もくじ
ロリ神が権力狙いのクズに見え
ロリカンこと神部が続いて登場するのですが、本音ダダ漏れのようにも思えました。
彼が萬平の元で働きたい動機、思いっきり口に出している。
「萬平さんとは親戚なんだし」
おい、おいおい!
親族経営そのものを否定しませんが、邪な考えで取り入ってくる人物がいれば話は別です。
神部はタカのドコを見ているのでしょう?
若くてかわいいから。それだけ?
例えばタカの容姿イジりの時だって、彼女の気品や性格について堂々と意見を述べることはありませんでした。
このレビューで、私はこう指摘しております。
「見ろよあの社長よぉ〜、妻だの義母の意見をいちいち聞いているんだぜぇ〜! つまりここで出世したけりゃ、社長の姻戚関係になっちまうのが一番の近道ってことよ!」
そう考えて、まだ幼くて言いなりになる、社長夫人姪であるタカに目をつけたということはありえませんか?
やっぱりそうなんじゃないですかねえ。
合格を告げる前に暗い顔しているわざとらしさ、ウンザリしました。
結婚遅れてがっかりしている本音が出たとか?
タカでも神部でも入れる名門大学とは
一体何なんでしょう。
彼女から知性が発揮された場面って、ありましたけ?
それを言うならば、東大首席(※真偽不明)東太一も“らしさ”を感じられなかった。
登場人物に知性を持たせるには、その人の専攻分野や興味関心のうんちくを語らせればエエんです。
前作の萩尾律は、ロボット工学関連についてガーッと喋っていました。
秋風先生も、会話の端々から芸術系の素養を臭わせていましたし。タジオ=美少年とか。
本作はそういうのが全くない。
何に興味があって、どんな知識を身につけているのか、そういうディテールが手抜き。
だからタカが合格と言われても『嘘くさいなぁ』以外の感想が出てきません。
本作って、学歴というステータスシンボルはだ〜〜〜い好きなくせにお勉強が大嫌いですよね。
忠彦の子供たちの、
「大学卒業したらお嫁さんになるんだよね〜」
ってセリフ、必要ですか?
タカと同年代女性の回想録なんか読みますと、当時大学に行くような方は、社会に出て活躍する夢を見ていたものです。
女性に参政権が付与され
「さぁこれからだ!」
と胸を張る女性もいた時代です。
まぁ、本作がそんなことを描くわけないですよね。
萬平のセレブ感がウザッ!
今朝は萬平の態度にも疑問でした。
記者やデモの連中に対して、偉そうに座っているだけで、全て妻やタカにブン投げ。
そりゃあ居留守を使っているんでしょうけれども、最初は自分で引き受ける場面があって、それがあまりに酷いから――という流れならわかります。
が、最初から偉そうにふんぞり返っていては、セレブ気分でチヤホヤされているクズの極みにしか見えません。
そもそも本作における萬平は、事業の中身がスカスカです。
にもかかわらずセレブに仕立て上げようとするもんだから、あのしょうもない【くいだおれ人形パクリ広告】なんかも投下されちゃうんですよね。
【こんな人物目指したくない・オブ・ザ・イヤー2019 ドラマ男性部門】
があれば、堂々と本命ノミネート出来そうです。
突然の信用組合が突然過ぎて唖然
ラストに現れたエエ着物の人。胡散臭いにもほどがありませんか?
いきなり土下座ってワケわからん。
いったい何事でしょうか。
こんな調子の人物ですと『また騙されるんかな?』という冷たい目にしかなれません。
仮に本気だとしても、萬平みたいにマネジメント能力のない人間に頼るしかない池田が気の毒でしかありません。
社長としての器なんてゼロじゃないですか。
史実に無理に繋げようとしたって、ドラマの中での人物描写があまりにそぐわないので、もうワケがわからないとしか言いようがありません。
発明なくてもセレブならアリですぅ
そんな理事長オファーに目をキラキラさせる福子の、いやらしさと来たら。
信用組合理事長って発明と何か関係ありましたっけ?
発明する機会ありました?
ない。
そんなものはないだろ!
なのに彼女が物欲しげなんですよ。私には涎が垂れているように見えました。
発明していないと萬平は死んでしまうんでしょ?
