まんぷく 24話 感想あらすじ視聴率(10/27)なぜ自分は生き残ってしまったのか

誰もいない畑をズドドドド!

ここで、安心のクソゲーモードが発動します。

【空に敵機襲来!】
「きじゅうそうしゃだー! わー!!」

ここで、モブ村人が犠牲になれば、また何か違ったかもしれませんし、せめて負傷すればマシだったんでしょうけど、そんなつらい展開、ボタン連打ゲーでやるわけない。

パイロットがドヘタなんてレベルじゃなくてよかったですね。

【誰もいない畑をズドドドド!】

ここから先は、長谷川博己さんの演技力の無駄遣いです。

ともかくハセヒロさんに何かさせておけばエエという手抜きっぷり。プロモーション映像にせよ、もっとマシな作り方があるでしょうに。

立花がやけに悲壮感たっぷりに、従軍できない自分がいかに情けないか語るわけです。

いや、また戦闘機が来たら危ないから逃げようよ!
そもそも、なんでこんな目撃者多数の場所で、大仰に嘆くんですか?

わざとらしすぎる。
ここまでアピールしたら、俺が昼間からぶらぶらしていても悪口言えないでしょ、とでもアピールしているみたいで、なんかもう。

あるいは、
「こんな必死こいて演技しているハセヒロさんに申し訳ないと思わないの、本作アンチは!」
とでも言いたいとか。いやいや、まさかねえ。はははっ!

なぜ自分は生き残ってしまったのか

私の好きな作家に、山田風太郎がおります。

以前も書きましたが、彼の『戦中派不戦日記』は、戦中の日記として一級品の価値があるのです。是非、読んでみてください!

日記以外も素晴らしい作品ばかりでして。
彼の人気シリーズである忍法帖は、スキルがある忍者が、権力者の都合によってあまりにあっけなく殺されてゆきます。

漫画およびアニメ化された『バジリスク』の原作『甲賀忍法帖』が有名ですね。

こうした作品には、山田の記憶が影響を与えております。
虚弱体質であった彼は、徴兵検査ではじかれて、従軍しませんでした。彼の同級生や友人たちは、戦地に赴き、多数が戦死を遂げてしまいました。

彼は自嘲的にそのことを「傍観者」と言っておりましたが、心理的な打撃は書き残した文章から伝わって来ます。

山田が戦争にいかに苦しみ、同年代の青年が殺されていったことに怒りを感じていたのか。
その感情が、作品の世界観に反映されているのです。

山田を蝕んだサバイバーズ・ギルト。
ナゼ、あの年代に生まれて、自分は生き残り、同年代の仲間たちは死んでいったのか?
あんなふうに、夢も希望もあった若者が、国家によって殺されてしまったのか?

山田はまるで、自分の筆力と想像力によって、そのことをずっと問いかけ、叫び続けたように思えてなりません。

彼自身、この世への不信感は天性のものもあるけれど、昭和20年に植え付けられたと振り返っています。

彼の作品を読むと、死にゆく人々に強い悲しみを感じてしまいます。
その悲しみとは、山田がかつて味わったものでもあるのです。あんな素晴らしい、夢も希望も能力のある人を、簡単に殺さないでくれ、どうしてそうなるんだ、あまりに酷いじゃないか。
そうやって、あっけなく死んでいった人々にだって、人生もあれば、様々な思いがあったのだ。
そう感じられるのです。

山田風太郎、そして彼と同じ世代の人々がどれだけ苦しみ、怒り、絶望していたか。
私の先祖も、その中におりました。

山田の作品だけではありません。

『総員玉砕せよ!』
『はだしのゲン』

こうした戦争を題材にした作品以外でも、『仁義なき戦い』シリーズ、『シグルイ』として漫画家された南條範夫の『駿河城御前試合』。

※『仁義なき戦い』を語るうえで、あの戦争の影を抜きにすることはできんのぅ

あの戦争を生き延びた人々は、自分の見聞きした苦しみを、死んでいったもののために語るために、表現の道を取ったのではないだろうか。
そう思えるクリエイターは、数多くおりましたし、今もいるのです。

戦中を経験した人々が作り上げた作品からは、ビシビシと怒りと嘆きが伝わって来ます。何も彼らは誰かを責めたいわけでも、賠償を求めているわけでもありません。

魂が叫ぶから。
黙っていたらば、苦しくて、たまらないから。
同じあやまちをして欲しくない。自分たちのように苦しむ若者は、もう存在しなくてよいのだから。

それを残そうとしてのことでしょう。

私はあの戦争を体験したわけではありません。
しかし、戦中派の作家が苦しみ残した叫びから、目を背けずに生きてゆきたいわけです。

そういう姿勢、少なくとも数年前までは、NHKにだってありましたよね。

ところが、本作にはそんなもん微塵もないわけです。
そういう先人のお話、世界観、興味もない、ということでしょう。

「死にどき」の世代のくせに当時傍観者であり得たということは、或る意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。

山田風太郎『戦中派不戦日記』より

こう彼が書くことが出来たのは、戦争の四十年後です。
それまでは、作品に託すことしかできなかったのです。

※レビューの過去記事は『まんぷく感想』からお選びください

※『あさが来た』も『べっぴんさん』もU-NEXTならスグ見れる!
『半分、青い。』全話ほか多数の朝ドラ・大河作品も視聴できますよ。
スマホでもOKです。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

まんぷくモデル安藤百福の生涯96年をスッキリ解説! 日清食品の誕生物語

ラーメンの歴史は明治維新後にスタート~日本の歴史と歩み、世界の食となるまで

 

38 Comments

孤独の胃弱

>ななしさま
あなたこそ、釣り乙。楽しいですか?

