亜矢美のもとで、咲太郎と暮らすことになったなつ。
空いている部屋とは、亜矢美の衣装部屋の三畳でした。
咲太郎は、自室をなつに譲り、そこで暮らすと言い出します。
自分は寝るだけだから。って、確かに夜の男ですもんね。
家賃はタダというわけにもいかないので
「なつと一緒に暮らせるなら、こんなにうれしいことはないよ」
そう笑顔で語ります。
悪行の数々は言い過ぎにせよ、トラブルメーカーぶりを発揮してきた咲太郎。
それも帳消しにする、愛嬌溢れる笑顔です。
しかし、こいつは要注意ですよ!
ここで部屋代の話になると、タダという方向に持っていきかけますからね。
亜矢美はタダと言いたいところだけど、とやんわり否定します。
なつも兄とは違います。それはそうでしょう。
亜矢美は、まず給料から確認します。
月給は5000円です。
当時の高卒国家公務員の初任給が、5900円程度です。
それと比較すると確かに安い。咲太郎は天下の大会社でもそんなものかと不満そうです。
高卒臨時採用だからそんなものと、なつは割り切った態度です。
そこで考えた亜矢美は、食べ放題着放題で1500円と切り出すのでした。
妥当な金額ですね。
前作****みたいに、当時の相場を無視したムチャクチャな物価ではない。大森氏がそんなことするわけありません。
自分を持って、自分を支えて
なつは、川村屋へ報告に向かいます。
お世話になったとマダムに頭を下げ、兄も伺いたいところだけれども辞退したと説明。
マダムも来なくていいと笑顔です。
なつは兄が迷惑をかけたとマダムに言うわけですが……。
亜矢美戦術なのか、言外にマダムが咲太郎の惚れていたことをにおわせるのでした。
「兄が迷惑をおかけして。今は何もなくてよかったです」
「昔から何もないわよ!」
ちょっと動揺するマダムですが、ここでグッとくるアドバイスをします。
「人のために無理しちゃダメよ。女が働く、それだけで大変。自分を持って、自分を支えてゆくのよ」
働く女性の胸にグッとくる、名台詞ではないでしょうか。
マダムだからこそ、実感がこもっています。
自分を持って自分を支えるだけでも大変なことのはず。
それなのに、現実社会と、それを反映する朝ドラ、そしてその視聴者は、あまりに無理を背負わせてこなかったか――。
そんな反省すら感じさせます。
半年間お世話になりました
これからも新宿さえいれば会えると、マダムはなつに告げます。
だから寂しくない。
と、同意を求められた野上は、クールにこう言います。
「お客ならどなたでも歓迎します。他のお客様の迷惑にならなければ」
「いつでもいらっしゃい。がんばってね、おめでとう、なっちゃん」
ここでマダムが、初めてなつを愛称で呼ぶのでした。
握手をする二人。
「ありがとうございました!」
ここで、マダムは野上を見て微笑みます。
「泣いてる?」
「泣いてない!」
ついに涙ぐんでしまった野上。
本当は優しい、けれど不器用。
泰樹といい、こういうじいちゃんの愛嬌を描くところもうまい。
それが本作の優しさです。
厨房でも挨拶をするなつ。
「なっちゃんはよく働いた。どこ行っても、その調子で頑張れ!」
そう杉本も励まします。
そして、ルームメイトの佐知子にもお別れです。
彼女も寂しそうですが、目線はどうしても咲太郎へ行ってしまいます。罪深い男め!
「いつでも会える」
そう調子よく言う咲太郎。本当にこいつは~。
そんな兄の手伝いを受けて、なつは引っ越すことになるのでした。
ここで、雪次郎がガチャっとドアを開けて登場。手伝おうかと言い出します。
そんなに荷物がないとなつは断ります。
咲太郎は、今夜はなつの就職祝いだと誘いをかけます。しかも、自分で料理をするんだとか。
「兄ちゃんは何でもできちゃうんだぞ」
そう自慢げな咲太郎ですが、「それなのに何者でもないのが不思議」と雪次郎に突っ込まれるのでした。
器用貧乏なんだな。
お兄ちゃんの天丼を食べさせてやるぜ
引っ越しの途中で、なつは柴田家の写真を見つめています。
心の中では、いつでも彼らがそばにいるのでしょう。
妻子たちが亡父を全く思い出さない。仮に思い出しても悪口ばかり。
結婚相手としては低スペックだったと平気で言ってのける前作****とは違いますね。
咲太郎に、今夜は天ぷらを揚げるのかと尋ねるなつ。
天ぷらではなく、天丼だと咲太郎は誇らしげです。
父の天丼が大好きだった。
どの店で食べても、あの味ではないと納得できず、だったら自分で作る方が早い。そうなったと言います。
うんちくを語りつつ、天ぷらを揚げる咲太郎。
お店で修行したみたいだと周囲が褒めると、江戸っ子ぽいことを口走ります。
「人生は何事も修行よ」
そういえば、昔の咲太郎にとっては、父の料理店再建が夢だったとなつは思い出しています。
咲太郎も認めます。
そしてこう続けるのです。
「母ちゃんに出会って、ムーランルージュ再建になっちまったけどな」
「私のせいにしないでよ!」
あっ……本人にも、女難の自覚はうっすらとあるっぽいですね。
明るい中にも暗い影
そして、あの彼が登場するわけです。
信哉です。花束を抱えて、颯爽と登場します。
『わろてんか』では、そのへんの花屋で適当に買ってきた現代風の花束が出てきて、がっかりしたものですが。
NHK東京は違うようです。よかった〜。
それにしても信哉は王子様かっ!
