昭和の幕が開け、大阪でも新しい時代へと突入。
ラジオなども普及して活気づく中、興行元「北村笑店」の社長である北村藤吉が、中風で倒れてしまいます。
妻のてんや芸人仲間たちは、回復を願うのですが……。
もくじ
なぜ父ちゃんを超えたいの?
病室では、隼也が付き添いにつかれて突っ伏して寝ています。
そのわりにはリンドバーグの伝記を持ち込む余裕もあるんだなぁ、と。
個人的な経験で申し訳ありませんが、震災のあと、大事な人が入退院していたような時に読んだ本なんて、ぜんぜん頭に入ってこなかったんですよね。
隼也君のように、意識不明の父親が横にいるのに、うれしそうに夢だ冒険だと語るのは、ものすごく違和感がありあした。
母親のてんにしても、真っ赤な着物で付き添いというのが……。チグハグ感がかなりのレベルです。
「僕も冒険したいんや。父ちゃんを超えたい」
うーーーーん。
本当にそう思っているの? と、これまた違和感でして。
てんと隼也の関係だって、さほど描かれていたワケじゃない。
藤吉と隼也なんて、放送されている限りは、かなりスカスカじゃないですか。
父と子の濃ゆい関係を、視聴者が気を遣って察しなければならないんだとしたら酷な話。
個人的には、端午の節句の兜を買い忘れたとか、そのくらいしか思いつきません(わろてんか54話あらすじ感想(12/2))。
それを大げさに、突然こんな父子の絆を強調してしまう。
まぁ、これが本作のデフォルトなんですよね。
隼也君、もっと自信を持っていいですよ。
この劇中のような甘々設定でいる限り、藤吉さんを超えるのはさほど難しいことではないでしょう。
思いっきりさすらないと切迫感は出てこーへん
そして、ここで余韻も何もなく、藤吉覚醒。よかったですね。
「お母ちゃん、ずっとさすってたんやで」
ここで隼也がそう言いますけど……鈴をチリチリ鳴らしていたり、見舞客が騒いでもたしなめることなくヘラヘラしたり、栞に肩に手を置かれたりしていたのが印象に残ってて辛いなぁ(´・ω・`)
そんなに熱心にさすっていましたっけ?
しかもてん、ここでも腕をそっと撫で始めるのですが、なんだかおかしいんですよね。
もしかして「さする」と「なでる」の区別がついてへん?
どちらも類義語だから、区別が付きにくいとは思いますが。
1. なでる
2. さする
3. こする
こういう順番で強くなります。
「麻痺が残らないように、手足をさすってください」というのはやっぱり何か違うのです。
医者は、麻痺が残らないように揉めと指示を出している。血の巡りをよくするためでしょう。
それなのにてんのように、皮膚の表面を軽く撫でるだけでは、意味がない。
これの何が問題なのかというと、切羽詰まった妻の行動がそうとは見えず、夫婦の親愛が上手に表現できなくなってしまう気がするのです。
つきあい始めの女子高生が、夏祭りの初デートで彼氏の腕を触る程度と言いましょうか。
切迫感が、な~い~!
もっとドッシリしてほしい大番頭さん
てんは病院から風鳥亭にやって来ます。
しかも赤い羽織に、赤い着物て……カズレーザーさんかいな!!
普通のドラマを見ている限り、衣装担当者のことなんて気になりません。
なるとすれば、よほどセンスがよいか、その逆か。
リリコは『ドラクエ』の竜王、てんはカズレーサーさん。毎日誰かの罰ゲーム。一体どうしてこうなった/(^o^)\
そこへ、大阪放送の社長がやって来ます。団吾の落語をラジオ放送したいという用件です。
「アホなことを言うな!」
んん? 商談持ってきた相手にいきなり怒鳴る大番頭さん。
「勘弁してや。落語ちゅうのは、木戸賃払うて聞くもんですやろ。それをラジオからただで流れてくるちゅうことになったら、アホらしうて、誰もわざわざ寄席になんか来いひん。そないなことになたら、おまんまの食い上げですわ」
ぐらいで言っておくのではダメなんでしょうか。
顔だけ笑って、目だけは凄む感じ。突然声を張り上げられると、まるでチワワが吠えているみたいで。
そういや藤吉の姉ちゃん来てないな
てんが藤吉の病室に戻ると、しずとりんがお見舞いにやって来ました。
脇役の方がマシな服装という法則がここでも生きちゃってまして。彼女らは他の朝ドラの使い回しなのでしょうけど、そのほうがマトモまともという。
忘れられていた藤岡屋がプッシュされているのは、もしかして、りん役の堀田真由さんが押される時期とか???