これは個人的な感想であることを前置きさせてください。

『まんぷく』に対し、史実で上郡で空襲にあった・あわない等の個々の事象の整合性ではなく、全体を通しての戦争描写が杜撰で、軽々しく扱われていることに怒りを覚えています。アンネを例に挙げたのは怒りに任せて軽率だったかもしれませんが。

また、ななしさまが例示されているのは『サウンドオブミュージック』で間違いないでしょうか。正直、不朽の名作とこの朝ドラを同列にするのはご勘弁をいただきたいです。汚れます。サウンド~劇中では、オーストリアがドイツに併合される中で少しずつ息苦しさを増していく様子がきちんと描かれています。トラップ家の長女のボーイフレンド(I am sixteen, You are seventeen♪)が、ナチスに入って冷酷な軍人に豹変してしまったり…銃撃や爆発だけが戦争ではありません。その時代の空気感が伝わってくるかどうかです。

もしサウンド~を「戦時下でものほほんと歌ってただけの気楽な作品」と捉えてらっしゃるなら、貴方さまと私の感性のアンテナは完全に別の方向を向いていて、永遠に分かり合えないということですね。

『まんぷく』は戦争描写をスポイルした結果、
1:視聴者の歴史認識を歪めかねない
2:主人公や主要人物が自分勝手(他人の戦災に無頓着)
3:飢餓の原体験がなく、日清創業理念たる「食足世平」の根拠になりえない

という、破綻状態にあります。私はそれが過去・現在・未来への、そしてモデルとなった人物への大変な不誠実に思えるのです。

ここまで書きましたが、作品に対しどんな感想を持つかは自由です。もし『まんぷく』がお好きであるなら、良いところを語るなりなんなりすれば宜しいかと。煽られたら大人げなく煽り返しますけど。あと、一番怒ってるのは公共放送でこの毒電波を垂れ流しているNHKに対してなので、武者さまほど文才はないにしても遺憾の意を示していきたいです。

>匿名様
>ドラマの主題が違うから、主題が戦争ではないから、その時代が出てきても、戦争描写はいらない、ゆるくてもいい、にはならない
↑↑↑
すごく簡潔にわかりやすく代弁していただきありがとうございます!!そうです、真摯さが必要なんです!

匿名

ななし様

アンネの例えを書いた方とは別の者ですが、ドラマの主題が違うから、主題が戦争ではないから、その時代が出てきても、戦争描写はいらない、ゆるくてもいい、にはならないと考えるものです。
朝ドラでいいますと「あまちゃん」「半分青い」は震災の時代を含めてドラマは展開します。でも震災がテーマではありません、まったく違うところにテーマがあるのは言うまでもないでしょう。
しかし、テーマは違っても、震災を一部でも扱うということには、真摯に取り組む姿勢は、必ず問われます。現に問われてきています。
ドラマ中に、とくに朝ドラで
「震災あったけど、避難所が当たりで!ラッキーでした。食事も豪華だったし。避難所生活も捨てたもんじゃありませんよ」
なんてシーンやセリフがあったらどうでしょう。非難轟々なのでは。
戦争の時代を主人公が通り過ぎるときも、やはり同じように真摯な姿勢は問われて当然だと思います。
もちろん幸いにも被害が少なく、大変な思いをしなかった人もいるでしょう。
しかし、周りを見渡してみれば、惨たらしい惨状があったはずです。

このドラマの史実モデル本人が体験していないから、だから要らない?
ヒロイン達が体験しないのなら、少なくともまわりにあった悲劇は最低限でも描かれるべきだと私は思います。
また、史実モデルの方と、ドラマの萬平は環境も生い立ちも違います。
このドラマはモデルありのフィクションであり、萬平という人物は百福氏そのものではありません。疎開でそれほど待遇が悪くなかったのにも、それなりの理由があるからです。そこは考慮なしで、モデルが辛い思いをしていないところだけに焦点を当て、経験ないところはなくていい、は、いささか乱暴かなと。
ドラマの中の萬平には赤紙がきますし、戦地に向かった人々などに想いを馳せ、いまこうしている自分はなんだ、と責めるシーンもあります。その描写において、戦争の恐ろしさ惨さはほとんど回避しておいて、穏やかな疎開生活ばかりを流すことに疑問をなげかける人がいることもあり、だと思います。

長々と失礼しました。

ななし

アンネ・フランクのくだり…釣りですか。笑
私だってアンネのように「明らかに空襲で傷を追ってそのまま亡くなった人」と歴史的に判明している人が明るく描かれていれば違和感を覚えますが
安藤氏はそもそも上郡で大きな空襲にあった記録はありませんから。笑
アンネの時代にむりやり例えるなら
「ナチスドイツの政権下、収容所からの追ってから逃げてスイスでささやかに過ごした家族」という映画があったとしても
「なんでもっと収容所内の毒ガスの描写をしないんだー!」なんて
物語において元も子もないこと言いませんよ。
だってそれが主体の話ではないわけですから。
このドラマだって主人公が史実で遭遇してもない大空襲の描写や過酷な疎開生活を描くと物語の本筋と逸れてしまいます

