わろてんか64話あらすじ感想(12/14)ハリセンの登場早すぎて

大正時代の大阪・天満。
てんと藤吉夫妻は寄席「風鳥亭」を経営しており、売れっ子落語家・月の井団吾を巡るなどして喧嘩をしていましたが、無事に仲直りします。

一方で、風鳥亭のお茶子であったお夕と、その夫で落語家の月の井団真は喧嘩別れしたまま。
てんは何とかして二人の仲を取り持ちたいと考えますが……。

 

本来は日本の伝統芸能だった「万歳」が突然出てきた

芸人四人組は、岩さんの筋トレにつきあい、腕立て伏せを始めます。
それって芸人のトレーニングとしてはどうなのかと突っ込みたい気持ちもありますが、とりあえずやる気はあると。

四人組は「芸人四銃士」と名乗るようです。
キースはアレクサンドル・デュマも読んでいるようですね。

てんが戻った風鳥亭は、やっと業務が正常化。
落語家さんに挨拶しておりましたが、ここはもうちょっと日頃てんが役立っている描写があればよかったかなぁとも思います。

キースとアサリはコンビを組んだようですが、何もネタが無いと悩んでいます。
「音曲万歳くらいかなあ」
そうぼやくアサリ。

せっかくお笑いの歴史を辿るドラマなのですから、ここではナレーションでも字幕でも「万歳」の説明が欲しかった。

 

「万歳」というのは、本来、日本の伝統的芸能で、祝い事の際に行われるものでした。
二人組でのおもしろおかしいやりとりや、おかしみのある踊りをするものです。

ここでその説明をしないと突然すぎますし、サラリと何にも引っかからないでコンビ結成するのもちょっと不自然なのです。

今でこそ、お笑い芸人はコンビが主流になっているわけですが、元々は吉本の発明とも言えます。
当時は芸人は一人で舞台にあがって客と向き合うもので、二人での芸は格が落ちるものとみなされました。プライドの高い芸人は、コンビを組みたがりませんでしたし、客も「あんなん邪道や」と思うことがありました。

そういう引っかかる部分について、誰も指摘してないのです。

 

「お夕はわしのもんや!」

てんは団真におむすびを持ち込み、お夕のことを尋ねます。
団真は「せいせいしたわ~」と心にもないことを言うばかり。

さらにてんは、団吾の別宅にも出向きます。
団吾は一カ所に落ち着けないほど借金取りから逃げ回っていたはずですが、その設定は変わったのか。それとも寺ギンが借金を帳消しにしたとか?
あるいは、お夕とできるだけ一緒にいたいのかな。

生け花をする団吾。それをてんが褒めると、突如、花を引き抜き、投げ散らかします。

「花はまず憎むところから始めるんや」
笑いも同じだ、犠牲が必要、それが生きる道や、と語るのです。

芸を演じることで魂すら削られるような、鬼気迫る凄味と申しましょうか。
酒の席でおちゃらけているときとは違う、そんな姿を演じる波岡一喜さんは流石の貫禄です。
ここで目ン玉をまん丸くするてんが映らなければ、もっとよかったかも……(´・ω・`)

お夕をどうするのか、お夕は団真に未練があるのではないか、お夕を団真に返してあげて。
と、てんは必死ですが……団真、団吾、お夕の因縁を知っていて、それ、本人の前で言いますか!

ストーカーの一件に続き、ほんま団吾の優しさは天井知らずやで。
こんなん、たたき出されて出入り禁止、風鳥亭には絶対上がらないと啖呵切られてもおかしくない気がします。

団吾は己に言い聞かせるように、「芸人は普通の幸せはつかめん!」と言います。
今更遅い、落語から逃げて、たった一人の女すら幸せに出来んかったと、団真を最低の男だと罵る団吾。

それでもしつこく、お夕は団真に未練があるのではないかとネチネチ言うてん。

と、そこで団吾が強く言い切ります。
「お夕はわしのもんや!」

お夕も心底迷惑そうな顔をして、てんを見ています。

よかったですよ、お夕も親切で。これで気の強い人だったら「アンタに関係ないわ!」と蹴り出されて、塩撒かれるんではないでしょうか。

しかし、なぜだか、お夕に裏切られたような顔をするてん。
BGMが鳴り響きます。

 

なぜ藤吉が団吾の別宅に出向いて交渉しない?

