きょうだいは千遥のところへ行く日取りを検討します。
やはり休日がよいだろう。
ちゃんと迷惑や都合を考えねばなりませんね。
「お盆、八月十五日にしよう」
「それはいい」
「その日なら、思い出してくれるから。そでしょ? 覚えているよね」
あんな辛い思いをして、忘れるわけない。そう思い出す幼い日。
信哉が、辛いだけではなく、楽しいこともいっぱいあったと振り返ります。
魚が釣れて、笑いあったあの日。そうです、そんな思い出があればこそ、なつは家出までしたものでした。
8月15日は特別です。
玉音放送の日として記憶に残っています。
正式な終戦は、9月2日の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印ではないかとか。
ソ連の参戦にさらされた満州や樺太は、むしろここから先が大変だとか。
そういう事情はあるものの、東京の戦災孤児ならば、この日が特別なものであって問題はないでしょう。
満州の混乱は当初の構想通りならば『いだてん』でも描かれるはずです。
『半分、青い。』の仙吉さんもその一人でしたね。
満州の混乱は『めんたいぴりり』も併せてみたいところです。
※ドラマ版もいいですよ〜
ダメ出しされるかぶき者・亜矢美のワードローブ
そして巡ってくる、その特別な日――。
戦争に引き裂かれたきょうだいが、再開して戦争を終える。そんな日になるはずでした。
なつは亜矢美にコーディネートを相談するのですが、結構いうことがきつい。
「変だと警戒される……」
警戒って、おい。
「遊んでいるように見える……」
おい、おいっ!
「バカっぽく見える……」
ここで亜矢美が、
「これは全部私の服なんだけど」
と、突っ込みます。
「あくまで妹の視点です!」
そうフォローしますが、時すでに遅しと言うか……なつの空気を読まない、そういう性格も出てきましたねぇ。
それでも亜矢美は、受け流すと言いますか。
そういう見え方をしてこそ、かぶき者ってものでしょう。
なつはメンタルが厚かましいところもあるようですので、あのマコと殴り合ったあと、戦友になれると思います。
再会できるのか?
そしてなつと咲太郎は、千遥がいるという栄春荘へ。
和風の名前が立派なわりに、ボロっちいのがいかにも昭和のアパートです。
「どうする?」
「ここまで来たら、行くしか!」
すると手前の部屋から、おかっぱ頭の少女が出てきました。足の不自由な男性を優しく支えています。
お互いの存在に気付き、ぺこりと頭を下げる、きょうだいたち。
なつが堪えきれずにその名を呼んでしまいました。
「千遥?」
ああ、なつよ。
あわてず気を落ち着けて、来週に続けよ――。
なつの宿敵登場か?
今日の大杉社長は、お見事といえばお見事。
「あーた」という口調といい。
ガハハ笑いといい。
笑えと部下に指示するあたりといい。
昭和の鬱陶しいおっさん社長全開ではありませんか。
なつをレッドパージで落とした張本人でもあります。あれは咲太郎の暴走が裏目に出た結果ではありますが。
漫画映画の中身を評価せず、売上だけを見ているというところも、全く魅力的ではありません。
なつがカチンと来たのも、そのあたりでしょう。
前作****では、某画伯の絵を評価する際、値段で判断していました。
芸術を値段だけで見る、ゲスな展開だよな〜思ったものですが。
大杉については、
「こいつはゲスなんです!」
というニュアンスをきっちりと込めて、表現して来ました。
泰樹は漫画映画が何かすら理解していないし。
野上も子供の落書き扱いです。
それでもなつの夢を否定しないし、ジャッジするわけでもない。仕事上の利害関係もありません。
ところが大杉は事情が違う。
・芸術性への理解が乏しい
・仕事上の上司
・部下を金儲け道具扱いしている
・女性蔑視
・因縁がある
これだけ条件が揃うと、今後なつとの敵対は不可避と思えて来ます。
うーん、どうなるのかな?
この敵は味方にできるのか?
もう一人、マコですが。
こちらの敵対サインはわかりやすいものです。
・初対面がともかく最低だった
・いちいち小馬鹿にしてくる
・期待しないと牽制もしてくる
その一方で、なつとの共通点もあります。
・友達が少ない濃い性格
・才能を認め合った者のことには敬意を示す
・変人同士、ファッションセンスも個性的
モモッチや茜のほうが、とっつきやすいですが、こういう濃いキャラクターを持つ者ほど、戦友となれば心強いものです。
さんざん殴り合って、ガシッと和解する王道へ向かってください!