Zai-Chen

ちょびさまが書かれていること、懸念されていることこそが、まさしく武者さまいうところの「歴史修正主義」なんでしょうね。

戦争は嫌だ。

(追記)
読み返してみて、舌足らずなところがありましたので、連投失礼します。

「ファンタジーなら」とのご投稿について、私と同じ方向でのご意見と感じました。
「この作品支持者と同じ方向」ではありません。
誤解されかねない書き方で失礼しました。

ちょび

このドラマのあまりにお気楽な疎開描写の内容に悶々としていたところ、こちらのサイトを発見しました。
武者さま、皆さまのご意見を拝読し、なるほど・・と頷くばかり。
つたない文章でお目汚しとは思いますが、書き込みさせて頂きたくしばらくお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

「疎開もいいものだな」などのセリフ、野良仕事中の大家を後目に散歩・・・永遠に続くかと思われる桃源郷描写にはあんぐりでした。
他もろもろ書きたいことはありますが、武将さまはじめ、皆さまがお書きになっていらっしゃるので割愛しますが、もっと私を驚かせたのは、このドラマを支持する人達のこのお気楽疎開への反応です。
長谷川さんが拷問されるシーンが放送されていた最中には
「戦争の惨たらしさを表現していて素晴らしい」
「戦争知らない子供たちには伝えるべき戦争をちゃんと描いているのがこのドラマの凄いところ」
などなどと絶賛をしていたと思ったら
疎開シーンのロハス描写には
「厳しい戦争の表現はいらない」
「子供は学校で戦争について学んでいるから、朝ドラでは無理にする必要ない」
「田舎はのんびりしていたようです。疎開もいろいろで、食べ物も豊富で楽しいところもあったようです」
だから疎開描写はこれで良いのだ・・・
このダブスタはなんでしょうか。
挙句には
「農家の仕事はプロだから疎開してきた都会人の手など煩わしいだけで無用だった」
「学童疎開はデモンストレーションのようなところもあった」
「疎開が厳しいは思い込み、本当のことを知らないから」
このような発言って、根拠のちゃんとしたソースや体験した多くの証言あるのでしょうか。
もし作り話やデタラメなサイトの書き込みが根拠であるなら、作品を持ち上げるためだけにこんな乱暴な発言をするなんて、と怒りすら感じてしまった私です。
グチのようなことばかりつらつら書いてしまいましたが、最後に武者さまが無理のない範囲で構いませんので、このドラマのレビューをお続けになってくださることを願います。

戦争は嫌だ。

ひろぶ様。
二度にわたるご投稿、拝見させていただきました。

この作品や、それを歓迎している人々に関して、私も同じ思いです。

二度目のご投稿冒頭で触れられている、「ファンタジーなら」とのご投稿も、私は同じ方向でのご意見と感じました。「この作品をファンタジーとわかった上で見ている、戦争の実像はこんなものではないとわかって見ているのならともかく、これを歓迎している視聴層の多くは、この作品の描写を戦争の実像と誤解している。」との危惧を延べておられると思いました。

私事ながら。
私は、中高生の頃までは軍事マニアでした。戦争の体験談や、旧軍の兵器や戦闘に関する書籍を好んでいました。
負の側面からは一生懸命に目を逸らしながら。
でも、成人後のあるとき、目に入ってくるものが変わりました。
軍隊とはどういう所なのか。そこでは何が行われていたのか。
様々な美名のもとに強いられた犠牲。
それまで小・中学校教育で聞かされていた「戦争とは何か。どんな目に遭ったのか」が、そのときになってようやく実感を持って理解できました。

以来20数年、そろそろアラフィフという年齢になって感じるのは、同世代の人々に、「変に戦時下を美化する」、かつての私のように「負の側面から必死で目を逸らし続ける」ような人が少なからずいることです。
こういう人々が、今作を支持しているのかと思うと、合点がいくもの。
若い人が、熱に浮き立ったように勘違いしているのなら、まだ良いかもしれません。気付き、考え直す余地はまだあるでしょうし。
でも社会を支えるべき年代の者が、こういうひどい考えに染まっているのを見聞きすると、本当に空恐ろしい気がします。

ひろぶ

「ファンタジーなら」とのご投稿をなされた方へ

前文にて、まるで決めつけの様な記入をしてしまった為、誤解をされてしまった様ですね。
申し訳ありません。
文才無く、舌足らずな投稿となってしまう為、気持ちが伝わらず歯がゆい限りです。

