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半分、青い。感想あらすじ 半分、青い。

半分、青い。総評(9/30)人生に深呼吸を与えてくれた

更新日:

総評を書くうえで断っておきます。

これまで5年間の大河ドラマと、前作朝ドラのレビューを書いてきましたが、本作ほど困難を感じた作品はありません。
どうしたって客観的に見られない。

『真田丸』や『おんな城主 直虎』の総評に対しても、褒めてばかりという意見がありました。
本作もそうなります。
嫌いで仕方のない方は、嫌味とかではなく、お時間がもったいないのでお引取りください。

筆者の自分語りも入り、鈴愛の行動に思わずうなずいてしまった――そんな方にしかオススメできない総評になっています。

 

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創造性の残酷さ、本作の優しさ

本作のオープニングは、日常生活で見かけるものにヒロイン鈴愛が絵を描き加え、別のものに変化させる場面が映し出されます。

創造性と想像力は世界を変える――。
そう示されるのですが、本編はOPほど優しくはない。

そのことに初めて打ちのめされたのは、明治村でのこばやんとのデートです。
鈴愛が拷問の妄想をペラペラと話し出したことがキッカケとなり、彼女は失恋しました。

胸に突き刺さりました。
本作は信じていいのかな、と思いました。

想像力や創造性というのは取り扱いが難しい。
『花子とアン』では、「想像の翼」を連呼するヒロインでしたけれども、あれには、
『世の中、甘く見てんじゃねぇ』
と心の中で舌打ちしたものです。

一般社会において想像力や創造性というのは、ホメられてもせいぜいが小学校の図画工作か作文の時間まで。

今でもハッキリ思い出すことがあります。
中学生の時に書いた作文が、同級生から執拗にからかわれたことがありました。

私としては自信があったものでした。
実際、あとでコンクールの賞を取ることになるのですが、それ以上に苦悩の原因となったのです。

「お前さぁ、変なことを書くんだなあ。気持ち悪ぃ」
彼はそう言いながら、作文を読み上げました。

些細な表現をいちいち笑いものにし、下品な単語に置き換えられました。周囲はクスクスと笑っていて、誰も止めませんでした。

美術の時間でもありました。
空を青ではなくて、別の色で塗ったところ、美術教師からこう言われたのです。

「見ろよ、こいつの絵。おかしいよな。頭、大丈夫か?」
『ジョジョの奇妙な冒険』のカラーで、空が青以外で塗られているのを見るときまで、このことも軽いトラウマになりました。

絵。
文章。
といったように想像力が作り出す世界は、同級生や教師に理解されないどころか、イジメの理由になったのです。

そして社会に出てからも、そういう機会はどんどん増えてゆきました。

会社の椅子に腰掛けて、データを打ち込み、書類仕事をこなす。
求められるのは、そのことです。頭の中にあるアイデア、創造性は、封印しなくちゃいけない。
時々、想像力で思いついたことを話すと、容赦なく変人扱いされました。

「想像の翼」なんて言って褒められるのは、現実じゃないんだよ!
そういう思いがあったから、当初はオープニングを見た時点でちょっと身構えておりました。

本作も、想像力豊かなヒロインを、可愛い子としてもてはやすだけではないか?
そう疑っていたのです。

杞憂でした。
こばやんデートの失敗で、本作は創造性の残酷さに斬り込むのだと安心できたのでした。

鈴愛は、その想像力と創造性で漫画家になります。
あぁ、こういう道もあるのかと見守っておりましたが、これも残酷な結末を迎えます。

あの鈴愛の決断にも、批判がありました。
それなりの漫画を描いて生きて行くことはできるはずだ、と。

しかし、私は頷いていたのです。

わかる、わかるよ。
どうせ創造性を発揮するなら、とことん限界まで上り詰めたい。
そういう野心って、あんまり理解されないものです。

この世界は、そこそこの点で満足すべきだ――そう言ってくるものだ。

漫画家を辞めた鈴愛が、その過去を隠して働き出したとき、創造性を発揮した過去が重荷となりました。
それでも鈴愛の中から、想像力と創造性が尽きることはなかったのです。

