茜の結婚相手は、なんと下山でした!
な、な、な、なにーっ!!
堀内が静かに敗北を噛みしめている中、神地がものすごい顔になっています。
※なんで結婚するかのう! 茜ちゃんめえええええーーーーーー!!
なんかオーラもすごいものがある。
神っち、そういう性格だから茜ちゃんに選ばれなかったんでないかな?
そう突っ込みたくなる、失恋魔王っぷり。
いちいち濃いよ。うまい!
ここで坂場も、独特の変な顔をしています。
これはアレですね。彼なりに学習したんですね。
チャラララーン♩
【坂場は 恋のチャンスを 逃す苦しみを学びました!】
いや、なんでそうなるの?
バッタがたくさん飛来したから、凶作が起きる――『三国志』じゃあるまいし、そう突っ込みたくなりますよね。
一般常識で失恋は辛いことくらい理解できるはず……って、それはどうでしょうか?
ともかく、彼なりに因果関係を理解したのでしょう。
どういうことなんだよ、とツッコミたくなる気持ちはわかるのですが、坂場は多分そういう人じゃないんだ。
本作のうまいところって、表情にわざとらしさがないのです。
わかりやすく歪めて変な顔をするのではなくて、天然ものですよ。演技だけど、天然ものぽさがある。合成着色料を使っていない系。
さて、神地はある意味めげません。
「茜ちゃん、俺と最後に踊ってください! きみとのダンスを体が覚えていれば、いつか仕事に役立つと思うんだ!」
なんなんだよ、こいつは……仕事と恋愛切り離せばいいでしょ。思い出だけでいいでしょ!
そう突っ込みたくなるのですが、まぁ、神地ですから。
ここで、坂場がなんだかすごいことを発見した顔になっています。
チャラララーン♪
【坂場は 恋と仕事を 結びつける策を学びました!】
坂場だから、そこは、坂場だからねっ!
茜のメガネを取り、束ねた髪の毛をほどいて、派手に踊る二人。
おい……、これ、下山の前で……まぁ、下山はその場面をスケッチしているから許されているのでしょう。むしろ堀内の方が、描こうとして鉛筆をぐしゃぐしゃと動かすだけです。
通りかかった大杉社長も驚くほどの、情熱的なダンス。
はい、ここで突っ込ませてください。
あなたたち全員、おかしいから!
特に神地。
なんであんな毘沙門天顔になるんですか!
そんな中、下山と茜の結婚云々どころか、勝手にレベルアップしている坂場。末恐ろしいわ!
長編映画に動きあり
そして開けて、昭和40年(1965年)。
下山は仲と井戸原に呼び出され、長編映画監督に任命されます。
「茜ちゃんをものにしたしたたかさに……いや、冗談だ」
井戸原はそう言ってから、演出家を誰にするか裁量を任せます。
下山は迷いません。
「演出はイッキュウさん! 坂場一久です」
しかし井戸原は却下します。
まぁ、テレビを任されていますからね。
それに、長編漫画映画は観客動員が下落傾向にあります。もう失敗が許されない状況なのです。
ここでの井戸原と仲の反応と、昨日の坂場を思い出してみましょう。
この二人は、坂場を嫌っていません。
悪意でテレビに飛ばしてもいない。
つまり、彼の思い込みは妄想じみたところがあるのです。めんどくせえええええ!
「ならば尚更、イッキュウさんです!」
下山はそう宣言します。そして、その案は通ったようですが……。
そのあと、あの階段にて。
【ジャーン、ジャーン、ジャーン!】
げえっ、坂場!
どういうプロポーズなんだ……
おなじみの不意打ちですね。
なつが坂場から呼び止められます。
「ちょっと!」
坂場はなつに訴えかけます。下山から長編映画の演出を任されたのだと。
そしてこう来た。
「もちろんきみには、テレビを抜けて来るように」
「会社が言うなら。喜んで」
これも、おかしいのです。
もう、自分の思う通りになつが行動するとなっています。なつは会社の意向をふまえていますが、坂場からは抜け落ちていると。
そして続きは、こうなりました。
「そしてもし、長編映画が成功したら……僕の人生にはきみが必要だということになります」
「は?」
どういうことなの?
