戦火が広がりつつある、昭和14年(1939年)。
北村笑店の慰問隊「わろてんか隊」は、彼らなりのやり方で兵士に笑いを届けようと、遠く上海の地で奮闘しています。
もくじ
泳げない風太でも大丈夫や!
今日はおてんちゃん、トキ、飛鳥が仏壇前で風太の無事を祈るところからスタート。
不安そうなトキに、おてんちゃんはこう言って励まします。
「陸やから、泳げない風太でも大丈夫や!」
むむっ? これで笑わせようと思っているのか、このぉ、トンチンカーン♪
戦闘に巻き込まれたら、陸も海も関係ないワケで(´・ω・`)
おてんちゃんって、たまに台詞があると中身が空っぽどころかわけがわからなくて。
一瞬、飛鳥のセリフかと思いましたよ。
さて、その風太たちですが。
「新しい趣向の漫才をやりたい!」
と大見得を切りました。
おぉ、その中身は何ぞや!
と思っていると、これがよくわからんのです。
「笑いは薬です!」言われても……
風太は唐突に、なんだかポエムみたいなのを詠み始めます。
兵隊さんに、渾身の演芸を届けられたか、笑いはお薬、お薬渡せたか、と。
ここでも来ました、新一お兄ちゃんから繰り返している「笑いはお薬」。
モデルとなった吉本せいとは何の関係もない話ですし、笑えば薬になって全て解決すると言いたげな理屈はごく一部の関係者以外に通じるもんではないでしょう。
【笑う門には福来る】ぐらいの慣用句だったら、確かにコンセンサスは取れていると思います。
しかし、軍人の阿久津が
「笑いは薬です!」
とか主張されても、何のコッチャと混乱するだけ。
視聴者と発言者しか理解できてないセリフで、流れが完全に破綻しております。
これから前線で奮闘しようという若者に、
「笑いがあれば、何でも乗り越えられる!」
なんて無責任なこと、私にはとても言えません。
例えば『火垂るの墓』のあの2人に、
「笑いがあれば、何でも乗り越えられる!」
なんて言えますか?
いくらドラマの中心に据えたテーマだとしても、戦争の場面でまで軽々しく言えるセリフではないと思うのです。
そこで流れる「ええ場面」用のBGMの寒々しいことよ。
破綻の上に破綻を積み上げているのが心苦しくなってきます。
あんな大騒ぎしておいてなぁ
風太と阿久津の妙ちくりんな会話が終わると、万丈目が原稿を書き、リリコとシローは稽古をし、キースとアサリは相撲を取ります。
相撲を取るのは、漫才のネタのためでしょう。
ところでキースのチョビ髭、総統閣下を連想するのですが、この悪趣味な扮装に誰か突っ込まなかったのでしょうか。
当時の日本とドイツは味方だから、と言われましてもね……。
稽古の最中、シローはもじもじと言い出します。
「やっぱりリリコの隣でアコーディオン、弾きたい……」
4年間苦労しましたし、そもそも夢の楽団は解散しましたし、仕方ないとは思います。
それでも、あんな大騒ぎしておいてなぁ……と思ってしまうのは、先週漫才やめると騒動をした直後のことだからでしょう。
事務所の移籍を誤魔化すため上海楽団に渡らせた展開が、悪い意味で影響を与えています。
「あんたはドシローや!」
と叫びながら、ボコボコとどつきあうコンビ。
もう、リリコの魅力は戻ってきそうにないですね……。
憲兵による言論弾圧の凄まじき例
北村笑店では、楓の原稿をおてんちゃんがチェック。
不安そうな楓に、「あとの責任はうちが取る」と啖呵を切ります。
その中身をおてんちゃんがどの程度理解していたか、あやしいものです。
書いている方もです。
ここで憲兵による“言論弾圧死者”の例をWikipediaから引用させていただきます。
伊藤野枝(大正12年死亡)
53年後に発見された死因鑑定書によれば、野枝、大杉、共に肋骨が何本も折れており、胸部の損傷から激しい暴行を加えられていたことが発覚。小林多喜二(昭和8年死亡)
警察当局は翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。
伊藤にせよ、小林にせよ、極悪非道なテロリストでも何でもない。
ただ軍部や政府に都合の悪い言動をしていただけの人物です。
与謝野晶子を平気で盛り込もうとする楓の作品内容からすれば、おてんちゃんも最悪こういう目に遭うわけです。
本作の制作陣に、そこまでの覚悟があるのでしょうか?
検閲の目をかいくぐって手紙を届けることを美談にするのも。
危険な話を通そうとすることを美談にするのも。
こういう危険が伴うことを当時の人であれば百も承知のはず。
私には、無謀と勇気をはき違えた愚行にしか思えません。
新世紀シネマとの業務提携
栞はカッコイイポーズで資料に目を通し、部下に話しかけられてもつれない返事です。
そんな栞が出かける中、部下の専務が新世紀シネマとの業務提携を進めてしまいます。
この専務に下剋上される流れが見えて来ましたが、自業自得です。
栞が提携したくないなら、「決めてない」なんて言わないで、スッパリ断ればよいのです。
宙ぶらりんにしているから、つけいる隙を与えてしまうわけで。
栞さんの仕事の姿勢って、自分が好きなことだけつまみ食いしているように見えます。どこが有能なのでしょう。
上海に場面が切り替わりまして、渾身の芸で芸人たちがお薬を渡しているようです。
今日の「わろ点」は、風太が「キースとアサリの再結成や」とイキッた顔して言うところ。
自分で強引に解散させたの忘れたんかーい!!!
