スカーレット146話あらすじ感想(3/24)武志の心に陽が灯った

町役場の大作戦「みんなの陶芸展」

陶芸教室で、陽子はオタオタ何か言っております。

「ほらあれ! 自由は不自由や! 名前出てけえへん! 芸術功労賞取った人!」

この陽子な。
見る人によって反応変わるかもしれへん。

「作り物くさいな。なんで自由と不自由やで! だの、芸術功労賞賞出てきて、名前は出てこない?」

「あーわかるわ……」

記憶が途切れて、断片化しとる。

生々しいやりとりのあと、喜美子が「ジョージ富士川先生」と答えを言ってくれます。

ここで陽子は「サニー」に来たこともある。きみちゃんと仲よう話してたとうれしそうにしています。

これはアレやで。地方飲食店やな。地元アナウンサー、『にっぽん縦断 こころ旅』の火野正平さん。そういうテレビに出とった人のサイン色紙が飾ってある。そういう思い出を店の自慢にして生きとる。どこにでもいるおばちゃんやね。

そこへ、もう一人の大野家の人物が登場します。なんやこの、無駄のない大野家ローテーションは。

「こんにちはー、入るでぇ。仕事で来たんや。ええんかな。すんません。喜美子、悪いけどまた【大作戦】や」

信作がまた【大作戦】、三度目の企画です。なんという無駄のない【大作戦】! 喜美子の人生と重なる【大作戦】や。

そんな大野課長も、企画は若いもんに任せています。

あの鳥居です。

喜美子の作品にケチをつけ、信作に「人に敬意を!」と怒られとった、あの鳥居です。

大作戦第3弾とは?

 

企画名:みんなの陶芸展

 

出展資格:大人も子どもも、誰でも!

 

時期:昭和60年(1985年)の年明け

 

期間:15日間

 

企画内容:信楽で活動している陶芸家の作品を集めた展示会です! 一般の方の作品も集めて展示します!

※演歌歌手によるショーもあり

 

発案・進行:鳥居、岩崎

 

監修:大野

演歌歌手は、信作の希望によるものらしい。

なんやその【火まつりで呼べなかった悲願を数十年越しに叶えるロングパスは。無駄に執念深いことをしおって。

ほんまええドラマや。おっさん上司が重苦しい口調で出してくる、謎のあの企画。中身があるようで、実はしょうもない願望リベンジかもしれんな。そう示す本作はほんま秀逸やで。そういうことまで含めて、生々しい作品で。

会場は公民館? 農協ホール?

会場の外で、農産物、缶詰、おかんアートあたりも売るんやろ。ほんで照子が野菜を出す。その横には、丸熊のチラシも置いて。豚汁、たこ焼き、甘酒あたりを出したりしてな。そういうんが想像できるで。

ここで女性の岩崎は、詰まりながらもアピールします。

「あのっ、小さなイベントですけど、こういう小さなことを積み重ねて、あのっ!……あの、私たち、若い世代がバトンを引き継いで、生まれ育った町を盛り上げていこう思います! がんばりますんで、よろしくお願いします!」

「よっしゃようできた。次行くで」

「お時間いただき、ありがとうございましたっ!」

鳥居に励まされつつ、気合を語ります。

この男性の隣でちょっとオドオドしていて、タイトスカートを履いている。生々しい地方自治体の女性像も、昭和や平成のものとして記憶されていくのかなと思ったりして。令和では、パンツスーツにスニーカーで、ハキハキとタブレットでプレゼンをしていてもええんやで。