一体どうしたって言うのよ。
やはり福子は、
・セレブ妻になりたい
・男をスペックでしか見られない
そんなタイプなんだと思います。
モデルの安藤仁子と全く違うじゃないですか。
まったくもって今年も万事この調子で春まで続くんですね。
フレディ・マーキュリーがアングロサクソン系だったら?
2018年末から今年にかけては、こんなニュースもありました。
◆映画「万引き家族」、オバマ前大統領の「2018年のお気に入りリスト」に選ばれる。日本作品で唯一
オバマ前大統領も選ぶほどの傑作映画『万引き家族』。
その出演者である安藤サクラさんを、こんなことにしてしまった本作の罪は深い。
そういえば、この映画のヒットも昨年から続く話題でしたよね。
◆「ボヘミアン・ラプソディ」洋画興収1位見えた、クイーン・ファン以外に支持層広がる
同作品では、クィーンのフレディ・マーキュリーがペルシャ系インドのルーツであり、同性愛者であることを描いているわけです。
本作スタッフはご覧になられました?
クィーンといえば、イギリスを代表する伝説のバンド。
そのルーツが、かつて植民地だったインド系であることを真正面から描いています。
もしこの映画で、
「イギリス人が親しみを持てるように、フレディ・マーキュリーはアングロサクソン系の白人だということにしました!」
としていたら?
んなもん、総スカンの大炎上で、上映中止すらありえたでしょう。
そういう時代やぞ?
今はもう2019年やぞ?
オリンピックを控えておきながら、
「視聴者に親しみを感じてもらうように、ややこしい人種をカット」
ってバカの極みでしかありません。
かように台湾ルーツはカットしても、こんなしょーもないネタだけは大好物なのが本作です。
◆朝ドラ「まんぷく」でCMコラボ?桐谷健太が持ってきた”浦島ミルク”が話題
むむ?
なんだか既視感があるぞ?
って思ったら、なんだよ『わろてんか』(濱田岳さん)じゃないか。
出演者つながりで、他作品のネタを使い回すやつです。
『半分、青い。』の『ロングバケーション』ネタとは違います。あれは脚本家が同じセルフパロディとみなせるものです。
同じく同作の『ひめっち』もパクリだと劇中でもナオちゃんから突っ込まれておりましたが、これまた当時の事象を描いただけで話は別。
一方で浦島ネタは、
【人の褌で相撲を取る】
ってやつでしかありません。
他人のアイデアを利用する、便乗する。
敏感でプライドの高いクリエイターならば、そんなことはやらないでしょう。
CM禁止のNHKで、CMネタを披露してサービスのつもりでしょうか。
GHQとの関わりをキッチリ描ければなぁ……
こちらの記事のように、意味が無いように思える逮捕劇連発。
ある印象を植え付けることには成功したかもしれません。
GHQ=悪という印象です。
二度目も、三度目も、GHQ主導の逮捕でした。
これもおかしな話です。
二度目は逮捕そのものが捏造、三度目も日本の財務局主導であり、GHQがそこまで絡んでいたわけではありません。
それにしても、本作は惜しいことをしました。
GHQとビジネスの関わりを描いたのであれば、骨のある作品になったはずです。
GHQがよいことばかりをしたわけではありません。
特に醜悪な悪事といえば、女性への性的暴行があげられます。一時期の空手映画のお約束が、米兵から襲われる女性救出であったのはそういう背景があるのです。
一方、GHQ相手の商売で儲けた日本人もいます。
吉本興業もそうです。
同社の戦後再スタートは、お笑いではなく映画配給とGHQ相手のキャバレー経営でした。
安藤百福の成功の陰にもGHQはあります。
昭和30年代になると、アメリカは食料輸出先として日本に目を付けます。
結果、日本人に米より小麦を食べさせようとするのですが、どうにもパンはなかなか普及しない。
余剰気味の小麦でラーメンを作れば良いというのが、安藤の着想なのです。
このあたりは、GHQと安藤の関係がなければうまく描けるはずがありません。
本作はこのあたりをすっ飛ばすつもりでしょうか?
ダネイホンはパンにつけるものでした。
サラリと流されましたが、これもララ物資(※アメリカの救援団体からの食料援助)による給食があってのことです。
どうしてGHQと安藤につながりがあるのか?
