野上は嫌味まで上品
なつは、雪之助を見に川村屋まで行きました。
背中で語る親父と言いますか、一人黙々と厨房を掃除する姿が胸を打ちます。
そこへマダムが顔を出し、仕事を終えてなつと話をしたらどうかと、促します。
かくしてなつと雪之助が、テーブルで向かい合うのですが、コーヒーを差し出す野上がこう言うのです。
「こぼさないようお気をつけください。覆水盆に返らず……と言いますからな。ごゆっくりどうぞ」
これを受けて、嫌味にも気品があると関心する雪之助です。
さすが一流のギャルソン!
こういう一杯のお茶、あるいは面白おかしい話をする、そういう能力だけで重用される人物は昔からいたものです。
千利休のような茶人とか。
御伽衆とか。
連歌師とか。
なんかあいつら、遊んでいるだけでなんなん? と思われるかもしれません。
「茶坊主」という彼らのような人を蔑む言葉からは、悪意や嫉妬すら感じさせます。
いやいや、遊んでいるだけじゃないんですよ。
思考や話し合いの場で、的確なアドバイスを出すからこそ、側に置いておきたいと思わせるものがあるのです。一流となれば、そうなります。
野上には、そういう一流の茶人めいた風流、機転、教養が備わっています。
誰も間違ってはいない
そんな野上が去ったあと、雪之助はなつにこう語ります。
雪之助は、嫌味でこんなことをしているわけではない。
雪次郎には雪次郎の夢。
雪之助にもその夢、生き方があると。
なつは、雪次郎もそこはわかっていると言います。
自分のためにこんなことをさせるのは、たまらないはずであると。
さて、その雪之助の夢ですが……。
その結晶である雪月とは、おふくろ(=とよ)の生き方そのものだそうです。
本人も熱く語ったように、とよの人生は苦労だらけでした。
vs舅、vs姑、vs自分の夫の女癖&相場癖。およびその戦績までペラペラと語り出し、妙子にたしなめられる。さっすが歴戦の勇士だわ。
雪之助は、おふくろの苦労をじっと見つめて来たのでしょう。
だからこそ、おふくろに楽をさせたい。
そう思ったんですね。親孝行だなぁ、いい奴だなぁ!
そういう親孝行に一途な彼からすれば、息子が自分から離れることは想像すらできないのかも。
人間関係って、難しいですね。
もしも雪次郎が、照男のような性格であれば。
妙子だって、そんな弟がいればこうはならないと、考えてしまうでしょうに。
そしてこれが、本作の難しいところでもある。
十勝編最強枠のとよも、泰樹も、開拓して一から作り上げる精神は、よく理解できているのです。
そういう魂は応援したい。
けれどもそれは、先人が作り上げて来たものではない境地へと向かうことでもある。
なつにせよ、雪次郎にせよ。そこで引き裂かれてしまうのです。
泰樹がそこを乗り越えて、なつこそ精神的後継者であり愛弟子認定できたこと。
そこには条件があります。
彼女が実の孫ではなく、かつ照男がいたからこそ。
雪次郎は、そうではありません。
あのとき、泰樹の背中を押したのはとよでした。
今回は、そのとよが矛盾にぶつかっています。
さて、そのとよは、風車で酒を飲んでいます。
亜矢美も惚れ惚れするような、いい飲みっぷりです。
生き方がカッコいいと、酒の飲み方もカッコいいんだねぇ。
そう思いますが、女性の飲酒への風当たりは、とよの時代はもっと厳しかったものです。
この慣れた飲み干し方。
むしゃくしゃした夜、台所に立ったまま、手酌でグイグイと飲んでいたんですかねぇ。
雪次郎は、妙子の手料理を食べています。
そんな三代の姿が交錯する中、雪之助は語るのです。
開拓者である母が作った店を、雪次郎に引き継ぐ、それが雪之助の生き方だったのだと。
「それは間違ってるかい? 俺はそれでも、雪次郎を苦しめてるだけかい? なっちゃん」
「それは間違ってないから、雪次郎君は辛いんです。雪次郎君は、ちゃんと家族を大事にしていきていると思います」
なつは、そう語るしかないのでした。
恋愛フラグへし折り、よっしゃああああ!
