短編映画『ヘンゼルとグレーテル』の制作、いよいよ始動!
なつは夢中になっています。
そんなある晩、風車にはあの劇団員たちが集まっていたのでした。
声だけの俳優=声優だ!
風車にいたのは、蘭子、レミ子、雪次郎の3人です。
なつは赤い星座の打ち上げか? と尋ねますが、こんな地味な打ち上げはないと咲太郎は否定します。
この場には茂木社長もいるのですが、なつは気づくのが遅れます。
やっと気づかれて、ちょっとすねる社長。
「薄羽蜉蝣(うすばかげろう)かよ……」
今ではあまり使わない、昭和らしいセリフ回しですね。
咲太郎が説明にするには、蘭子は声優の仕事が増えているのだとか。
「外画(=外国テレビ映画)」の吹き替え依頼がどんどん来ているそうです。
これからはテレビの時代だ、と。
以前、川村屋で子供達が夢中になっていた『名犬チンチンリー』のようなものかとなつが納得します。
丁寧な前振りでした。
そういえば、あのとき咲太郎は吹き替えの可能性を閃いていましたっけ。
これはチャンスだと思い、声優プロダクション会社を作ることにしたのでした。
劇団の手伝いをやめて、起業です。
「声だけの俳優、声優! いいだろ!」
結構ショッキングな場面かもしれない。声優なんて当たり前になりつつある。
それが、こうして概念が誕生するところがあると、ハッとさせられるのです。
亜矢美が「いいんだろーかー」と突っ込むところで、咲太郎はこう言い切ります。
「いいんだよ!」
腑に落ちる、かつ楽しい描写でもあります。
なつに、本当にしたいことは何かと聞かれた時。咲太郎は答えに詰まりました。
マダムは、誰かのために尽くすことだと見抜いていたものです。
タップダンサーとして愛嬌を振りまいていたものの、実はプロデュースが向いている咲太郎。
誰かを支えて、彼自身もこれから輝くのでしょう。
声優というのも、思えばなかなか斬新な概念です。
吹き替えに役者やタレントを使うことが「華がある」とされた時代も長かったものです。
今でもテレビ吹き替え、映画配給側の勘違いでそういうことがあり、洋画ファンが大混乱することがあるものです……。
◆桐谷健太「ターザン」吹き替えにブーイングが殺到した残念な理由 – アサジョ
声優が敬愛されるまでに、長い歴史がありました。
その起点に、本作は取り組むのでしょう。
山寺宏一さんを起用した本作は、そこはぬかりないはずです。
劇団員を救うのだ
咲太郎の案では、蘭子が第一号です。
レミ子と雪次郎も、声優として育成するのだとか。
だからといって劇団をやめるわけでもありません。
この二人も、研究員から劇団員へ昇格したばかりなのだとか。おめでとうございます!
劇団員にとって、公演だけでは食べていくのが難しいものです。
赤い星座以外の劇団からも集めて、副業として食べていってもらう。そういうシステムにするのだと。
売れない役者を救う!
そんな咲太郎の志は立派なもので、茂木も目の付け所が良いと褒めています。
これからはテレビの時代ーーそういうトレンドを理解しつつ、劇団員を救うのですから。
間違っても、
「テーーーーレーーーービーーーーーやーーーー!」
と、自分たちの宣伝しか考えられなかった前作****教団とは違いますとも。
咲太郎はまんざらでもありません。
藤正親分にも褒められたんだそうですよ。仁義ってやつだね。
と、そこへその親分がやって来たのでした。
「親分の気配を感じていましたぁ!」
咲太郎は、よい調子で浮かれ始めます。親分はやはり渋い。
「なつさん……元気かい」
ここで一瞬、千遥のことを考えちゃったりして。
親分の力ならば、あの女将ぐらい探し当てられるかも……いやいや、それはさておき。
親分は、折り入って咲太郎に頼みがあるのだそうです。
後からついて来たのは、なんだかガラの悪そうな島貫と松井でした。
