昭和49年(1974年)春――。
なつたちは東京に夜行列車で戻り、風車プロダクションに顔を出しました。
そこには佐和子がいました。
かつて咲太郎を待てずに、光子らの勧めたお見合い結婚で退社していたさっちゃんです。お久しぶりー!

神輿になったぞ、咲太郎
さっちゃんだけではなく、奥には売れっ子声優・レミ子もいるわけです。かつて、二人とも咲太郎に惚れていたっけ。
そういうもろもろを思い出すと、この周辺も面白い。みんなで咲太郎の面倒を見ているようでもある。
神輿になったんだねえ。咲太郎が暴走すれば、こうなるぞ。
「神輿が勝手に歩ける言うんなら、歩いてみいや、おう!」
神田川の祭りが思い出だった、お祭り大好き男・咲太郎。
暴れに暴れて、女たちが担ぐ神輿になった。そう思うと、感慨深いものがある。
こういう状態を「うっはーハーレム❤︎」とみなす意見もありますが、一歩間違えば袋叩きになりかねんぞ、と。
※女連合軍勝利例
なつたちは、夜行で今朝ついたばかり。
優ちゃんはじめ、寝ていたことでしょう。移動だけでも疲れますよね。
さっちゃんは、業務拡大中のプロダクションに雇われ、夕方まで働いているとか。
子育てもひと段落して、光子が声をかけたそうです。
やはり本作はいい。
既婚女性が社会から消滅するシステムを、きっちりと否定しています。
彼女らは人間でなくなるわけでも、家庭の囚人になるわけでもないんですよ。
ここで、なつの口から衝撃的な名前が出てきます。
「帯広に、亜矢美さんがいた!」
そうだ、咲太郎を担ぐ女といえば、彼女がいなくちゃ。
目を見開き、驚いている咲太郎なのでした。
いや、私だってビックリだよ!

伝説のあいつが戻ってきた!
さかのぼること二日前――雪月でのこと。
マコプロはとよの話を聞いておりました。この人も、十勝の総大将だもんね。
大正11年の洪水も、とよは大変だったと記憶しています。
けれども、嫁いでいてちょっとそこまで詳しくはないと言います。
他に印象に残っていることは何かと聞かれて、とよは鮭の俎上だと答えます。
ここのセリフが、短いようで、素晴らしくて。
演じる高畑淳子さんのクリアな発声もあって、脳裏に浮かぶようでもあります。
鮭の群れは、銀色に光るほど。
水しぶきをあげてさかのぼる。
一緒になって、飛び跳ねて喜んだ。
これも、アニメの聞き取りとしてはものすごく重要でして。
色彩、動き、そしてそれを見る側の、心理的な喜び。
アニメとして表現できたら、どれほど素晴らしいか。
本作ですからね。
きっと、ここがアニメになると信じていますよ。
出来がいいドラマはいい。遠慮なく、ガンガンハードルをあげられる!
そしてここで、亜矢美がヒッピーというか独特のファッションに磨きをあげて参上〜〜!
「元気? なっちゃん、なんでここにーーー!」
いや、それはこっちのセリフだべした。
「亜矢美ちゃ〜ん! まだ生きてるものね〜、しぶといべさ〜!」
とよが出迎えます。かつて亜矢美の店で、息子の菊之助ともども機嫌よく泥酔していましたからね。
酒の席で熱い何かを交換しあったのでしょう。
そういうのは、男だけのものじゃないからね。

