なつぞら145話 感想あらすじ視聴率(9/16)その後のシンデレラ

絵の中に家族がいる

坂場家では、咲太郎と光子も来て夕食です。

メニューはカレー。

この食事の場面が見ていてすっきりします。
手を合わせて、「いただきます」と一礼してから食べ始めると。

口の中にものを入れたまましゃべるとか。
食器を振り回すとか。
食べながらおいしいぃ〜と奇妙な声で叫ぶとか。
ズベベベ、ベチャベチャと音を立てるとか。

そういうことはない。
これも、役者の力量だけではなく、演技指導の賜物です。

主演女優が番組SNS投稿で失礼な行動をとった!
と、それこそ鬼の首を取ったように日がな一日投稿する方もおられるようですが。ドラマ内における、演技指導がぶっ壊れた下劣な食事マナーにはだんまりなのかな。

それはさておき。

運命の日は、土曜夜に決まりました。
本作はこういう、次はいつにするかという期日設定の細かさがいいんだな。

イベントがダラダラと流れない。スケジュール管理が、ドラマ内だけではなく外でもきっちりできている証拠でしょう。

「信哉さんにも知らせないと」

なつたちはそう話し合います。

イッキュウさんと優は後回しで、その間、預かっていると説明されるのもよいところ。家長である俺を立てろとオラオラしないところが、イッキュウさんの魅力です。

「早く食べないと、始まっちゃうよ」

と、ここで優がやきもきしています。
七時ごろってことですね。

食べ終えて、お茶を飲みつつ、『大草原の少女ソラ』を見守る一家。

坂場家も。

そして千遥も千夏も。

なつ、咲太郎、千遥――なつよ、きみの作った作品で、家族の時間がまたつながったな――。

かつて、父の残した絵を動かして、家族の姿を夢見ていた少女。

そんななつの動かす絵が、家族をまたつなぐのです。

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それは彼女が悪いのか?

咲太郎が驚いていた、神楽坂という地名。
これも、重要な要素ではあるのです。

ありがたいことに、神楽坂の特徴がわかるサイトがありました。

◆東京花柳界情報舎

芸者がいる街。
とはいえ19世紀初頭から始まり、ランクは高いほうです。

本作に出てきた地名を比較しましょう。

神楽坂:上品で、政治家や富豪が遊ぶ街(現在=千遥の杉の子)

浅草:家康の江戸開府とほぼ同時に始まった花街。歴史が古く、かつては「吉原」があった。ランクはそこまで高いわけでもない(過去=咲太郎のいたストリップ劇場)

新宿(現在のゴールデン街のあたり):非合法の「青線」があった。花街でも最低のランクであり、咲太郎が亜矢美が移転すると知って慌てていた(未来?=亜矢美が女帝になる?)

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神楽坂はお上品でもあるのです。
が、それは政治家が妾を囲ったという事実はどうしてもありまして、それが昭和の定番だったんですよ。

朝ドラでそこまでやるか?
そう思いたくはなる。でも、本作は逃げていないのだ。

千遥の縁談のことを考えていたら。
もしも咲太郎となつが、妹の意思をふりきって探索していたら?

状況的に、神楽坂は真っ先に捜索地域になっていても不思議はない。

それでも咲太郎はナゼ驚くのか?
むしろ神楽坂にだけはいて欲しくない。そんな深層心理もあったのかもしれません。

結婚後のシンデレラたち

千遥の縁談からすれば、これはわかったことでもある。

・芸者の養女

・嫁ぐ相手はそれなりの玉の輿という説明はされていた

・家族との縁切り前提

いくら養母が良心的な芸者でも、それは身売りだ。
そう指摘してきました。

……やっぱりそうだったのか。と思うと辛くなってきました。

玉の輿にせよ、シンデレラにせよ。
後ろ盾のない女性というのは、苦労するものです。

千遥は、千夏だけを連れて全てを捨てて去らねばならないと言います。
彼女には、他に頼れるものが何もないから。だから、なつのところまで来てしまった。

シンデレラストーリーが結婚式で終わるのは、そういう苦難をごまかすためかもしれない。
ディズニーも反省中かも。

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虐殺されたシンデレラ『ドラガの野望』 現実は現実!憧れ抱く時代じゃない

※あのレッドウェディングだって、政略結婚をしていれば発生していなかったんですよね……(閲覧注意)

『アナと雪の女王』では、ハンス王子に恋をしたアナに、エルサがよく知りもしないのにいいのかと突っ込むし。

『マレフィセント』では、いきなり出会った王子に永遠の愛はわからんだろ、とこれまた突っ込む。

ドラマではそこまではっきり描くかどうか、そこはわかりませんが ……。

そもそも、千遥は結婚をしているのでしょうか?
彼女自身が妾であるいう可能性は、当然のことながら考えられる。

朝ドラには、不可解なところがあります。

「女性を応援します!」とはいうものの、その女性の範囲があまりに狭いんじゃないか? そういう疑問がありました。
特に最近はイージーにそう突っ走る傾向を感じる。

実家が貧困であるとか、辛酸を舐めるとか。
そういうことまでは踏み込むけれども、権力に対して影の存在である女性たちの苦難なんて、おちょくっていませんでしたか?

2015年下半期『あさが来た』では、あさと新次郎の恋愛が強調されておりまして。

モデルの広岡浅子が、育児どころか出産まで他の女性に委ねていたような。そんなことを描きはしないのです。
愛人を勧める描写も、アリバイ程度です。

あさが来たモデル・広岡浅子69年の生涯をスッキリ解説!銀行・保険・女子大などを手がけた女実業家の素顔

2017年下半期『わろてんか』の藤吉モデルは、性的な部分がきわめてだらしないものでした。

もしもドラマのように幽霊になってしつこく出てきたら?

