手紙を書こう、兄に向き合おう
気持ちの整理ができたなつは、眠る佐知子の横で柴田家へと手紙を書くのでした。
不合格を知らせるのが遅くなったことを詫び、その理由として何をしたらいいのかわからない虚脱状態を説明します。
考えるうちに時が過ぎてしまったけれど、9月に向けて頑張るのだと。
漫画映画を諦めたくない。
そう記します。
こんな私ですが、皆さん応援よろしくお願いします――。
そう〆るよい手紙ではありますが、気になる点があります。
咲太郎のことは伏せましたよね?
そうでないと、泰樹はじめ柴田家が混乱と激怒に陥りかねません。
※兄を責めるなと言われても「うるさいわ」と告げる泰樹
※兄を切り捨てましょうと言い出す夕見子
まぁ、そこは伏せたよねっ!
そんななつは、兄と話すべく風車に向かいます。
しかし、亜矢美しかおりません。亜矢美は二人で飲もうと誘って来ます。
飲めないとなつが断っても、これです。昭和だ!
「最初はみんなそうなの!」
飲まれて強くなる。そうしつこく誘います。
これが昭和なんだよなぁ。飲酒強要一気飲みが犯罪として認識されるのは、もっと後のことです。
飲酒後の大暴れなんて、昭和は割と当たり前だったものです。
アルコールハラスメントという概念が生まれたのも、時代の流れ。
それまでどれだけ犠牲者がいたかってことでもあります。
なつが「まだ未成年ですから」と言って、やっと引き下がりますが。
これも、うまい落とし所ですねぇ。
未成年飲酒も、昔はもっとゆるいものでした。
古今亭志ん生の時代は、今の中学生くらいになれば、悪ガキはこそこそと盗み飲みしていたものです。
昭和のこのころだって、番長のような高校生ならば飲みます。
咲太郎は未成年飲酒していたと思いますよ。
そういう昭和のゆるさを、朝ドラギリギリで見せつつ、一応配慮する。
リアリティと道徳心のバランスをうまく取っていると思います。
なつが子供っぽいと強調しているところも、うまいと思います。
阿川弥市郎はなつのことを、子供と連呼していましたね。
おさげや服装、言動といい、なつは同年代の夕見子や佐知子、そしてローズマリーと比較して、断然子供っぽい。
そんな子に飲酒はないわよね。
そう亜矢美が思ってもおかしくはありません。
そしてここで、衝撃的な知らせを飛び込んできた信哉がもたらします。
「実はさっき、咲太郎が警察に捕まった!」
思わずナレーターの父も呆れます。
またもや!
何をやってるんだ、咲太郎――。
本当に何をやっているんだよ!
レッドパージ、赤狩り、マッカーシズム
さて、劇団・赤い星座。
何がどうして社長にあれほど嫌がられたのか? と言いますと。
47話のレビューで、この劇団名が出てきた時、私は以下のように書きました。
劇団・赤い星座所属だそうです。
赤い星……『ひよっこ』でもロシア民謡を通して触れられていましたが、ソ連オマージュ劇団かな。演目がチェーホフでしたしね。
赤い星といえば、共産主義のシンボルです。
しかも、チェーホフが演目ときた。
そうなれば、これはもうそう言う連想をされると。
所属する亀山蘭子について、公式サイトではこう書かれています。
新劇ブームの中で生まれた劇団のひとつ「赤い星座」の看板女優。美貌や演技のわりに、なぜか人気はパッとせず、映画出演の機会にも恵まれない。
つまり、彼女はこう言われていたってことでしょう。
「あの女優はいいねえ。美人だし、演技もいい、華もある」
「でも、ありゃアカだから」
こういう冷戦時代の共産主義への弾圧を「レッドパージ」と呼びます。
日本では、ソ連に抑留されたシベリア抑留被害者、国共内戦に巻き込まれ中国に残留した兵士といった人々も、こうした冷たい目にさらされたものです。せっかく帰国したのに、「アカ」として差別を受けることになる。そんな悲劇があったのでした。
ハリウッドでも1950年代にこうした嵐が吹き荒れ、その結果多くの映画関係者が苦しめられました。
冷戦終結後、あれはいくらなんでも酷い弾圧だったと、世界的に問題視されています。
『トランボ ハリウッドで最も嫌われた男』は、その過去を描いた名作です。
共産主義による虐殺や弾圧は、確かにありました。
※北朝鮮から逃れる家族の苦闘とか
※文化大革命とか
※ソ連の腐敗とか
しかし、だからといってこういうレッドパージや白色テロ(反体制派への弾圧)が対消滅になるわけでもありません。
冷戦終結後の反省。あの東西対立のせいで結構な損失が出ていたのではないか?
