二年間をこめた味は
その二日後、雪次郎は風車に呼び出されます。
雪月三人衆、なつ、咲太郎、そして亜矢美がそこにはいます。
「父さん、この前は……」
そう謝りかけた我が子に、雪之助は川村屋から持ち出したという調理器具を示します。
そしてこう告げるのです。
この調理器具で課題をこなせなければ、2年間を無駄にしたことになる。
家族を騙していたのか? それを確かめるのだと。
課題は、バタークリームのケーキ。フランス菓子の基本です。
ジェノワーズを作れ――。
スポンジケーキのことでした。
基本中の基本だからこそ、簡単なようで、難しいものです。
それは作劇テクニックとしてもそうでしょう。
というのも、フランス菓子作りは、メインテーマのアニメではありません。
酪農や農業、油絵、新劇そしてこのフランス菓子。
メインプロットでもない専門知識をさらりと入れてくる。これも凝り性かつ丁寧な仕事をすればこそ、織り込むもの。
雑な作りだと、雪月の話なんてすっ飛ばすでしょう。
こういうところに、本作の入魂を感じるのです。
「デコレーションして、ふるまえ。二年間どう生きて来たか、味わってもらえ、いいか!」
ここで雪次郎は戸惑います。
「オーブンなくても、作れんのか」
「自分で考えれ」
北海道弁でそんなやり取りをします。
雪次郎はめげません。
自分の機転で何とかするために、泡立て器を握るのです。
山田裕貴さんは非常に頑張ったと思います。
プロっぽく泡立てるのって、結構難しいんじゃないかな。
酪農、スキー、そして調理。
そういう専門技術とは違う、咲太郎の昭和動作といい、本作は役者さんが皆頑張っています。演技指導もしっかりしているのでしょう。
雪次郎の解決策は、フライパンで焼いて仕上げたロールケーキでした。
「おおっ、すげえな!」
完成品を見て、咲太郎も驚きます。
ロールケーキをクリームで飾ったもの。確かにこれは昼休みに食べたくなるような、空腹感を引き出す仕上がりです。
「フライパンでは膨らまないから、ロールケーキにした……」
ちょっと疲労感と緊張感をにじませつつ、雪次郎はそう説明します。
「おいしいわ、雪次郎!」
とよも、妙子も、なつも、咲太郎も、亜矢美も大興奮します。
「普通にうまいよ、この脚本!」
ここでちょっとしたお役立ち知識も。
「普通にうまい!」
咲太郎の、この感想ですが。
それは普通ということか? と、ちょっと場の雰囲気が悪くなりかけるのです。
亜矢美がとりなします。
「普通に店で食べるように、美味しいってこと!」
これは絶対に、今話題となるあのやり取りを踏まえていますよね。
時代考証としてはちょっとおかしいのです。
むしろ咲太郎の年代ならば、突っ込む側かもしれませんね(参考記事)。
敢えてそこを取り上げて、
「若者はけしからん!」
とは言わないところが、本作の優しさです。
「若者に悪気はないから、受け止めようね」
と、亜矢美を通して伝えているのではないでしょうか。
気をてらっていない、正統派の、わざとらしくひねっていない。
そういうニュアンスも、「普通に」にはあると思いますよ。
これでやっと合格だ
ここで重々しく、雪之助がこう告げるのです。
「何をするにも、これぐらいやれ。これぐらい、努力しろ。一生懸命、がんばれ!」
最高の褒め言葉、そして送り出す言葉でした。
「やったね雪次郎君、認めてもらえたね!」
「これでやっと言えるな。合格おめでとう!」
なつと咲太郎も祝福。
するとさらに雪之助は、こう続けるのでした。
「これだけは言っておく。これからやることは、いくらでも諦めていいってこと。諦めるときは、潔く諦めろ。帯広は、お前の生まれた場所だ。何があっても恥ずかしがらずに、戻って来い」
ここでとよも、こう言い切ります。そして妙子も。
「負けるのも、人生の味だ」
「いつでも負けて来い!」
「そったらこと言うなよ」
そう苦笑しつつも、雪次郎はこう言うのです。
「ごめん、父ちゃん、ありがとう!」
ここで父子で触れ合おうとして、「あっ、いてっ!」とぶつかってしまうのでした。
ナレーターが語ります。
こうして、小畑家は北海道へ帰って行きました。
なつよ、お前も一生懸命がんばれよ――。
劇団で稽古に励む雪次郎の姿。
牛若丸を描くなつの姿。
頑張る開拓者を映し、今日は終わるのでした。
おいしいドラマを朝に届ける
本作にはよいところがたくさんあります。
罪深いほどかもしれないのが、食べ物の魅力です。
しぼりたての牛乳。
柴田家のじゃがバター。
雪月のかき氷にアイスモナカ。
思い出の天丼。
川村屋のバターカリーにカレーパン。
そして今日のロールケーキ。
食べたくてたまりません!