酒の席で、女どもが男の愚痴を言い合いながら気炎を揚げている。
想像するだけで渋い顔になる方もおられるかもしれませんが、受け止めよう、現実を……。
それにしても、しぶといと言い切る、とよとは。
まぁ、スピンオフでは90を超えてまだまだ盛ん、東京で亜矢美ともども大暴れするそうですので、今から楽しみにしておきましょう。
ここからは、怒涛の再会タイムだ。
イッキュウさん、覚えているに決まっているじゃない!
これは娘の優ちゃん? ミーは亜矢美よー!
(※ミーは『おそ松くん』のイヤミだけでなくて、当時はこういう謎の外来語を使う人がいました。アベックともども死語ですね)
マコさん、イタリアから戻っているの?(このへん、未解明の謎が多いよね……)
神っちー!
モモッチー!
……何っち?
下山さん、あ、警察の! 下山っち〜!
と、怒涛の再会の後、
「おでん屋の亜矢美ですー、はじめましてー!」
と、また怒涛です。
夕見子が奥から見参! がっちりとハグだ!
うーん、息をつく暇もない。
思えば、亜矢美の店は高山への【抹殺パンチ】の舞台でしたもんね。
こう書くと、戦国時代のような気がしてきます。古戦場名かよ。
亜矢美は、夕見子と雪次郎は結婚すると思っていたと言います。わかりますとも! そうなったんですよ。
高山よ……相手が、本当に、しみじみと悪かったな。

ここで、雪之助と妙子も登場し、雪見のことを亜矢美が褒めます。
「うわー、ハンサム! 将来は役者かな?」
「やめて……!」
あの雪次郎騒動を、こういうかたちで生かすのか、本作よ。あれは揉めたよねぇ。
すると雪次郎が締めくくります。
「東京で人の心を学び、菓子作りに生かしています!」
そうですよね。
いろいろと大変だったけれど、あの挫折あってこそだとわかる。
そういうドラマ。失敗や曲がり道を肯定する、そういうドラマなんですよ。