そんな反省が、今世界では見られるようになっています。
前述の『トランボ』がその好例です。
まさか朝ドラでレッドパージが出てくるとは。予測すらできないことでした。
なるほどね〜、つくづく新境地ですね!
コネと逮捕
本作のスタッフが、前作****をどの程度意識していたのか?
そこはわかりません。
ただ、あれとは違う――そう訴えかけるようなところがあります。
朝ドラで逮捕って、実はそこまで珍しくありません。
朝ドラ収監レジェンドこと****の**さぁんは四度ですからね。
最初は冤罪でも、そのあとは……まぁ、逮捕以外でも法に触れていたことは確かです。政治家がらみの贈収賄を美談にしていました。
ちなみにモデルの逮捕歴は、完全にクロです。
咲太郎の逮捕だって、社会への影響度を考慮すれば**さぁんに比べてかなり霞んでしまう。
そこはさておきまして、その描き方には結構な違いがあります。
◆コネへの態度
→****では、社長の親族を優遇し、ろくに就職活動をしてこなかった息子を好待遇で雇用。親族経営を家族愛のようにほのぼのと描いていました。
→一方で、本作ではコネ頼りが完全に裏目に出ています。スタンスとしては正反対です。実力だけで勝負しろ! というわけですね。
◆逮捕される彼のこと
→****の**さぁんは身寄りのない孤児という点はあったけれども、その心情や設定を忘れたような投げやりな展開ばかりでした。悪事を働くにせよ、身勝手で同情のしようがありません。GHQ二度目逮捕に至っては、従業員をこき使っていたことが背景にあります。
→咲太郎は、育ちの不遇や寂しさが背後にあると、徐々に明かされていきます。もっと別の道があれば……そう感じさせる余地があるのです。
◆動機や反省
→****の**さぁんの逮捕や転落は、身勝手なものです。そして苦しい目に遭い、周囲を酷い目にあわせても、終始自分は無実だというアピールばかり。たまにちょっと頭を下げると、大仰なまでそのことを言い張るのです。
→咲太郎の場合、兄としての不甲斐なさや寂しさを感じさせます。なんとしても家族のために何かしたい。そんな悲しさがあり、それができなくて苦しんでいると伝わって来ます。
人間は、常に正しいことだけをしているわけではありません。
いい子だけじゃない。
悪い子がいてもよいのです。
泰樹だって、大きな過ちでなつや周囲を苦しめたことがあるのです。
そのことを認め、反省し、周囲とどう理解し合うか――そのことが大事です。
本作はそこをわかっていると思います。
真摯な反省と巻き返しこそ、よいものです。
自分は悪くない、仕方なかったと弁解に終始する姿は、論外。
咲太郎も、きっとそうできると信じたいところなのです!
家族だからといって、男だからといって
咲太郎は厄介です。
本作は意識的に、なつが周囲の男性に救われる。
そういう He For Sheのドラマだと思います。もちろん女性だって、助け合ってはいるのですが。
なつを見守る亡父。
北海道へなつを連れてきた剛男。
白い大魔導士・泰樹。
北海道の頼れるお兄ちゃん・照男。
一緒に働く戸村親子。
迷わず絵を選ぶように背中を押し、アニメの世界へ導いた天陽と陽平。
明るさで励ましてくれる雪次郎。
芸術の道を教えた倉田。
命を救った弥市郎。
東京までついて来てくれた雪之助。
アニメへの道を導こうとする仲。
厳しく指導する野上。
その中で、幼い妹を支え、なつがすがっていた咲太郎。
その転落は何でしょうか。
ここであげた男性の中で、一番なつとの会話が噛み合っていないというか。
なつが気遣いをしてしまっている。
なつは甘え上手で、人と話す時はリラックス感があるものです。
それが、咲太郎だと女癖に目を光らせねばならないし、それをたしなめるし、なんだかわけがわからないし……一番本音を出せていないような、噛み合わなさがあります。
そしてかえって迷惑すらかけられる。
咲太郎はまるでジョーカーです。
これって結構、大事なことではありませんか。
家族はわかりあえるという神話があるもの。
実は、そんなわけでもない。
このことは、円満な家庭育ちだと理解できません。
柴田家からは理解されないかも。
そういう家族神話に、本作は切り込んでいるような。
トラブルメーカーの親族を抱えた辛さが描かれるとすれば、画期的なことです。
モデルは無茶苦茶な人物でも、朝ドラでは美化されることが多いものですから。
『わろてんか』の藤吉なんて、美化どころか召喚アイテムで、死後も呼び出される存在になりましたからね……。
本作は、朝ドラの挑めるギリギリに切り込んでくるようで、目が離せません!