出番まだあったんかーい! 第5週ゲストかと思っていましたよ。
思い出してみましょう。
咲太郎が働いていたストリップ小屋で、前座に出ていた芸人コンビです。
「こいつらを新劇場に出してやってくれ!」
親分、話が通じていなかった……。
猛々しい盗人を救ってこそ仁義ってもんだろう
トレンドに敏感な社長ならピンと来たのでしょうが、親分はよくわかっていないまま褒めていたのでしょう。
松井があの時のことを謝りだします。
博打で勝った盗品を咲太郎に渡してしまい、窃盗容疑で逮捕されたあの件です。
なつはそのことを思い出し、怒りを見せます。
しかし松井は自首して捕まったのだそうです。
「盗人猛々しい!」
そう突っ込まれつつ、別にいいと咲太郎は水に流そうとします。
「別にいいの?」
なつがむっとして突っ込みますが、流されます。ここが彼女の性格ですね。
怒る。
不正は許さん。
負けず嫌い。
とはいえ、ここは咲太郎が主導権を握っているので、流されていきます。
松井と島貫は昭和のダメなおっさんずですので、声優といえば顔で売れない役者の逃げ道という考え方です。
彼らが特別ダメというわけでもなく、昔はそういう意識があったものです。今のような、アイドル声優という概念はありません。
「失礼な!」
その二人が、顔が良くなくても声優ならできるんだろ、と発した言葉にレミ子はムッとします。
雪次郎も、蘭子さんの舞台をみたことがあるのかと食ってかかります。
本作のよいところは、セクハラや侮辱に相手が即座に怒り、否定するところですね。受け流さない。
「やだぁ〜もぉ〜〜!」
という、イージーなプンスカ流れはないんですよ。
親分は、声優と誤解していたうえで、推してきます。
「こいつらも面倒見てやれ、咲坊」
咲太郎はここで、不敵にニヤリとするのでした。
カッコいい仁義の世界っちゃそうですが、こういう考え方の違いが過去にトラブルを引き起こしてもおります。
【なつの面接不合格事件(ついでに仲災難)】です。
なつぞら51話 感想あらすじ視聴率(5/29)コネなど不要、実力で勝負だ社長に推したぜ、おっしゃー!
そう人情によるコネを期待した結果、失敗しましたよね。
人情によるコネも、良し悪しは状況次第でしょう。
嗚呼、進捗が遅れている
季節は初夏になりました。
しかし、短編のストーリーは決まっていません。
もう作画に入らないといけないのに、進捗が遅れています。
「もう限界……結末が見えてこない」
そう嘆くマコの絶望感が、生々しい。
作画ではなくて、映画プロットまでやらされているし。
そろそろ新作長編も始まるし。
これは完全に、リーダー坂場のやっちまった感があります。
テキパキと、雑でも作って練習をする。
その基点から脱線しまくって、もうプロジェクトが崩壊しそうな状況です。
作画を作るのはいい。
とはいえ、上映時間をはみ出してしまったら?
削らなければならない。
作画を作りつつ、考えて行けばいいという神地のやり方を、マコは一刀両断します。
「時間と労働力の無駄!」
※無駄無駄無駄無駄ァ!
ここで完全に、目も声音も、何もかも零下に到達しつつある。
そんな貫地谷しほりさんが今朝もすごいのです。
でも、染谷将太さんも負けちゃあいない。
小動物のような愛くるしさと、大胆不敵なところがきっちり出ています。
「森なんですよ!」
坂場が空気を読まずに、突然、何かを言い出しました。
魔女に救われたヘンゼルとグレーテル。
そこを狼が追いかけてきて、森の中に迷い込みます。
森とは世界のこと。そこで、子供たちが何を信じられるのか?
生活を、生きていくことを、世界そのものを信じられるようにしなくてはいけない。
……すごい発想だ。
けれども、だからこそ締め切りギリギリになるんだよ!
森を味方にすること。信じられるようにすること。
その森をどうするか?