イケメンで釣られるか? いやいやいや……
しかし、どうして亜矢美がここまで来たのか。
やっと明かされます。
「雪次郎に会いたくて! うそうそ!」
これも結構強烈な話かもしれない。
先週、本作とコラボしたこの番組を見ておりまして。
雪次郎が作るチョコレートを売り出す。
そういう設定のコントで、内村さんが突っ込むんですよ。
「イケメンで売り出そうとしているだろぉ〜?」
ってさ。
こいつは顔だけで、チョコレートもわかっていない。イケメン宣伝目当てだろ〜と絡んでいくと。
んで、雪次郎はむすっとして腕組みをしている。
これは本当にすごいと思った。
脳みそがパアッと晴れていく気がした。
いや、ほんとさ。
去年の『半分、青い。』の時、そういうバッシング記事が出ていたんです。今年も女優がかわいいだの、あざといだの、言われておりますが。
「イケメンだのかわいい顔の女優で、釣ろうとするのあざとすぎぃ!」
「美男美女のラブシーンなんて卑劣〜!」
ってな論調で。
冷静になって考えたら当たり前でしょうよ。役者ってそもそも一般人より容姿がいいじゃないですか。
ゆえにこれは深層心理の告白、リトマス試験紙になると思った。
「私は美男美女やラブシーンや萌えにつられるんです! だから、アンチやってる作品でやられるとムカつく、見破る、叩いてやる!」
という感情ですね。まぁ、あくまで私の推察ですが。
ともあれ、あの番組は面白いし、イッキュウさんこと中川大志さんも頑張っておりますので、おススメです。
さて、本題に戻りまして。
亜矢美がここに来た理由は?
「フーテンの亜矢美ぃ〜!」
だってよ。
出た、フーテンだ。
かぶき者、素浪人、任侠、渡世人、風来坊、そしてフーテン
フーテンと言われても、今の若い世代にはピンと来ないでしょう。
実は由来が差別的でもある。
「瘋癲」とは精神状態が異常であるという意味もあるのです。
無職でフラフラして、その日稼ぎで生きている奴ら。
あいつらおかしいよな。そういう意味で「フーテン」となったわけです。
代表例が『男はつらいよ』です。
語源が差別的といえばそうではあるのですが、国民的映画になっちゃうとねえ。
こういう主君を持たず、定職につかない人のことを、日本社会では長いこと受け入れて来てはいたのです。
◆戦国時代〜江戸前期の「かぶき者」
異常なファッションスタイルで、既存のルールを否定する武士たち。
江戸幕府からすれば厄介なので取り締まり対象にもなりました。
◆戦国時代〜江戸時代の「浪人」
主君がいない浪人は、生活は苦しいし大変。
それでも時代劇の主人公で彼らが多いのは、ルールに縛られないカッコよさがあるとされたから。
「天下御免の素浪人よ!」
◆江戸時代〜昭和前期「やくざ、渡世人(火消し、鳶、建築業者)」
江戸っ子にとって一番のモテといえば、ふんどし姿で練り歩き、戦国武将や『三国志』や『水滸伝』の一幕も刺青として入れていた彼らのことでした。
武士であろうと喧嘩をふっかける。
女子供はいじめない。
弱きを助け強きを挫く――これこそが任侠とされたのです。
本作のおもしろいところは、いくつもありまして。
藤正親分――。
彼は一応足を洗ったとはいえ、任侠じゃありませんか。亜矢美も、咲太郎も、彼のおかげで生きてこられた。
任侠の感覚が急激に薄れゆく現代社会です。
そこばかり気にしていたらば、彼は存在していてはいけないはずです。
そういう社会の枠から外れる人々を、本作は拾っている。見捨てない。
だからこその「フーテンの亜矢美ぃ!」なのでしょう。
アウトロー、はみ出し者の物語が、彼女の再登場によって大団円を迎えようとしています。
山口智子さんは、その重圧にきっちりと応えているのです。
流石はアベンジャーズ枠、ぬかりがない!
再会の場面は、長いセリフをきっちりと、演技をこなしつつ、発音もクリアにこなしています。
しかも、演技はコミカル。
ここまで育った大女優を、見出したのは我らが朝ドラである!
そういう堂々とした証明にも思えるんですね。
さて、その亜矢美は?
南は九州から、北は北海道まで。
なんと七年かけて日本縦断をしておりました。
そしてこれからは、ここ帯広で一稼ぎして新宿凱旋、ひと旗あげるつもりと来た。
カッコよすぎるだろぉ〜〜!!
これもほんとうに痺れるようなカッコよさでして。
当初、藤正親分が頼れないからには、ゴールデン街に茂木社長のつてで店を開くと言っていたわけじゃないですか。

茂木自身も、光子には去られたからには、うっすらと亜矢美に熱い視線を送っていたようにすら思えました。
咲太郎だって、光子と揃って、俺たちが面倒を見ると言っていた。
だが断る!!
それがフーテンの意地ってもんよ。
誰の力も借りずに、自力で新宿に戻るのよ。そう言い切る。
なんてことだ、すごい、すごいよ、亜矢美さんッ!
そこまでなつから話を聞いて、咲太郎は涙をこらえて笑うような顔になっています。
「ああ、よかった。ほんとうに、よかった。しかしバカだな。何がフーテンの亜矢美だよ……」
これも江戸っ子の、愛あるバカですね。
西ならアホ。
東ではバカ。

お互いバカと言い合っていても、愛がそこにはある。
そんな咲太郎と亜矢美なのです。
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ウッチャンじゃなく、ココリコ田中さん演じる
「ゲスニックマガジンの西条記者」ですね。
あのコントはウッチャンは出ていないです。
最後に夏のソラ、なつぞら が完成するわけですね。今頃気づきました。
昨日のロケハン隊の台詞にはシビれたものですが、開拓者がいたからこそ、見られる風景があり、開墾地しかりアニメーションしかり。
さらにこのドラマ全体の大大円の一つの承知として、なつがソラを走り出させる訳ですね。そしてそのソラの目を通して、また新しい風景が見られるという。
様々なレベルの現実と虚構がお互いを溶かしながら少しずつリンクする、ソフトなメタ構造が心地いいですね