コメント欄でもありましたように、本作の時代考証も完璧ではありませんね。
若干のミスはありますし、おかしなところはあります。
それでもかなり頑張ってはおりますし、だいたいの場面において違和感はそこまでありません。
これは重要です。
そして2週間で1ターン!
確かにその通りです。
アニメのAパートBパート構成みたいなものを、週またぎでやっていると考えれば納得できますね!
私は兄さんを信じている
そんなBパートとなる今朝。
励ます信哉に、なつはお礼を言っています。
兄を信じている。何も変わっていない。盗みはしないはず。
正しいことだけをして生きられない、悪いことをしないと生きていけないけれど。兄を悪いとは思わない。
これから先何があっても、絶対に信じている――。
なつだって元戦災孤児です。
綺麗事だけではないことを、見てしまった側の者です。
これは結構大事かも。富士子となつには、違いがあります。
この場面、美しいきょうだい愛といえばそうですが、これも結構大変な話です。
借金保証人になって、マダムから請求されていたら、それどころではないはず。
戦争前は、あんなに素晴らしい兄だったのに。
特攻隊から帰ってきた兄は、あまりに破滅的になっていた。そして弟である自分を苦しめ続ける。
兄が死んだとき。ホッとしてしまった自分がいる――。
そんな苦しい兄弟の絆を小説に書いた方が、なかにし礼さんです。
ドラマ化された際には、容赦ないサブタイトルが話題を呼んだものです。
「兄さん、お願いだから死んでくれ」
柴田きょうだいがそうなるかはわかりません。
ただ、そんなきょうだいがこの国にいたことは、忘れてはならないのです。
そしてここで、意外な人物と遭遇します。
新宿の「川村屋」となれば、人の行き来も多いでしょうから、ありうる話かも。
なんと、美術大学に通う山田家の陽平でした。
天陽はずるいんだよ
陽平は、弟のことを聞いてきます。
兄である自分を『ずるいと思っているんじゃないか』と、心配しているのです。
奨学金をもらっているのだから、そうなつは返します。
これは大事ですよ。
国公立の教育機関で学ぶ学生。
およびその出身者。
奨学金受給者。
こういう人に、
「誰の金で学んだんだ!」
というわけのわからないことを言いたがる人がいます。
そういう話じゃない。
社会全体の向上のためには、教育費というコストはかけないといけません。
はい、ちょっと脱線しました。
ここで、陽平は本心を出します。
「俺から見たらずるいのはあいつだ」
いくら東京で学ぼうと、あいつのような絵は描けない。そう本音を漏らすのです。
天陽の天才性を、本作は結構緻密に描いていると思います。
演出と演技。
倉田との会話。
そして陽平のこのセリフ。
天陽が倉田から受けた指示は、あまりの雑さに突っ込みも入ったものです。
それでも天陽は細部がどうこうではなくて、魂問答のような方向に突き抜けていきました。
そして彼は、そこにはとどまりません。
彼の描いたセットを演劇部が燃やす時、一番サバサバしていたのが彼自身です。
天才の描き方が、とてもうまいと思います。
画伯と呼ばれるほどだからスゴイ。作品が高額で売れたからスゴイ。そんな描写だけでは、創造性は伝わってきません。
漫画映画のスタジオに来るかい?