私自身は、ファンタジーと思われる今作を擁護するつもりも、そして、それを事実と混同して視聴してしまうファンの方々に賛同する気も無いのです。
地域差こそあれど、戦中の雰囲気や生活は、現在を生きる私達にははかり知る事も出来ないでしょう。
幸いにも当事者から話を聞くことが出来た私としても、誤解される事が無い様に若い世代に伝えて行きたい気持ちはあります。
しかしそれは、かなり難しくもあり、もどかしいものだと思います。
発信方法として、テレビやネットなど、広域かつ効率的に行える方法はあります。
しかしそれは、見る側に選別する権利も同時に与えてしまいます。
ならば、ファンタジー等の空想を好む方々には選ばれないのではと思います。
実際、NHKでは「証言記録」という、素晴らしい番組もありました。
戦争や震災の当事者達のインタビュー番組です。
しかし、それは興味をもたなければ見る事は無いわけです。
対面して会話でもしない限りは、確実に伝える事は出来ないと思います。
確かに今作の作り方には、ある種の憤りさえ覚えます。
ですが、この書きっぱなしの一方通行の環境で、どの様にすれば完全に理解してもらえるのでしょうか。
ともすれば、この場のこの荒れようも、興味無く見ていない方々には知るよしもない出来事だと思います。
ならば、せめてこの場をなごませられないかと考えての投稿でした。
その為の、「それで良いじゃないですか」だったんですが。(笑
やはり私は発信しる側では無く、受信する側のようですね。

最後に、武者様のレビューは、「西郷どん」共々に共感を持って楽しませて頂いております。
特に、現代まで通ずる西高東低の歴史認識への考え方と、傑物とされた方々への再評価、「八重の桜」に対する評価には賛同します。(東北人であるが故にか(笑)
たまに、表現の激しさに恐々としつつも笑っておりますが。(笑
あくまで個人的な希望として、当レビューの存続を希望しております。
でなければ、「まんぷく」と私の関係が完全に切れてしまいますので。(笑
これは、あくまで希望であり、武者様並びに編集の方々の負担にならなければの話です。

先の投稿共々、長文にて大変失礼いたしました。

moon

ユーコの最後の行動を「看護師への冒涜」とか「職務放棄」と考える方々がいることに驚きとショックを受けました。
限られた時間の中で必死に患者さんを上へ上へと移動させて、それでも事情があり移動できない患者さんを残して避難などできなかったユーコ。そして最後まで患者さんと寄り添うことを選んだユーコのどこが看護師への冒涜なんでしょうか?
覚悟を決めたあとに、残していく大事な人たちにメッセージ(遺言ですよね)を携帯に録音する2分間でさえも職務放棄と言われてしまうのですか?そういう風にしか受け取れない人がいる事がとても残念で仕方ありません。

鈴愛が離婚し岐阜に帰った直後に、ボクテとユーコが訪ねてきたことありましたよね(ボクテが泥酔して家族みんなの前で律に鈴愛のことを問い詰めた日です)。その夜にユーコと鈴愛がふたりで語り合ったこと。「ユーコが本物の看護師になったら会いにいくよ」って約束した鈴愛。
存命中には約束を守ることはできなかったけど、それでも会いにいったあの時が「ユーコが本物の看護師になった」んだと私は思っています。
本物の看護師とは、人によって様々だと思いますが、ユーコにとっては患者さんに最後まで寄り添うことだったのではないでしょうか?

武者様のまんぷくレビューですが、停止のお知らせが出たときは物分りのいいふりをして(笑)、エネルギーは前向きの物に使ってくださいと書き込みましたが、この作品について苦言を呈する人がいなくなるのは(大袈裟かもしれませんが…)この今の日本にとって危険だと感じるので、勝手ですが、武者様の負担にならない頻度で続けていただきたいと切に願います。

(*^◯^*)コメントを残してもいいんだ!

間違い。
福田康×→福田靖◎ですね。

(*^◯^*)コメントを残してもいいんだ!

私はプロジェクトXのカップヌードルの回で安藤百福の偉業を知ったクチです。
後に放送されたてるてる家族の安斉千吉・節子の扱いの悪さを見て残念に思いました。
今度こそ汚名返上でドラマでちゃんとした扱いになるかと期待して4週見ました。
しかも、龍馬伝をはじめ数々のドラマで評判良かった脚本の福田康を起用して期待を持ちました。
けど、汚名返上どころか扱いが悪くなるばかりで遺憾な気持ちです。

孤独の胃弱

「この朝ドラは戦争してても暗くなくて良いよな」と言う父と昨日わりと本気で喧嘩しました、本作アンチで前作ファンです。

多少の脚色はしても、戦争で何が起きたか、人々がどんな思いで生きていたかに向き合うのは、過去その時代を生きた人への尊意であり、未来を生きる若い世代への責任であると考えます。『まんぷく』は個々の事象を取り上げるのがバカらしくなるくらい全体として、それが微塵もできていない。踏みにじっている。悪意すら感じる。

例えば『アンネの日記』が、現代的な解釈で親しみやすい作品を目指しました~~~というコンセプトで「わたしアンネ·フランク。いたって普通のユダヤ人の女の子☆。ナチスの迫害から逃れるために隠れ家での生活が始まったの。なんだかスリル満点でドキドキしちゃう!ひょんなことで知り合ったヒットラーユーゲントの男の子から告白されちゃったけど、愛の力で乗り越えられる???どうしたらいいの~(>_<)」みたいなリメイクになったら。

怒られますよね。
怒りますよね。
私は怒ります。
『まんぷく』は私にとってそのくらい酷い作品です。

暗い話をドラマにしたくないなら、戦争を明るく軽く書くのではなく、最初から別の時代を書けばいいのに。

話は変わりますが、ご負担にならない範囲でレビューを続けていただきたいです。このサイトを、ネットの海に浮かぶ灯台のように感じています。武者さんの文はもちろん、コメントを投稿してらっしゃる多くの皆さんの意見に共感でき、とても救いになっています。

