昭和31年(1956年)、暮れ。
なつはアニメーター試験に挑みます。
「へたくそ!」
本人はそう嘆きます。
「はーい、そこまでー!」
仲がそう告げて、試験終了。果たして結果は?
退室前に、眼鏡の女性である三村茜が声を掛けてきます。
なつから、只者ではない何かを感じたのでしょう。
「全然、駄目でした……」
そう振り返るなつ。謙遜でもないようです。
試験結果は?
さて、結果は……なつはなんと15枚どころか30枚も提出していたのです。
仲と井戸原は興奮気味ですが、上層部はそうでもない。
仕上がったものは、たったの13枚。
それも線が歪んでいる。
仲と井戸原は、訓練を受けずに独学だからそうなのだと説明します。
「ほとんど勘じゃないか」
そう突っ込まれ、逆に仲は大興奮します。まさにそこがポイントなのだと。
こういうこと、実際にあります。
「スポ根漫画かよ〜」
と突っ込みたくなる方もいるでしょうが、実在の例があります。
「ふらっと道場に現れた少年が、彼にしかできない技で大活躍!」
これが史実なんだなぁ。
こういう勝負に強いタイプって、いるものです。
彼もそうでした。
「道場の試合ではそこまで強くないのに、実戦だと無茶苦茶強い!」
『半分、青い。』の楡野鈴愛もそうでしたっけ。
ネームなし、いきなりノートに描いたものを突きつけられ、秋風羽織が弟子入りを持ちかけたほどでした。
まぁ、五平餅目当てのメシアシだったという策もあり、揉めに揉めましたけれども。
勘だけで生きて何が悪いのじゃ!(いや、悪い時もある)
そういうなつの持つ可能性を、きっちりと説明してきています。
ただ、これも説得力がないといかんのです。
なつの場合、十勝の生活の中で、感受性の鋭さを見ていました。
「魂は訓練や理屈じゃない!」
ということを、天陽の口を通して言わせましたし。
思えばなつがアニメーターになる決意を固めた場面は、朝焼けの中、ひとすじの涙で表現されていました。
なんだかロマンチック……そう思えるのは、ドラマとして見ているからでしゅ。
現実世界でこういう勘で生きる者がいると、本人だけでなく、周囲が大混乱に突っ込みかねませんからね……。
そういえば、泰樹の前世・真田昌幸もこう言っておりました。
「わしも勘だけで生きておる」
「それでもたまには間違える」
そういう、なつは【勘だけで生きておる】の愛弟子なんだ。
いや、おそらく本人にはきっちりとした思考プロセスがあって、説明するのが面倒くさいだけなのかもしれません。
※【勘だけで生きておる】被害者の会代表・室賀正武さん
ただ、ちゃんと本作には裏付けがある。それが非常に大事です。
ナレーションがキャピキャピと、
「なんか天才がすごいもの作りましたぁ〜」
で処理していた、****の天才描写とは違う。
結論は不合格
なつは仲から【不合格】という結果を聞かされます。
冷静に、状況を受け止めています。
「悔しそうじゃないね」
「悔しいです。自分のせいですから」
なつはそうハッキリと言い切ります。
あ、そうか……自分のせいじゃなくて、咲太郎のせいで不合格だった時は、かなりムッとしていたのかも。
咲太郎の罪は、やはり重い。
ここで仲は、どうして30枚も描いたのかと聞きます。
「イメージが湧いてきて描きました」
イメージが脳内にわーっと湧いてくる。
自分の描きたいものに技術がおいつかなくて、それがもどかしくてたまらない。
「自分が下手だとよくわかった。それが悔しい」
なつはそう言います。それから話が吹っ飛ぶのです。
「今の自分には、おいしい牛乳が搾れない」
「なんで牛乳?」
ここであわてて、乳牛を育てることには自信があると言い出します。
それから、動画の勉強を続けさせてくださいと決意を固めるのでした。
「今日はありがとうございました!」
正々堂々、そう言い切るなつ。
泣くほど、うつむくほど、彼女は暇ではありません。