しかも、なつにぐいぐい迫って来る。
キスをしたいとか、抱きしめたいとか。
そういう狙いはなくて、ただ無意識的に距離感がおかしくて迫る感じですね。
少女漫画の「壁ドン」あたりと比べてみるとわかります。
※全然違う……
壁ドンは、心理的な狙いもあるのでしょう。
坂場には、そういうものが一切ない。ドキドキするどころか、気持ち悪いのです。
喋り方も、明らかにおかしい。
乙女ゲー予告で、声優さんによるキメキメイケボと比較しましょう。むしろ、吹き替え事故レベルのたどたどしさすら、感じさせるほど。
演技が下手なわけではなく、わざとこうしていると思えます。
中川さんは下手じゃない。
むしろどちゃくそうまいんですよ!!
※人物特性としてぎこちなく演じた例(『ドラゴンタトゥーの女』、リスベット・サランデル)
「ぼぼぼぼぼ僕と! 僕と! 結婚してください! 結婚してくれませんか」
父も動揺しています。
なつよ、出たーー。
父ですら、ロマンスどころか動揺を感じる。おそろしい朝でした。
なんで、こんなにロマンチックゼロプロポーズなんだよ!
彼女の名前を叫びたかった
亜矢美の悲恋。
伊崎の言葉。
悲しいものがありました。
「岸川亜矢美、ばんざーーーーーい!!」
この絶叫。
「天皇陛下」や「大日本帝国」のために死ねと言われ続けていた背景を考えると、愛だけではなくて理不尽への反発もそこにはあるのです。
こういう本音は、検閲を通した手紙ですと、残されない。非常に難しい問題でして。
特攻隊員の遺書を、感動的で愛国心に溢れる者であると紹介する動きはあります。
そこには「検閲」への理解が抜けている場合が見られます。
ちょうど、こんなニュースがありました。
◆シベリア抑留の戦没者とされた遺骨「すべて日本人ではない」 | NHKニュース
このシベリア抑留者の手紙について言いますと。
「スターリンは偉大だ、収容所では快適な暮らしを送っている」
というような内容が多いのです。
本音を書くと、検閲されたから。
生き延びるため、表向きはソ連に忠誠を誓った結果です。そのせいで戦後、本作でも登場した【レッドパージ】に悩まされた元抑留者も多かったものです。
思い出したくもないあの戦争描写……
そういう戦災被害への認識につきまして、理解が大丈夫なのか? 朝ドラレビューを書いているとそう痛感させられまして。
前作****について。
あのドラマにおける戦争描写は、デタラメばかりでした。
それを意識したのかどうかは不明ですが、本作はデタラメ描写を修正しております。
【前作デタラメ】日米開戦直後に「戦争が始まったけど!」と告白する**さぁん
→は???????
【前作デタラメ】物資の供出がないヒロイン周辺
→は??????????
【前作デタラメ】戦後まもなく、ヒロイン親類の子供が靴磨きをする理由は、すいとんがまずいから
→生きるか死ぬかではない。親も家もある子供が、そんな遊び半分で孤児の生活の糧を奪うな!
【前作デタラメ】自分たちだけ密漁して、お腹いっぱいになればエエ! という振る舞いのヒロイン周辺
→しかもその過程で、子供たちを感電の危険性に追い込んでいた
【前作デタラメ】ヒロイン周辺に戦死者、戦災被災者がいない(『わろてんか』もその傾向あり)
→あれだけの犠牲者がいたのに、そんな可能性はまずないでしょ! しかも大阪近辺で……
【前作デタラメ】ヒロイン周辺が「空襲にもあわないし、戦死者もいないなんて勝ち組やで〜」と浮かれている
→ゲスの極みすぎて、もう今更考えたくもない!
【前作デタラメ】ヒロイン夫妻、偶然被災者を見るまで戦争被害にすら気付かない。気づいた上でぼったくり商品を売りさばく
→『仁義なき戦い』の山守がまだマシに見える
【前作デタラメ】戦争による後遺症(色覚異常)が、エッチな女性のエロマンボダンスを見ると治る
→ぐああああああああああああああ! もう、もう、もう、いやだーーーーっ!
なぜそこまで****を嫌うのか? 厳しいのか?
何度もそう指摘されましたが、日本の歴史、戦死者、その遺族……大勢の人を侮辱したら、酷評するのは当然でしょうが。
そこに気付かないならば、真面目に日本近代史の勉強をしてもよろしいかと思います。
まぁ、次にいきましょうか。
坂場のプロポーズはなんなの?
『半分、青い。』で夏虫駅の一件も、なかなかお約束破りで難解でしたね。
鈴愛と律。
あの二人もある意味、ちょっと普通じゃないのです。
あのときも、もう少し大人として話し合っていれば、ああはならなかったでしょう。
そして理解者同士でないと、困難にぶつかるもの。
鈴愛も、律も、離婚経験があります。
どういう過程で離婚したのか描けだの、あっさり流しただの、セオリーを守れだの。ナレ離婚だの。
散々言われましたが、そうできない人もいる。
性格上の問題。それでいいんじゃないですか。
NHK東京は、あの一連のバッシングから臆病になったかと思っていたら……今回、ブレーキではなく、さらにアクセルを踏み込んできました。
はっきり言いましょう。
坂場のプロポーズは、キモいんじゃあああああ!
