バブル末期の1990年(平成2年)。
漫画家・秋風羽織は、ガンが再発したと悟り、後進の育成に励もうとしています。
そんな羽織のアシスタントとして岐阜県から上京してきた楡野鈴愛は、師のガンをなんとかすべく奔走しますが、幼なじみの萩尾律は、そんな彼女の態度に疑問を感じています。
ここでマネージャー・菱本は、あることに気づきます。
そもそも羽織は、病院で検査を受けていないのではないか?
果たして真相は?
【48話の視聴率は19.5%でした】
もくじ
ピンクハウス軍曹に背中を押される秋風
もしかして美濃権太(秋風羽織の本名)は検査すら受けていない?
「痔……かも」
菱本はそう呟きます。
急いで羽織に問い詰めると、案の定、受診していませんでした。
本名をお会計で呼ばれるのが嫌だから受診しないんですか、と言ってからこう付け加える菱本。
「今のはジョークです」
無表情のまま、そう言うのがいいんですよね。
羽織は続けます。
「私はもう50だ……」
なにを織田信長みたいなことを言いだすんですか、秋風先生!
そういえば、以前大河でトヨエツさんが信長を演じたことありましたっけ。
ここでマシンガンのように菱本が突っ込みます。
いつの時代ですか、芥川龍之介や太宰治と同世代ですか、手塚治虫だって60才まで生きたんですよ、そこまではがんばりましょう、と。
最初はこの調子で宇太郎とやりあって決裂しそうになりましたが、菱本さんのやや早口で、知性と頭の回転を感じさせるようにガーッと喋るの、いいですね。
井川遥さんは癒し系って言いますけど、このピンクハウス軍曹、いいじゃあないですか。
「井川さんが演じる、ゆるふわふんわりマネージャーに癒されたい️」
というありきたりな考え方は、木っ端微塵に粉砕されました。そしてそれがいいのです。
菱本は続けます。
先生の命はファンみんなのもの、漫画の神様に愛された数少ない先生には使命があると。
「そしてあの子たちも。まだ20才にもならない子たちを集めた責任があります」
ここのところ実社会でも、いい歳こいた大人が、自分の子供のような歳の若者たちを、ヒドく扱うニュースが相次ぎました。
鈴愛たちの年頃は、難しい。
もう大人なんだから責任持てと言われる一方、まだガキなんだから生意気言うなと、同時に圧をかけられます。
それは彼らのせいじゃない。
悪いのは、無責任な大人のほうです。
菱本は責任のある大人です。ものすごくホッとします。
性格が厳しいようで、笑顔を見せないようで、ちゃんと彼らのことを心配しています。
陳腐なドラマは、菱本くらいの年齢の女性だと、安易に母性ゆえの思いやりで説明しようとします。
本作は違う。
大人が子供に対して持つべき責任がちゃんとあるのです。
誰もが親になれるわけではありません。しかし、責任ある大人になることはできるはず。
菱本若菜は、子供の未来に責任を感じている、そういう大人なのです。
菱本の嘆願を受け、羽織もついに重い腰をあげます。
鈴愛は善意の暴走をケアするように
喫茶「おもかげ」では、朝井正人が制服姿でアルバイトをはじめました。
近所だし雰囲気としても気楽そうでしょうけど、理由はそれだけなのかな?
鈴愛は、どうしても家にいる気がしなくて、「おもかげ」に来ているのでした。
羽織かかりつけの医師は、ガンはあったと言います。
ただし前回のS状結腸とは別で、大腸にごく初期のものができているのだと。内視鏡検査だけで治療できるという結果でした。
医者は定期検診に来ない羽織に釘を刺しつつも、転移なしでここまで初期に見つかるのはよかったと言います。
2、3日の入院で済むから予定を入れていいですね、と確認する医者。
「お願い、します」
安堵のような、噛みしめるような声で答える羽織。その間、菱本は羽織の手をぎゅっと握っています。
この二人の、おれの背中はお前が守るんだぜ的なバディ関係、いいですねえ!