いい演出だと思います。
視聴者のお涙を狙ったかのように、ワンワンと泣かせて演技と言い張る。そういう雑な演出でなくて、本当によかった。
「参ったね……」
仲と井戸原はそう語り合います。
イメージに手が追いつかないのは、自分たちもそうだと。
「あの子も一生、悩むんでしょうね……」
そう言い合うのです。
あの葛飾北斎ですら、最晩年になって、
「なんか俺、絵が描けるようになって来たかもしれねぇ」
と言っていたそうですし。
そういう、楽しくて辛い世界が、なつをこの先待っています。
天然キャラを装える者はそうはいない
はい、ここでのなつの牛乳にふっとぶセリフですが、
「いい子ぶりっ子だ〜」
「狙った天然キャラ〜」
というのは、もうやめておきましょう。
天然は狙って出せるほど、難易度は低くありません。
狙ってテヘペロ♪
というのはあくまで二次元世界でのこと。
『半分、青い。』にもそんな心無いツッコミがあったものです。
これはなつの性格と思考プロセスゆえ。
勘が鋭いことと、表裏一体なのです。
狙って作れないから、天然なのだ。それはキャラクターでも同じこと。
勘が鋭い。思考プロセスが飛びやすいのです。
それは、なつの行動を見ていればわかります。
モモッチや富子から、作画の際に手が動かないといったことを指摘されています。
集中力がないわけではない。
興味関心があることは、すぐに飲み込む。照男よりも酪農センスがあると、幼少時から示されていました。
一方で、どこかにすっ飛ぶ傾向があるのです。
本人も、それが辛いことがあります。
事務作業や接客業をやらされると、精神が大打撃を受けかねない。そういう危険性があります。
鈴愛の人生が曲がりくねっていること。
それは彼女の性格的に仕方ないと劇中で説明されておりました。
本作ほど緻密ではなく、より感覚的ではありましたが。
「田舎娘がフラフラするな!」
という批判もありますが。
しっかりした性格かつ、大都市の金持ちお嬢さんお嫁さん以外にも、人生なり物語があるんですよ。
※続きは次ページへ
来週の予告編に、アベルト・デスラー…じゃなくて山寺宏一さんが声優役で登場していたような。
これは見ものですな。
はて? 「衣装が当時のものでない」という投稿なんかありましたっけ?
補色云々の的外れな投稿はあったと思いますが…
土曜日の放送前に北海道ローカルで放送されてる「なつぞらノート」という番組で、天陽のモデルと思われる画家・神田日勝を取り上げていました。日勝もドラマの天陽同様、兄に影響されて絵を描き始め、兄は東京の大学に行ったのと対照的に十勝に残って農民画家として絵を描き続けますが、32歳の若さで亡くなります。
ドラマでは、なつと思われる女性の描かれた未完の絵の上から赤の絵の具を塗った天陽。日勝の絶筆となった馬の絵は上半身だけが描かれた未完の作品でした。何か天陽の悲劇的な運命が暗示されているようで怖いです。
「なつぞらノート」については、NHK札幌放送局のサイトで内容を見ることが出来ますので、興味のある方はどうぞ。
話変わりますが、一部の週刊誌で東京編以降の不振がつぶやかれているようです。
北海道編の出来に比べ、東京編がイマイチということなのでしょうか? 件の記事では、北海道を描いたことで評価がよい方に補正されてた部分があったが、東京編はそれがない分苦戦しているというような事が書かれていました。
ここのコメント欄でも、町並みや電車、花束に続いて今週は衣装とか、当時になかったようなモノがドラマに出ているとの指摘がなされてます。これらはいずれも北海道編でいえば牛舎に搾乳のパイプラインがあるとか、牛に個体識別番号を記した耳標がついているというレベルのミスでしょう。(耳標は外すことはできないので画像処理?でうまく消してましたな。)
景色とか内地と異なる生活とか北海道補正がかからない分、東京編は北海道以上に気をつかうべきだったのではと思ってしまいます。
