歴史的な大災害、関東大震災の起きた大正12年(1923年)。
大阪のお笑い興行元「北村笑店」の北村夫妻は、友人である伊能栞と、その生き別れの母である志乃を再会させようとするのですが……。
もくじ
キース、そこは漫才で表現して欲しかった
北村夫妻開催の志乃お別れ会に、栞は姿を見せません。
てんは浮かない顔ですが、あれだけ全力拒否した栞です。来ないと考える方が自然ではないでしょうか。
ここで万丈目夫妻がボケツッコミをするんですけど……本作の救いである歌子さんの名演ですら、寒いトークをさせられてはやっぱり辛い。要するに旦那の顔いじりです。
キースもアサリを「ブサイク!」と罵っていましたが、容姿ネタは難しいですよね。
フットボールアワーの「ハゲとるやないか!」も普段の岩尾さん・後藤さんの面白さがあって成立していると思われます。
あるいはトレンディエンジェル並の突き抜けた力量によってこそ、十分に笑えるのでしょう。
さすがの万丈目夫妻でも、いきなりはキツイと思います。
そうこうしているうちに、シレッと栞がやって来ました。
臍の緒の箱を返しに来たそうです。
ここでキースが漫才を見てやと言い出すのですが、座り込んで身の上話を始めます。
実母がいない身の上であること。
母の顔を知らんこと。
志乃が生き別れの息子について自慢していたこと。
これも、脚本家の腕がよければ、母子ネタの漫才にしてキースに演じさせた気がします。
そのネタを考える時間もちゃんと使っていたと思います。
なんせ昨日の放送では、藤吉が思わせぶりな顔で「キースの漫才で和解させる」的なことを言っておりましたので。もしかしたらそうなるのかな?とちょっぴり期待しておりました。
というか、ですね。
キースとアサリでその漫才を披露しないんでしたら、慌ててコンビを復活させる必要性も薄まってしまうんですよね。
なんだかなぁ。
やっぱり名前ネタで仲直りかーーーーい!
ここでてんが、ワンパターンの台詞を言い出します。
「私も母親。あの桐箱がいかに大事か、気持ちはわかります」
って、赤い着物の七五三帰りみたいな、ほとんど母親に見えないヒロインに言われても困っちゃうなぁ(´・ω・`)
だって、隼也と歳の離れた姉弟にしか見えないんですもん。
本作は、赤がテーマカラーなのでしょう。
風鳥亭の羽織やのれんも赤。公式サイトも赤。
だからといって、ずーっとヒロインに赤系の色を着せ続ける必要があるのですかね。の
2015年『あさが来た』も、ヒロインが赤い着物を着ていましたけれども、既婚者になってしばらくしたら辞めていました。
あのへんの着物ストックはないんでしょうか。
ここで、隼也が志乃に話しかけます。
えっ?と思いつつ身構える私。
以下は3日前に掲載したレビューの一部なのですが、
さて志乃は、医者に絶対安静と言われたにも関わらず、寄席を手伝うと言い出します。
頭部を打ったのに、そんな働かんでもいいじゃないですか。ここで隼也が現れ、名前の由来を元気よくしゃべり出します。
これは土曜日あたり、栞と和解するときのネタに使う伏線でしょう。
「栞の名前の由来ネタ」をもとに母息子の仲直りをさせるんじゃないか?と予想していたら……もう、そのまんまの展開じゃないですか><;
いや、当たったことが嬉しいのではなく、あまりにベタというか、考えなしというか。
単純にちょっと驚きました。
栞の名前は、「人をみちびく道しるべになれるように」という意味だそうです。
それ自体は全然いいのです。
ただ、いい歳こいた大人同士の仲直りに名前の由来エピソードって、あまりに安易過ぎませんか? 小学校の宿題じゃないんだから。
伊能栞のモデル小林一三はもっとスケール大きいのでして
栞は母と活動写真を見に行った思い出を語り出します。
そこで笑っていた母親を思い出し、人の心を豊かにする活動写真を作りたいと思った、とのこと。
残念ながら、やっぱり、そういう展開へ持っていっちゃうんですな……。
時代的に、そのころ活動写真なんてそうそうやってないハズです。
初期の活動写真というのは音声も入りませんし、どちらかというと、ものめずらしい技術を見せるもの。
上映時間も短く、ストーリー性があるものはさほどありませんでした。
滑稽な動きを見て笑ったということかもしれませんが、常識的に考えて、それは「人の心を豊かにする」ものではないでしょう。
いったい栞はどんな活動写真を作りたいのでしょうか?