ちょび

はじめまして
このドラマについて、悶々としていたらこちらのサイトを発見し共感しながら読みふけってしまったちょびです。
ほんとに、この疎開描写はどうしたのでしょう。
都市の空襲さえ無視で夫婦での団らんやコントばかり。
「疎開もいいものだな」って・・・汗
はとこさんたちが農作業する傍らをお散歩とかひっくり返りました。
もろもろ言いたいことはありますが、皆様と同じくするので割愛します。
しかし、この疎開描写、それに対するこのドラマファンの方々の反応にはほんとに唖然です。
ハセヒロが喘ぎ苦しむ拷問放送時には「戦争の厳しさをちゃんと書いている」「子供たちに伝えるべき真実がここにある」「ハセヒロさんすごい熱演っ」などなどの賛美を送っていたと思ったら、疎開については「朝から戦争描写などいらない」「厳しさは学校が教えてくれるから朝ドラではこれで充分」「わたしの祖母も苦労してません」「田舎の方はこんなもんでしたよ」などなどの理由で疎開で苦労などいらないと主張です。挙句には、農作業などはプロ仕事だから都会人の手伝いなど邪魔なだけでいらなかった、学童疎開の労働もデモンストレーションみたいなものだった的な発言まで・・これって、事実なんですか?それならソースもってきてほしいと言いたいところでした。
なんでしょうこのダブスタは。
ようするに、このドラマがどんな方向に転んでもなんとか理由をこじつけ称賛を最後までしますということの証拠のように見えます。
この先、終戦でもし貧窮する場面があったとしたら、今度はまた手のひらを返したように「戦後の混乱の描写が見事!」とか始まるのかもと思ったら、もう脱力感しかありません。(*´Д`)
気が付いたら、グチみたいなことばかりつらつら書いていました。
すみません、つたない文章にお付き合いいただきありがとうございました。

すずめっこ

かもがわ様へ

反論したいお気持ちは分かりますが、こちらのサイトでご意見を書かれても、殆どの人はあなたの意見に賛成しないと思いますよ。むしろ、半青アンチの人って、自分は「こうでなくちゃいけない」と言う思いが強いのに、他者がそのように思う事を許すことは出来ない人、と言うマイナスイメージを落とすだけになってしまうと思います。
まんぷくがお好きでしたら、ご自分のサイトでいかに素晴らしいかを表現したら良いのではないでしょうか。

ファンタジーなら

ファンタジー、アニメ、ゲーム、ご都合主義のドラマ
割り切ってみれば面白い、間違っているけれどそういう世界だから
きっとドラマ外ではフォローしているんだ

それはファンタジーであると判断できる知性と知識があってのことですよね。
私には、どうしても今作を褒めている人たちにその判断が出来ていると思えません。
ぷくがご都合ファンタジーだという前提で褒めているなら、そう但し書きをつけるくらいはするでしょう。それが歴史に対して、戦争で苦しんだ人たちに対してのせめてもの礼儀じゃないですか?
何より、ご都合ファンタジーと見抜けない若い人がこれを本当の戦争の姿だと思ってしまうことが非常に怖いし、腹立たしいです。この場所で、批評・批判されることは大変に意義のあることだと思います。
追記 ご都合ファンタジーだとしても、私には褒める部分は見つけられないです。

匿名

本人の自伝からwikipediaまで、「今さら」の話。
「積極的には示していない」というのと「公にすることを拒んでいる」のではまた異なる。

ななし

台湾ルーツ消失!日清は宣伝してもらえるからしぶしぶ承諾したのか?とか書いてるけど
台湾出身であることをやめたことが
ドラマ側ではなく安藤氏もしくは日清側の意向だった可能性がないということはもちろんウラ取りされてるんですよね?

GE

被災地出身者です。家族全員と親戚、友人が多く被災しました。
ユーコのように最期の言葉を残せた人は決して多くはないのは当然だと思いますが、あれは、その多くの人々が届けることのできなかった家族への言葉を描くことで、フィクションだからこそ可能な力を持って昇華させた場面だと思っています。だからこそあのシーンでは、ユーコの死が絶対的に描かれているのです。

また、私は福祉関係の仕事をしていましたが、重度心身障害者などの移送が困難な方々と生活をしていると、あの「諦め」にも納得がいきます。たとえ体重の軽い子どもであろうとも、座位保持装置や呼吸器、バイタル機器を装着している人を階段で運ぶのには大人の男性複数人がかりでも非常に難しいのです。
看護師を馬鹿にしている!という方もおられましたが、あれは決して医療者や福祉に携わるものをないがしろにし、責めるような描写ではありません。人々を守る立場である我々のやるべきことは、ドラマに誇りを傷つけられたと被害者になりきるのではなく、ではその移送困難な人々や医療者たちが、ああいった場面で一人でも多く助かるには、どう社会が変わらなくてはならないのか、と考え実行することに尽きると思います。