日曜午後など、次の更新まで空き時間が長い時間帯は、「揚げ足トリ男くん」の出現帯域か。
誤字脱字を訂正されないのはなぜですか。
Illustrator処理でもされているならともかく、文字を直して再度のアウトプットは難しくはないのでは。
天陽君の悲しさ。
胸が締め付けられます。あの手紙の後で、なつの絵は描けない、辛すぎるよね。
でも!彼の絵は認められたんです。
よき理解者と出会うきっかけとなってほしいです。彼は自覚してませんけど、
ちゃんと世に出たんですから。
その点では、なつはまだまだ頑張らないと。
ポリコレに関しては、第一週の頃のコメントで、「ポリコレのせいで最近の作品は歪められている」等といったとんでもない主張をし、「レビューでポリコレ云々を書くな」とも繰り返していた(表面的な言葉遣いは穏やかではあったものの)投稿者がいて、実に嫌な気分にさせられたこともありました。
やっぱりあんな考え方はない、あり得ない。
そう確認できました。
訂正・補足します。
×落語家師匠が、 → ○落語家師匠が語った、
本作に、「不自然な主人公補正」はない。
良いことです。主人公補正は、使い方が肝心。むやみに多用されると、話が空々しくなりますので。
合格はできなかったけれども、時間内に30枚もの画を描き上げたなつ。
脳内にイメージが湧いてくる。溢れるように。湧いてくるままに、それを絵にした。
OP画像にある、「アニメーターが描いている画の中のキャラクターが、紙から飛び出して駆け出していく」というシーンは、まさにそれを象徴的に表したシーンのように思えます。
少し前の回で、「風車」に来ていた落語家師匠が、「命が籠められていたら、絵は勝手に動き出す」という趣旨の言葉も思い出されます。
天陽君が目に涙を浮かべながらなつの絵に朱入れするシーンはショックだし本当につらかったです。「帰れません。帰りません」という、なつの、天陽君の気持ちには無配慮な頑張る宣言に心臓をつかれたようでした。なつならわかっててもやったかもしれませんが、まだこの段階では無意識にやってるだろうことで攻めどころをなくし、天陽君にとっては残酷さが際立つ気がします。
録画で見直して、あの直前のプロポーズに成功したみんなと鍋を食べてるシーンの彼の内面のつらさも倍増しました。
今回はなつの不合格の告知シーンもあり、これだけのことをたった15分に(不自然でなく)詰め込めるもんなんだなぁと本当にその手腕に感嘆します。
そのせいか(?)、アップの時間も少し遅めだった今回の感想もいちいち得心しながら読ませていただきました(ポリコレの話は個人的に最近ピンとくることもあって響きました)が、一点だけ、照男君はなつに恋心はなかったんじゃないかな(だからサラさんにふられて乗り換えたわけではない気が)と思いました。まぁ、些細なことですが。
いつも楽しみに読んでます。ありがとうございます。
勉強岳→勉強が
スマホは入力は便利なようです難しいですね。
なつちゃんの服装を見ていて、この子は絵の勉強岳で頭がいっぱいで、服装のことは考えない。だから、何も考えなくても服を選んでくれる人がいるのは、とてもありがたいのだろうと思う。制服がなければ、「今日は何を着ていこう」と考えるのは、けっこう大変なので。それが、彼女らしいと思います。
「あさが来た」の話が出ていますが、私も後半恋バナばかりで、他にもっと色々あるのにもったいないなと思っていました。ヴォーリズも出して欲しかったのに、得体のしれない外人が出てきただけ。へいさんと美和がひっついたのも安易。モデルは中川小十郎なのに。成瀬仁蔵についても、ものすごくひどいキャラに変えられた。それでも、あのドラマは総じて楽しかったし、長年見たことがない朝ドラを見るきっかけとなった。その役割としては成功でしょう。