認めたくないものだな アップデートできない自分の現実と史実を
ちなみに本作における以下のような描写も、ファイナルオヤジファンタジーが由来だと思います。
・女同士は常に男のことだけ喋っている、考えている
・女は男にエロ目線で見られたい。相手が父親だろうと義理の息子だろうと(忠彦モデル騒動)
・女の友情、女同士の絆なんて存在しねえ!
・女はバカだから、男の助けがないと生きていけない
・女なんてかわいそうじゃない。女の尻に敷かれる俺らの方が可哀想だし~
・家事育児なんて、女には楽勝だし楽しいものだから、俺らは丸投げしていいんだぜ
・仕事場で色目を使う余裕はあるけど、妻子のことを考える余裕はありませーん!
『マッドマックス 怒りのデスロード』でも見てくれ――そう言いたいところですが、現在アカデミー主演女優賞受賞作として話題、かつ公開中ならば、
『女王陛下のお気に入り』
がいいですかね。
「イギリス版大奥!」
というやや苦しいキャッチコピーがついていますが、この場合、女王が君主だから、むしろ大奥と将軍とは逆転した関係です。
女は女だけでもやっていけるし、夫も別にいらねえし、まぁいろいろあるぜーッ、おーほほほほほ!!
あっ、記事で読みたければ以下にございます。
小学生以下の恋愛
エロメンたちが抱く吉乃への恋愛感情も【ファイナルオヤジファンタジー】でしょう。
野呂による缶詰窃盗アプローチの時点で、私は以下のようにツッコミました。
食品の在庫管理がぬるいなぁ。高級ホテルにしてはあんまりでは?とも感じてしまいますが、そもそも野呂君は気のある女性のために、勤務先の備品をくすねるしかできないんでしょうか。花一本ぐらい買えばいいじゃない。(まんぷく 3話 感想あらすじ視聴率(10/3)より)
序盤のこの時点で『恋愛の描き方がヤバイ』と感じた自分は正しかった。
コレ、まっとうなドラマならば、好きな相手の顔を思い浮かべつつ、何かプレゼントあたりを買うと思うんです。
が、それすらできない。なんでしょう、この無能な2人は。
要するに、愛も思いやりもないんだと思いますよ。
女体大好き、美人を連れ歩いてマウンティングしたい、でも、女の考えていることや人格なんてどうでもエエ、だから彼女の好みすら把握していない、むしろメンドクセッ!――そんな呆れ果てた価値観がダダ漏れです。
『半分、青い。』では、萩尾律が楡野鈴愛のために、雨音が綺麗に聞こえる傘をプレゼントするラストシーンが感動的でした。
「そういうのがいいってかぁ! 女は金目当てだよな!」
とか言い出す信徒はお引き取りください。
律のプレゼントは、本作信徒が大好きなブランド品じゃない。
価格も別にそう高そうでもない。二人の思い出あってこそ、お互いが理解できて感謝できる、そういう特別なものでした。
そうそう。
『半分、青い。』では、小学生の花野だって、イジメから救ってくれた女友達に何かプレゼントをあげたいと願っておりましたっけ。
単純に物欲じゃないんですよ。
大事な相手の顔を思い浮かべながら、プレゼントを選ぶ――素敵なことじゃありませんか。
それすらできない。やろうとすらしない。思いつかない。
もうアラフォーやぞ、こいつら!
花野ちゃん以下やぞ、精神年齢!
んで、子供じみた「俺ら友情あるしぃ~」とか、しょーもない言い訳でウダウダやってるだけ。
吉乃からすれば気持ち悪いことこの上ありません。
・一回り以上も年上なのに極めて幼稚
・そんな同僚二人からいやらしい目でジロジロ見られる
・行動をいちいち監視されている
・義兄(神部)も、こちらの感情も確認せずに何やら画策し、こちらの行動を漏らしている
・祖母と叔母が経営陣にいるのに、配置転換をするほどの機転もない
こう箇条書きにすると、微笑ましい恋どころか、地獄のセクハラど真ん中でキッツイなぁ……。
これがもし、鈴が気に病んで経理に吉乃を抜擢でもしたら、
「オレらとの距離をおかせる気だな!」
と、恋路を邪魔するクソババア扱い待ったなしでしょうね。
【ファイナルオヤジファンタジー】の世界観には、セクハラ、パワハラ、ましてや#Metooなんて存在しないことはわかります。
今はもう、2019年やぞ!
本作のこういう描写を、ニタニタしながら「昔はよかったな~」と見ている信徒たちよ!