創造性を持っている人間が、スンナリと社会に溶け込めないこと。そこから本作は逃げません。

岐阜犬の成功を頼みに上京するときも、いろいろと批判されました。
けれども、鈴愛は創造性と想像力にがんじがらめにされた人間。
ああ、それはわかる。その選択はわかる。そう肩を叩きたいほどでした。

そういう人間は、鈴愛一人ではありません。

鈴愛にせよ、秋風羽織にせよ、ボクテにせよ。社会への適応性はありません。
羽織先生なんか、別離の涙を絵に描くことでしか表現できなかった。溢れんばかりの愛情があるのに、犬しか可愛がることができないと思っていたほどです。

律は器用だから溶け込もうとしましたけど、本当はそうじゃない。

そういう人間は世の中の隅っこで、膝を抱えて生きていけと、本作は言わなかった!
【おひとりさまメーカー】みたいな場所で、生きていってもいいのだと。

本作終盤に出てくる修次郎も、かつての自分と重なって同情してしまいました。
そうなんだ、友達を大勢作れない。
マスクして生きて生きたい。
そういう奴も、社会にいるんだ……。

そんな修次郎に、タイプの違う津曲が理解を示したときは、本当に救われたものです。
修次郎のようだった自分にも、津曲みたいなカッコイイ大人がいてくれたらな。

めんどくさい奴だと思われている。
変な奴だと思われている。
そういう人間に、本作は優しくてあたたかい。あんただって生きていてもいいよ、と教えてくれた。

逃げてもいい。
いや、逃げるんじゃない。
別の場所で戦え。
そう言ってくれました。

鈴愛と同じ側の人間にとって、本作はまるで深呼吸のようでした。
私たちのためには出来ていないこの世界で、深く息を吸って、生きていってもいい。そう示してくれたのです。

 

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不正解を出す人間だって言葉を発していい

そんな風に本作に夢中になり、深く息が吸えるようになった気分。
なんだか救われた気持ちになる一方、今年の夏は息が詰まるようでもありました。

アンチの意見を見たときからです。

自分の好きな作品を、嫌いな人がディスる。
そんなの、ごくごくフツーで当たり前の現象。

そう受け流せるはずですが、ちょっと本作のアンチは狂気だった……。

・製作者のツイッターに、執拗な突撃
・ファンが本タグの厳しさに疲れて作った、避難用タグにまで容赦なく突撃
・鈴愛や律の人格批判(きもい、ウザい)
・鈴愛と律が離婚することへの批判
・自分が好きな展開をしないことを、制作側の人格批判に結びつける
・正人の恋人が年上なのは、「ババアの妄想」という、年齢と性別への差別に基づく批判
・「アラフォーのラブシーンなんてきもい」という年齢差別
・制作者の性別をからめた差別的な批判
・「見ていないけど、あんな浅はか女の作品でしょ? くだらない。私が見るまでもない」(え、批判するのに見ていないの!?)
・「どうせババアの妄想でしょ?」(えー!)
・ファンになるような奴は馬鹿で痛い奴だし、中身を見ていないという決めつけ(中身を見ても内容の悪さがわからない、イケメン出演者目当てでしょ、等)
・病気や障害を出すことを「受け狙い」と決めつける
・震災のような悲劇をネタに使うとはけしからん! 他の朝ドラではこんなことしない!(いやいや、関東大震災も戦争も、お涙ちょうだいで使われまくっているってば)
・「あの程度で漫画家を辞める鈴愛は根性なしだ」(え、えええええ!?)
・鈴愛は親の介護もしない、恵まれすぎだという批判(いや、朝ドラのヒロインに資産家ご令嬢は大勢おりますが)
・でも、親が病気になったら「真面目に闘病している人に謝れ!」(え、ええっ……制作当事者にも病気や障害があるのにそれを言いますか)
・「制作者の障害である左耳失聴を扱うな! 見たくない!」
・「被災者でもないくせに大震災を扱うな! けしからん!」
・「津波てんでんこ」なのに、それを守らず亡くなったユーコを描くとはけしからん!!(いや、状況的にてんでんこできない人がいたじゃないですか……)