萩尾律にも「顔がいいのにキモい」という心無い声があった。
そう何度も指摘していますが、中川大志さんの演技、全体的な演出、脚本は、明らかにそういう方向性にしていると感じます。
「ただしイケメンに限る」
という概念を、正面から殴ってぶち壊している。
もちろん、坂場は悪い奴じゃない。
マジョリティの思考回路と違うだけで、彼なりに考えています。
【坂場くんはプロポーズする】
◆今までも年数がある。テレビアニメだけでも一年半。その間にデートすらしていないのか?
→時間経過と親密度が比例するとは限りません。
◆じゃあなんでプロポーズしたの?
→神地さんの事例から、学習しました。
・大切な相手と結婚できないと、心理的な打撃を受ける
・そうならないためにも、結婚は最適解である
・神地の理論でいくと、仕事と結婚は別物ではなく、関連性がある
・良い仕事のためにも、良い結婚。それが真理であると納得できました
◆長編映画云々は?
→「良い仕事のためにも、良い結婚」という理論を証明してこそ、合理性があります。
書いていて、頭痛がしてきましたが、こんなところでは?
そして彼は、なつの気持ちをあまり考えられないのです。今までもそうでした。
むしろ「良い仕事のためにも、良い結婚」という理屈を証明すれば、相手も納得できると信じています。
自他の区別、距離感がおかしい。
ですから、自分が長編をやりたいならなつもそうだと信じ込み、会社の意向を無視して誘っている、と。
この自他の区別が曖昧問題、【表裏比興】枠の泰樹も、夕見子もやらかしていましたっけ。
なつが坂場から逃走しないのも、慣れの問題もあるのでは?
愛だけじゃないんだ。
泰樹「わしにとっての最善の策は、なつにとってもそうだ!」
なつぞら36話 感想あらすじ視聴率(5/11)世界一残酷な武器に刺されて夕見子「同志でさえあればいい。高山もきっとそう」
なつぞら93話 感想あらすじ視聴率(7/17)「したら結婚って何?」とんでもない奴らではありますが、納得すると君子豹変するので、まぁこいつらには軽くパンチと指摘でもしていきましょう。
『半分、青い。』の性的マイノリティであるボクテ。
片耳が聞こえない鈴愛。
それだけではない離婚経験者。いきいきとした独身女性。
彼らにも驚かされたものですが、ある意味一番厄介な、こういう独特すぎる枠にも朝ドラは取り組むようになったんですね。
ますます楽しみです。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
ドラマがモデルと異なっている部分について、
コメント投稿で「自分はどのように感じたか」「改変で良かった面、悪かった面」を述べるのは意味がありますが、
「改変箇所をレビューで解説しないのがどうこう…」
と言っても意味がありません。
何も、モデルの生涯を忠実に再現するのがドラマではない。
私は本作での亜矢美の過去について、制作側が何を表現したいのかよくわかりますし、興味深く見ています。
ドラマの上で意味があり、表現上も問題ないものについて、別にレビューでいちいちモデルからの改編箇所を必ず解説しなくても良いし、解説しないからどうこうというものでもない。レビューはあくまで作品のレビュー。
亜矢美さんの思い出話のヒントとなったであろう明日待子さんのエピソードを以前偶々知った際に、実に切ない感情を覚えてしまったのを思い出しました。
明日さんのエピソードを改変した事によって、作劇的にどのような効果を生んだのかといった技術面からの考察は、武者さんなさったりしないのかしら、と少々勿体なくも思いました。
現在放映中のテレ朝系の昼ドラ『やすらぎの刻~道』では、戦時下の世相を的確に描写しています。
社会のあらゆる面で厳しい統制が敷かれ、息苦しく先の見えない重さに閉ざされたのような日々。居丈高な憲兵よりも遥かに恐ろしい、決して知られない筈のことまで監視し知っている特高の恐怖。等々…
****が流布した誤った戦時下のイメージが払拭されてもらいたいものです。
>乾燥芋様
ご指摘ありがとうございます!
修正させていただきます。
今後もご愛顧よろしくお願いします!
ん?茜ちゃんの眼鏡も髪ゴムも神地が取ったんですよ。
ちゃんと見てました?