前作の話ばかりで申し訳ありません。まんぷくの話に戻します。
今作にある戦争と前作の震災では、どちらも史実であり多くの人命が失われ、今もなお沢山の人々の心に傷を残しているという点が似ています。
私がまんぷくで疑問なのは(今作だけでなく戦争描写を含む多くの作品にも言えることですが)、やはりその描写の軽さです。
どう軽いかというのはブログ主さんの記事や他の方のコメントにありますので省略しますが、実際にあった凄惨な出来事を語る上で、フィクションがフィクションである姿勢というのは非常に問われると思います。最近の戦争の描き方は、もはやそれそのものがフィクションであったかのような錯覚すら感じてしまうほどです。時の流れに甘えず、どっしりとしたドラマづくりをしてほしいと思います。

名無し

作り込みの浅さや演出の不手際のせいで、松坂慶子が戦時中なのにえらく肥えてるって話もYahoo!経由で出てしまった。
ごちそうさんからあさが来たまで良い流れだったNHK大阪のやる気はどこに行った…。

戦争は嫌だ。

ひろぶ様のご投稿で、砂浜を子供を背負って歩いていただけなのに戦闘機から銃撃されたというお話がありました。

見落としていました。申し訳ありません。

やはり、こういった行為もかなり多くあったのですね。

戦争は嫌だ。

今回、畑の中で米軍戦闘機から銃撃されるシーンがありました。
確か、比較的最近のNHKスペシャルで、米軍戦闘機のガンカメラ映像を分析し、戦争末期の戦闘機による空襲の様相を解説するものがあったと記憶しています。

最新の研究などを取り入れるのは、朝ドラでもしばしば行われることで、今回このシーンを入れようとしたこと自体は良いことでしょう。

ただ、出来は良くなかったですね。
上空からの映像では、地上にまるで「ここに何かありますよ」とばかりに何かを埋めた跡が二列に並んでいて、画面が寄っていくと案の定、その二列が着弾の土煙に…

場所も、何もない畑の真ん中。NHKスペシャルの実際の映像では、駅とか、物資が集積されていそうな場所とか、何かしら攻撃を受けそうな場所が狙われていたようでしたが。
もっとも、「何故ここが攻撃された!」といった理不尽な被害の話もありますので、全く無いとまでは言えませんが。

そのあとの萬平さんの叫びのシーンも、取って付けたような唐突感があまりに強く、違和感ばかりでした。

なかつがわ

かもがわさん、Twitterで流れてきた史実の美談をそのまま創作の人物像に援用するのはいささか危険です。史実の安藤百福氏は上郡に疎開した際に山を買って木炭生産の企業化を行っております。
戦時下に疎開地に雇用を生み出すとともに不足している燃料を供給する側で、地主で経営者なのです。戦後も贈り物をした際の「お世話になった方へのお礼」のお世話になった対象がもう少しアッパー層だったり、意味合いとして戦後に困窮していたであろう当時の労働者への支援を相手を立てた形で御礼と言ったということではないでしょうか?私もどのようなお相手にお礼をされていたかまで書かれたものを存じ上げないのでご存知でしたらシェアしていただけると皆さんのためにもなるのではと思います!
私個人の意見としては、持たざる者が戦中に血縁だけを頼って疎開し、村ぐるみで一方的に見返りなしに親切にしてもらった(創作の)恩を忘れず(史実で)後々成功した後までお礼をした、という結論を出すのは少しドラマが進むまで待った方が良いかもしれません。史実の安藤氏の伝記もとても面白いのでこれを機会に読んでみると楽しいかもしれません!
(武将さんのサイトで勝手申し上げて恐縮です)

セクシーピッグに膨満感

辛くて苦しい戦時中の描写がないことにもあきれますが、食べきれないほどの魚を八重さんたちに分けることもせず、農作業を手伝っている様子もないのもイライラします。
きっと分けているし、手伝ってもいるのでしょうね、『優しくて思いやりと常識がある』主人公たちなので。
だったら、なぜそこを描かないのか、不思議です。
ハセヒロが殴られたり苦しんだりするシーンはしつこいほど入れてくるのに。
「女性視聴者はこういうのが見れればいいんだろ」と、バカにされてるんですよ。
腹が立ちます。

かもがわさんに同意

私は看護師ではないですが、病院で働いてます。
同僚の看護師でたまたま見ていた者が、すごくショックを受けてました。
「ドラマのワンシーンとは言え、あんな状況で呑気に私的な遺言を残せるような無責任な仕事だと思われてるのが悔しい」と言っていました。
被災地で頑張っていた看護師への冒涜ととられてもしょうがない行為だと私も思います。

THIROL

かもがわさんへ
何故マンペイさんは坊主にしないのか、教えてください

ひろぶ

前作はリアリティー。
現実を見渡せば結構会う事が出来るキャラが多かった。
主人公もしかり。
それだけに、現実と重ね併せて嫌悪感を持ってしまう。
頭の中の空想だけで収まらず、現実に見えてしまうから攻撃的になってしまう。

今作はファンタジー。
アニメのような異次元の世界。
全てが最後の大団円に向けて、都合よく進む。
歴史やモデルなどはただの形作り、違いなど関係無い。
ネズミ~ミッキーマウスの様なファンタジー。
オープニングも、ジブリの名作「となりのトトロ」の様。
見ている側を挑発もしなければ、問いかけもしない。
安心して見流す事が出来る。
モデル、時代背景さえ無視すれば。