いやぁ、今、読み返しても、中身を伴わない雑な批判ばかりです。
きっちり作品を見て、洞察したものは微塵も感じられません。要は、文句を言うためだけの罵詈雑言なんですね。

こうなるとコチラとしても
「ヒマか? いいから自分の人生を歩けよ、生きろよ」
と言うしかないんですけど……。

アンチの正義感が無茶苦茶に強いのも、なんとなくわかるんですけど……、差別的な偏見も相当混じっているのが末恐ろしいです。

だって、障害を当事者が描いてもけしからん。
震災は当事者でないくせに描くな、ですからね。

特にキツくて凹んだのは、鈴愛や律への「キモい」とか「ウザい」という小中学生のイジメのような批判です。

具体的な行動は特に批判せず、
「私がキモい、ウザいと思った」
という理由で叩く……私は過去のトラウマを思い出してしまいました……。

ゆえに、こうした意見をチラッと横目で見てしまっただけで、一日中落ち込んでしまうこともありました。
避難用タグにまでアンチは潜り込んできますから、逃げ場はありません。

【げえっ!】
って、関羽を見たときの曹操状態に何度なったことか(横山光輝『三国志』)。

これは前述の通り、鈴愛と自分は似たものという意識が働いていたせいでしょう。
過去のトラウマがぱっくり開きました。

例えば、鈴愛が秋風羽織からマグマ大使の笛を投げられたふりをして、激怒する場面。
あの気持ちも、わかるんですよね。

どうしたって自分の中に、踏み込まれたくない領域がある。
普段はヘラヘラしているのに、踏み込まれて、キレてしまう。
伊藤清との喧嘩でも、それを感じました。

このタイプは、日頃のほほんとしていて一見沸点が高いように思われる。
鈴愛みたいにちょっと言動がトボけた人だと、コイツには何を言ってもいいんだな、と思われてしまう。

そういう奴でも、キレるときはある。
あぁ、わかるぞ、鈴愛、わかる……と頷いていたのですが。

「秋風先生は師匠だし、お世話になっているのに、キレる鈴愛って馬鹿じゃないの。最低、非常識」
という意見を見てしまい、このときも自分の過去が蘇って血の気が引きました。

常識からズレてしまう。そういう人間もいるんです……。

こんな可愛げのない奴をドラマで描くな。
気持ち悪い。
許せない。
鈴愛は、そんなバッシングにさらされ続けました。
その内容が、過去に受けた自分自身への非難とかぶってしまい、体調が悪くなりそうになりました。

「左耳が聞こえないなんて、ただの作者の思い入れでしょ」
これも残酷です。
そういうハンデ持ちは黙っていろ。
社会に適応して黙って笑顔でいろ。
そう言われているようで。

では、こうしたアンチに迎合して意見を聞いたらどうなる?
答えは火を見るより明らか。

何も描けませんよ。

というか、描こうが、避けようが、どちらにせよ叩く気満々です。
前に進もうが、後ろに行こうが、はめ殺す。
そういう容赦のない火攻めみたいなものです。

 

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安易すぎるメディア記事も目立ち

本作アンチの意見は、年齢や女性、障害をからめた差別性を帯びたもの、制作者の人格批判も多く、そこに恐怖を感じました。

批判じゃなくて差別ですよね?
そう言いたいことが何度もありました。

大震災を描いたことにもバッシングがありました。
しかし、2011年春から夏を描いたのに、スルーしたらしたで、叩かれたことは想像がつきます。
どうしたらいいんだ……。