魅力的に見えるのは、食べ方の演技や脚本と演出の妙もあるのでしょう。
なつも、雪次郎も、美味しそうに食べる顔がアップになっていて、その気持ちが伝わってきます。
しかし、口を開閉するにしても歯、ましてや咀嚼中の中身は見えません。
顔だけで味を伝えます。
「おいしぃぃいいぃ〜〜!」
と、口の中身を見せながら叫ぶような、そんなことはありません。食べた瞬間に絶叫もあるわけがない。
演技指導は大事です。
食品がテーマでありながら、食事シーンで叫び、口の中身を見せ、身振り手振りをしていた。
食べる幸福感ではなく、不潔感と大仰さがあふれていた前作****とは、一体なんだったのでしょうか。おかげさまでいろいろと不安になり、モデル企業製品は永久不買リストに入りました。
あの作品は、メインビジュアルのヒロイン笑顔からして、今にして思えばおかしかった。
ごはん茶碗を持ってにっこりと微笑む*ちゃんは、作り笑いにもほどがありました。
心の底からの満腹感と、美味しい気持ちを味わっているというよりは……。
「はーい、笑顔を作ってくださーい。カンヌを魅了した大女優らしく、演技派らしくにっこりと!」
そう声をかけられながら作った。そういう作為が伝わってきました。
なかなか文句は言えませんよね。カンヌで評判の女優さんですから。
貶せばひねくれ者か。見る目がない奴と思われかねない。そういう『裸の王様』めいた作為がバリバリでしたよ。
一方で本作の広瀬すずさんは、北海道の大自然の中で、自然とあの顔になったと伝わってきます。
まるで正反対です。
うーん、どうしてここまで差がつくのでしょう。
裏切るのではない、表返るのじゃ
今日の、自分の夢を追うことこそだというメッセージ。
彼の前世・昌幸ならこうなるところですね。
「裏切るのではない、表返るのじゃ」
乱世ではない、現代では、むしろこれこそ生きる道と思える。
そういう魅力があります。
これって大事なことですよね。
自分らしい生き方を見つけながら、そう生きられないこと。
それはおかしい。裏切りでもある。
けれども、そこに至るにしても、納得しなければ無意味である。
本作はそこまでたどり着きました。
進路を変えるにせよ、どうすれば誰も彼もが納得するのか?
そこを、じっくりと描写してきたのです。
ありとあらゆる整合性をきっちりと考えた着地。お見事でした!
と、言いたいところですが、一点未回収の要素があります。
「北大の夕見子ちゃんが認めるお菓子を作ることです!」
さて、これはどうなるのかな?
・製菓技術をマスターしているのだから、問題ない
→あれはあくまで技術のことであり、職業選択までは含めていない。やっぱり夕見子ちゃんにお菓子を作るんだよ❤︎
・それは詭弁ではないか! 蘭子の演技に魅了されたのであろう
→雪次郎の進路選択には、どうしても異性の影がちらついています。蘭子の演技に心を奪われていたわけですし、そういう問題ではないともみなせます。
うーん、どうなるんでしょうね。
ここで引っかかるのが、挫折して帯広に戻る可能性も示唆されていることです。
北大を出て、研究者となり、学会や教壇に颯爽と現れる夕見子。
女性初という枕詞がつくキャリアを邁進していく――。
でも、家に戻るとお菓子作りが得意である雪次郎が待っています。
そこにはちょっと変わった、それでも甘〜い生活がある。
……となったら、それはそれでハッピーエンドに思えるのも確か。
これまた男女逆転していればありがちな道です。
そうでないからこそ革新的な、本作らしいルートではありませんか。
「負けるのも、人生の味だ」
また今朝も『半分、青い。』を引き合いに出させていただきますが。
ドラマにおいて、ヒロインの楡野鈴愛が漫画家はじめ、キャリアにおいて挫折を味わうことそのものに、批判があったものです。
鈴愛の1971年(昭和46年)7月7日生まれという、就職氷河期世代であることをふまえれば、むしろリアリティがあったにもかかわらず。
世代ではなく自己責任論で収斂され、叩く意見ばかりでウンザリしました。
上の年代ならばともかく、彼女と同年代まで叩いていたのですから、もうその冷たさ、『自分は違うのだ!』と逃げたい心理にはゾッとしたものです。
一方で、その次の****は酷いものでした。
50歳を過ぎてからの再チャレンジが、モデルの人生における大きな特徴であったはず。
それなのに、再チャレンジそのものはあっさりとした手抜き仕事で、それまでのしょうもないハラスメントばかりを垂れ流したものです。
チャレンジャーの心をえぐるような、あまりに酷い描写もありました。
「クリエイターでないお前はもう、死んでいる」
発明家でない夫を励ましたヒロイン*ちゃんのセリフですが、要するに『北斗の拳』ですよね……。
挫折した奴らは生きる価値がないんだぜヒャッハー!
成功者から北斗神拳で始末されていろレベルのおそろしさでした。
一体何がしたかったん?