要は、好みの違い。
自分としては、あれこれ考えながら読み解きたいので前者派ですかね。
アニメと割りきれば、今作も結構面白いかも。

なぜか震災の話が出たので。
前作のユーコについては、何話かは忘れましたが、すずめが仙台に行った際に、ダンナさんから当時の様子を聞くシーンがあったはずです。
どうしても移動させる事が出来ない患者さんがあり、そばについていたのだと。
メッセージの作成は、津波襲来時では無く、その後なのでは?
津波以前の地震による部屋の散乱の始末もあるだろうし、患者さんのケアもある。
そう考えるのが妥当かと。
あれは、被災直後に最後を覚悟したユーコの、思い付く限りの人達に対する遺言なのだとおもいます。
あの時、被災直後に、閉じ込められたわずかな空間の中から、必死に最後のメッセージを送った方もかなり居たはずです。
親戚は、今でも機種交換せず、当時のメールを保存しています。

東北の田舎者として、伝え聞いた戦中の話を。
亡くなったうちの爺さんが、戦争前期に中国に出兵していました。
小学生の頃の私は戦争に興味津々で、何度も話を聞こうとしました。
しかし、一度たりとも話してくれません。
それは、息子である父に対しても同じだったようです。
話してくれたのは、婆さんでした。
残り少ない戦地での写真と供に、帰国後の戦争末期の生活等の話です。
写真等が少ないというのも、敗戦直後に親類親戚が、そんな物持ってたらGHQに連行されると、勲章その他と供に燃やしてしまった為だそうです。
見せてもらった写真は、村の城壁の門前に、数人の兵士がリラックスした姿で並んでいたものでした。
「戦友と」との、達筆な裏書きがしてありました。
40代後期となった今、戦時の話をしたくなかった爺さんの気持ちも、なんとなくわかる気がします。
退役帰国後は普通に生活していたようですが、やはり戦争末期は厳しかったようです。
東北の田舎の漁村とはいえ、数機の偵察機もしくは陸攻が飛んできたそうです。
本格的な空爆こそ無かったものの、婆さんが幼い父を背に砂浜を歩いていたところを、まるで遊ぶかのように機銃掃射してきたそうです。
パパッと2列に砂が舞い上がり、なにも考えられず、ただ走る事しか出来なかったそうです。
生活も楽ではなく、前記の様なことから漁に出るのも難しく、食事はほぼ芋で、夜に灯りを点けるなどもってのほか、共同防空壕では幼子の声に過敏で、静かに出来なければ最悪の事態にもなりえたそうです。
だからなのか、爺さん婆さんとも、毎日の食卓に食べきれ無い程の料理を並べ、食える時にはちゃんと食えが口癖でした。

それだけに、今作を見ていると、どうしても戦中には見えないのです。
初回を見た時の違和感が、回を重ねる程ハッキリしてきたようです。
これは空想物語で、ファンタジーアニメであると。
あれこれ深く考えずに、ただ流し見して楽しむものだと。

ならば、残念ながら私には視聴欲がわかないので、見ようとして見る事はもう無いでしょう。
こちらのレビュー記事だけで充分ですね。
だからと言って、好きで視聴している方々を非難する気もありません。

気の合う者同士が集まって、楽しく話をする。
作品の良さを、もしくは悪さを。

それで良いじゃないですか。

通りすがり

洋二さんが
裕子は患者さんを上に上に上げたそうです。でも全員が全員動かせるわけじゃない。寝たきりの人もいる、集中治療室にいる人もいる。裕子は最後まで動けない患者さんに寄り添ったそうです。

と言っていましたよ?
集中治療室で、たくさんの機械や管に繋がれていて、そう簡単には動かせない人をかもがわさんは見たことないでしょう。
他にも人工心肺や呼吸器をつけていると、移動が難しいですよ。それ相応の準備の時間や人が必要です。
もう時間がないとなって、患者さんをおいていけず最後まで寄り添った裕子ちゃんの、何がおかしいのでしょう。
その残り少ない時間に頭をよぎった大事な人たちに、なんとかメッセージを残した裕子ちゃんの、何がおかしいのでしょうか。
看護師ならこうあるべき!と熱弁されてますが、看護師から言わせてもらうと、そこまで怒り心頭!な場面ではなかったです。

匿名

かもがわさん
電気盗んで、それを問い詰めた村人に対して逆ギレする萬平&鈴って
どう思うんですか?

単に犯罪者であり、開き直りですよ。

親戚の家から借りたレベルじゃなかった。
法律と彼らの人間性の問題です。

匿名

今回出現のアンチ投稿を見てると、「前作アンチ」と言うより、もはや「武将ジャパンアンチ」に過ぎなくなっているように感じる。

前作や今作の内容自体はもうどうでも良くて、ただ「武将ジャパンの見解だから気に入らない!」というだけの理由で一生懸命揚げ足取り。

邪魔。コメント欄が見にくくなる。

つる

私も、出演俳優さんたちはみんな大好きなんですけど、本当に戦争や病気の描写の軽さにほとほと呆れています。
とくに今回は、東京大空襲などのくだりが冒頭にナレーションでありましたが、紙芝居のような絵をガタガタと震わせるという古臭いを通り越して子供だましな撮影手法……。本当にプロが作ったのか??と、脚本だけでなく制作スタッフすべてを疑ってしまいました。