そして咲太郎の苦しさは、男ゆえのものであると思えて来ます。
なつといい、夕見子といい。女だからという鎖に阻まれてきました。
この苦しみは、女だけのものではありません。
泰樹ですら、自由ではなかった。
男だから、稼いで女を養え。
面倒を見て幸せにしろ。
家長ならば、なおのことそうせねばならない。
咲太郎は、その男ゆえのジェンダーの鎖に囚われているように思えるのです。
幼くして父を失い、家長となった咲太郎。
男としての苦しみがそこにはあるのでしょう。
男なんだから、母ちゃんの舞台を取り戻したいと願い、莫大な借金を抱えた。
その結果、逮捕されてしまった。
そして今度も、男だから、兄だから、妹のことを助けようとして、庇護しようとして逮捕されてしまったのか。
この鎖を解くために、何をすればよいのでしょうか。
本作は、そのヒントや答えを見せてくれるのでしょうか。
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
良くできた背景等のシーンが、「画像ストック」として後のドラマ作品制作にも活用されるという話は、これまでこちら「武将ジャパン」の大河ドラマレビュー等でしばしば述べられてきました。
例えば、関ヶ原の合戦シーンなど。
『八重の桜』における会津若松城その他の戦闘シーンなど。(もっとも、その後の幕末維新大河には何故か全く活用されていませんが)
レビューでは紹介されていませんが、『東京が戦場になった日』(東京大空襲時の少年消防官等を描いたドラマ作品)の東京大空襲のシーンも、朝ドラ『花子とアン』などで活用されていました。
しかし、今年の大河ドラマ『いだてん』と本作『なつぞら』では、「路面電車のある東京の街角のシーン」として、不適切な画像ストックが作られてしまったのではないか。
あるいは、「『路面電車のある東京』はあのロケ施設を使えばいいや」という安易な姿勢が生まれてしまってはいないか。
そのような懸念があります。
『いだてん』と本作で多用された、茨城県の「ワープステーション」のオープンセットの路面電車と「近現代の街角」。
『いだてん』明治期には適合しますが、大正期の東京にはもう合わない。何故なら、利用客の急増で、大正期には、東京の路面電車は木造のままながら大型化し、あの作中の電車とはまるで違うものになってしまっているから。
関東大震災以後の時期には、建物の多くも適合しなくなってしまうでしょう。
まして、本作のような「昭和30年代の東京」には完全に不適合。「使ってはならない」レベル。
もちろん、仙台市や福岡市など、関東大震災とは無縁で、大戦直後頃まで本作登場のような電車が使われていた都市の、戦前期までなら適合するでしょうが。
大阪市や名古屋市はダメ。
そこは「適材適所」。きちんと考えて使うべき。
ロケ施設に対しても甚だ失礼なことになってしまうと思います。
なつを不採用にした社長の決定に怒る仲。
そして、
またしても出してきた「明治の幽霊電車」に怒る私。
咲太郎が街角でぶつかった若者を睨むシーンの背景。電車ばかりかビルまで、明治期の欧州調むき出しで、戦後の新宿にはまるであり得ないビル。
こんな建物や電車を、本作新宿編の背景に使う合理的な理由など、どこにもない!
NHKが何故このような不自然極まるシーンを制作したのか、度重なる照会に対し、NHK側から回答がありました。
○このシーンは茨城県の「ワープステーション」のオープンセットで、そこの路面電車を借用して撮影していること(←第31話のZai-Chen様のコメントのとおり)
○NHKとしても時代考証的にふさわしくないことは承知していながら、改造するのはスケジュールや費用の面で困難だとして、そのまま撮影したこと
といったことが、記されていました。
「昭和30年代初期の新宿の建物や電車ではない」ことをわかっているのに、何故ロケ撮影場所に選んだのか。
それについての答えは全く無く、疑問は深まるばかり。
十勝編にせよ新宿編にせよ、本作の制作スキル自体は極めて優れたもの。
あの一連の新宿の街角のシーンだけが、全く異質なもので、何故紛れ込んでしまっているのか。このシーンなど無くても、新宿の街頭を表現するのに何の不足もないのに。
いやむしろ、無いほうが、かえって新宿らしいとすら言えます。極めて酷な言い方ですが。
今回も、咲太郎が仲と別れた後、付近の人や電話ボックスと一緒に突然明治の東京にタイムスリップしてしまったかのような、おかしなものになってしまっていました。
前後のシーンが、しっかり作られた、良くできたものでも、間にこのおかしなシーンが入っていると、全くぶち壊しになってしまう。
全く残念なことだと言う他はありません。
本作の数少ない、しかし最大の致命的な欠点です。
要するに、
咲太郎 ≒ 寅さん
という空気が濃厚になってきました。
ということは、
なつ ≒ さくら(※『べっぴんさん』ではない。当たり前か)
でしょうか?
なつが、柴田家に帰省しているところへ、ひょっこり咲太郎が現れた…なんてな場面を想像したら、
それはもう『寅さん』そっくりのような?