しかしマコの言うことは、信頼できない
マコといえば、
「実力で結婚後も引きとめられていろ!」
というのは、完全に大間違いです。
この理屈は、今話題になっている#KuTooでもあるものです。
「パンプスやハイヒールが好きな人もいる」
「履いていても、問題がない人もいる」
「工夫で何とかしろ」
◆#KuToo 呼びかけの石川優実さんに飛び交う理不尽なバッシング。当人が思い語る
足のサイズによっては、どうあがいても、高いものを買っても、対策しようのない人がいるものです。
個々人の努力でどうにもできないからこそ、システムや意識を変えてゆく。
これはマコの前世と言いますか。
『おんな城主 直虎』において、小野政次退場後、井伊直虎がたどり着いた境地でもあります。
戦が嫌ならば、勝ち続けるのではなく、戦のない世の中にしよう!
そんなシステム変革に期待し、井伊谷は家康につくことを選んだのでした。
そんなわけで、マコの暴論はその前ぶりだと思います。
前述の通り、マコは性格も論理も破綻気味ですし。
母性神話はもういらない
今日は母性神話にも、キッパリとNOを叩きつけました。
最近話題になった映画に、こんなニュースがありまして。
◆話題の映画『RBG』日本版コピーに見るジェンダーバイアス。日本の映画配給会社のカビ臭い感性に辟易 | ハーバービジネスオンライン
ノトーリアス・B.I.G.をもじって、ノトーリアス・R.B.G.とも呼ばれる、ワルカッコいいババア枠として大人気の女性弁護士です。
その宣伝がどういうことだ、センスが「全くわからん!」という状況に。
『RBG 最強の85才』のアメリカ版ポスターには、「Hero、Icon、Dissenter(英雄、アイコン、反対意見者)」と書かれていた。ところが日本版ポスターに書かれていた言葉は「妻として、母として、そして働く女性として」だった……。
ここで挙げられている例だけではなく、”Suffragette”が『未来を花束にして』にされた例もなんだこれ……と思ったものです。
予告編も、落差がひどいのなんのって。
※海外版
※日本版
極悪非道な一例としては、英語版では人種差別をテーマにしているとわかるのに、日本版だと、黒人の血を引くことを隠蔽するかのような、恋愛もの宣伝にされちゃったコレとかね。
※海外版
※日本版
前述のRBGを描いた映画だって、何をどうすればこういう邦題になるのか案件なんですよ。
“On the Basis of Sex”
(性に基づいて、性差別がテーマだとわかる)
『ビリーブ 未来への大逆転』
むしろ大逆転すべきなのは、映画配給会社でしょう……もう邦題詐欺。
最近は、英語のできる映画ファンが監督に直訴して激怒する例もありますので、そろそろやめたほうがよろしいでしょう。
◆映画『ビリーブ 未来への大逆転』主演フェリシティ・ジョーンズにインタビュー、女性弁護士の感動実話
ナゼ、朝ドラレビューで海外のへっぽこ邦題をあげたのか、って話ですが。
前述の記事のように、ヒロインの爪と牙を引っこ抜くテクニックといえば、朝ドラがおなじみであるからなのです。
「母として誇れる仕事にしよう!」
一見、美談じゃないですか。
従来の朝ドラヒロインならば、目をうっとりとさせて感動してもよいところです。
「母として家事育児できなくて、私ってダメ!」
と、あの広岡浅子がモデルのヒロインにまでテヘペロさせて来た。
それが朝ドラですよ。
ジェンダーバイアスを燃やせ
しかし、なつは違う。正面切って怒った。
母になることと、仕事は別物だろうが!
何か混同していい気になってんじゃねえぞ、オラオラオラー!
そういう怒りを、きっちりと見せて来ました。
このあと、なつが常盤御前と牛若丸を描くとき、富士子と自分の姿を連想させていたことも、重要です。
ジェンダーバイアスがしみ切っていたチームならば、いつか母になって、我が子を抱きしめるなつの姿にしかねないところです。
女はいつか母になる日を夢見ている。だから優しい。
そうなれない女は欠陥品で、母性なんか理解できない――。
それこそが、ジェンダーバイアスなんですよ!