鈴愛は「おもかげ」で、ぼんやりとネームを描いています。
その姿から、元気がないと即座に見抜く正人。鈴愛は、その理由を喋ろうとして止めます。律に口の軽さをたしなめられたことを思い出したのです。
口の軽さを反省する鈴愛に、正人はそういうところがいいと思うと言いますが。
「よいところと悪いところは、セットになっとる。私は無神経なところがある」
鈴愛はそう返します。
ああ、本人も反省しているんだな。
朝ドラヒロインが、自分の持つ押し付けがましさ、善意の暴走に自覚的というのはとてもよいことでは。
正人は他の客に呼ばれてそちらに向かいますが、鈴愛はこう思ったのでした。
正人に胸の内を聞いて欲しい、と。
そういう相手が律以外にも出来てしまった。これは波乱の予感だ!
「創作という魂の饗宴!」を遮って
「いてててて……うっそー!」
そうおどけ、羽織は入院を終えて仕事に復帰します。
目に飛び込んできたのは、山のような漢方薬、サメの軟骨。
そして冷凍庫には、大量の仙吉さん特製五平餅があるのだとか。
「くっさそうな漢方薬だなあ」
羽織はそう突っ込みます。
結果報告を受け、安堵するオフィスティンカーベルの一同。
正人が「よかったです」というと、菱本があなたは知っていたのかと訝しげに聞きます。
周囲の反応でなんとなく察した、と答える正人。
そういうところだぞ、朝井正人! そういうことがデキるから、きみはモテる!
「大腸ガンの手術後、5年生存率は65パーセントです。出血があったとき、再発した、もう助からないと思いました」
また再発するかもしれない。
怖い、でも生きる。
漫画を描くあいだ、その恐怖を忘れることができるのだ。
死の恐怖すら退けること、それが漫画に打ち込むことなのだと語る羽織。
「創作という魂の饗宴!」
興奮し、自分の言葉に酔いしれる羽織……の演説をぶった切って、鈴愛が突然立ち上がります。
羽織の無事を岐阜のみんなに報告しなきゃ――だそうです。
しかもブッチャーにまで。
八坂神社のお守りをもらって欲しいから、教えていたんだそうです。
いやぁ、ブッチャーの名前が出ただけでもうれしいな。
上っ面なネームに激しくダメ出しをされる鈴愛
そして羽織は、漫画の世界へと復帰。鈴愛は背景まで担当するようになりました。
リテイクされることもしばしば。溢れんばかりの、ものづくりの喜びが伝わってきます。
ネームのダメ出しもされます。
「きみは私の王子様……こんなこと言う奴がいるか!」
容赦なく鈴愛の書いたセリフを否定して、こんなものは紙くずだとネームをぶん投げる羽織。
しかし、とてもリアルなやり取りです。
【実際に、その人物がそんなコトを話すかどうか、そんな言葉遣いをするかどうか】
というのは、マンガに限らず文字中心の原稿でも、しばしば発生する検討事項です。
ドラマでは、わかりやすく「王子様」という一例が挙げられましたが、もっとわかりにくい日常の話し言葉ですらも、著者は
『あっ、これは◯◯のセリフっぽくないな』
などと、意識的にも無意識的にも、考えながら進めているものです。
しかし、このスパルタは慣れるまでは辛いでしょう。鈴愛はちょっと落ちこぼれ気味でした。
「初めて作った。元気出して」
「おもかげ」で正人から注文を聞かれた鈴愛は、
「何を食べたいのかもわからない」
とぽつり。
その前に、パフェが置かれます。
「パフェ、初めて作った。元気出して」
いいですか皆さん。よく勘違い野郎は、
「女の子は甘いもの食べたいよね」
と、お詫びの印にケーキやハーゲンダッツを買ってきたりしますよね。
それな、相手とTPO次第ですから。
場合によっては、
「ケーキごときで機嫌が取れると思ってんのか、このスカタンがーッ!」
ぐらいに内心思われているそうですから。あなたが上司や同僚だから、愛想笑いして黙っているだけです。
その点、この正人はパーフェクト。