怖れなさい、さもなくば結果がこうなるかもしれぬ!
この田畑議員は46才。
律や鈴愛を実年齢にすれば一つ歳下ですね。ほんとどーしようもない。
本作の信徒は、未成年タカにロリメンが群がる様を何ら咎めることなく見守っていた。
その神部の言い草は、
「俺は帝大卒やぞ!」
でした。エリートは好き放題できたそんな時代があったんですね。
でも、今は2019年です。
エリートだろうが何だろうが、未成年にこういうことをすると処罰されますよ。
ジャイアニズムを捨てたら美談なのか?
「お前のものはおれのもの。おれのものはおれのもの」
本作経由で安藤百福氏の行いを知ると、このジャイアニズムを思い出してしまって辛いものがあります。
福子の回りくどくて、いちいちぶりっ子した上目遣い演技。あの気味の悪いラストは、なんなんでしょう。
こういう幼児じみた上目遣いって、【ファイナルオヤジファンタジー】のヘビーユーザーがイチコロ仕草なんでしょうね。
その演技もどうかと思いますが、問題は中身。
まさか以下のような展開にするつもりじゃあるまいな?
【ジャイアンと化した神の子・萬平さぁんであったが、ルイージ福子様のおかげで目覚めた。競合他社の異教徒どもがインスタントラーメンを作ることができるのは、お二方が寛大にも特許を横に置き、製造をお許しになられたからである!】
もうダメ! 本当にダメ!
競合他社がインスタントラーメンを作って儲けているのは、日清側のありがたい思し召しのおかげってか?
ちゃうやろ!
安藤氏の自伝以外の資料を見れば、徹底的に怪しい!
現存する他の即席麺メーカーに対して、消費者が悪い印象を抱きかねないおそれもある。
そんなもん受信料で作ってエエもんなのか?
もしも、本当にそんな描写になれば、完全に一線を越えてます。
というか、実は安藤氏の自伝自体にも、ラーメン開発について論理破綻があることを近代食文化研究会さんのツイートでは示されております。
この安藤百福の天ぷら話は後づけの作り話、ありていにいってしまえば嘘なんです。
私がそのことに気づいたのは、百福の自伝「魔法のラーメン発明物語」を読んだ時。
この中で百福自身が書いた「天ぷら発明話」に、決定的な矛盾点が存在するのです。 pic.twitter.com/NjaHtDYSQT
既にお気づきでしょうが、この天ぷら話、後付の作り話、嘘です。
なぜなら、安藤百福はインスタントラーメンを開発しようと決意するのと同時に、食用油と、麺をその油で揚げるための直径1メートルの中華鍋を購入し、開発小屋に備えつけていたからです。 pic.twitter.com/jOGlgSmn6E
最初から麺を揚げることは決まっていたんです。
自伝で「語るに落ち」てしまったんですね。
天ぷら話は、麺を油で揚げるという他の人の発明を、自分が発明したように偽装するために作り出された話です。
妻の天ぷらを見て「油で揚げることを思いついた」と言っているのに、ラーメン開発小屋を作る時、すでに「油で揚げる準備をしていた」ことが記されています。
『マッサン』と『めんたいぴりり』では出来ていたのに
『マッサン』放映前、サントリー側はピリピリしているという報道や噂がありました。
あのドラマでも描かれた通り、ジャパニーズウイスキーはニッカ創業者である竹鶴政孝氏の「竹鶴ノート」あってのもの。
描き方によっては、サントリーがニッカの技術を盗んだ“まがい物”と判断されかねません。
このあたり、あの作品では考証担当者がしっかりとつき、うまく描きました。
ニッカあってのサントリー。
サントリーあってのニッカ。
龍虎が争うような状況だからこそ、互いに磨きあい、世界に誇ることのできるジャパニーズウイスキーになったのだと。
サントリーも、これには満足いったのでしょう。
放映後、ニッカだけではなく、サントリーまでもが自社の創業者役で出演していた堤真一さんを広告に起用したほどです。
コメント欄でご指摘いただいた『めんたいぴりり』もそうでした。
明太子模倣騒動があり、従業員は神経を尖らせ止めようとするのですが、主人公は切磋琢磨してこそだと言い切ります。
それでこそ、博多名物が広まるのだ、むしろよいことだと。
『マッサン』にせよ、『めんたいぴりり』にせよ、海外由来でもあるのです。
ウイスキーは、スコットランドの歴史と知恵が生み出したもの。
明太子は、朝鮮半島の「明太(ミョンテ)」あってのもの。
主人公夫妻は、スコットランドや釜山の思い出、そして知恵があればこそだと感謝こそすれ、盗もうとは考えておりません。
外国の知恵を拝借してこそだと、ハッキリと認めているのです。
こうして比較すると、本作の本質、日清の企業体質まで透けて見えてきて恐ろしいものがあります。
・台湾由来であることを全否定
・そのためには、創業者の国籍まで捏造
・創業者が発明したわけではないものなのに、そう主張する
・同じ製品を発売する競合他社は、自社なりの工夫をして売り出していたことを否定する
・競合製品は健康を阻害するという、ネガティブキャンペーンまがいの描写
・競合他社が我らの発明の恩恵にあずかることができるのは、寛大な我が社なおかげだと恩着せがましく描く
・しかも受信料で
もうこれ、完全にアウトではないんですか?