第一回冒頭でもそういう雰囲気でしたっけ。
孤児ながら大卒。
テレビ局記者。
颯爽と花束を持って登場。これはもう、王子様でしょ。
信哉が来て、咲太郎はこれで昔の家族が揃ったと告げます。
千遥がいない、となつが突っ込むと、咲太郎はこう言い切るのでした。
「千遥のことは言うな」
信哉は預けた移転先がまだわからないのかと言いますが、咲太郎はそっけないものです。
「幸せを壊す」
能天気無責任にすら見えかねない咲太郎。しかし、彼なりの思いはあるのでしょう。
なつの就職妨害の前科もあるし、妹に接触することが怖いのです。
彼なりに、自分が疫病神かもしれないという恐怖と自己嫌悪と戦っているんですね。辛いなぁ。
明るい話題で祝っていても、どこかで不在の誰かを探してしまう。
そんな戦災孤児の悲しみが伝わってきます。
※続きは次ページへ
広瀬すずさん、昔とんねるずのみなさんのおかげでしたで
正に裏方の音声さんの仕事をディスって炎上しましたね。
脚本家の方がご存知ですずさんに「裏方やりたい」と言わせているのなら凄いな、
もうあの頃のスタッフさんの苦労を分からない広瀬するじゃないんだって事を
知らしめる為のセリフかなと妄想しました。
ひろぶ様
私もドラマを楽しんでいて小物の考証などに殊更目くじらを立てるつもりはないのです。
今回はレビュワー様がわろてんかと比べて花束の考証が正しいと書かれていたのが気になりました。
後でわろてんかの画像を検索したら今回のなつぞらと大した違いもなく両者とも現代風だったので、なつぞらを好きな余り他のドラマを貶して何としてでも褒めようとしている感じが目についてしまったのです。
別件ですが48話レビューのコネ入社の下りが「ひよっこ」と書かれたままなのはそのような認識ということなのでしょうか。
ちょっと残念です。
背景や小道具の検証不足が、なかなか熱い議論の的になってるようですね。
真っ赤な炎上と言うより、いつまでもくすぶり続ける青い炎のようですが。
電車に関しても花にしても、どちらにもさして造形を持ち合わせていない自分には論ずる資格はありません。
なつぞらにはまったく関係ありませんが、バイク好きな私は、かつてのドラマや映画などで違和感を感じる事が往々にしてありました。
それは、エンジン音です。
あきらかに2ストローク車で走行しているのに、音は4ストローク。
シフトチェンジの必要がない場面でのギアチェンジ音。
土、砂、あげくのはてには雪道でのスキッド音。
ありえません。
しかし、気になったのはその瞬間だけで、後はストーリーに入り込み、忘れてました。
「なつぞら」は、今のところ前作の反動もありましょうが、とても良い出来のドラマだと思って視聴しています。
数名の方々がご指摘の細かな部分も、さして気にせず視聴しておりました。
一度のご指摘の際には、成る程そうなのかと感心しつつ、自分の知識不足の糧とさせて頂いておりました。
しかし、繰り返し何度も同じ部分を言い続けられますと、さすがにそこまでなのかと感じます。
視聴のしかたや感想の持ち方は人それぞれですから、今私が述べているのもあくまで一意見としてご理解下さい。
一部が気になってしまったが為に、それがいつまでも後を引くのは辛いのでは無いかと思い意見させていだだきました。
私の考えとして、せっかく良いストーリーと認めていながら、「エンジン音」ごときで作品の評価を少しでも落としてしまうのは残念と思った次第です。
わんわんわん様のご投稿を拝見して、あの花束は時代考証的におかしいことはよくわかりました。
この小道具の考証が甘かったことは、確かだと思います。「間違い」と断定できるレベルでしょう。
ただ、この点を以て、「だから東京編全体がやっつけ仕事だ」と結論付けるのは、やはり行き過ぎでは、という感じです。十勝編で小道具に同じような不備がなかったのかどうかも不明ですし。
スタジオ撮影によるシーンについては、「十勝編と変わらず良くできてる」と感じる部分は多いので、全てを「やっつけ仕事だ」と決めつけてしまうのは、もったいない。そう言い切れる材料は乏しいし…と感じてしまうのです。
屋外ロケでの制作分については、十勝編と東京編の差は歴然ですが。
発言した手前、気になって調べてみました。