実は、ジャンルすらよくわかっていないフシがあります。
というのも、以前、栞は藤吉たちに
「笑いは人を前向きにする力を与える」
なんて語っておりました(わろてんか67話あらすじ感想(12/18))。
今回も「笑いは人の心を豊かにする」、とも語っています。
ところが、いざ撮影シーンや、リリコとの話を聞いている限り映画はシリアスなラブロマンスのようです。「抱き寄せるシーンは恋愛に必要」だとリリコに演技指導してましたしね。長屋の玄関で。
人を笑わせるコメディがやりたいのか?
心を豊かにするロマンスがやりたいのか?
もしかして……フォーリンラブのバービーとはじめちゃんみたいに、ラブロマンスで笑いまで取るパターン?
なワケないわな(´・ω・`)
こうなるのも、脚本家が藤吉の設定をリサイクルして、栞に使っているからじゃないですかね。
史実での小林一三を思い出すと虚しさ倍増なのでやりたくないんですが、彼はもっと大きな視点で作っていました。
西洋にも負けない、そして日本人にとって未体験の、華麗なエンターテイメントを目指していたんです。
母親が笑っていたとかそういうチャチなことを言っていたわけではなく。
急に新聞でホメられる栞 本当に何があったのでしょう?
そしてここで、やっとキースとアサリの漫才。
「四回叩いて四つ橋! 八回叩いて八つ橋や!」
…………………ううっ………………ううっ……………………orz
人の頭をやたらバシバシ叩いて、つまんないギャグを言って、虚しい笑いを浮かべる。
これのドコが、人の心を豊かにするんでしょう。
確かに放映時間の制限で、きちっとネタ振りもできなければ、オチもクソもないでしょう。
その辺は大いに同情してしまいます。そもそもが無理ゲーなワケです。
しかし、その一方で、こうも考えてしまう。
仮に高田純次さんとかアンタッチャブルのザキヤマさんなら、一瞬の時間でも力技でなんとかしてしまうんだろうなぁ、と。
彼らが天才的な芸人なのは百も承知で、だからこそキースやアサリのように重要な芸人ポジションは、本職の方、あるいはそれに準ずる演技のできる役者さんが良かったのではないでしょうか。
たしかドラマが始まるときに
「一日一回は笑わせる」
なんて豪語してましたが、準備段階でナメてましたよね……。
レギュラーメンバーで面白いのは万丈目夫妻ぐらいで(落語の名演は対象外)。
このあと、使い捨てゲストの志乃は東京に戻ることになります。
そして栞は、なんだか急に掌返しをした新聞によって、ホメられます。
マジで意味がわかりません。
あれだけバッシングされていたのにどこで潮目が変わったんでしょうか。
「マスコミなんていい加減で移り気であてにならない」
とでも言いたいんでしょうが、唐突過ぎ。もう完全に破綻してますよ。
視聴者は行間を読めないから全部説明してくれている、と?
別れ際、栞が志乃を見送りにやってきます。
「いいんだよ、わざわざ来なくたって。忙しいんだろうからさ」
いやいや、栞は全然忙しくないです。
社長室で暗い顔してキザなことを言ったり、女優が住む長屋をうろついたり、風鳥亭でダラダラしているだけの男ですから。
時間と金はたっぷりありますよって。
栞は小切手を渡します。
断ろうとする志乃に、借りるのだと思え、二十年で返済しろと栞は言います。
ここでキースがのこのこと、
「それまで長生きしろ、いうことや」
と解説します。
いやぁ、もうね、んぐぅうううううううう。
その解説、必要?
こういう稚拙過ぎる流れも、本作の欠点だと思います。
基本的に制作サイドが『視聴者は行間を読む力ないんだよね、だから全部わからせてやらんとなぁ』と考えているようで、いかにも説明臭い陳腐なセリフが出て来てしまってる。
もちろん本人たちに悪意はないのかもしれませんが。
志乃が去って入れ替わるようにして風太が戻ります。
ここで皆が出迎える中、わざとらしいほど大きな音を立てて、トキが箒を落とします。
おいおい。
おいおい。
おいおいおーい! もうしつこいほどの陳腐STYLE2018は勘弁してけろ。
わざとらしい涙目ハグも、見ていて白けるばかりです。
お夕のしっとり感が懐かしいなぁ。
お夕ロスやで……。彼女を描くシーンが幸の薄い女性で、それでいて見た目もしっとりしていて、儚い雰囲気に思わず見入ってしまいましたが、それ以外の場面はほとんど崩壊。
このあと、東京から来た芸人の高座が映ります。
なんでも復興支援名目で大盛況で、大阪と東京の間に絆ができたそうです。
スゴイ。
何がスゴイって、復興支援名目の高座の正味が1分。
震災を扱う週、90分間、1.5時間のうち、まともな被災地支援シーンがたったの1分。
なんじゃこりゃ~!