制作者のSNSに粘着する姿も、無茶苦茶怖かったです。
女性のクリエイターのSNSは、特に被害にあいやすいものでして。

「スター・ウォーズ」出演のアジア系女優、差別被害でインスタ投稿を削除

海外では、こうしたニュースを「する側が悪い」と判断します。
批判するな、とまでは言わない。
けれども、本人のアカウントに粘着するのはやり過ぎ、マナー違反でしょうが。

ところが本作の場合、
「視聴者様を傷つけるような、調子こいた発言をする生意気な女クリエイターが浅はかで愚か、無礼千万なのだ」
という方向に向かっていて、ビックリしました。

差別と言論弾圧ど真ん中じゃないですか。
男性クリエイターでも、同じ目にあったのでしょうか?

「浅はかな女の作るものなんて、浅はかに決まっている」
という差別ドストレートな球をくらったときも、血の気が引きましたよ……。

私も、面白くない作品には辛辣に言葉を畳み掛けておりますが、クリエイターが女性だからとか、そんな理由で叩くことはありません。
そんなのは批評じゃない。ただの偏見であり差別です。

浅はかなネットメディアでは、SNSでアンチの意見を拾って加工して、PVを狙うためだけの記事に仕立て上げられておりました。

ため息しかでません。
中身を指摘するのではなく、
【視聴者様を傷つける、調子こいたドラマだ!】
なんて調子のものばかりで、いくらなんでも良識なさすぎて……。

私は前作『わろてんか』に対し、情け容赦ないことを随分と書きました。
しかしそれは、私も時代背景を調べた上でおかしな点を指摘したり、週マタギをしない安易な脚本に異論を述べたり、あるいは昔の携帯ゲームのようにホイホイ簡単に進むストーリーに絶望を申し上げたものです。

最初から、批判ありきで進めてはおりません(当初は、直虎で活躍した高橋一生さんや、軍師官兵衛で数少ない見どころだった松坂桃李さんの活躍を楽しみにしていたほどです)。

ここからは更に個人的な思いが入ります。

本作終盤のころに『新潮45』の休刊問題が重なりました。
そこで、こんな意見を目にしました。

「LGBTは黙っておとなしくしていればいい。この先、腫れ物扱いされて余計辛くなるぞ、自業自得だ」
こうしたどうにもならない歪んだ見識が、本作アンチの意見と重なりまして。

生きづらい人間。
鈴愛のように社会から弾かれ、生きる道を探すような人間は、黙っていろということか……?
と、精神ガタガタになりました。

いやぁ、我ながら、神経細いんすわ。

そういう精神を癒やしてくれたのは、修次郎や花野に、戦う場所を変えればいいと教えてくれる、本作の津曲であり、鈴愛です。

実は、“近しい友”……と考えていた人の中にも、執拗に鈴愛叩きを繰り返す者がおりました。

無慈悲な、その攻撃を聞かされるたびに、私の心臓は「ドキッ」と縮み上がり、同時に疑心暗鬼になって精神がやられました。
別に、私=鈴愛だなんて言うつもりはありませんが、自分も内心ムカつく奴だと思われているのかな?と自問自答してしまったのです。

むろん、それくらいで縁を切ったらただの変人だし……そこまで馬鹿じゃないよ……と自分を諌めつつも、それでもやっぱりキツイものはキツイ。
そういうこともあって、周囲には本作が大好きだとは中々言えなかった。

そもそも朝ドラでこんな感情を抱くようになるなんて、ちょっと想像もできないことです。

生きてゆくのが不器用で駄目な奴が、それでも生きていっていいと背中を押してくれる作品。
海外だと増えている気がするのですが、日本だとまだまだ……。

ゆえに鈴愛と共通点があるタイプの人は、本作にグッと引き寄せられていったことでしょう
本作への愛は、こうしてレビューに書くことで昇華しておりました。

※『半分、青い。』がまだまだ見れる!
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