昨晩は『永遠のニシパ』が放映されました。
北海道におけるアイヌの迫害と差別、松前藩の搾取、新政府の無策が描かれ、アイヌの言語や舞踊も描写。
ヒグマの襲撃もあり、北海道の歴史を描いた力作です。
プロット上でいささか粗い部分もあったとはいえ、力作かと思います。
ここから新たな流れが始まることを祈念しております。
では本編へ!
ヒゲを伸ばした男がいる
風車に、泰樹のスタイルと似た男が登場!
夕見子が説明するには、あの大学合格祝の写真を見て以来、泰樹を真似てヒゲをのばしているのだとか。
日本におけるヒゲの歴史も、いろいろありまして。
東洋では、男ならばヒゲは伸ばしてこそ。
中国大陸と朝鮮半島には宦官制度もありました。男がヒゲなしなんて宦官めいていてダサいというアピールもあったのです。
ヒゲがないだけで宦官と間違われて殺害されたという、シャレにならない事態もあるほどでして。
無精髭ではなく、きちんとお手入れしてこそで、理想は関羽です。
若い頃はヒゲなしでもよくたって、30くらいになったらやっぱり伸ばさないとね♪
日本でも、戦国時代までは、ヒゲがあってこそ男子でした。豊臣秀吉がつけヒゲをしたと伝わりますね。
それが江戸時代に太平の世となりますと、とんがった反抗心の表れアピールとされて、ヒゲNG時代になります。
伸ばす人もいましたが、とんがったロックな人扱いですね。
しかし、明治時代になると、西洋ではヒゲがあってこそクールな時代です。
日本人も伸ばしました。
体質的に、アジア系はそこまで立派にならない人が多いものですが、そこは頑張りました。
それが時代がくだるにつれ、再び、ヒゲはどうなのよとなります。
第二次世界大戦以降はそれが定番でした。
つまり、泰樹はとんがったじいちゃんってことで、高山はそれを真似たんですね。
そういえば、とんがっていない剛男や照男は伸ばしておりません。
高山はこう主張します。
泰樹じいちゃんは、今ならジャズを聴きながら、ウイスキーをロックで飲んでいるだろうと。
なつは、
「お茶をすすりながら饅頭を食べていますけど……」
と突っ込むのでした。
話に入り込めない雪次郎は、もどかしいものがあります。
ここで咲太郎が、声優の仕事に電話があったかと夕見子に尋ねますが。
「全くござらん!」
こうですよ。空気読もうよ。
「あら、残念だけどなかったみたい〜」
「大丈夫、きっと明日はあるから」
ぐらい言えんのかーい!
って、言えませんよね。
夕見子に何を期待しているんですか。
同志・高山は語る
咲太郎はここで高山に気づき、なつが何者かと説明しようとしますが……。
「お兄ちゃん、なんというかあれ……」
「えっ、駆け落ちの相手か!」
「ばかっ!」
男は、高山昭治と説明されます。
「どこに住んでんの?」
咲太郎に聞かれて、彼はニヤリとします。
「言いませんよ……」
駆け落ち中だもんね〜。
そこは軍師・夕見子が口止めしているでしょうし、そういうことは咲太郎には期待できますまい。咲太郎ぉぉぉぉおお!
おでんの具を聞かれて、お会計は出世払いと言い出すレミ子。
彼女は雪次郎の恋人か? と話題になり、いやいや咲太郎じゃないの? となるのですが……流石に咲太郎は断念したそうです。
じゃあ二人の関係は何ぞや? という話のところで、夕見子がまたカットインしてきます。
「フッ……雪次郎とレミ子殿は同志でござろう」
おい、なんだこの朝ドラ?
ナゼこの時間に同志を連呼している?
ここで亜矢美が気を利かせてジャズレコードをかけようとすると、同志高山はこう言いよるんですわ。
「コルトレーンかガーランドでないと」
※ジョン・コルトレーン
※レッド・ガーランド
「新宿は今、モダンジャズじゃない方が古い……」
こ、こ、このドヤ顔!