本作の脇役をプッシュする記事をたまに見かけます。
が、特に話題にもならない、好かれていない人物であったりするので、なんとなく大人の事情というやつを感じてしまうんですよね。
それはさておき、アメリカにいる啄子は仕方ないにせよ、藤吉の姉はなぜ見舞いに来ないのでしょう。
藤吉は歩行リハビリを始めますが、倒れ込んでしまいました。
そのころ落語の放送を諦めきれない放送局は、団吾に高いギャラをチラつかせ、直接交渉を始めます。
風太は団吾に、直接釘を刺しに行きます。
興行元に借金があるのを忘れるなよと脅す風太。それでも余裕を見せる団吾に対して、家財道具を刺し押されると凄みます。
『あー、こういうことだったのか……』と合点がいきました。
風太をモデルの人物とは異なる経歴にして、寺ギンの元で働かせたのか疑問だったのですが、北村笑店で悪どい行動をするのは、すべて寺ギン仕込みの風太のせいということにしたかったのでは?
てんが団吾相手に「家財道具、ぜんぶ押さえさせてもらいます」とは言わせられないですもんね。
こうすれば誰でも『わろてんか』高橋一生になれる!NAVERまとめ
そして昨日と同じく、放映時間が13分程度経過すると、シリアスな顔をして栞が登場するパターン。
朝からウンザリです(´・ω・`)
昨日はてん、今日は藤吉と会う栞さん。
これ、戦国時代だったら、絶対に裏切る系の武将じゃないですか。
夫婦両方と友人だったら、夫婦セットで会う方がいろんな誤解がなくて済むと思いますよ。なぜ、そうやって映さないのか?
もうなんだかムズムズして仕方ないので、
「こうすれば誰でも『わろてんか』高橋一生になれる!NAVERまとめ」
を作ってみました(それぞれのシーンはイメージで補完してください)。
・キザな台詞
・シリアスな口調(それでも他の人ほどボソボソにならない点は、偉いと思います)
・思わせぶりな、ちょっと首をかしげた顔
・じっと見つめる目線
・寂しげな、愛に飢えた男アピール
・ボディタッチ
相手が自社で売り出し中の女優だろうが、友人の妻だろうが、生き別れの母だろうが、入院中の友人だろうが。
構わず思わせぶりな目線で見つめ、ボディタッチする男、伊能栞。
そんな演技をしながらも、脚本がスカスカすぎてわけがわからないという。
以下のような1分程度の広告での高橋一生さんのほうが、感情移入の余地があるんですよね……。
あるいはヲタ芸をする高橋一生さんのCMの方が、キースやアサリよりずっと面白いのですから私も困っちゃいまして(´・ω・`)
今日のマトメ「てんの凛とした覚悟は最後までナシ?」
これを言ったらいけない気がするんですけど……このドラマの史実をある程度知っていて、惰性で見ながら舌打ちしてきた皆さんの頭に、ドデカイクエスチョンマークが浮かんでいるかと思います。
『いつになったら、藤吉がいなくなるの?』
史実では既に亡くなっているはずというだけではなく、アンチにとって藤吉が邪魔だから早くいなくならんかい、というのは一致した認識であったことでしょう。
また、ドラマの伏線としても「白い喪服」が登場しております(わろてんか23話あらすじ感想(10/27))。
吉本せいを描いた小説でドラマ化もされた山崎豊子の『花のれん』では、この白い喪服を身にまとう場面がハイライト。
まだ若い女ざかりで夫と死別したのに、しかもその夫とは生前仲がよかったとはいえないのに、白い喪服を身につけるヒロイン。
その凛とした姿が、後戻りできない覚悟が物語の芯だったんですけどねえ。
今までの描き方からすれば、本作はそんな凛とした覚悟より、いつまで経っても高校生みたいなカップルが幼稚な喧嘩やイチャつきを繰り返す様子をダラダラと惰性で垂れ流し続けたいんでしょう。
もう、諦めるしかないようで。藤吉が長生きすればするほど、物語は破綻することでしょう。
もうひとつ、引っかかるのがキースとアサリのコンビです。
ラジオ放送がらみですと、そろそろこの二人が大ブレイクしていないと話がおかしくなります。
本作に整合性を求めることが間違っているのはわかってます。
ただ、桶狭間の戦いで鉄砲隊が大活躍するような、史実からあまりにかけ離れてしまうのは、やっぱり良くはないと思うのです。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
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