卒業後、北海道に戻るかわからない――。
そう語る陽平。
彼は大学の先輩を手伝っているそうです。
そのスタジオでは、漫画映画を作っておりました。
誘われたなつは、もう目がキラキラしています。
「見たい! あっ、でも……」
富士子を気遣うなつ。
富士子は、せっかくの東京だから楽しんできたらと送り出します。
そしてそのスタジオへ。
陽平はちょっと遅刻だったようです。
そして
「学生とはいえ、職場でのデートはいかがなものか」
と上司らしき男性がちくり。
そうじゃなくて、弟の彼女だと陽平が説明します。
本作でよかった……ここでデートげへへ〜と下心丸出しで、職場中の男が目をギラギラさせる、****ワールドじゃなくてよかった……。
「色の綺麗な夢を見ているような……」
漫画映画体験を聞かれ、小学生の時に見た経験を語るなつ。
広瀬すずさんって、こういう夢を見るような表情がよいと思います。
うっとりとしている、そんな幸福感がありますね。
紅白歌合戦の司会でちょっと空気が読めないから心配だとか。
そういうしょうもない記事があったもんですが。
プロの司会者と、俳優の感受性やスキルは別物です。
綾瀬はるかさんだって、紅白の司会でいろいろ言われたものです。
が、演技は抜群にうまいでしょう。
感受性を用いて表現する人は、別にホステスみたいなやりとりなんてできなくていいんだ。
アナウンサーとはまた別物です。
そういう芸術的感受性への理解がないまま、テキトーなことを、読者に迎合して量産する。
ここではあえて引っ張りませんけど、本作関連でも本当にテキトーな記事、多いです。相変わらずの女優が綺麗すぎる叩きとか。
そういうメディアは、もうちょっとよく考えた方がよろしいかと思います。
本作は、天陽の扱いひとつとっても、そこをきっちりとふまえている。
だからこそ、広瀬すずさんが起用されたのでしょう。
モノクロアニメを作っています
スタジオで作っていた作品はまだモノクロ。
しかし、一口にグレーと言っても、何段階もあり、様々な色になる――その細かさに驚くなつ。
ここで陽平が、アニメについて説明を始めます。
まず、原画がある。
そして動画。これを描くのがアニメーターであると説明が入ります。
ペラペラ漫画は間違いではなかったんだ、と喜ぶなつですが、これ、結構大事かも。
なつがアニメらしきものを初めて知った時。
それは、天陽の描く馬のスケッチがパラパラとめくれた瞬間でした。
あのとき、馬の嘶きや蹄の音まで聞こえたものです。
なつの画材も、陽平が買って、天陽から手渡されました。その画材で絵を描いている時、信哉が再会にやって来た。
山田兄弟となつには特別な何かがありますね。
本作冒頭は、なつと信哉の再会でした。
あれは信哉の存在だけではなく、山田兄弟の画材にも特別な意味があったのかもしれません。
陽平の上司・仲は、以前の作品で描いたというウサギのキャラクター動画をなつにプレゼントします。
なつが初めて訪れたアニメーションスタジオのみなさんと。麒麟の川島明さんは、この日がクランクインでした。#朝ドラ #なつぞら #広瀬すず #井浦新 #川島明 #犬飼貴丈 pic.twitter.com/EFL3Mnrlq9
— 【公式】連続テレビ小説「なつぞら」 (@asadora_nhk) May 5, 2019
なつは夢中になっています。
と、ここでなつがテストと称して試されます。
薪割りの動きを、動画で再現するというものです。
なつはじっと考え込みます。
※続きは次ページへ
貴記事やみなさまのコメントで毎日勉強させていただきながら、
最近は広電の↓を眺めにいっては思い出に浸っています。
http://www.hiroden.co.jp/train/train-list/
素敵な作品ですねえ。アニメ考察を含む今後の描写も楽しみ。
ひとりひとり、ひとつひとつが生き生きとしてて、ほんと、たまりません。
Zai-Chen 様にご教示いただいたロケ施設のサイトを見てみました。
確かに、「近・現代」というあまりに粗い時代区分や、大道具の路面電車は明治期のものしか用意されていないことなども、わかりました。