それに、差別でもあるのです。
血の繋がった母がいないこと。母とならないこと。
そういう人間の人生はどこか劣っていて、歪んでいて、異常だ。そういう偏見の再生産にも、つながりかねないのです。
本作は、そこと決別します。
なつは実母ではなく、義母とのぬくもりで想像できていました。
以前も指摘しましたが、本作のナレーターが父ということも、象徴的です。
女性親族が見守るナレーションは、多いものでした。それが敢えて男性になった。
男性でも、家族を見守り続けられる――そんな果敢な挑戦がそこにはあります。
なつの精神的師匠が、男性である泰樹であるというのも、象徴的です。
男だからこう。女だからこう。
そういうジェンダーバイアスを本作は、緻密に否定しにかかっています。
先ごろ完結した『ゲーム・オブ・スローンズ』でも、母を絶対的な善とする価値観を乱暴に破壊しました。
「私はドラゴン、そして虐げられた者たちの母です!」
と宣言するヒロインが、大破壊をするという恐ろしいやり方ではありましたが……。
本作は乱世ではありませんので、穏やかなやり方ではあります。
それでもなつはじめ本作は、ジェンダーバイアスを破壊しに向かいます。
ジェンダーバイアスには、ドラカーリスあるのみだ!
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
67話未試聴現在、おばさんの川合としさんも気掛かりですけど。
ところで、明日からは『ゲゲゲの女房』の再放送が始まりますが、今回は見所の解説はあるのでしょうか。私的には、あれは本当に名作だと思います。
本作を見ていて、私達が改めて再認識しないといけないかな、とふと思ったのは、昭和30年代の庶民大衆の日々の暮らしというのは私達の想像をはるかに超えるほど地味で慎ましいものだったことです。何しろテレビをはじめ基本的な家電すらまだほとんど備わってなかったのですから。そういう時代、大衆から見た有名人というのは文字通り雲の上の別世界の存在だったのでしょう。
ところが本作は、そういう土や草の匂いがする庶民群像を描く基本路線に視聴者を乗せておきながら、新宿中村屋の相馬夫妻の令嬢、紀伊国屋書店の田辺茂一、そして今度は徳川夢声、そんなお歴々がなにげに登場してくる。で両者の距離感が絶妙で不自然さが無いのです。十勝農業高校出の酪農娘なつは、彼ら東京エグゼクティブに敬意は払うけど決して卑屈にペコペコしたり媚びたりしない。彼らの側も「気さくに庶民に交わってやっている」的な嫌味が無い。だから和やかな気持ちでリラックスして見ていられます。
そのあたりも前作の大阪ラーメン物語は本当にひどかった。口先では無名の庶民がけなげに頑張るきれい事ばかり、本心は財産・名声・権力をつかんでどやっという得意顔がギラギラでした。
いだてんと同様、往年の東京っ子のサラッとした気っ風の良さを存分に描写している本作、東京出身の私には誇らしく思えて満足感十分です。
以前のレビューでツボにはまって以来、マコが登場してくると、つい台詞を小野正次流に変換してしまう癖が。
翻訳機の設定が…いや、何でもありません。
今回も、つい変換しながら見ていました。
レビューでも、やっぱり。
ツボにはまり続けています。
後半、ついに千遥が。
養親の戦傷という経緯や、アパートの様子から見て、決して生活は楽ではなさそうでもあります。
従軍して負傷したからには、軍人恩給の傷夷軍人扶助料が支給されるのでしょうが、十分な額ではないのか。そんな様子も感じられます。
予告編での、咲太郎となつの涙、咲太郎の言葉。
これは何を意味するのでしょうか。
本作の「開拓者」と「表現者」というふたつの要素が登場人物たちに与えているベクトルが、非常に秀逸で楽しみです。
終戦後まもなく、まだ高度経済成長が始まる前ですから、彼らの眼前には前人未到の未開拓の大地が360度に広がっていることでしょう。
なつはとても分かりやすいですが、彼女の周囲にいる人たちも、開拓と表現のふたつの要素に引っ張られて前へ進もうとしています。人それぞれ、どの方向を選ぶのかは様々でしょう。
漫画映画のなつ、テレビメディアののぶ、咲太郎は声優プロダクションを起こしそうな勢いだし、亜矢美と夕見子はまだ雌伏している。雪次郎は開拓者精神を抑え込めなくなってる。天陽はリアル開拓とリアル表現をハイブリッドでやって、しかもどちらも地に足がついてるから凄い。
千遥にはどんな未来が待っているのかな。楽しみです。