まんぷく 7話 感想あらすじ視聴率(10/8)押せ押せクソバイスに辟易

今朝も朝からキンキン少女ナレーションで、さらっと日米開戦宣言、うぇーい♪

って、本当にどうにかして欲しいorz

本作を見るとき、レビューを書くときには、フォートマイナーの『ケンジ』を聞きながらでないと私の精神がぶっ壊れそうになります。

 

一応、国民の大半が「どれほど恐ろしい戦争になるか知りませんでした」と語られるわけですが……。

日本人をバカにしてるんですか?

そりゃあ本土空襲や原爆投下までは予測できはしなかったでしょうよ。

それでも開戦ですからね。
楽観的な人は、憎きアメリカにひと泡ふかせられると浮かれていましたけど、悲観的で敏感な人は、緊張感といやな予感を味わっておりました。
本作には、そんな人はまったくいない。

本作で歴史についての認識を破壊されそうで不安な方には、山田風太郎『同日同刻』をおすすめします。『戦中派不戦日記』シリーズもおすすめ。
太平洋戦争開戦の1日と、終戦の15日をまとめた一冊です。

別にこの本を勉強しろ、とは言いませんけど、制作側のスタッフさんは何らかの参考文献を読んで、作品に活かそうとかしております?

ぶっちゃけガン無視してるでしょ?
じゃなきゃ、「日米開戦だけど付き合ってください」って女性告白できます?

【7話の視聴率は21.3%でした】

 

面倒な歴史描写はラブコメで埋め尽くせ

ともかく、そんな緊迫した時勢を無視して、告白タイム。

「つきあっていただけませんか!」
「えっ」
この立花(まんぷくモデル安藤百福)のしょーもねー告白から感じられるのは、ときめきでもなければワクワク感でもない。

戦前ってなんなのか?
という疑問だらけ。

福子(まんぷく立花福子モデル安藤仁子)も21歳になって相変わらずのリアクションだし、こんな煮しめたようなぶりっ子アピール描写にトキメキを感じろって?

ややこしくて面倒な歴史を描く気はない。
画面をラブコメで埋め尽くすだけ。

今年は『西郷どん』でも散々やってきたわけですが、そもそもの恋愛描写すら最低レベルなので何の突っ張りにもなりませんわ。

朝ドラは、商売事業考証がお粗末でも、恋愛描写でグイグイ引っ張る作品があるものです。
再放送も開始するという『あさが来た』なんかその典型ですな。

しかし、本作は恋愛描写もダメだ……。

 

「こんな奴おらんやろ!」

このあと立花が忘れてくださいとその場を逃げ出し、ホテルの外に出てから道路の真ん中で突如叫ぶあたり、もう、こっちも叫びたくなる。

「こんな奴おらんやろ!」
時は、日米開戦でピリピリした世の中ですぜ。
いや、現代だってただのあかん奴や。

でも福子は、何となくトキメキ感じたみたい。
3年ぶりに出会って早々パンツをちらつかせた立花。男もパンチラ時代が到来したなあ、ハハハハハ!って、んなこたぁーない。

このあと、帰宅してから鈴がドタバタ。ネズミが出て騒いでいるようです。

また【ブケムスメプログラム】がバグったか!
本物のペッパー君なら修理窓口に連絡するんだけどな。

ともかく、あれだ。
武家の娘がこんなことで騒ぐわけねえだろ!!

武家の娘っていうのは、家事をテキパキとこなすことが求められ、小学校入学くらいから習うもんなのだ。
ネズミごときでオタオタする奴は、厳しく指導されまっせ!!

ゴキブリやネズミが出て女が騒ぐ――こんなしょーもない表現にグッとくる層へのアピールだとしたら、女に夢を見すぎでっせ。

 

登場人物の細やかな心情描写がない

このあと、咲の話が出ます。
本作のナメくさった結核考証については後述させていただきます。

鈴はこのあと、福子の縁談について話を持っていきます。
交際相手いるか的な質問には、
「そんなひといませーーーーん!」
と、10歳児でもやらないブリッ子回答。

あのさ。
恋愛描写すらマジメにやるつもりもないの?
ケミストリーその他もろもろが2人の間にあったならば、立花のことくらい脳裏に浮かぶもんやろ!

あんだけ告白されたのにぶりっ子否定する福子ちゃんが、ただの冷たくて鈍感ドジっ子にしか見えなくて、頭痛がしてきた。
本作が登場人物の細やかな心情を描くことを、どこかに置いてきたことは理解できました。

で、このあと立花が出てくるのですが……女のことがチラついて仕事もできないそうです。加治谷につっこまれてます。

あぁ、もう、なぜ、こんな無能にしたんだ。
仕事ができないぶりっ子大好き層を取り込みたいんかな?って、そんな層おるんか?

この描写も下手くそなんですよ。
福子を思うまいと仕事に打ち込みながら、ちょっとしたミスをしてしまう。そこで、俺の心にいつまでもいる福子さんに気づくとか。そういうのでいいじゃないですか。

役者殺しでっせ。
長谷川博己さんの魅力を引き出すのならば、道の真ん中で叫ばせたり、仕事無能ぶりを描く以外に、もっとやり方があるはずだ!

