わろてんか84話あらすじ感想(1/12)何でもかんでも笑いで解決すな!

大正12年(1923年)、歴史的な大災害である関東大震災が発生しました。

その被災地から、奇跡的に助かったキースは、恩人である志乃を伴って東京から帰阪。
記憶喪失に陥っていたこの女性は、実は栞と生き別れた母親なのでした。

頭部を強打し、栞とのことを思い出した志乃。生き別れの母子の絆はどうなるのでしょうか。

 

栞のこじらせ方が根深すぎ

今日は、のっけから栞に対して母親と会うように勧めるてんから始まります。

相も変わらずミステリアスな栞オフィス。
仕事とは無関係の来客が気軽に入り込める社長室って、本当になんなんでしょう。

新聞記者さん、出番ですよ。
連日、足繁く通う既婚女性。復興支援の売名ネタなんかより美味しいスクープでんがな。

栞は、頑なに会わないと言います。
なんでも母親からこう言われたそうです。
「お前がいると邪魔なんだ、お前がいなくなってせいせいすると言われた」

おいおいおーい! 成長しても、その言葉の裏にある真の意味がわかっていないとか、ウソでしょ?
そんな浅はかな精神構造、人の心情の機微もわからぬバカモノで、関西を代表する財界人になれるワケないじゃないの(´・ω・`)

ついには怒鳴り始める始末。大人になれよ……栞はん。
高橋一生さんにシリアスな顔させればウケるとか、勘違いしてるんでしょうね、アイタタタ。

年も明けたのに、『おんな城主直虎』ロスが止まりません。
あのドラマの森下氏は、素材のうまみを最大限に引き出す五つ星シェフのような方でした。

小野政次がずーっと能面のような顔でこらえにこらえ、時折、急に怒鳴り声を荒げるからこそ、プレミアム感あふれる輝きがあった……。

それに引き換え本作ときたら……。
ここで栞を怒らせてもただの短気にしか見えないじゃないの!

「自分の心もわからない、そんな人間が活動写真を作っているとは……」
そう自嘲する栞。
いや、それって、本作を作っている方たちでは……?
壮大なブーメランをぶっこんできて、思わず噴きそうになりました。

今日の爆笑ポイントはココでしたか。

 

「ぎょうさん芸人見つけたで!」と喜び隠せず

大震災の自粛ムードは、大阪にまで波及します。
風鳥亭も客足が鈍っていました。
ここで風太から電話が入ります。

ドヤ顔で電話を占領する風太。背後には疲れ切った被災者の群。
ちょっと顔が煤けた程度で、頰がツヤツヤした風太がえらそうに長電話しているのを見るのは、どうにもちょっと……。

「ぎょうさん芸人見つけたで!」
そう報告する風太。

あのですねー……デリカシーを本作に期待するのは、間違っているのでしょうか?

そこはまず、救援物資の配送、東京の復興、そういった状況を報告すべきでは?
火事場泥棒みたいに芸人見つけたって、露骨過ぎるでしょうに。

そして……
「みんな明るいで! 笑たら、腹減ってんのも、家がないのも忘れられる。笑いが一番のごちそうや!」
あーあー、またまた、そんなコト言わせちゃって……(´・ω・`)

災害大国日本の朝に届けるドラマで、こうも被災地をおちょくったような発言をさせ、震災を軽視したかのような内容を垂れ流す。
そんな状況に口あんぐりです。

今でも仮設住宅に暮らす人、原発事故で家を失って戻れない人。そういう人もいるわけです。

面と向かって、彼らに言えますか?

家や故郷、家族を失った痛みが、笑いで癒やせると思いますか?

生活インフラが復活し、ようやく暮らしも落ち着いてきた後に、少しでも癒やしてくれれば……というスタンスで笑いを提供するというならわかります。
しかし、本作の、あたかも「笑っていれば全部解決、チャッチャラ~!」とも見えかねない、幼稚で馬鹿げた理屈に呆れてしまうのです。

「こういう時こそ、笑いが必要なんや。笑いは人を癒やす薬や!」
そうにっこり笑うてん。
もう、つっこむのも疲れたよ……。

 

彼氏がLINEを既読スルー!じゃないんやから

「売り上げの一部を義援金にして、大阪に芸人を呼んだらどうやろか」
画期的なアイデアのように、ドヤ顔で言うてん。むしろそれ、今まで思いつかなかったのがフシギ。

ここで、後ろの方でソワソワしていたトキが電話を取ります。
「連絡もせんと、このアホ! 戻って来たら饅頭用意しとく!」
……アホは、お前やろ。

この未曾有の大災害。しかも大事な仕事中。危険もある。
そんな状態で、プライベートでちょいちょい連絡できるかよ、っていう。
「彼氏がLINEを既読スルー!」って拗ねる平成の女子高生じゃないんだから。

そもそもトキは、今更なんでツンツンしているんでしょうか。そういう時期は本当に卒業してください。30過ぎですよね。

しかも饅頭を用意しておく、ねえ。

このへん、本当にお粗末だと思います。
饅頭は幼年期から風太の好物設定ですけど、味覚も成長するでしょう。

志乃の台詞には関東と関西の味覚の違いが出てきましたが、ここでも「おだしの効いたうどん」でも言えないんかなぁと。
そういう粋な料理を作って、さっとさりげなく出せそうな女性って、お夕ぐらいしかいないんですよね。

 

親子の決裂をキースの笑いで繋ぐ、だと!?