このことから、本作の胡散臭さも伝わってきますね。
日本人は敗戦国民である中、台湾ルーツの安藤は戦勝国民であったわけです。
それ以外にも、いろいろと彼特有の人脈、華僑とのつながりもあったことでしょう。
こういう要素をバッサリとカットし、出てきたのはつまらないくいだおれ人形のパクリ。
GHQもろくにやらない。台湾ルーツもカット。
そこにあるのは、ボタン連打でできあがるラーメンと、ゲスクリエイターの剽窃と盗難だけ。それが本作なのです。
小馬鹿にしといて意見も言い訳もないんだって
本作とまとめて燃やしたいニュースを、引っ張ってきました。
◆厳しいクレームの中味は? ドラマ「ちょうどいいブス」タイトル変更の舞台裏
本件はガンガン燃えていますが、まだまだ燃えたりないようですね。
◆ドラマ「ちょうどいいブス」のヤケクソ的改題に「不細工すぎる」と酷評の嵐
“ちょうどいいブス”が外見蔑視でないことは、わかっている人にはわかっていたはず。
山路は「僕は、社会的にも受け入れられる範囲だと思うけどな。」と、原作者の山崎ケイを擁護。その理由について「“ブス”という言葉は必ずしも悪い言葉ではない。」とした上で「実は、美人な女性よりも、山崎ケイさんが言う“ちょうどいいブス”の方が、僕は恋に落ちやすい」と告白。続けて、「やっぱり個性があるんです。磨けばどんどん光っていく」と語り、“ブス”という言葉が必ずしもマイナスに感じる人ばかりではないことを明かした。
彼の言葉に対しては、こう返したい。
わからんでもいいし、わかりたくもねーよ。
「それを『ゲーム・オブ・スローンズ』のドラゴン上のデナーリス様にも言える?」
作り手や男性の、その後の意見や言い訳なんて、怒っている側からすれば心の底からどうでもエエと思うんですよ。
これは『まんぷく』タカの容姿いじりも全く同じ構造です。
『ちょうどいいブスのすすめ』
『まんぷく』
この二者に共通すること。
それは、女性を対象としているのに、その相手を小馬鹿にしているところです。
しかも、炎上分析をしたところで、
「まあまあ、そのくらいで怒らないでよぉ〜」
「俺らクリエイターのセンスが通じないのかぁ〜」
と、怒る方が冗談通じなくて悪いと言いたげ、しかも上から目線であるところ。
しかも、こういう舐め腐った態度もセットです。
「そんなにプリプリしているとモテないよ? 俺、嫌いになっちゃうよ」
んなもん、知らんわ!でしょ。
女優の顔にパイをぶつけて何なん?
安藤サクラさんについては、新年早々、炎上ネタが追加されました。
◆西武・そごう「わたしは、私。」広告に寄せられた賛否両論から読み解く「女性活躍」の複雑さ(治部れんげ)
◆西武百貨店・そごうのお客さんをやめました 生活者は「使わない宣言」をせよ
◆西武・そごうCM新春初炎上「女に生まれたら罰ゲーム」をパイ投げで再現か
散々「女だから」という理由で「男より劣る」社会で差別されてきた側に、「時代の中心に、男も女もない」と言わせる空恐ろしさ。大企業のトップに居座る男が土下座しながら「男も女もない」と言うなら、いや、「男とか女とかで差をつけてすみませんでした。男に下駄を脱がせます」と言うならわかる。実際は、パイをぶつけられながらも女が立ち上がり「男も女もない」と笑顔で言わされているのである。まじかよ2019年。
この件に関する最大の問題は
【女性を対象としているのに、その相手を小馬鹿にしているところ】
であり、『まんぷく』と共通しています。
仮に気遣ったつもりにせよ、結果として伝わらないどころか、
「女のしんどさだの辛さだのが報道されればされるほど、あんたらの時代なんて遠ざかるよ〜、いいの? んなもん、黙っている方が賢いってば」
「なんかあんたら女って、社会に不満があるらしいけどさぁ〜、そんなん心の持ちようでしょ。私の時代って言えないのかよ〜」
という、最低最悪の伝わり方をして着地したからには、言い訳できません。
それに、ナゼ、パイを顔面に投げつける必要があったのでしょう。パイを投げる方を映さなければ、意味が通じませんよ。
「クリームパイ」という英語には、ちょっとここでは言及できないくらい、えげつないスラングがあります。
覚悟を決めて”creampie”と”slang”で検索してみてください。最初の方ではなくて、二番目以降にある意味ですからね。
そんなもんをよくまぁ「女優の顔にぶつけたな」と呆れかえってしまいます。この広告からは『まんぷく』と共通する問題点が浮かび上がってきます。
名女優のとんでもない無駄遣いであること。
それに加えて、
【自分でロクに企画を立てられない、できたとしても理解が浅くて不十分な使い手が、彼女のキャリアや演技力に甘えてもたれかかり、話題性をかっさらおうとした】
そんな作り手の甘えが透けて見える点ですね。
このCMは、本作における福子(=安藤サクラさん)の描き方も被りますね。ブスだからフロント係になれないと言われながら、顔をつまんでとぼけているだけの福子。侮辱というパイをぶつけられても、気の持ちようだからとノホホンとしている。そういうキャラでしょ。
「ねえ、私って器量が悪い? 電話交換手になるんやって」
福子はそう言いながら笑っています。
いきなりブス呼ばわりされた話をしても、ノホホンと受け流して凄いなっ!