初めて作ってみたというパフェを、さりげなく、落ち込んでいてボーッとして、脳に糖分が行き届かない女の子に置く。
【初めて作った】というのもポイントで、場合によっては「試食してもらいたかったんだ」と言えますからね。
ンン〜〜〜ッ、さすがだなぁ。
心の疲労に、サクランボがトッピングされたお菓子が効くのは、インスタ映えなんて言葉がないころから同じなのです。
「正人くん、あなたが私の王子様」
思わずそう口走ってしまう鈴愛。
口に出してしまったらドキドキが止まらない鈴愛。これはですよ、これはひょっとしますよ。
父親コレクションの王道少年漫画しか知らなかったころ、鈴愛はデートで拷問を嬉々として語り、失恋しました。
そのあとで秋風羽織の世界にどっぷり浸り、繊細な感情の世界や、恋愛のロマンにふれ、憧れる気持ちを抱いたのです。
デートで拷問を語り出した頃とは、鈴愛の感性は違ってきています。
実体験をもとに作品を一気呵成に描きあげた鈴愛にとって、この恋愛が漫画家としての糧となることも考えられます。
朝井正人が楡野鈴愛の前にパフェを置いた瞬間、またも物語は大きく踏み出したのです。
今日のマトメ「それでも愛に動かされるんだ」
本作からは脚本家さんの心のシャウトが時々聞こえる気がするのですが、羽織の「創作という饗宴!」はまさにそんな感じでしたね。
本気でものづくりを楽しんでいるんだ、好きで好きでたまらないんだ、そういうクリエイター魂がビシビシ伝わってきました。
若干照れていて、茶化してはいるのです。
それでも、創作をとことん愛しているんだ、この愛をわかってくれというボールが、ビシッと私の胸に届きましたね。
いやあ、尊いです。
こういうの、聞いてみたかった。
以前、とある脚本家さんが、しんどい仕事はギャラのことを考えて書くと発言してガッカリしました。
ミッキーマウスがファンの前で着ぐるみ脱ぐような――そんな場面は正直見たくありません。
脚本家さんは書くことを愛しているんだ。
そういう人がドラマ作りの総大将なんだ、私は、そう信じたいのです。
我ながら、ダメなレビュアーだと思います。
クリエイターが愛をこめているかどうか。
そんなこと作品に加点評価するのは邪道かもしれません。
でもやっぱり……視聴率や他の投稿レビューサイト、SNSなどの意見なんて全て無視して、愛情の在り方を称えるべきだと思うのです。
私は前作『わろてんか』で、ヒロインの言動の端々からものづくりへの愛が欠けていると感じ、大変虚しく、憤りさえ覚えました。
ものづくりよりも、それに付随してチヤホヤされること、名声を得ることを愛しているのだなぁ、と思ったのです。
秋風羽織はそうではない。
彼にとっては、名声も、チヤホヤされることも、創作の喜びの前ではオマケ程度に過ぎないのでしょう。
そんな彼の姿勢と、本作の作り手から伝わってくる創作への愛情の深さ。
そしてそれが織りなす饗宴に、これからも毎日参加したい。心からそう思います。
さて、もう5月の終わりです。
おもちゃ箱をひっくり返したようで楽しく、郷土愛を感じさせた『あまちゃん』。
愛くるしさとノスタルジーをお行儀良く備え、かつ知的な作品であった『ひよっこ』。
ふたつの要素を備えて、かつどちらとも似ていない、斬新でユニークな朝ドラを作れと言われたら?
大抵の制作者は逃げ出すことでしょう。
驚くべきことに、本作はほぼ3分の1を過ぎた時点で、そういう境地を通り越そうとしています。
この勢いのままゴールテープを切れば。
実にユニークな傑作として皆さんの記憶に強く残ることでしょう。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
>思わずうそう口走ってしまう鈴愛。
録画を見直して気がつきました。
受診のシーンで、菱本さんと握りあった秋風先生の右手の人差し指の爪が、インクで汚れていたことに。