カスミソウは明治の頃には日本に入ってきていますが、切り花(宿根カスミソウ)として栽培されるようになったのは、乾燥芋さんのおっしゃるとおり昭和50〜60年頃です。なのでこのドラマの時代に花束として登場するのは、やはりおかしいですね。(電車に例えるなら昭和54年に登場した201系電車が、ドラマの時代の新宿駅に止まってるようなものです。)
朝ドラは視聴者が多く、いろんな人が見てるので「これおかしくない?」と気付くポイントも様々だし、「電車くらい大目にみたら?」「花なんてどうでもいいでしょ」という基準もちがいます。だからこそ気を遣って欲しいのです。
十勝編で乗用と農耕用に馬を使い分けたように、電車や花束にもこだわることが出来なかったのかと思った次第です。
つまるところ、屋外ロケについて、
「十勝編は緻密で巧み」
「新宿編は粗雑で下手」
である、というだけで、それ以外の要素には、十勝編も新宿編も有意差があるわけではない。たぶんスタジオ撮影分の制作グループは共通ではないか。
少なくとも、スタジオ撮影分については、『わろてんか』以降の大阪制作ものとは比較にならないくらい優れているし。
件の「花束」のような小道具の不備は、十勝編でも細かく検証すればあったかもしれませんし、「東京編はやっつけ仕事」と決めつけるのは早計。かえって決めつけのようになりかねないのでは。
私は、新宿編そのものについて、あの「本来は明治期のものであるロケ施設」でやらかしてしまった「幽霊電車」と「明治期風の建物」が、ひどい欠点だとは主張していますが、それ以外については、十勝編と比べて質的に劣っているわけではないことも、繰り返し指摘しているつもりです。
外部のロケ施設を借用して撮影された路面電車等の街角のシーンが問題だらけであるだけで、スタジオ内のセットで撮影されたシーンは、新宿の裏町の雰囲気や屋内の造り、登場人物の生活習慣など、十勝編と同じくよくできていると思います。
「東京編全体がやっつけ仕事になってしまっている」とは、現段階では判断できません。
まあ、花束の問題は、検証は必要でしょうが。
大は新宿の町並み、電車から小は花束まで…
東京編の時代考証は雑ですね。
904bis型さんへのNHKの回答も開き直っているかの様ですし。
やはり北海道編でお金と時間と気力を使い果たしてしまって、東京編はやっつけ仕事に走ってしまってるのでしょうか?
映像の世界に飛びこもうとしてるヒロインの物語なのに、これでいいのかなと思います。
小見出しのカツ丼って何ですか?
まさかとは思うけど
千遥と、あの亀山蘭子は、何らかの関係があったりして?
私は、なつは、天陽のお兄さんと結婚するのではないかと予想しています。単にモデルと言われている人が同僚と結婚したからですが、違うかな?やっぱり信さん?
本作裏方さんたちの仕事ぶり。良さがはっきり表れていたのは、十勝編の酪農を巡る様々な描写が筆頭でしょう。
「例外的な一部」は、ろくな考証なくロケ施設で撮影された、あの「明治の幽霊電車」 の登場する諸シーンですね。
咲太郎の話が出ると、ほぼ反射的にムキになるマダム。
口では否定しても、その反応が全てを物語っているような。
名残を惜しむ野上の姿も良かった。厳しいけどいい人だったんだ。
「裏方」の大切さ。それはこの『なつぞら』のあり方それ自体が、極めて明瞭に示しています。例外的な一部要素を除いて、「裏方」がしっかりした作品だと思います。
花束にふんだんにあしらわれていたかすみ草が一般的に使われるようになったのは昭和50年頃からだそうですよ。
ラッピングも現代風です。
わろてんかの花束がどんなものか知りませんが、NHK東京が違うというのは贔屓が過ぎるのではないでしょうか。
て、てんぷらがサクサク!
うまそぅー!
さいちゃん、今後の人生路線変更してくれー!
でも、母ちゃんの為にムーラン再建を果たす男気を通す所も見てみたい。(笑
別れのシーンで川村屋の面々が「なっちゃん」と呼んでいたのは良かった。
純朴かつ勤勉に働いていたのが評価されたんでしょう。
マダムと野上さんの反応が物語ってますね。
「バケモノの子」での声優、「ちはやふる」での演技といい、広瀬すずさん凄いですね。
それもやはり”良い脚本“が成せる技なんでしょうかね。