キースは、志乃が燃やそうとしていた臍の緒の箱を、藤吉に見せます。

このへんの引っ張り方も雑で下手だと思います。
あの箱の正体は早々に明かされていましたが、引っ張ってここで判明した方がよかったでしょう。何の感動もないじゃないですか。

それとキースの口調。
関東から戻ってきたら、喋り方が藤吉のようにボソボソと不明瞭になりました。ボソボソトークはそんなに需要ないでしょうから、明瞭な滑舌に戻して欲しいです。

てんは執拗に、栞と志乃の間を取り持ちたいと思います。
ここまで来ると、自己満足じゃないですか?

藤吉がここで提案。
「ほな、キースが笑わせたらええ」
えっ? えええ?

なぜそんな手法で母子の和解ができるのか。
キースとアサリのコンビ復活をチャッチャと済ませるためとしか思えません。

吉本を舞台にした作品であり、2人のモデルがエンタツ・アチャコならば、このコンビの描写はきっちりさせておくべきでは?

 

薙刀構えて鉢巻した、臨戦態勢の大奥女中

てんは再び栞のオフィスに押しかけ、臍の緒の箱を見せます。

栞のオフィスにてんが行く場面を、一日15分の間に二度。
両社の距離がよくわかりませんが、お互いにシゴトしてるんでしょうかね。

てんは、志乃にも栞のことを思い出したはずだと言います。
※ところで志乃の頭の包帯は何とかならなかったのでしょうか。包帯というより、薙刀構えて鉢巻をした、臨戦態勢の大奥女中みたいで……

「うちも母親です、気持ちはわかります」

出ちゃった出ちゃった、あーあーあー。

陳腐ドラマにありがちな、この「母親は何でもわかる」的な台詞。
『おんな城主直虎』最終回で、森下氏が「母でないからこそ全ての子供が愛おしい」と鮮烈なカウンターを放ってから一月も経っていないのに、なんでまだそこに戻っちゃうんですかね。

志乃はてんに頭を下げます。
「ごりょんさん、後生だから! このまま東京へ帰らせてください!」
ようやく志乃さんが真っ当な口調でお喋りいただきました。

しかし、志乃さんが、どうにもヒステリックでやたら芝居がかっているんですよね。
臍の緒を燃やそうとしたり、いきなり土下座したり。
言動が極端過ぎて、本当に変な人になっています。

志乃さんくらいの年齢の人でも、本作にかかると精神年齢が10代以下になっちゃうんですよね。
彼氏との思い出の品を川に投げ捨てる、エキセントリックな女子高生みたいです。

一方、栞は黄昏れていました。

私としましては、母子再会よりも、栞にはまともに仕事をして欲しいと思っています……。

小林一三による偉大な功績、阪急電鉄も宝塚歌劇団もなく、この栞の無能高等遊民っぷりよ。

 

今日のマトメ1「家族のカタチは人それぞれ」

これは本作だけでもない気がするんですけど、朝ドラの「素直になれない親子を再会させる」ってもうそろそろ終わりにしませんか。

親子だろうが、夫婦だろうが、きょうだいだろうが。
家族のかたちは人それぞれ。二度と顔を見たくない場合だってあるでしょう。
まぁ、そういう家族は出さないんでしょうけど。

怒鳴り散らしたり、あそこまで頭を下げたりする人たちを、騙し討ちのように再会させて、今週の最後にまとめるつもりでしょうけど、それのドコがいい話?

多少なりとも、二人から本当は再会したいという気持ちが見いだせれば仕方ありません。
が、ツンデレ大好き本作脚本からは、それが一切見いだせません。

感動の母子再会が見たい、そういうのを演出する私っていい人、キャハッ、という自己満足に見えるんですよね。
あるいは「おまえら、こんな感動好きなんやろ」という流れも入ってますね。

それと、震災における北村笑店の役割。見せ方が下手くそ過ぎます。

セコい小細工で吉本のグレーゾーンを見せないようにしているのに、なんであんな「ぎょうさん芸人見つけたで!」という、火事場泥棒かと思われるような台詞を言わせるんでしょう。

こんなセリフでは、アカンのか?
「寄席も焼けてもうて、高座に上がりたくてもできひん芸人もぎょうさんおる。落ち着くまでしばらく大阪に来たらええ、って声掛けておいたわ」
と。

しかも無神経に、
・食べる物も家がなくても笑えば腹がふくれるとか
・笑いは人を癒す薬だとか
・こんな時こそ笑いが必要とか
何もかもが酷いです。

 

今日のマトメ2「そんな余裕はないんじゃ」

確かに震災の際には、芸能系のチャリティーもあります。

しかし、それはあくまで生活インフラが回復してから。
東日本大震災では、自粛の中、多くのイベントがキャンセルになりました。
被災していない地域でもそうでした。

笑いが人を癒すどころか、災害時は笑ったり楽しんだりする余裕すらなくなる。

そんな状況を我々は何度体験してきましたか?

限られたインフラの中、人を笑わせるために被災地までいって、興行なんかするような行為は非常識なんですよ。

震災時には芸能人も被災地支援に向かいますが、黙々と炊き出しを手伝ったりするわけです。
インフラ回復前に、お笑いライブやサイン会をしたら、それこそ「売名行為」の疑惑をかけられますからね。

2013年の『あまちゃん』では、被災地で復興芸能系イベントを行います。
それだって、悩みに悩みながら、やっていいのか、そこまで回復したのかと、手探りでやっていたわけじゃないですか。
長い時間をかけて、フィナーレに持ってきたわけです。

それを一週間で、駆け足でやってしまう本作のインスタント感……。

まだ10年も経っていない、未だに家を失った被災者もいる、東日本大震災。
それから熊本地震だってありましたし、さらに過去を振り返れば阪神淡路大震災、新潟地震など。

一連の出来事を綺麗さっぱり忘れたかのような、無神経なセリフにドラマ作り。
結局、作り手の方にとって、これまでの震災の数々は『他人事なんだろうなぁ』ということだけは痛いほど伝わってきました。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

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吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

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