昭和48年(1973年)夏の終わり――山田天陽は馬の絵を描きあげました。
妻の靖枝は、じっと見入っています。
それからこう言うのでした。
「あ! 大変、病院に戻らなくちゃ!」
しかし天陽は、畑を見に行くと告げるのです。
もうすぐ収穫だから、見たいのだと。靖枝がついて行くと言うのも止めます。
もうすぐ親父が搾乳に来る。ちょっと見るだけだ。
お袋と子供達を頼むって。
今だけなのか。
これからずっとなのか。
天陽は畑に立ち、土に触れます。
「あったかいな……」
それからかぶっていた帽子を投げるのです。
帽子が飛んでいって着地するとほぼ同時に、後ろ向きに倒れました。
それは、夏の終わりのことでした――。
ナレーションがそう語る中、まるで飛び立つ天陽の魂が、彼自身の肉体を見下ろすように、カメラは上へ。
信じられない、もう彼がいないなんて
東京で、なつは仕事中。
そこへ穏やかならぬ表情の陽平が来て、あの噴水へ誘い出します。
「なっちゃん……」
「どうかしたんですか?」
なつは、陽平まで辞めるのかと尋ねます。マコプロに行くのかって。
「なっちゃん、落ち着いて聞いてくれ」
「もう何を聞いても驚きませんから」
「天陽が、死んだんだ。今朝早く、亡くなったって」
「何を言っているんですか?」
「信じられないけど。嘘じゃないみたいだ……」
あまりに衝撃的な知らせです。
なつが冷たい、薄情な女。
そういうバッシングが想像がつきますが、これもリアルな表現っちゃそうですよね。
・まだ天陽は若い。靖枝はじめ、周囲の人びとすら予想できなかったこと
・神っちやイッキュウさんら【魔王】の手下のせいで混乱中
・作画監督として、それだけ仕事に真剣に取り組んでいる
なかなか残酷な重ね方をしてきたとは思います。
同じような経験のある人には、胸に刺さるのではないでしょうか。
陽平にせよ、なつにせよ。
涙がこぼれないところもリアリティを感じるんです。
そう、あれがママの家
なつはやっと、柴田牧場へと向かいます。
まとまった夏休みが取れたのは、9月になってからのことでした。
現在の東京なら9月でも暑いですが、当時の十勝でしたら、もう秋の気配が濃くなっています。
昭和40年代でしたら、真夏でも涼しいのが北海道の気候ですから。
「あっ、牛さんだ!」
「そう、あれがママの家」
優にそう示すなつ。
短い言葉ですが、これにどんな深い意味と感慨があるか。このドラマを最初から見ていれば、おわかりいただけることでしょう。
おじいちゃんとおばあちゃんのこと。ひいおじいちゃんのこと。
2歳の時以来だから、覚えていないか、となつは優を気遣います。
これは、なつが特に冷たいってわけじゃないんだわ。
SNSどころかインターネットもない。
おまけに東京と北海道。そうであれば、このくらいの距離感でいいんでないかい。
「広いね!」
「広いでしょ」
「お馬さんもいるの?」
「いるよ。見に行こうか」
なつと優はそう語り合います。
広瀬すずさんが母としての愛を感じさせて、感慨深いものがあります。演技ってこういうことですね。
「ただいま〜」
なつとまず顔を合わせるのは、砂良です。これは靖枝もそう。
地方のお母さんが、ちょっとオシャレしたエプロンを見につけている。そんな雰囲気が出ているんですよね。
とよ世代は割烹着だし、富士子世代とも違う。
機能性とオシャレしたい気持ちをあわせた、そういう衣装なんです。スタイリストさん、今日も本気ですね。
忘れられるじいちゃんの悲哀よ……
「ついたのかーい! おかえり!」
富士子と剛男も、孫に大喜び。
「優ちゃん、お帰り!」
「おばあちゃん、ただいま!」
これにはなつも驚いています。
2歳なら覚えていないと思ったのに、ちゃんと記憶にあります。ばあちゃんのことを絶対忘れないって約束したと、富士子はすっかり喜んでいます。
「じいちゃん、覚えてる?」
が、剛男は覚えられていないんだわ~。
しかも、優ちゃん、嫌がってる。リアリティのある反応だわ。
この現場、どういうレベルの演技指導してんのよ?
