誰も間違っていないからこそ。
誰もが家族を大事にしているからこそ。
つらい――そんな雪月をめぐる騒動がいよいよクライマックスを迎えます。
川村屋で向き合うなつと雪之助に、マダムがバターカリーを差し出すのでした。
後継者たち
マダムは気遣いの粋な女性です。
咲太郎のような相手には嫌味でも、雪之助には優しい。
遠慮する彼に、このバターカリーは無給で働いたお礼だと告げるのです。
「ははっ、すみません。私までそんな迷惑を……」
マダムも雪之助も、互いに気遣っていますね。
お互い心の負担にならないように、そう考えている優しさがあります。
このドラマは、本当に誰も彼もが気遣いができるんですよ。
咲太郎のような問題児ですらそう。
自分は偉いから、気遣われて当然。
そんなふうにドドーンとしている人物はおりません。
数少ない例外は、悪役フラグが建てられている大杉社長くらいかな。
なつは二人を前にして、真剣なまなざしで語り始めます(広瀬すずさんの目が強くていいですね)。
東京で漫画映画に取り組んでいるのも、北海道で家族と過ごしたからこそ。
自分らしい生き方を学んだから――。
「何が裏切りじゃ! ふざけるな!」
「よく言った! それでこそ、わしの孫じゃ! 行ってこい、漫画か映画か知らんが、行ってこい! 行って東京を耕して来い! 行ってこい、なつ、行ってこい!」
泰樹の言葉が、なつの背中を押す。
だからこそ、彼女は言い切れるのでしょう。
自分が常に、じいちゃんの生き方を裏切っていない。
「雪次郎君は、どこでも、雪之助おじさん、とよばあちゃん、妙子おばちゃんのように、生きるんです」
店を継ぐことはなくとも、家族を大事にしている。
切り拓くことこそ、家族を大事に思うこと。開拓者らしい強い言葉が、そこにはあります。
「雪次郎君は、おじさんを裏切るような生き方をしない!」
マダムもこの言葉に納得しています。
彼女にとっては、店を守ることがそうでした。
ただ店を継いだわけではなく、生き方そのものを先代はじめ、いろいろな背中から学んだのでしょう。
だからこそ、飲食店でありながら文化を支援する。
夢追い人に甘くて、咲太郎に大金を貸してしまったのです。
このカレーには家族の愛が詰まっている
なつたちがバターカリーを食べているというのも、奥深いですね。
インドの革命家を匿った先代が、そのお礼として習ったカリーの味。
そんな心があればこそ、この味は伝わりました。
味だけではなく、魂も受け継いでいるのでしょう。
そのころ雪次郎は母の手作りカレーを食べていました。
これまた幸せそうな顔です。
そんな我が子に、妙子は優しく語りかけます。
「父さんに反対されても、私は味方するからね。役者になって欲しいんでなく、やりたいことを応援したい」
これも、ちょっと彼女なりの照れが滲んでいます。
咲太郎のイケメンぶりにちょっとぼーっとなっていると突っ込まれた、そんな妙子。
この美男に弱いという描写も、賢くしっかりしている彼女の茶目っ気として描かれていて、なんともキュートなものがありました。
美男に弱い自覚があって、そのせいで我が子を芸能界入りさせたいと思われるかも……そう先に、自ら茶化すわけです。
照れと、ユーモア、それに自分への茶化しを入れつつ、優しく寛大で頼り甲斐がある。
妙子の出番はここまでそこまで長くはないものの、これはよい人だということが伝わってきます。
中年以降の女性とは、性的魅力を失った邪魔なだけの存在。
足を引っ張り、若い女に嫉妬するだけ。
そんな雑な描写しかできないドラマもありました。前作****が典型例ですが、作り手が偏見にまみれていて、人間観察ができていなかったのではないでしょうか。
母の気遣いを悟り、雪次郎は泣いて、また笑う。
そしてこう言います。
「うめぇ! やっぱり母ちゃんのカレーは、世界一で一番うめぇ!」
泣いて笑う。感涙して、そこで笑う。
難しい演技だとは思いますが、不自然さがありません。
皆が一丸となって、この感動的な対話を作り上げている。そんな情熱までも感じられるのです。
雪次郎は、心の底から母のカレーが世界一だと思っているとわかります。
お世辞ではありません。
そんなうれしいことを我が子が言うのも、母の気遣いや愛があってこそ。
妙子は母への感謝を強制していません。
寄り添い、作っただけ。
それだけでも、愛が通じ合えばこういう嬉しい言葉が出てくるのです。
川村屋のバターカリー。
妙子のカレー。
技術的には、前者のほうが上かもしれませんが、そういうことじゃない。
カリーにもカレーにも、家族の愛が詰まっています。
だからこそ味わい深いのです。
母子の愛に酔いしれな!