長屋では藤吉が家族円満三箇条を張り出します。

てんは反省を口にします。
「すんまへんでした、団吾師匠の落語への思い入れを知りませんでした」
って、そういう話なんでしょうか。

1. 芸人四銃士に冷淡だった
2. 団吾のギャラを払うと経営破綻のおそれがある
3. 団吾のせいで寺ギンとの関係が悪化し、芸人を回してもらえない
4. 無責任にも風鳥亭を留守にする
5. 団吾の接待をするせいで、家を空ける

あの夫婦喧嘩の中にはこれぐらいの条件がありましたよね。
一応、今回解決したのは、1だけのような気がしてなりません。

藤吉もハッキリ言っておかしい。
先週の土曜日に藤吉が激怒したのは、てんが無断で団真を高座にあげてしまったことで、団吾との関係悪化を懸念していたかのように見えました。

それなのに現在のてんは、「団吾が風鳥亭だけには絶対に関わりたくない」と思わせるような言動を繰り返しています。
普通は、大事な取引先にあんな言動できませんよね。

おそらくや、てんは藤吉に対して団吾たちとの会話の中身を説明していないでしょう。

何度もしつこく、隠れ住む別宅をアポなし訪問するのは無礼極まりない話のはず。
仲良くなっていたならまだしも、飲みの席で、酒もいけず、踊りもいけずで、単に「使えんやっちゃな」と思われただけでした。
なのになぜ、勝手なアポを放置しておくのか。

別宅の位置をつきとめたら、まさに藤吉が交渉に行くのが筋でしょう。

不可解なことに、藤吉はあれほど入れあげた団吾の話に対して、知り合いのコイバナでも聞くような態度であり、一体何が起こったのかわかりません。

てんはそれでもお夕と団真は、未練タラタラだからくっつくべき、と崇徳院の歌を持ち出し持論を述べます。

そのころ団真は、落語の稽古をして「崇徳院」のサゲまで演じきります(動画のオチは9分前後)。

 

「どうやった、お夕」

そう振り返るものの、誰もいないがらんとした部屋。
そこには「あんたの落語が一番や!」と褒めて微笑んでくれた、一番大事な、一番聞かせたい女の姿はなく……嗚呼、これは見ていて辛い、馬鹿な男の純情でございます(今日も月の井一門がドラマを支えております)。

 

柔らかく、愛情たっぷりの上方夫妻がいいなぁ

キースはアサリを叩く道具を探し、ハリセンを思いつきます。

いろいろと現代の視聴者の心を踏み抜かないようにしているようで、容姿いじりやハリセンチョップという賛否両論のネタを持ち出す本作。

そしてこのハリセンは、本当にやってはならない一線を越えたと思います。理由は後述。

万丈目は、新たな芸を見いだす仲間を見て、寂しそうです。
後ろ面しかできないと自嘲気味です。
ここで妻の歌子は、こう言います。

「あんたは後ろ面だけ、アホのひとつ覚えやな。……ほんでも、あんたはアホなほうがおもろい思うで」

いいなあ~。このきついようで柔らかく、愛情たっぷりの上方の夫妻。
主人公でも、こういう姿が見たいんじゃ!