今回のマトメ「1月3日生まれてで一三だっせ」
前作『ひよっこ』は、ご存知のとおり全国規模で人気作となりましたが、同時に「ヒロインが成長しない」と叩かれたこともありました。
本作は、そんなレベルじゃありません。
登場人物全員が成長しない、ある意味スゴイ作品だと思います。
成長して壁を乗り越えるのではなく、時限式。土曜日になれば自動的に次のステージに進みます。
まるで放置ゲー(時間が経つと勝手にレベルがあがったり、キャラクターが勝手に旅をしたりするゲーム)のようです。
今週は、それまでは一応名目としてあった、それっぽく主人公を成長させるクエストすら放り出しました。
関東大震災は、吉本興業の関東進出に関わりのある大事件です。
そんなものは横に置いて、脇役の母子再会をやるという強引にもほどがある流れ。
これがもし、キースだったらまだマシです。
キースは北村笑店所属の芸人で、準身内といってもよい人物です。
ところが、栞でやったわけです。
栞は、本来さして吉本せいと接点のない小林一三をモデルとした人物です。
本来、こんなふうに暇そうにダラダラと風鳥亭に関わる人物ではないのです。いろいろと破綻の多い本作の人物の中でも、最も設定がぶち壊れています。
何故そんな栞でやるかというと、ご都合主義ですよね。
悲劇的な顔をさせると絶品である役者さんに、シリアスな顔をさせたい。それだけ。完全に制作側のあざとい都合。
そんな雑な客寄せパンダ状態がおもしろいわけもない。
あと、今回出てきた名付け問題ですが……。
明治大正昭和初期は、今ほど思い入れをこめた命名をする人は多くありませんでした。
栞のモデルである小林一三は、一月三日生まれだから「一三」。
そういや今日は13日ですね。あっ、それだと十三(じゅうそう)か。
子だくさんであった実業家の木村荘平場合、もっとスゴイ。
荘太、別五、荘七、荘八、荘十、荘十二……というふうに、荘に生まれ順をつけただけの名付けでした。ここまで極端でなくても、太郎や次郎のような、生まれ順でつけることが一般的。たまに凝った名前をつける人もいるにはいましたけどね(森鴎外とか)。
日本史や日本文学史の授業を思い出せば、凝った命名をしていなかった親が多かったことは、わかるかと思います。
本作の場合は、出てくるどの親も凝ってつけてますよね。
どの親も子供の名前にこだわるはず、って思いなんでしょうけど、そういうもんじゃない。
本作は平成の感覚を、持ち込みすぎではありませんか。
※ちなみに以前『水曜日のダウンタウン』で、名前に関するこんな企画をやっておりました。
『「一」から数えて「二、三、四……」と進み「百」まで100人揃うか?』
というもので、電話帳等で名前を探すのですが、これが見事に全部おりまして。
「七十八」とか「三十二」とか「九十三」など、とてもおるわけないやろ!と思う方まで揃っていました。
その大半はご高齢の方です。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
私は土曜だけなんとなく観てる人間です
専業主婦の妻は絶賛してます
あれ?つまんなくない?薄くない?と感じても黙ってます
『ちりとてちん』とか『ごちそうさん』とか作れるのにね。
結局脚本家次第ですから。役者さんたちが可哀相です
でもまぁ主婦は絶賛したりしてますので
私も、今までは「いやー、ここまでヘボい脚本ってあるんだなぁ凄いなぁ」と呆れ感心wしていただけですが、今週は憤りを強く覚えました。彼女にとって大正関東大震災はドラマを盛り上げるための背景イベントに過ぎないらしい。武者氏の指摘どおり、TVの前にいる阪神・東日本・熊本大分などの震災被災者の方々の心情を思えば、この無神経さは許せないです。こんなトンデモ脚本家が放送作家の卵の人達を指導する講師を勤めていると聞いた時は、ジョークは顔だけにしてくれと思わず叫びました。人間性を疑われるこういう人物に日本の朝のスタートの大切な時間を託したNHKの上層部の判断も厳しく問われると思います。1娯楽ドラマに対してこんな批評をしなければならないのは辛い限りですが。
鴎外自身ではなく、その子供たちの名前についてかと。
鴎外はペンネームで、本名は林太郎です。
http://moriogai-kinenkan.jp/modules/contents/index.php?content_id=11