さて、そのころ総大将・とよは――。
風車で酔っ払い、亜矢美と咲太郎とともに、謎めいたムーランルージュ音頭だかなんだかを踊っていました。
おいっ、酒乱は母子揃ってなのか!
こんなところで遺伝かーい!
そんな上機嫌のとよを、咲太郎はこう褒めるのです。
「役者みてえないい声だ!」
これ、絶対に、高畑さんの美声ありきですよね。
こういうネタ好きですよ。
出演者の広告ネタで笑いを取っていた、他人の褌で相撲を取る駄作****とは違います。
褒められ、役者になるか! とノリノリのとよ。
こんな泥酔演技、朝から見せないでくださいよ。笑いが止まらないじゃないですか!
雪之助は、弱いのに飲んだのかと戸惑っています。
ここまで母子でそっくりだよ……。
それであのいい飲みっぷりだったのか、とよさーーーん!
「東京で好きなことやるぞー!」
そう叫んだあと、我が子の頰を掌でひしと挟むとよ。
「雪之助、叩いて悪かったな。あんたには、私の夢まで背負わせて。苦労かけて、悪かったな」
「わかったから、何もしゃべんな」
雪之助は、もう胸いっぱいになってたまらない様子です。
とよだってシラフならば、ここまで素直にはなれなかったかもしれません。
酔っ払ったからこそ、溢れ出た母の愛。
そして、そんな愛ゆえに苦労をしてきた我が子への、罪悪感もあるのです。
この少し前に、とよは我が子をこう呼んでいました。
「菓子を作っている時だけは、いい男」
これと妙子への「この人は男を見る目がないから」と重ねると、とよの照れる性格も見えてきます。
シラフでは最愛の我が子を素直に褒められない。
むしろ茶化してしまう。それが酔っ払って、掛け値無しの愛があふれてきた。
うーん、やっぱりとよは、泰樹に匹敵する存在でもあるんですね。
彼も照れ屋ですから。
北海道を生き抜いてきた、最高に素敵な、まさしく総大将。
カッコいいババア枠。
もはやとよは、ゴッドマザーの域に到達しました。
※続きは次ページへ
2017‐2018年大阪制作朝ドラは、某芸能関係企業をモデルに選んだが、出来の悪さには不評タラタラだった。
その終了から約1年3ヶ月後、モデル企業に一大不祥事が。
来年の今頃、****のモデル企業は大丈夫だろうか?
今日も泣きました。とよばあちゃん。。。
これが前作大阪ラーメン物語の脚本だったら、雪次郎に「役者の道を途中でポシャったら北海道で菓子屋の跡継ぎに戻ればいい、逃げ道確保した上でチャレンジと称して道楽に走る甘ちゃんのドラ息子」と周囲の誰かが嫌らしくレッテルを貼る、すると本人は《青臭く》いきり立って「絶対に役者の道で成功して見せる」と騒ぐ。で、シンパ論者がまた「痛い所を突いてけなすことで逆に奮い立たせる深謀遠慮がナイスだ」とかなんとかヨイショする、まぁそんな具合になるんでしょうね。
本作はそんなミエミエでゲスな展開の仕方は決してしない。東京に乗り込んで来た両親と祖母は、最後にはむしろ「失敗したっていい、その時は雪月に帰って来ればいい」と言い切る。これを聞いたらラーメン物語シンパ達はきっと「本人がそういう甘えた気持ちでいるだけならまだしも、親達が両手を広げて逃げ道を作ってやるなんて最低だ」とか言って非難するでしょう。でも、本作の価値を知る者から見ればこのシーンは本当に感動的でした。この言葉にこそ親達3人の雪次郎に対する最も厳しく最も深い愛情が込められていることを理解できているからです。
うーん、雪次郎の決心に蘭子は関係あるかなぁ・・
高校演劇部の頃から演劇論を語ってた雪次郎なので、その純粋な演劇への思いからだと思うけどなぁ。だからこそ両親や祖母の思いをわかりすぎるほどわかった上であそこまでの決断ができたんだと思います。
その他の解釈は異論ないです。本当に全ての整合性を丁寧に満たす、よいストーリーだと感じました。簡単に若者の夢を叶えるのがよし、とするわけでない深みを感じ、昨日の父親の話を聞いてて、このまま店を継ぐのもありだなぁと思ってたので、そこからの、みんな納得するもうひとひねりに感動しました(おばあちゃんの息子への言葉に涙腺刺激されまくりです^-^;)