そして、団真は失踪してしまいました。

 

今回のマトメ1「二兎を追う者は一兎をも得ず」

月の井一門の三角関係はうまいし、三人とも演技達者で芸に生きる業や哀愁が出ていて、ドラマとしても面白くなったような気が……します。

問題はてんと藤吉のわけわからん言動なのです。

あの状態で、大物芸人のプライベート恋愛模様にズカズカと厚かましく踏み込み、本人の前で
「あんたの好きな女は、別の男に未練たっぷりなんだから、返してやれ」
というのはもうホラーなのかと言いたくなるほど、意味がわかりません。

藤吉も芸人の別宅に日参する異常な妻を、なぜ放置するのか。
てんと藤吉の言動というのは、ドラマの都合で考えられているのでしょう。

「今週は別れてまた仲直りするパターンだから、月曜日に仲直りの伏線行動、火曜日に喧嘩。水曜日は和解。木曜日以降は別のカップルの話にするから、何をしても喧嘩しちゃ駄目!」
そういう都合だけで動いているように見えます。
だからなのか、どうしようもなく不自然です。

てんはちゃん、ともかく、お夕と団真の気持ちも確認すべきですよね。
団真はともかく、お夕は心の何処かで団吾を頼るしかない、あるいは好意がないわけじゃなく、実際に好きだったらどうするんでしょう。

ドラマの都合でそうならないのは必定ですが、それはある意味、神視点です。
劇中のてんが知ってはならない心情です。勝手に決めつけんな、と。

(団吾に対し)「ホンマはこの女、あんたより別の男が好きなんやで」
(お夕に対し)「あんたは強がっているけど、傍から見ても、元の彼氏の方がお似合いやで!」
(団真に対し)「素直になれや。あの女に未練タラタラやろ?」
友達でもない女が家までしょっちゅうやって来てそんなこと言い出したら、風通はホラーじゃないでしょうか(´・ω・`)

「われても末に」をテーマとして、二組のカップルの和解までするのには、時間が足りないのです。
ここは、最初からてんと藤吉はケンカさせずに一歩引いておいて、しっとりとキューピッドに徹すればよかった。

三日で一組、残り三日でもう一組和解させるという無茶ぶりのせいで、もうメッタメタ。
二兎を追う者は一兎をも得ず、です。

 

今回のマトメ2「ハリセンの登場は主人公の死後(戦後)」

それよりも深刻な失態は、キースの手にしたハリセンでしょう。
ハリセン漫才が世に出てくるのは、吉本せいの死後、戦後です。オーパーツか!
※一応、上方に「張り扇」はあるけど、ハリセンとは別物です

ここはちゃんと「万歳」経由で「しゃべくり漫才」にして、和装から洋装にする過程を、時代背景ごと描くべき場面だったと思います。
しかしこの脚本では、
「なんかそういうのめんどくさいから、時代ずれるけど一気にハリセンどつき漫才にしちゃえ」
としちゃった風に感じられてなりません。

哀しいことに、それをやるとキースの舶来趣味も活かせなくなるんですよ。
舶来趣味のキースだからこそ、西洋かぶれの格好で万歳をやってみるという流れならば、まだギリギリありだったと思います。

せっかく今まで舶来かぶれという特徴を見せてきたのに、それを無視し、フェンシングでもなくてハリセンに飛躍する……切実にアカンやつですわ。

大河ドラマで例えるならば、
「桶狭間の奇襲って難しくてよくわからないから、鉄砲隊の一斉射撃で倒しちゃえ♥」
と改変したようなモンかもしれません。

当初から、史実や考証が邪魔でヤル気がないのかな……と懸念しておりました。そりゃあドラマですから多少の改変があったって問題ないと思います。

しかし、上方芸能史の時空を大幅に捻じ曲げるなんて聞いてへん!

本作、歴史ドラマを看板にしているNHKブランドを傷つけてるのではないか、と(´・ω・`)

※ハリセンについては『なんばグランド花月ブログ』にチャンバラトリオさん(1963-2015)の興味深い記述がございました。

このハリセンを最初に作ったのは、昨年惜しくもお亡くなりになった、チャンバラトリオの南方英二師匠です。生前、南方英二師匠は口癖のように「ハリセンの特許取っときゃよかったわ~(笑)」と話されていたそうです。現在は、南方英二師匠の弟子であった、吉本新喜劇座員・青野敏行さんが、スタッフや芸人さんの要望にこたえ、1つ1つ丁寧にハリセンを作られています。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

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【参考】
NHK公式サイト

 

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