疎開先の子どもたちの描写にも疑問が募ります。当時は、おっしゃるとおり若い男は戦闘にとられていましたので、年寄りと子供だけで生活をまかなっていました。農作業、家事、小さな妹や弟のお世話に、子供たちですら駆り出されていた時代です。
なかば子供向けのようなドラマなので、夢枕の描写くらいのご都合主義には笑っていられますが、さすがに戦争のはなしとなるとわけが違います。

腹膜炎は今も昔も大変つらい病気ですが、今作では途中で不必要なコメディ要素を混ぜてしまっていて、後の萬平の慟哭へつながるシリアスな雰囲気を台無しにしていました。

ただただ軽い、粗末な脚本に悲しくなるばかりです。

かもがわ

ちなみに川魚を分けるシーンもあり、あれだけたくさんの山菜を三人で食べきるわけはありませんから恐らく近所に渡したであろうこと容易く予想がつくので
主人公夫婦がただの穀潰しと考えるのは少し無理があるかと。
あとここの方が大切にされている史実を引用するならば先にも書いたように安藤夫婦は大阪に帰ってからも上郡の人々に贈り物を送り続けていました。
疎開当時からただ与えられるだけのはずがなかったと考えるのが普通です。

かもがわ

悠長にスマホいじってないで、ぎりぎりまで患者を上にあげる努力をしたということが描かれていませんから職務放棄と思われても仕方ないかと。
どうしても助けることができない患者がいたとしても他の避難可能な患者を更に助ける努力や(それとももう他の患者は全員避難し終えていたとでも?百歩譲ってそうだとしたら目の前の患者をもっと別の方法で助けられないか考えるべきでは?)、無事避難できている患者の世話も必要ですし、そもそも看護師という仕事であればきちんと生きて津波が去ったあとも病人怪我人をケアするため、看護師の皆さんはみんな奔走していらっしゃいました。
もう避難は無理ですね、諦めましょうかー大丈夫私もついてますよーだなんて考えの人間は誰一人いなかったと思います。
ですが、そういう考えの人もいたかもしれないじゃかいかという確率論の話になるのであれば
上郡のような比較的被害の少なくおおらかな人々がいる疎開場所がある可能性も否定すべきではないということです。

わたしも匿名

私も塩ラーメン好き様と同じように、ユウコのあのシーンを受け止めていたので、違和感は感じませんでした。
遺言を数分残して、同僚か患者さんに呼ばれて慌ただしく戻ったように終わっていましたし。
そこまで至る迄に様々な伏線や思いを伝えるシーンを丁寧に織り混ぜていたから、自然と物語に入れました。

疎開先が親切な人ばかりで不自由なく生活出来た可能性もそれは0.1%位の確率であったかもしれないですが、
疎開先の方々との繋がりを深める描写もなければ、農作業を手伝っている描写もないので、「人としてどうなの?」と言う感想を抱いてしまっても仕方がないと思います。
1つ1つの物事に至る迄の過程をすっ飛ばして、全てトントン拍子に雑に進んでいくので、8bitクソゲーシステムと言われても私は違和感なしです。
このドラマにピッタリの表現だと私は思ったので、毎回レビューを楽しませて貰っております。

演者の皆様が本当に気の毒でなりません。

匿名

おやおや、今回も早くから「前作アンチ」の嫌がらせ投稿か。
もはや「仮面まんぷくファン」を装うことすら忘れて。

「俺様はこんな立派な指摘をしてやったぜ」とでもふんぞり返ってるんだろうな。

浅はか・愚かの極み。

門外漢

まんぷくが2週目辺りの時何かのサイトでダメ男達の見本市とか言われ始めてから嫌な予感がしました。
第3週から違和感を感じ始めて第4週を最後まで見てDVD録画を含め見る事を放棄することを決断しました。
今はあさが来たの再放送の方を期待してる俺がいる。

塩ラーメン好き

かもがわさんが書かれた、
ユーコが看護師の職務を放棄、
と言う意味がわかりません。
彼女は、その場から動かせない患者に、最後まで付き添ったのでは?
置いていけないから、逃げずに一緒に残ったのでは?
職務を放棄していないと思います。

かもがわ

純粋な疑問なんですが
半分青いで親友さんが看護師の職務を放棄して他に救えるかもしれない患者を助けることもなく呑気にスマホに遺言吹き込んでたこととか、どう思われてるんですか?
冒涜云々ということで言えばあれこそ震災時の看護師全てを冒涜しています。
津波が来るかもしれない時に自らの命を諦めて他の患者の救出を放棄したなどあり得ませんし、どうしても救出することができず泣きながら謝ってその場を去った看護師がたくさんいます。
「そういう人もいたかもしれないじゃないか」というのであれば
「疎開先が親切な人ばかりで不自由のない生活をできた人もいたかもしれない」という可能性も否定するべきではないと思います。
何より安藤夫婦は上郡の人々と仲良くしていて、終戦後も上郡から去った人々にまでお礼の品を送り続けたという記録があるので「かもしれない」ではなく
実際ドラマのような関係性を築いていた可能性は
ユーコのような職務放棄の看護師がいた可能性よりよほど高いですけどね。

匿名

この役者に頼りきった薄っぺらい人物描写をみていると、この脚本家は人の内面を書けないんだと、つくづく感じます。

台湾設定を無くしたのって、実は書こうとしたけど、書けなくて、設定を変えて誤魔化したんじゃないかと疑ってしまいます。

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