衝撃の展開からの週明け――なつは床間で目覚めます。
ここはどこなのか?
と、辺りを見渡していると、家主と思しき男性がなつの目覚めに気づきます。
阿川弥市郎と名乗るその男性によると、娘の砂良がなつを見つけて助けたと言います。
二人は、森の奥の家に住んでいる父娘でした。
なつが時間を尋ねると、砂良が時計を見せてくれます。
すでに夜中。
家に戻らなければ心配している!となつが慌てると、弥市郎が突き放すように言います。
「死にたきゃ帰れ」
死んでも気がついてもらえない……
探しているのであれば、もうとっくに諦めている。
今はもう死んだと思っている。
「明日の朝帰ればいいだけ」
と、砂良に説明されて、なつはギョッとします。
柴田家側は山田家にいると思っている。
山田家側は柴田家から出ていないと思っている。
ということは、死んでも気がつかなかったということ?
そういうことだべな。
最悪の場合、ヒグマの餌だ……特になつのような若い女性は……。
なにを朝っぱらから読ませるんだとお怒りかもしれませんが、それが北海道なんだあああ!
ゾッとしていると、砂良がこう言ってきます。
「あんた芝居してるんだべ」
「芝居なんかしてません!」
「演劇部の人だべ」
おっ、あの演劇を見ていたんですね……。
何かと思えば、倉田先生がここによく来て、話を聞いていたと弥市郎が振り返ります。そう言えば泰樹のことも聞きたがっていたなぁ、となつは思い出しました。
砂川親子はちょっと反応が微妙なんですよね。
わかっている、そういうもんだべ。そういう、うっすらとした諦念のようなものが漂っています。
だからこそ倉田は『白蛇伝説』を見て欲しがったのだそうです。
そこでヒロインを演じていた子が、吹雪になりそうなのに呑気に歩いている。
そう思い、砂良はなつを見守り、助けたのでした。
弥市郎は面白そうに、なつにこう言います。」
「しっかりしてんのか、子供なのかわかんないな」
「しっかりした子供です」
「自分で言うな」
余裕たっぷりの弥市郎です。
子供は子供だ
この場面、世界的基準の健全性があると感心してしまいました。
広瀬すずさんをなつにした意味も、わかります。
幼さや透明感と美しさ。両方あるんですよね。
特筆すべきが、弥市郎の態度です。
子供は子供だ。
完全になつを子供扱いしている。
「美少女が同じ屋根の下にいる〜〜〜!」
そんな風に一切はしゃいだりしない。極めて健全、というか当然なんですね。
しかし、そんな当然が当然じゃない作品もあった。
前作****の時は、なつよりも歳下であるヒロインの親戚を、従業員が取り合って性欲を見せつけるという、気持ち悪い設定があったものです。我が子ですら、親が性的にジャッジする最低最悪の作品でした……。
海外にはお下劣ヒーローとして有名な、デッドプールがおりまして。
ともかく何が何でもお下劣ネタに結びつけるのですが、未成年のネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド相手には、性欲を見せません。
「俺ちゃんはガキには性欲抱かねえからさ〜」
てなもんで。
これが続編ではさらに進化していて、ミュータントで悪役だろうと、ガキはガキなんだから大人は保護したれよ、という流れになっています。
カメオ出演したブラッド・ピットが、一瞬で肉片になるくらい凶暴凶悪な作品ですが。
「ファミリー向けだぜ〜」
と厚かましく主張されると、そこはそうかも。そう思えてしまうんだな。未成年をしっかり守っているから。
****でも指摘しましたが、あの人間ミートパイを出してくる『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、デナーリスの年齢設定引き上げをはじめ、未成年の性的搾取だけは極力避けています。
美少女がいたらウッハー!