 

「女は押して押しておしまくれ!」

おでん屋で無能立花が飲んでいると、世良がわかりやすい悪役アピールをしながら登場。

ここでシゴトして欲しいのは、戦争の緊迫感です。
なんなら高度経済成長期のおでん屋描写ぐらいかと思うほどです。

世良の中身のない話はどうでもええ。
立花の才能に嫉妬している時点で、コイツが無能だということはよくわかりました。

これはもう突っ込むのも嫌気がさしてきましたけど、幻灯機も根菜切断機も、立花がどういう工夫で画期的にしているのか描かれていませんよね。

ちゃんと技術考証していないでしょ?

ここで必要なのは、世良のゲス恋愛アドバイスです。
「女は押して押しておしまくれ!」

ほへー!
クソなアドバイスっすねー。

これが本作の恋愛スタンスでよろしいでしょうか?
女は攻略アイテムであって、福子の魅力なんか描くわけないです。攻略しやすいスペックかどうかだけで判断する、そういうやつ。

でもこれ、立花だけじゃないでしょ?
缶詰パクリ野郎の野呂もそうですよね。
恋愛というより、野良犬の餌付けみたい。岩合光昭さんの猫番組の方が、断然相手の心情に寄り添っております。

母子家庭で、トロくて、幼稚で、ガードがゆるい。
パンツを見せてもほへーんとしている。福子で描かれていることって、こういういかに攻略が楽勝であるかばっかりですよね。

 

やっぱりシゴトに身が入らない立花

そんなイージー攻略できる福子ちゃんは、女友達にペラペラと告白を語るだけ。
1人で悶々と悩んだりしないんだなあ。

こういうところが、恋愛描写のダメさ加減。『べっぴんさん』のすみれは、ちゃんとしていた。

あ、あと今日も口に食べ物を入れたまま、もぐもぐペラペラ、です。
見てられません。

このあと咲の咳について語られます。
結核であることが視聴者にまでダダ漏れで、ビンビンに伝わってくるのに、なぜか病院すら行かないのんきな人たち。

吉乃と忠彦の貧乏家庭も出てきました。
さすがに突っ込む気力もかなり萎えてきましたが、戦前の貧乏家庭で随分とピッカピカな衣服ですよね。繕った後すらないなんて。家財道具も立派です。

「気楽でえーなーこのうちは!』
福子ちゃんがそう叫びますが、私もそう言いたいです。

立花は仕事中も、世良の押しまくれクソバイス(※クソみたいなアドバイスのこと)を思い浮かべております。

いいから仕事しろって、仕事!
なぜ、仕事の描写が入れば入るほど、無能ぶりが際立つ主人公にしてしまったのか。

よくぞこんな人物ヒット商品が作れますよね。

どんなに奥さんや子供を愛していても、好きなシゴトに熱中すると全て忘れてのめりこんでしまう――そういうタイプの方が世紀の発明をした人物像として納得できるんですけどね。

3 Comments

あかさたな

「わろてんか」「まんぷく」が
冷静にみてもダメな朝ドラなのは
明らかなのに、えらくヨイショされて
いるんですよね。
制作側が無理矢理テコ入れしてるのかなと感じてます。

いだてん、クドカン脚本でしたっけ?
それなら大丈夫かなとか思って
いたんですが・・・甘いかな(笑)

匿名

頭カラッポにして観てもキツイゆるさですね……

Susuka

「王道」と「覇道」について、思い出したエピソード。
福岡市に「筥崎宮」という名前の神社があります。元寇の折、時の亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、この四字を自ら記した勅額を奉納しています。
この「敵国降伏」についてですが、一般には「敵国(モンゴル)を破り、降伏させる」という願いであると考えられています。しかし、仮にそのような意図で額を書いたのであれば、漢文調では「敵国降伏」ではなく「降伏敵国」となっているはずです。
明治期になってその意図が分かっており、この勅額の真意は「敵国を降伏させる」のではなく、「我が国の徳治に、敵国が自ら降伏する」ことを望んだものです。つまりこの場合でも、力でねじ伏せる「覇道」ではなく、徳による「王道」で平和裏に事が治まるのを願っていた、というわけですね。
が、それこそ本作で現在扱われている日米戦争の時点では、米国相手に破れかぶれで開戦して、勅額を「駆逐米英」の「覇道」精神で誤読してしまいました。まさか、昭和以降の日本では「王道」が完全に廃れたわけではないと思いたいですが、本作の台湾無視は確かに「覇道」モノですね。

日本ヨイショの動機から「台湾隠し」の「覇道」路線に走るのは、必然でも何でもないんですよ。台湾要素をちゃんと書いて、「王道」路線で日本を(台湾と一緒に)持ち上げることもできるわけです。台湾出身の実業家が日本で発明したカップラーメンが、世界的なヒット商品になった。これでいいじゃないですか。これを無理やり「生粋の日本人による発明」扱いにする必然性が、どこにあるのでしょうか。あるいは、「マッサン」はスコットランドべったりの情けないドラマだった、とでもいうのでしょうか。
本作の制作者は、「台湾隠し→日本ヨイショ」と単純な因果関係を結んでいるあたりで、とんでもない「戦略」ミスをしているといわざるを得ません。

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