おてんちゃんのモデルは、お坊さんにでも頼んで、悪霊として追い払っていたんじゃないかな……。

吉本興業の創業者・吉本せい 波乱の生涯60年をスッキリ解説!

まあ、ここまではよいとしまして。

2014年上半期『花子とアン』。
柳原白蓮の元に駆け込んできた森光子がモデルである人物を、セクシーさを売りにする方に演じさせましたっけ。

森光子の著書『吉原花魁日記: 光明に芽ぐむ日』シリーズの読書体験までぶっ壊されるような、不愉快なキャスティングでした。

『花子とアン』蓮子さんモデル・柳原白蓮は大正天皇とイトコ!柳原家が豪華すぎ

セクシーを売りにした女優は、絶対そういう境遇の方を演じるな、とは言いませんよ。

ただ、演出や周囲から漂う雰囲気が大問題。

『ゴールデンカムイ』の尾形を送り込みたくなるくらい、本当に不愉快……。

日本軍と遊郭、童貞神話 ゴールデンカムイ尾形百之助と花沢勇作の悲劇を考察

「エロいあの女優が、芸者だぜ〜」

という【ファイナルオヤジファンタジー】迎合路線で、吐き気しましたわ。

んで、それは終わらなかったのである――。
2018年下半期****は、モデル夫妻の婚姻関係は法律上無効ですぅぅぅ〜! 台湾にいる**さぁんモデルの捨てられたお嬢さんは、ご苦労なさっているそうですよ。

確かに革新的っすねー。
でも、そういう事例を、純愛として取り上げていいもんですかね。

◆ほぼ存在が消された安藤百福氏の「娘」2月に来日も台湾で路上生活

んで、森光子がモデルであった役と同じ女優が、エロマンボダンスをする。そのエロさで、ネトゲ廃人画伯の色覚異常が完治するという無茶苦茶さ。

もう突っ込むのもいやになってくるのですが。

性的関係隠蔽ならば、まだ許せますよ。
純愛カップリング萌えへの迎合ですね、ふーん。それでいい。

問題は、【ファイナルオヤジファンタジー】迎合路線だ。

千遥の声を聞いて、あなたの偏見と向き合うのだ

「妾になるような、そういう女はそれが望みだ! 女はエロで楽に生きていられる!」

ブランドバッグを持っている若い女はきっとそういうエロい副業があるだの。

そういう道に騙されて入ったような事例でも、望んでやったはずだの。

楽をしたかっただけだの。

出世したあいつはきっと枕だの。

貧しいならば身を売ればいいだけだの。

そんな偏見、2019年現在、一蹴されるべきものですよ。

派手なトラックが高額バイトの歌をガンガン流して走っているのを見て、何も思わない人。
彼らにとって、****ワールドは癒しだったのでしょう。

千遥は、そういう偏見を吹き飛ばす、練りに練った設定です。

・清原果耶さんには、セクシーさや愛嬌よりも、暗いニュアンスや強い意志を感じさせる個性があります。お色気にデレデレさせる、そういうところはない。得難い個性です。

・千遥は圧倒的に弱い立場だった。戦災孤児だった。そう明確に示されています。

・家族を失い、築きたくて、弱い立場だった。そう千遥が訴えれば訴えるほど、それにつけこんだ社会や男のゲスさがわかる。これぞ、本作の反射板システムだ!

たった15分以内で、こういう逸話をぶった斬る、爽快感があります。

◆田中角栄と神楽坂芸者の“純愛” 漏らしていた「真紀子が怖い」

何が“純愛”だ。
そういう時代だっただけのこと。
真紀子よりも、時代を怖がれ。

「どうして昭和の大物政治家は、愛人とうまくできていたのかな?」

「昭和だから。どんな大物政治家だろうが、現代だったら終わるだけ」

以上です。それだけのことです。

頭をアップデートしましょう。#Metooの時代。もう、フォースの後継者は女のレイなんですよ。
変わらなくちゃ、朝ドラも。

信尹「読まんでいいタイムがまだあるのか……」

ここでふと、あることに気づいてしまった。
朝ドラファンは耳を塞ぎたくなるようなことかもしれないけれど。

2013年上半期『あまちゃん』のことです。

あのドラマは、どうしたってAKBビジネスを身近にして、アイドルたちは楽しそうで、悪くないのだと思わせる作用はあったはず。私だって、素直にそう見ていました。

震災復興という側面はあるし、アイドル界の暗部やシステムの問題も描かれてはいた。けれども、十分であったかどうか? AKBビジネス美化という一面は、否定できないでしょう。

そういう現実とリンクするテーマに挑むということ。そのシステムやモデルが破綻すれば、それをモチーフにしたフィクションにも、火が燃え移るリスクはある。

◆薄利多売のAKB商法で誰が儲けているのか(上)

◆山口真帆は「売れる」のか? NGT48側は悪手連発でまだ炎上

しがないレビュアーですら気づくリスクに、NHK側が無策とも思えない。
何か、必死で考えている人はいることでしょう。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】なつぞら公式HP

 

1 Comment

こけにわ

千夏ちゃんが、千遥に、
大丈夫、私がいるよ、と言う場面は、
戦災孤児のなつと千遥のやりとりと同じですね。
孤児の千遥が、お母さん、と泣いていた時です。
千夏ちゃんはまさに小さななっちゃん。
すごい、と思いました。

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