でも、ロケ施設には明治期の路面電車しか用意がないからと言っても、それを使うかどうかは、やはりNHKの制作スタッフの判断だった筈。
後知恵ではありますが、あのような電車は使わず、昭和30年当時の電車を、動かないハリボテで良いから正確に作り、作中では、電停に停車中あるいは信号停車中という形で登場させれば十分でした。
あの街角のシーンとして何らおかしなものではなく、ごく自然なものとして描けた筈です。
何も、ロケ施設にある電車にこだわる必要などなかった。
昭和30年の東京の町を、あんな明治期の電車が走って来たら、まるで幽霊電車ではないか。そう考えることのできるスタッフはいなかったのでしょうか。
「どうせ電車のことなど誰もわかりゃしない。多少鉄道マニアがうるさいくらいだろう」などと高をくくってはいなかったでしょうか。
わんわんわんさん、
虫プロは、他のスタジオを排除する目的でアトム一話あたりの制作費に約50万円(今なら200~250万円あたり?)を提示していたといいます。実際の金額はその3倍であったとか上下がありますが、格安で受注して独占を目論んだのは動かしようのない事実のようです。
東映と違って学歴を問わずに実力主義で採用したこともあり、東映から多くの人材が引き抜かれ、設立時にほとんど制作技術を持たなかった虫プロを支えたといいます。東映で長編アニメをしていた宮崎駿さんなどはそのアオリで不本意に「動かない=低予算」な作品を作るハメになったり果敢に原作無しのオリジナル作(ホルス)に挑戦した先輩の高畑勲さんが東映で干されたり、色々と恨みを持っていたことが想像できます。
小田部羊一さんを時代考証として招いてますので、ドラマ制作陣がその気なら、この辺りの詳細は遠慮なく描けるはずです。宮さんの若気の至りの恥ずかし話なんかも、小田部さんがいれば怖いものなしでしょう(笑)。
でんすけさんのコメントを読んで、手塚治虫さんが亡くなった時に「手塚治虫がアニメでやったことは全部間違い」と宮崎駿さんが発言して物議をかもしたことがあったのを思い出しました。
手塚治虫さんが亡くなったのが平成元年。30年後はさらに状況が悪くなってるようですね。
やはりこの作品は、日本のアニメーションそのものを主人公として描こうとしている。そう改めて感じました。
日本のアニメーションの原点である東映動画の、そのまた前史からドラマで描いて来たことに恐れ入りました。手塚治虫が虫プロで物販&権利販売を前提とした馬鹿げた価格破壊を仕掛けるまでのアニメーション制作現場は、手間ひまを掛けて「動かす」事に制約がなく、作品内容も世界的な児童文学やオリジナルが基本という、作り手の志の高さが許容される職場だったのです。
ブラック職場へと変貌する前のさらに原点を描いてきたので、その後にくる、悪い方向への変化もきっとドラマの縦糸に入れてくると思います。
親戚がこの時代の業界人でインタビュー書籍も読んだ事があるので、この辺りの歴史には多少明るいつもりです。
アニメファンとして悲しくてたまらない現実ですが、これも時の流れでしょうか。
いいえ!今からでも原点回帰して当時の志を思い出して頂きたい!!
今季放送中の「キャロル&チューズディ」を見ながら、心からそう願っています。
(海外を意識しているのか、女性の活躍やLGBTを出すなど、とても画期的)
たぶん、「たかが電車だろうに」という受け止めをする方もあるでしょう。
自分でも、ついこの間、「たとえ皮相的な反応になってしまったとしても、彼等戦災孤児の生きざまの中で瞬いた歓びには、惜しみなく共感を贈りたい」などとコメントしたばかりなのに、とも思います。
『なつぞら』という作品そのものは、私は大好きです。深い感銘を与え、心を揺さぶってくれるからです。
その感銘がどこから来るのかと言えば、やはり作品中の時代を生きた人の思い、機微等が、ぶれず、揺るがず伝わってくるからだと思います。
それは、何も直接登場している人物ばかりではありません。
例えば、農協で生乳共同出荷の話がまとまるまで。
直接登場した田辺組合長や剛男に相当する人々の他に、直接は現れていない役職員の尽力・奔走があった筈。物語のシーンを通して、現実の農協で繰り広げられたであろう人々の生きざまに思いを致すことができます。