「階段から落ちかけて恋が始まるなんて、わしゃ一言もいっとらんぞ」
そうすっとぼけていそうな、今朝の始まり方でした。
昨日、本作はそういうしれっとしたフラグへし折りがあると指摘したのですが、やっぱりそうでしたか。
坂場は「勘違いしないでください」と言っており、そういうことを勝手に誤解するなと釘を刺しているわけでもある。
坂場だから、もう諦めましょう。
と、言いたいところですが、これはなつの要因も大きいのです。
あそこでドッキーンとしたと見せかけて、アニメのインスピレーションでそれどころではなくなる。
なつも、中身が濃い変人なんだってば!
あそこで恥ずかしげもなく、目をキラキラさせながら、手をぐるぐるまわす。そういうことをしてしまう。
広瀬すずさんの演技が、そんななつの無邪気さとぴったり噛み合っています。
これは、相手が坂場でなくてもなつがフラれる可能性はありますよ。
「なんだよ、せっかく助けたのに、お礼もろくに言わないであんなおかしな態度取って。それで仕事場に直行かよ。かわいくねえ変な女!」
そうなる可能性は、十分にあります。
俺より仕事を重視しやがって、となるわけです。
なつはそういう性格です。強いんです。相手が傷つこうと本音を出します。
門倉番長アプローチを一蹴したり。
照男の好意を「気持ち悪い!」と言い切り、泰樹を刺す。
咲太郎にダメ出しもしました。
相手が社長だろうが、反抗心あり。
坂場がおかしいことと同時に、なつが家庭を優先して仕事を辞めろと言われたら、断固反抗する予兆でもあると思います。
「女の子は恋愛に夢中なのぉ! 結婚のことしか考えないのぉ!」
第1週から結婚のことばかり。
仕事中も男の気をひくことばかりをヘラヘラ考えていた、そんな前作****の*ちゃんとは真逆です。
漫画家としてのキャリアを考えたこともあり、萩尾律のプロポーズを拒んでしまった。
そんな『半分、青い。』の楡野鈴愛と、相通じるものがあります。
普通じゃないロマンスだからこそ、面白いってこともある。
NHK東京はそういう方針なのでしょう。
決めつけないことに可能性がある
『半分、青い。』で思い出したんですけれども。
あの作品への批判で、ヒロインの夢がまっすぐ決まっていないことがおかしいというものがあったんですね。
そういう意味では、なつも実はそうです。
本作は割と曖昧というか、可動範囲をあえて広くしていると感じます。
その日の終わり方や、週のまたぎ方で、決着をつけないこと。
【クリフハンガー】という作劇上のスタイルですが、これが実に多いのです。
週でスッキリ解決した方が、難易度は下がります。
それを本作はやりません。
前作****で、「誰が食べてもおいしい味を目指す!」という旨の決意があった時、私はそんなものは存在しないと指摘しました。
好みは人それぞれ。
どんな美味であれ、苦手な人も、健康上宗教上の由来で、食べられない人だっている。
言わば思考停止です。
本作は、そういう前作と正反対です。
同じもの、人物、要素であっても、状況次第で判断が分かれます。
今日だけでも、断言を避けた言動が多いものです。
・マコは全面肯定も否定もしない
→マコは褒めながらも、仕上げを見るまでわからないと保留にしています。
頑固なようで、柔軟性があるのです。
なつが嫌いだから、なつのものは全面否定するようなことはありません。
全面肯定も、否定もしないのです。
・「鶴の一声」がない組織
→露木の意見ですら、「鶴の一声」にはならず、アニメーター一人一人が逆らいます。
上が言うから従うという、そういう独裁的な職場ではない。
皆が違っていて、皆がよい。そういう組織です。
これも****を思い出すなぁ。
あのドラマは、同じ趣旨の内容でも、**さぁんが言えば大絶賛。ブケムスメプログラムが言えば罵倒されましたからね。
中身ではなくて、発言者属性で決める。
破滅する組織の典型例でした。
・坂場は魅力的だろうか?