その態度に、思わずなつがムカッとします。
「大事なものを古いって!」
「君はそれでも映画を作っているの?」
高山は何ら臆することなく、なつにサラリと言い返します。
時代によって何でも変わる。古いものにこだわりすぎては駄目というわけでもないけれど、人それぞれ変わらなくてはならない。
古いと言われた亜矢美は、笑いながらショックをごまかそうとはしています。
これも性格の差です。
なつは強気で頑固で、割と怒りっぽい。ムッときたら即座に反発します。
「やっぱりいつものジャズ喫茶に行く」
そう去って行く高山に、亜矢美は傘をすすめます。
高山のいなくなった風車では、皆動揺を隠せません。
なつは、ああいう言い方はないとムッと来ていますが、それだけかな? 何かあるのかも。やっぱり夕見子の同志だけあって、心を引っ掻き回すのでしょう。
雪次郎は納得いかずにブツブツいっておりまして、レミ子からそれも訛っていると突っ込まれています。
北海道方言が今朝もよい感じです。
高山も訛っているのですが、本人は無自覚ということが伝わってきます。
訛っていてちょっと素朴でユーモラスと気づかないまま、真剣に哲学を語っているのです。これぞ道産子だべな。
夕見子はここで彼について語ります。実家がお金持ちで、許婚もいる身だそうです。
「逃げたんだねえ」
「しがらみの外に踏み出したんです!」
そう熱く主張する夕見子。
これを全部雪次郎が聞いているという、この状態。
どうなってしまうのか。今週も濃厚だ!
坂場vs仲の波紋
さて、なつの職場では――下山が今日から原画だと張り切っております。
仕事がないし原画を手伝うと、いそいそしている下山を、周囲を不思議がります。
「どうかしたの?」
「子供が純粋に楽しめるように、アクション満載にしないと!」
下山は嘘が下手、いい人なんです。
周囲の目に耐えかねて、坂場がやらかしたことを白状します。
大人も楽しめる漫画映画:坂場
vs
子供のために作る漫画映画:仲
坂場の主張はこうです。
子供向けの映画を成長からして見直したらば、感性が違っているはず。
そうなったとき、見直して改めて面白いとなるのか。それができてこそ、漫画映画の使命であると。
子供のおもちゃとしての夢ならば、それでいい。
子供時代はわからなかったことが、大人になるとわかるようになる。そうではない子供のためだけのものならば、廃れてしまうのだと。
他の映画に引けを取らない、映画にする。
そういう表現にしなければ、生き残らない。
これに対し、井戸原は返します。
「わかった。そこに意味があってもいい。純粋に誰でも楽しめるようにしろ。それができなければ失格だ」
坂場失格にしないためにも、チームは一丸になるしかありません。
結果的に、坂場は自分の哲学を追い求めるあまり、ハードルをあげてしまったのです。
つまり、坂場を救うためにも頑張れと。
これを知り、堀内はやる気を失いかけています。
勝手にハードルをあげた坂場のために頑張れって言われてもね。そりゃそうだよ。
うーん、この坂場の描写よ。
こういう奴は才能があるけど、とてつもなくめんどくさいと描く本作の誠意よ!
下山はフォローに入ります。
なつとマコをアニメーターとして成功させるためでもあるのだと。
みんなで協力しあってこそなのです。
そこへ、神地が登場。ちょっと遅刻気味だそうです。
それも夢中になって原画を描いていたからで……。
「おもしろいかどうか、見てください!」
これぞまさしく、神のようなタイミングだってさ。
問題があっても、役立つんですね。
坂場にせよ、神地にせよ。なつにもそういうところがあります。
年功序列とか、空気を読むとか。なかなかできないタイプではあります。
ただし、そういう人にもできることはある。そう描いています。
※続きは次ページへ
この後に及んで、板場は「恋愛面では影武者」と言いきる根拠がわかりません。板場君を過小評価しすぎじゃないかなあ…
ほんとにそうだったらお見事ですが、前にもありましたがこの感想自体、所々セリフの発信者違い(出世払いでいいといったのは亜矢美の方)などもあって全幅の信頼をおきづらくもなってるので、あえて批判的に読んでおきます。
明日以降の展開が楽しみです。