山田家の開墾地整備についても、参加した人々それぞれの背景は描かれなかったものの、どんな立場・考えから加わったのか、前後の経緯・描写から想像を及ぼすことができます。
泰樹のゴムタイヤ馬車にしても、作った人(大道具として、という意味ではなく)は全く登場しませんが、積載量を増やし耐久性も上げることで農家を楽にしたいという思いがあった筈で、それはあの改良馬車の登場シーンを通じて推し量ることができます。
都電にしても、
現実の昭和30年頃の時点では、電車を設計・製作した人には、日本の顔たる都市にふさわしく洗練され、乗車して快適で、運行・整備が便利であるようにという思いがあった筈。運行・整備する人にも、日本の顔たる首都の交通を担う誇りがあった筈でした。
残念ながら物語には反映せず見る者に伝わることはありませんでしたが。
もう放映されてしまったものは仕方がありませんが、ドラマは細部まで考証を怠ってほしくないのは、このような、物語の表面には出てこないが確実に存在している人の想いにまで、生命を通わせ活かしてもらいたいからです。
武者さんが大河レビューも含めて常々主張されているように、「黒船」は来て、既存のドラマ等はその存在意義が問われることになります。そういう環境では、「物語の表面には出てこないが確実に存在している人の想いにまで、生命を通わせ活かしていく」ような作品を生み出して行けるかが、存亡を分けるのではないかと思います。
路面電車は、おそらくロケ施設「ワープステーション江戸」の撮影用大道具電車でしょうね。
https://www.warpstationedo.com
「いだてん」も同じ場所を使っているようです。
路面電車に限らず、町並み自体もツルンと整然と感じるのはそのせいでしょう。
当時の映画などを観れば分かりますが、昭和30年代前半の東京、それも浅草や新宿といった盛り場はもっと雑然としていました。焼け跡に建ったバラックも、まだポツポツと残っていた頃です。
でもまあ、これはこれでしょうがないかなと思っています。これをガッツリやろうとすればそれこそ「三丁目の夕日」のように、CGを駆使してということになると思いますが、「朝ドラ」という舞台劇とも共通する濃密な会話劇にそれが果たしてそぐうのかどうかというと・・・難しい問題ですね。
それよりむしろ、「近・現代」とざっくり時代をくくっている方がどうなのかと。東京を再現するのであれば、少なくとも戦前戦中と戦後(東京オリンピック以前)ぐらいは分けとくべきと思います。
今日の冒頭シーンの東京の街角。今回は新宿。
バスはボンネットバスで、当時の雰囲気としてはまずまず。
しかしその奥に…
だから、その「明治の電車」を「昭和30年の東京」に出すなと言うのがわからんのか!!!!!
ラスト近くでも!!
本当は、東京の街角を走っていた都電の電車は、日本の顔たる都市にふさわしい、その時代時代の洗練された電車で、他の路面電車事業者が設計の参考にしていたほど。作中より少し後の時代のものも含め、都電を参考に設計された電車は函館市や高知市で今も走っています。
大変残念ですが、本作の制作チームには、路面電車についての知見が全くないことが明らかとなってしまいました。
各種小道具・建物・自動車等の考証は非常に的確であるのに対し、あまりにひどい…
昭和30~40年代の東京の写真を見ると、新宿など交通結節点となる場所では、各系統が集まり多数の電車が連なって走っていました。だから、今回のように大通りの交差点を広く映し込むシーンを作るなら、路面電車を無しで済ますのはかえっておかしい。
昭和30年の時点にふさわしい電車を表現するのは不可欠の筈でした。
もちろん、「他都市から実車を運んで撮影しろ」などとは思いませんが、あの「明治の電車」だって、レプリカ等何らかの方法で用意して撮影したのでしょうから、相応の方法はある筈。
昭和30年頃の都電の写真など、鉄道専門書と言わずとも様々な書籍に出てるし、画像検索でも様々な画像が出てくる。
…まあ、当分は収録済みですから仕方ない。次の収録分で改めてくれるかな?(NHKお問い合わせメールには申し出済み)