そういうノリが当然になっている日本のエンタメに、きっぱりとNOを突きつける。力作だと思います。
怒りや悲しみを木魂にこめて
柴田家では、剛男がなつは本当に天陽くんのところにいるのか……と不安そうにしています。
照男のことを気遣う両親。
それでよかったのかな……と照男を心配する剛男ですが。
「何も変わってない。私たちは何も変わってないはずだから」
富士子はそう言い切ります。
そう思いたいだけかもしれないけれど……大森氏のこういうセリフは怖いからなあ……。
なつは、弥市郎のこんな言葉に驚いています。
「ここにくるのは、クマか雪女くらいだべ。雪ん子か」
「子供ですみません!」
「しっかりした子供だ」
なつは弥市郎の木彫りの熊を見て、芸術家なのかと尋ねます。
この彫刻は、生きるためのものであります。帯広の土産屋で売るのだと砂良が説明。
彼は昔、東京で教師をしていたのでした。
そして終戦後、北海道へ戻ってきた。軍国主義を教え子に叩き込み、その罪悪感から続けられなくなったのだとしみじみ語ります。
魚が焼けたよ、と言葉を挟む砂良。
それは、あの演劇にも出てきたオショロコマでした。
そうか、砂良こそが白蛇の化身なんだ、モデルなんだ! と大喜びするなつ。だから助けてくれたのだと。
阿川親子は意味ありげな雰囲気ですね。
砂良の母は、空襲で亡くなっていました。
弥市郎はそのことを思うと、助けられなかった自分のことを思うと、悔しくてならないのです。
「戦争を恨んでますか?」
「もちろん、今も恨んでる。この子の母のことを思い出すと、怒りがこみあげる」
だからこそ、怒りや悲しみと向きあうしかない。
魂を込めて、木に彫りつけているのだと語ります。
怒りや悲しみから絶望を産まないために、木に留める。
それはきっと倉田も演劇でそうしている。彼はしみじみとそう語ります。
これは重要なことです。
弥市郎は彫刻。
倉田は演劇。
天陽は絵。
なつはアニメ。
芸術に向き合うことで、絶望から逃れる人々。
木に魂を彫り込める――それが彼の生きることなのです。
※続きは次ページへ
阿川親子は東京からの移住組でしたね、私もアイヌかなとおもってたんですが、先生は阿川さんになんの話を聞きにいってたんでしょう?今思えば不思議
ゴールデンカムイはコミックで読む派ので、まさかここでネタバレに近い事を
見るとは思わなかった
10歳の頃に体験した、敗戦による価値観の180度転回が負けじ魂の原動力になったという奥山玲子さん。ドラマの奥原なつは、両親喪失&一家バラバラという悲劇に見舞われましたが、柴田家の暖かさのお蔭で真っ直ぐな娘に成長。そこに今度、その価値観逆転の加害者側(児童視点で)の弥一郎さんが妻を失った「哀しみと恨み」を胸に秘めた男として登場。
番長とのファーストコンタクトで垣間見せたように、実は今もマグマのよう強い怒りの感情を押し込め続けているなつ。弥一郎親子とのふれあいが彼女にどんな前向きな影響を与えるのか、これらかのお話にますます興味が湧いてきました。
先週末の、降りしきる雪の中、歩き続けるなつの姿は、なつの心の苦しさを象徴するものではありましたが、しかし、はたから見れば、その姿は注意力散漫な危なっかしい姿。もし砂良がチコちゃんだったら、「ボーッと歩いてんじゃねえよ!」といったところだったでしょうか。
気がついてからの、どこかボケとツッコミのような、ついクスりとしてしまうやりとり。
その直後に弥市郎の口から語られるあまりに重い過去。
弥市郎らの言葉を受け止めて、柴田家に帰ってきたなつ。今日のラストはちょうど牧場に入って来るところまででした。
明日、なつは何を語るのでしょうか。
週末の泰樹発言には参りました。
なつの東京行きが現実味をおびてきて、焦りもあったんでしょうね。
本当の家族にさえなれば、、、
でも、なつの側から見れば、“本当の”って事は今は違うの?、と。
このすれ違いは悲しい。
謝るなつ、謝るな、と外へ出る泰樹、追いかけようとするなつ。
この場面には泣けました。
吹雪から救助され、見知らぬ山小屋で目覚めたなつ。
壁には木彫りの熊や、弓と矢。
阿川親子は、まだ確定ではありませんがアイヌなんでしょうね。
弓矢が見えた時には、アシリパさんが思い出されました。
今後、物語にどう絡んでくるかが楽しみです。
ゴールデンカムイの原作の方も、武者さんの予想が当たりそうな流れに。
やはり、少尉という存在は短命なのか、、、
阿川親子が共にアイヌなのか
亡くなられた奥様がアイヌなのか
分かりませんが、色々と想像できますね。
私のように詳しくない者がステレオタイプのアイヌ像を更新出来る機会となるのではと期待しています。
ちょっとググると出てきますが木彫りの熊はもともとアイヌが作っていたものではないようです。
木彫りの文化はありましたがカムイである熊の全体像を彫ると言う事は数少なかったそうです。
あとタイトルが36話になっています。
阿川親子の名が砂川に、31話の本文では新人アニメーターの名が大山になっていますが、下山です。