家を放火して消して、さらに自慢まで付け加わって――これを【マッチポンプ&ドヤ顔】と今日から呼ばせていただきます。
名古屋出身の阿久津さんには刺さったようで
リリコとシローは恋文ネタ漫才。
漫才と言うよりただの手紙の朗読みたいであります。
リリコはそれしかない(他にあるのかもしれないけど出てこない)持ち歌を一生懸命歌います。
軍刀に手をかけて仏頂面している阿久津。
こういう場面は既視感があります。
『覇王別姫』という映画で、芸術に理解ある日本の軍人が、京劇シーンを見ていた時が、こんな感じだったことを思い出します。
本来は上演NGなものでも、あまりの魅力に引き込まれて、怒ることすら忘れてしまう。
そういう場面ってありますよね。
問題は、このドラマの場合、魅力がないためまったくそうは見えないことであって。
一生懸命笑う兵士のエキストラさんの方が凄いと思ってしまいました、切実に。
「ええ場面」用BGMとナレーションで誤魔化すのにも限度があるわけで。
終演後、阿久津は慰問隊を褒めます。
リリコとシローが名古屋弁と使ったのが、名古屋出身の彼にとってはよかったようです。
その理屈でいくと、関西人は皆『わろてんか』が好きということになるんですかね。現実はそう甘くないと思いますが。
一ヶ月後、慰問から戻って来ると大喜びするてんとトキ。
喜ぶトキのパターンが関東大震災の時と同じというのも呆れますが、それより問題なのはてんです。
慰問隊を派遣すると最終的に決めたのは、彼女のはずです。社長ですからね。
それなのに、無事を心配するどころか、くだらない冗談を言って茶化す始末。
状況把握も新聞経由。
責任感ゼロです。
こんな無責任社長が楓に「うちが責任を取る!」と言ったところで、説得力がまるでありません。
今日のマトメ「戦時中のプロパガンダと国策娯楽」
昨日の時点で確信していましたが、本作は戦時の国策娯楽がまったく理解できていないのでしょう。
楓の台詞に、
「親孝行を入れた演目」
「修身の教科書のような演目」
というのがありました。
これはまったくの誤解です。
当時の軍部が推し進めたかった内容とは、
・戦意を昂揚させる
・軍部を礼賛する
・他国への敵意を煽る
といったあたりなのです。
「兵隊さんってかっこいいなあ、ぼくも兵隊さんになりたいなあ」
「頑張っている兵隊さんのために、銃後にいる私たちも気を引き締めなければならない!」
こんな考えを持って欲しいということです。
ですから、昨日楓が、
「出征した愛しい弟よ。死んでしまってはいけませんよ、生きて戻ってきてください」
という内容の『君死にたまふことなかれ』を台本に入れたのは、まったく意味がわからない。
絶対にやってはいけないことです。
「そうだ、楓は与謝野晶子のファンだった。晶子の作品に戦争ネタの詩あったよね。入れちゃおう」
とでも考えながら原稿を書いてしまったのでしょうか。
本当にあの詩を入れた台本を書き、もしも上演していたら……それこそおてんちゃんも楓も、どうなったことやらわかったものではありません。
栞もおかしいのです。
「軍部がどう言おうと、この映画はヒットする」
と、その前に、そもそも作品が検閲されてしまうのです。
それを通らなければ上映すらできないのに、なぜヒットするというセリフになるのでしょうか。
「軍部の言うことを聞いたら恋愛映画が撮影できない」
これもおかしいのです。
かつて、山口淑子さんという大女優がおられました。
彼女は李香蘭という中国名を名乗り「満州映画協会」のスターとして活躍していたのです。
そんな彼女が出る映画のあらすじは、こんな感じです。
【気の強い中国人娘が、優しい日本人男性と恋に落ちる】
ラブストーリーですね。
これの何が問題かというと、こういうメッセージがあるからです。
【劇中の中国人娘のように、はじめこそ反発していても、結局は日本人の言うことを聞けば幸せになる】
男女の恋愛だって、そういうプロパガンダにすれば通ります。
しかし、この作中の栞の意識は、うっすらと「恋愛ものは軟弱だから駄目なんでしょう」程度で止まっているように思えるのです。
この作品の作り手は、戦時中の検閲や国策エンタメ、プロパガンダについて調べられたのでしょうか?
あるいは調べたにしても、表現が稚拙すぎて、首を傾げるばかりです。
コトが寄席の経営だけに留まっていれば、まぁ、さしたる問題もないのでしょう。
しかし、戦争に関わる話はさほどに軽く取り扱えるものではないはずです。
作り手からここまで良心を感じない作品は、なかなかお目にかかれません。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
2015年の『まれ』のヤッツケ仕事ぶりもひどいものでしたが、こちらはまたとんでもないひどさ。
こんな作品を平気で流せてしまうとは、呆れて…