彼らが去ったあと、陶芸教室の先生も生徒も、興味津々でチラシを見ています。15日間という期間に驚いています。【大作戦】、成功待ったなしやな。

信作はおもろいし、しつこい【大作戦】や演歌歌手で笑いを取りにいっております。

思えば一度目の【大作戦】で喜美子は武志と陶芸との距離を縮めた。二度目の【大作戦】で、陶芸を教える喜びを見出し、孤高から抜け出した。

陶芸教室はその先にあります。三度目の【大作戦】のあとにも、喜美子の人生には別の扉があって、開いていくと思えるのです。

難病もののセオリーからすると、むしろ外している。

果敢な外し方です。

終わりが見えた中でも、希望は湧いてくる。理解できない陶芸を小馬鹿にしていたあの鳥居が、それぞれの個性が見える陶芸の素晴らしさを広げるために、この企画を立てた。

彼の後輩である岩崎は、バトンを引き継いでいくと言い切った。

生きて繋がる力がここにもあります。

作品を作る力

喜美子はその夜、武志と話します。晩ご飯を残したことを謝る我が子に、作品のことを言い出すのです。

作品うまいこといったら、智也君に見せる言うてた。琵琶湖大橋を渡って、智也君のお母さんに見せに行ったらええ。そう言い切るのです。

武志は戸惑う。一緒に行かへんの? そうなるわな。

しかし喜美子はキッパリと、そんな暇ないと言い切ります。

京都の展示会もある。それにもう一回穴窯を焚く。そう宣言するのです。

これも、見ようによっちゃ変ですよ。残り少ない我が子と思い出作りしろや。お前は結局、自分の穴窯か! 鬼め、鬼母め! そうなりかねんところですが。

喜美子は言葉を続けます。

「みんなの陶芸展」に出品する。役場の企画、武志と同じ若い子らが企画した。それに参加しよう思う。誰でも参加できる。子どもも、大人も。

「いそがしなる。堪忍な」

喜美子はいろいろすっ飛ばしますが、むしろ大きな愛があるのです。

役場の鳥居や岩崎を見て、我が子と同年代の子が頑張る姿を見て、心が動かされたのでしょう。

これは盛り上げなあかん。信楽で育ち、陶芸で名を成した恩返しせなあかん! そういう使命感があるのでしょう。自分一人の名誉ではなく、地域そのものに還元する。でかい器や。

喜美子がセレブとして成功する姿を描かない。そういうツッコミはありました。

それも意図的なものを感じます。

信楽の大地に根を張り、巨大化し、生きる信楽の狸像になった。そういう喜美子には、セレブとしてチヤホヤされる姿はむしろ小さいのでしょう。

誰でも参加できると聞き、武志の心も動きます。

「誰でも参加できるて。なあ、お母ちゃんの作品の横に、俺の作品並べてええ?」

「あかん。親の力借りて参加するんか? 参加するんやったら、自分で言い。担当は鳥居さんと岩崎さんや。自分で頭下げなさい」

そう言い切られて、武志はうなずきます。

喜美子ぉ!
なんやその、戦国武将じみた「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」態度は!

武志は、開催が年明けだと聞き、こう言います。

「それやったら、作品一つは二つ、作れるな……」

武志の心に陽が灯ったようです。

炎は消えない

喜美子のモチーフである神山清子さんには、骨髄バンク設立という功績があります。

映画『火火』でも描かれました。

この映画では彼女の作品や家族構成を忠実にしましたが、『スカーレット』は意図的に変えている箇所があります。神山さん本人ともそのあたりは打ち合わせ済みです。

骨髄バンク設立を「みんなの陶芸展」にしたのかな。

そう思える最終週の展開です。

医療ではなく、陶芸。それでも、みんなの力を引き出すこと、生きるための力を見せていくことは、共通していると思うのです。

食事という根本的な生存欲求すら消えていく。何の予定も立てられない武志。

そんな彼のために「みんなの陶芸展」を示す喜美子。彼と同世代の前向きな力を見て、目覚めたとも思えるのです。

病気で弱っているからには、役場に電話くらい掛けてやれよ。そう言いたくなってもおかしくないのです。喜美子がそうしたくないとも思えない。

それを敢えて突き放し、自分の腹の底からやってみろと言い切り、生きる力を彼から引き出したと思いました。

義務感で食べるよりも。

陶芸に取り組んで、腹が減っては戦ができぬと、味のことなんて無視してでも頬張る方がええ。

そういう気持ちを感じたで。

本作は、思えば最初からそういうところはありました。

自分自身の悔しさと、直子への思いを込めて描いた紙芝居。

「大久保! とやぁ〜!」と叫びつつ、悔しさをバネにして内職を仕上げたこと。

フカ先生への敬愛をこめて、筆を動かした絵付け火鉢。

夢中になっているハチさんを見ているうちに、始めていた陶芸。

カケラに導かれ、内面から燃え上がる気持ちを昇華させた穴窯。

あのとき、そのことをさんざんつっこまれておりますが、八郎も喜美子気持ちそのものは否定していないし、むしろ背中を押しています。

そうやって、胸の奥に燃える気持ち。

悔しさ、悲しさ、つらさ。

好奇心、探究心、敬意、愛情。

悪いものだろうが、よいものだろうが、気持ちを燃え立たせて、喜美子は人生を歩んできました。

その対象が変わっても、燃える炎だけはずっとありました。

喜美子の炎は消えない。

心の炎は、きっと燃え続けるのでしょう。

わたし ドナー登録&骨髄提供を体験しました【スカーレット特別寄稿】

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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