あの後継者も最悪でしたね。
幼少期から祖母を虐待。
同級生女子をからかう。
いじめられたら、マウンティングしてやり返す。
そんなバカボンボンの成れの果てが、遊び呆けて就職活動をせず、当然のように親の会社に入りました。
聡明さも何もないのに、エリートチームで偉そうに振る舞う。
ダメ親族経営企業を煮詰めたような描写です。
※こういうバカボンボンだった
生き方を引き継ぐ?
そんなこと考えたことがあるわけもないでしょう。
NHK内部でも、ああいう極悪非道はもうやめたいという、そんな良心があったのでしょうか。
それに対し、今日の雪次郎への励ましは、味のあるものでした。
日本には、終身雇用制度こそ最善だという価値観がありました。
実質的に崩壊した就職氷河期世代すら、それに乗れないと恥とすら思われたものです。
世代だけの問題ではありません。
再チャレンジに冷たい国である日本では、こんな人々はそれだけで恥さらしとされかねないものでした。
・転職者
・不登校経験がある
・学び直す学生
海外では妊娠や出産で学生生活が途切れても、学び直すことはできるます。
日本は退学、中絶、出産後殺害といった悲劇にもつながっています。
「石の上にも三年」という言葉が、正当化のためによく持ち出されます。
それを信じた結果、逃げられず、心身を壊してしまう悲劇もあったものです。
今日の、雪月三人衆の言葉はその正反対でした。
「これだけは言っておく。これからやることは、いくらでも諦めていいってこと。諦めるときは、潔く諦めろ。帯広は、お前の生まれた場所だ。何があっても恥ずかしがらずに、戻って来い」
「負けるのも、人生の味だ」
「いつでも負けて来い!」
失敗は恥ずかしいことじゃない。いつでも戻ってきていい。
なんと奥深い言葉でしょうか。
失敗した我が子を受け入れるどころか、恥ずかしいからと隠蔽し続けた。
その結果、起こる悲劇のことを、あなたたちも見てきたはずです。
そういう負の連鎖を終わらせよう――そんな気概を感じます。
本作にも参加者が多いという『真田丸』。
再チャレンジのドラマでした。
真田幸村という、戦国史ナンバーワンのスーパースターの大河ドラマが、2016年まで作られなかったのはナゼか?
カタルシス不足です。
一国一城の主になれず、最期は討ち死に。
そんな人物は、高度経済成長期のドラマ主人公にはふさわしくないと思われた。そんな一面があったとされています。
NHKには、世の中の変化を変える気持ちがあるのです。
『真田丸』、『半分、青い。』、そして『なつぞら』は、まっすぐに生きられなかった、それでも挑戦し続けた人間を応援する作品なのです。
まさに2019年にふさわしいドラマです。
◆月収2万円低い氷河期世代 政府の就職支援策は有効か: NIKKEI STYLE
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
2017‐2018年大阪制作朝ドラは、某芸能関係企業をモデルに選んだが、出来の悪さには不評タラタラだった。
その終了から約1年3ヶ月後、モデル企業に一大不祥事が。
来年の今頃、****のモデル企業は大丈夫だろうか?
今日も泣きました。とよばあちゃん。。。
これが前作大阪ラーメン物語の脚本だったら、雪次郎に「役者の道を途中でポシャったら北海道で菓子屋の跡継ぎに戻ればいい、逃げ道確保した上でチャレンジと称して道楽に走る甘ちゃんのドラ息子」と周囲の誰かが嫌らしくレッテルを貼る、すると本人は《青臭く》いきり立って「絶対に役者の道で成功して見せる」と騒ぐ。で、シンパ論者がまた「痛い所を突いてけなすことで逆に奮い立たせる深謀遠慮がナイスだ」とかなんとかヨイショする、まぁそんな具合になるんでしょうね。
本作はそんなミエミエでゲスな展開の仕方は決してしない。東京に乗り込んで来た両親と祖母は、最後にはむしろ「失敗したっていい、その時は雪月に帰って来ればいい」と言い切る。これを聞いたらラーメン物語シンパ達はきっと「本人がそういう甘えた気持ちでいるだけならまだしも、親達が両手を広げて逃げ道を作ってやるなんて最低だ」とか言って非難するでしょう。でも、本作の価値を知る者から見ればこのシーンは本当に感動的でした。この言葉にこそ親達3人の雪次郎に対する最も厳しく最も深い愛情が込められていることを理解できているからです。
うーん、雪次郎の決心に蘭子は関係あるかなぁ・・
高校演劇部の頃から演劇論を語ってた雪次郎なので、その純粋な演劇への思いからだと思うけどなぁ。だからこそ両親や祖母の思いをわかりすぎるほどわかった上であそこまでの決断ができたんだと思います。
その他の解釈は異論ないです。本当に全ての整合性を丁寧に満たす、よいストーリーだと感じました。簡単に若者の夢を叶えるのがよし、とするわけでない深みを感じ、昨日の父親の話を聞いてて、このまま店を継ぐのもありだなぁと思ってたので、そこからの、みんな納得するもうひとひねりに感動しました(おばあちゃんの息子への言葉に涙腺刺激されまくりです^-^;)