後世のためにも、火だるまになって反面教師となるのがせめてもの存在価値でありましょう。
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※レビューの過去記事は『まんぷく感想』からお選びください
※まんぷくモデルである安藤百福の記事、ならびにラーメンの歴史もリンク先からどうぞ!
※コメントにつきましては、
・まんぷくここが好き!
・まんぷくここがアカン!
という意図でご自由に記述してください。
作品に関するものについては全て掲載しております。
攻撃的な書き込み等については、こちらの判断で削除させていただきますので、あらかじめご承知おきください。
皆様 これまでの投稿でお騒がせし、申し訳ありません。
孤独の胃弱さま ご意見を拝見しました。
私も同じことを感じ、思っていました。
投稿も、最初は「『まんぷく』と比べるとこんなに良いところが」という感じで始めたように思うのですが、『べっぴんさん』の方は物語の進行と共に登場人物も成長し、話がどんどん深くなるのに、『まんぷく』は何の進歩も変わりばえもない。日を追う毎に、『まんぷく』について考えたり書いたりすべき内容が無くなっていったという感じがします。
今回の第125話にしても、『べっぴんさん』ラストの方では、「『人を幸せにすること』とは? そのために服作りを通じて何ができるか?」という問いかけに至ったように思えたのですが、『まんぷく』の方は相も変わらず「自社製品の売れ行きは? どうすれば他社製品を淘汰できるか」にばかり汲々としている感じ。
話のスケールが違いすぎて、もはや『まんぷく』には何の感慨もありません。
せっかくTVを見るなら、楽しい気分になれる方が、様々なことに思いを馳せることができる方が、良いですよね。
『べっぴんさん』を再評価している方が少なからずおられることは嬉しいです。私もこれからの展開を引き続き注視していきたいです。
「まんぷく」(と去年の大阪制作「わろてんか」)があまりに酷くて、リアルタイムではそんなに好きじゃなかった「べっぴんさん」をめっちゃ再評価した者です。
「べっぴんさん」は僅か2年前に放映された、同じくNHK大阪が担当した朝ドラであり、時代設定も似通っている、有名企業のサクセスストーリー。比較材料が揃っています。
またBSですと朝7:15~「べっぴんさん」再放送、7:30~「まんぷく」と連続で視聴することになり、差が目につきやすいのではと思います。
更に、「まんぷく」の内容が薄い。本当に薄い。度重なる回想シーン、焼き直しでしかない展開の連続で、正直コメントすべき点が
語り尽くされていると言っていい。一方で「べっぴんさん」は一定レベル以上の話の起伏、バリエーションが存在する。
以上をもって、私は「べっぴんさん」の感想に言及するのも致し方なし、気持ちもわかるなぁという考えです。
先日、飲食店の店員が仕事中に客席に座ることなどあり得ないと細かい事ですが気になって指摘させていただいたのですが今日の回でも首を傾げる事がありました。
仕事帰りの女性達が岡さん森本さんに「御苦労様でした」と声をかけてましたが…
「御苦労様でした」は上司が部下に使う言葉、同僚や役職が上の人に対しては「おつかれさまでした」というのが基本で間違えたら失礼な行為に当たるのは会社勤めの人間なら常識だと思っていましたが、昭和30年代の大阪では違っていたのでしょうか?
それは東京だけの話やというなら今回は勉強させてもらいました。
なぜここで、毎日毎日べっぴんさんの内容と絶賛コメントを書かれるのか、理解に苦しみます。
文章の量のバランス的に、まんぷく感想は付け足しのオマケのように感じますが。
度々ここで話題になる「べっぴんさん」の本日の再放送の内容は、「まんぷく」への皮肉に思えてしまう。