達が集まって、天陽一家の入植地の整備を進めることになりましたが、おそらくこれは、天陽一家だけのためではなく、地区内で同じように開墾に失敗しつつある入植者の人達を説得して、皆で協同して先達の指導を仰ぎ、整備を進めることにしたのではないかと。集まった人達の多くも同じ境遇の入植者で、順次それぞれの土地の整備を行うのではないか。
作中ではそのあたりの描写はありませんでしたが、いくつかの開拓地の史実はそれを示しています。
泰樹は、「川の水を引き入れて、土の酸性を洗い流す」とも言っていましたが、それを進めるには一戸だけではなく地区全体で行わなければならないでしょうし。
そして、天陽は、「出世払い」という破格の条件で子馬を譲られます。多分これについては「そんな甘い話が…」「ドラマのための御都合主義」などと攻撃されかねないな、と感じたところではありました。
そういう批判があったとしても、逆説的ながら、ある意味においては的を得ていると言えなくもありません。何故なら、そのように不可欠の資産を好意的に提供してもらえたり、理解を示して懇切に協力してくれる先達の人に出逢えた幸運の話が、開拓地には伝えられている=そういう幸運に恵まれなければ、なかなか成功は覚束ない厳しい環境だったから、でもあります。
このあたり、農水省公式サイトの解説で是非とも補っていただきたいところ。今までの畜産部だけでなく、経営局あたりの守備範囲にもなるでしょうが。
「この土地で生きていきたい」という強い意思を持った人と、生きる術を伝えてくれる先達と、それぞれが巡り逢う幸運と。
そういう幸運にも恵まれて、ラストの9年後のシーンでは、天陽一家はソバ農家として大成していたようですね。やせ地・水利の悪さといった環境では、賢明な選択だったでしょう。
ホッとしました。