とは、再三指摘していますが、子役は演技指導の鏡。半端ないわ。これは半端ない。
思えば本作の凄みを最初に確信したのは、剛男が復員した場面でした。
なつぞら1話 感想あらすじ視聴率(4/1)タンポポ食べるヒロインに期待♪離れていた期間が長い家、父との別れがあまりに幼いときだと、認識できないわけですよ。
子供にとっては
「気持ち悪い、一方的にベタベタしてくるやつれたおっさん」
になると。
でも、復員兵の父を嫌がる子供ってさ。
マスコミとしては感動ネタにならないんですよね。そこで、新聞記者は話を盛るわけです。
娘の明美ちゃんは、「お父さんに会えて嬉しい」と大喜びであった。
ってね。
ドラマもそれを踏襲することがある。
でも、本作は違った。ゆえに、これはなんだか凄そうだと感心したものです。
今はマスコミ志願だという明美も気になるところですが、まずは目の前のことからですね。
なつは、働く者たちの場所、酪農へと向かいます。
本当になるのが怖かった
そこには、照男や泰樹、戸村父子もおりました。
どんだけ仕事細かいのよ、っていうのは戸村悠吉の耳に、鉛筆かペンらしきものが挟んであるところですね。昭和のおじいちゃんだ。
この悠吉にせよ、そして泰樹にせよ。
引退後のおじいちゃんが、茶を飲んでいる感が出ています。
かつての泰樹は、西部劇風、独自のファッションセンスがありました。
そうではなくて、今は普通のおじいちゃんです。
眼光も穏やかになりました。
照男は電話してくれれば迎えに行ったと言います。
地方だなぁ~。
駅まで車で行くことは、お出迎えの第一歩だからね。バスだなんて、ちょっと水臭いんでないかい。そんなニュアンスもあるんですよ。
優は人見知りをしているのか、泰樹にちょっと怯えています。
なつは、名付け親だと説明します。
「おいで!」
「……ただいま」
「おかえり、優! はははっ、重くなったな!」
ここでなつはこう切り出します。
「じいちゃん、照男にいちゃん、私……」
「うん……」
照男も、誰も彼もが驚いている。
信じられないのです。
なつは忙しいこともあったけれど、本当になるのが怖くて、来られなかったのです。
葬式すら出ていません。
葬式は、新聞もテレビも駆けつけたそうです。信哉もその中にいたかもしれませんね。
「あんなに偉い画家だったなんて……」
皆そう驚いています。
そういうところはひとつも見せなかった。威張らない。生活を変えない。ありのまま、彼らしく生きていたのだと。
「なつ、まぁ、ゆっくりして。それから会いに行けばいいべ」
照男がこう話を変えます。
「あっ、なつ、牛舎見るか?」
そしてなつは、牛舎へ。
人馬、天上での再会
そこにあったのはミルカー。搾乳機でした。歴史を調べてしまいました。
柴田牧場では、3台導入しました。
お陰で搾乳時間が劇的に短縮されたと言います。
菊介はそのことを自慢し、おかげで親父は乳搾りをしなくなったと。
腰痛もあり、高齢の悠吉が引退することは、よいことではあるのですが……。
モモッチも、機械導入で仕事を奪われたと嘆いていましたっけ。何事も、よいこともあれば、そうでないこともあるものです。
なつはここで、泰樹に馬に乗りたいと言います。
「残念、馬はもう売ってしもうた」
今はもう、車とトラクターの時代です。
馬車で移動する時代じゃない。天陽もそうだったと、泰樹は語ります。
しかし天陽の馬は、昨年死んでしまいました。
「25年以上、長生きだった」
馬の25歳は、人間の72歳以上。長生きではあります。
競走馬の場合は、ちょっと特別ですからね。
「今頃はまた、天陽と会ってるべ……」
泰樹はしみじみとそう言います。
山田家を泰樹が救い、馬を買い与えたあの日。
あの日は、遠くなりました。
この土に勝ちたいと悔しがっていた、幼い天陽。
彼は土のぬくもりを感じつつ、世を去ってゆきました。
そして今頃、あの馬と会っているのでしょう。
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悠吉さんが耳に挟んでいるのはタバコですね。
うちの死んだじいちゃんもよくやってたっけ。
(剛男さん世代だけど)
懐かしいなあ。