→なつとモモッチで意見が別れました。
・雪之助も、雪次郎も、間違っていない
→なつは雪月のことで、どちらも間違っているとも、正しいとも言えなくなっています。
雪月三人衆も分裂し、立場が不明瞭です。
一方的に決めるわけではなくて、互いに納得しなければ、決断は下せないこと。
本作はそう訴えかけているように思えるのです。
どういう意見にせよ、まず考えさせる、その過程を重視しています。
ジャッジもマウンティングもない。
支配しない。支配されない。
そんな風通しの良さがそこにはあります。
ステレオタイプを再生産しないこと
本作は、アニメの原点回帰を目指していると思わせる部分がいくつもあります。
こういう柔軟性も、そのひとつではありませんか。
「ただイケ」というネットスラングが定着して、長い歳月が流れたものです。
「ただしイケメンに限る」という意味です。
ハラスメントでも、イケメンがすれば喜ばれるのに、そうではない奴がすれば犯罪扱いになる。
そういうスラングですね。
言う側は冗談のつもりでしょうが、明確な偏見と女性蔑視がそこにはあります。
・女なんて中身でなくて顔しか見ない、浅はかな奴らだ
・女の判断基準なんて、あてにならない
これも、始めはアニメやいわゆる二次元ファン界隈がスタートだったと思うのですが。
それだけではなく、二次元のキャラクターステレオタイプが、リアルな世界を蝕む例が出てきております。
胸のサイズ。
小さいと嫉妬し、コンプレックスがあるとか。大きいと自信を持っているとか。
高校生同士であっても、三年生は自分はババアだと一年生相手に嫉妬を見せるとか。
女の敵は女だとか。
ツンデレ、ヤンデレ。そういうキャラクター分類は面白いといえば、そうです。
けれども、目の前にいる人もそうなのかどうか、いきなり決めつけるのはどうなのでしょう。
2019年、シャレになっていない状況になりつつあります。
漫画の絵柄だから。アニメだから。ジョークだから。フィクションだから。エンタメだから。
【ただボーッと見ればいいじゃないですか! 楽しめないなんて、笑えないなんて心が狭いなぁ!】だなんて、そんな言い訳、通じないのです。
差別を再生産し、広めるものであれば。そこは燃えますよ。
◆大坂なおみ選手の肌の色に違和感? テニプリコラボの日清「カップヌードル」CMで論争に
そこを踏まえて、本作は徹底的に対処をしてきた、そんな凄みを感じます。
ステレオタイプを用いないこと。
ジェンダーによる決めつけをしない。
◆(けいざい+)炎上広告とジェンダー:1 「働く=男」透ける決めつけ:朝日新聞デジタル
◆(けいざい+)炎上広告とジェンダー:2 「あるある」の押しつけ、笑えない:朝日新聞デジタル
◆(けいざい+)炎上広告とジェンダー:3 「女は感情的」、ひとくくりは変:朝日新聞デジタル
◆(けいざい+)炎上広告とジェンダー:4 「個人でがんばれ」企業が言うな:朝日新聞デジタル
理想のヒロイン像ではなく、物申す強いヒロイン像を模索する。
なつはじめ、本作の女性は強く、たくましく、反論し、考え抜く人物が多いものです。
男性像だって、サポート役に適性がある咲太郎はじめ、個性的です。
「女にガツガツしてこそ男!」のような、下劣な決めつけもない。
そして前述の、決めつけを避ける巧みさがあります。
誰が口にしたのかではなく、どういう考えの末に出された結論か? そこが大事なのです。
雪之助の言い分も理がある。
雪次郎もそう。
善悪、裏切りについては、相手が泰樹だろうが痛い目にあいます。
柔軟性はあるけれども、考え抜かれているからこそ、クリア――そういう現場の風通しの良さすら、漂ってくる。
極めて2019年らしい、そんな傑作。
朝にふさわしい、エネルギーが充填されるドラマです。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
板場は、恋愛には鈍い自分ですら勘違いされるかもと感じたあの階段でのハプニング(ものづくりに没頭してた夏虫駅でのスズメにでさえ後に致命的なダメージを与えてた)に際してもなお、純粋にものづくりにしか意識が向いてないなつに逆に好意を持ったと思います。この人となら一緒にアニメの世界を(“下世話”な恋愛感情に左右されずに)開拓していける、と。それがその後の露木さんが怒鳴り込んだシーンでのお茶目な振る舞いにつながったと感じます。2人の、少し他とはステージの違うものづくりの展開が楽しみです。