もう平成も終わる2019年です。
今以上にHuluやNetflix、U-NEXTなどの動画配信サービスは拡大し、テレビは厳しい時代となりましょう。
私達が大事にしてきた朝ドラも大河も非常に厳しい局面を迎えます。
だからこそ問題のある作品にはこれまでと変わらず筆をとっていきたく存じます。
本年もよろしくお願いします。
※スマホで『半分、青い。』や『八重の桜』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※レビューの過去記事は『まんぷく感想』からお選びください
※まんぷくモデルである安藤百福の記事、ならびにラーメンの歴史もリンク先からどうぞ!
※コメントにつきましては、
・まんぷくここが好き!
・まんぷくここがアカン!
という意図でご自由に記述してください。
作品に関するものについては全て掲載しております。
攻撃的な書き込み等については、こちらの判断で削除させていただきますので、あらかじめご承知おきください。
NHK大阪は『あさが来た』以降加速度的に朝ドラの質を下げて来ています。
あの名作『カーネーション』を作った局とは思えません。
時代考証、演出、登場人物への敬意や愛情、番組制作への矜持、真摯な姿勢、などが失われて来ている気がしてなりません。幼稚で知性も感じられず、要するに子供っぽいのです。
時代考証のいい加減さ、笑えない「笑いどころ」、特定の登場人物へのイジメのような扱い、サブカル好きな層へ媚びるような演出や公式のツイート。
それらをトータルして感じるのは「世代交代によるスタッフの若年化と質の劣化」なのではということです。
世代交代はどの世界でも行われていますが、NHK大阪の朝ドラ関係では次世代を育てることに失敗しているのではないかと感じます。
子供っぽくてもそこにウィットがあれば面白いのですが、全く感じられません。
このころの女性の大学進学率を探してみたのですが、統計自体無いようです。
一番古いのが1954年度あたりで、女性の進学率4.6%という数字が見つかりました。短大大学あわせてなので、大学だけだとこれより低くなります。
高校進学率ですらやっと4割超えたかどうかの時代ですし、いずれにせよ、ちょっと成績がいいからいってみるかという程度で目指すものではなかったはずです。
他にもいろいろ指摘されていますが、時代考証とか事前リサーチとかが雑過ぎて評価にすら値しません。NHKさんも以前はもっとしっかりしていたはずなんですが。
「めんたいこで、人を幸せにした夫婦の物語」
『めんたいぴりり』映画版の劇場公開を控えて、今日(1/5)、TNC(テレビ西日本)等ではドラマ版『めんたいぴりり』の総集編が放映されました。
題材、時代背景、登場人物等、様々な点から見て、やはり『まんぷく』は、この『めんたいぴりり』を安直に模倣しようとして、しかも大失敗した、どうしようもない代物だとの思いを強くしました。
模倣するにしても、「模倣の元を凌駕するようなすごい作品を作ろう」というような意気込みで作られたなら、それなりのものになったのでしょうが、
現実に毎朝示されているのは、
「こんな出来で『模倣』とは、片腹痛いわw」
という惨状。
2013年の『めんたいぴりり』本放送当時は、「NHK朝ドラにも比肩しうる作品」との評もあったもの。
「なら、簡単だ。どうせ地方局の番組だし」とばかりに足元を見て飛び付いたかのような様子を、『まんぷく』には感じてしまうのです。