ここで茜が、なつにこう言います。
「北海道にも森はあるんでしょ?」
もちろんあるとなつは返します。
何気ない言葉のようで、これが無駄ではないのです。
変な夢からヒントを得る
その夜、なつは遅くまで森のスケッチをしていました。
十勝の森。
それを思い浮かべ、イメージを描き続けるのです。
なつは、森の中で絶体絶命であったことを思い出しました。
そこを助けたのが、今では照男の義父である弥市郎です。
あの救出の瞬間はなかったはずですが、夢として再現されます。
そこは夢ですので、坂場にお姫様だっこされる流れにーー机で居眠りしてしまい、うなされているなつ。そこを坂場が気遣ってゆすって起こすのでした。
これが結構厄介だと思うんですけれども……。
信哉にせよ、天陽にせよ、坂場にせよ、少女漫画的ベタな恋が目覚めるシチュエーションをなぞってはいるわけですね。
それをあえて踏み外すところが、本作の個性でしょう。
だって、こんなセリフですからね。
「うなされているので、具合が悪かったのではないかと思い、起こしました」
普通だったら、
「大丈夫ですか……そんなふうに寝たら風邪を引いてしまいますよ」
「ふふっ、そんなに疲れちゃったんですね」
「何の夢を見ていたんですか?」
みたいな展開ですよね。
しかし、そうはならない。
茂木社長や咲太郎なら、そのくらいできそうでしょう。咲太郎は特に相手に思うところがなくても、やりかねん。
坂場はやりません。ただ淡々と理由を説明するだけです。
なつが坂場の夢だと言ったところで、淡々と終了することでしょう。そこはもう諦めて……。
なつは、こう言います。
「夢で何か思いつきました! 魔法……魔法で一本の木を怪物にするんです」
脳裏に浮かぶのは、木を彫る弥市郎の姿でした。
魂を木の中に込めること。それが彼の彫刻。
木の彫刻が悪魔の狼をやっつける。
それはよいとして……。
「その怪物って、何なんですか?」
「魔女の魂が木に宿ったんです」
木を味方につけて、戦う主人公たち。なつは坂場にスケッチを見せます。
「うん、いいと思います。もっと描けますか」
ほれ、坂場は気を遣わんのだ。
休めとか、寝ろとは言わない。困った人ではあります。それでも通じ合うものがあるのか、なつは描き始めます。
なつが描き、坂場がストーリーを作る。
それは朝まで続くのでした。
注意したいこと。
この二人は、****教団にありがちだったこういうタイプではありません。
「いや〜徹夜しちゃてさ〜」
狙って徹夜してしまうのではなく、止まるタイミングを逃してしまうのです。
こういうタイプに必要なものは、現在ならばAIによる体調管理やアプリですね。
夢中になっているとタイマーが鳴って、休めとお知らせしてくるものです。
座りっぱなしを探知して、知らせてくれるスマートウォッチとか。
ついに結末が決まった
そしてついに、ラストまでたどり着きました。
木の怪物が悪魔の塔を倒し、瓦礫の中から今まで食べられた子供たちが蘇る。
怪物は塔の跡に座り込み、動かなくなった。
鳥がやってきて怪物の上にとまる。
ふりそそぐ木漏れ日が、ヘンゼルとグレーテルを包み込むのであったーー
完
これは見たい、みたくなるッ!
かくして、やっと結末も決まったわけです。神地もおもしろいと大興奮です。※続きは次ページへ。
阿川父は戦前東京で教師をやっていたと言ってましたね。
その時代に東京に移住して教職に就けたのでしょうか。
阿川家(砂川じゃないですね)のルーツというのは、無いのではないでしょうか?
確か、阿川親子も道外からの疎開か何かで移住してきたと記憶しております。
そもそもアイヌ出身でのUターンとかいう設定の可能性もないとは言い切れませんが…。
ちなみにマコの鬱屈が魔女の進化によって変われば面白いなとも思います
結末はたった1人の魔女が、少しチート過ぎるような。動かなくなっちゃう終わり方は美しいですが、今度は、では魔女って何者だろうと思います。
見ぬふりをしがちだった市井の人々の象徴なら、クライマックスを飾るに足るパワーにも、やや納得です。
つまり劇中劇に真剣に考えるくらい、わたしには面白いです。壮大なスケールのヘンゼルとグレーテル、見たくなりました。
神地さんはモデルが宮崎駿さんとの話を聞きましたが、話の膨らませ方がぽくて面白いですね。
坂場くんのモデルとなった高畑勲さんは、ご自身の完璧主義が招く個々のスタッフの自己犠牲的な過重労働のマイナス面を差し引いても、世界名作劇場での集中制作体制がもたらしたものを驚くべき快挙だとしています。困ったものですね(笑)。
でもそれがなければ歴史的な作品になるどころか、分担体制だったら高畑さんは降板する事を選ぶ、そんな人だったようです。
かぐや姫の物語のメイキングも見ましたが、基本は同じでした。遅れに遅れたとこも。面白いなと思ったのは、今話での坂場くんと同じく作りながらの閃きというかライブ感を大事にするのですね。
高畑・小田部・宮崎さんご三方によれば、例えばハイジのような名作は、スタッフの献身的な自己犠牲と熱気なしには成立しなかったと口を揃えます。技術や理屈は二の次で、その瞬間の「やろう!」という強い気持ちが一番だと。
三人のメインスタッフが集中管理して全話を担当する、正気とは思えないめちゃくちゃな体制で作られたのがハイジで、ヤマトを打ち切りに追い込んで世界的に知られる名作となりました。
今回の二人での徹夜作業はそんな実話エピソードを思い起こさせます。エネルギーこそが理屈を超越する、そんな熱い流れに乗り切れないマコさんには何が足りないのでしょうかね。何も間違えてはいないのに。
下手な市場調査や、作業スタッフの折り合いをつけたような、結局本気で作りたいと思っている人が誰もいないようなものづくりではなく、物語や制作過程そのものに制作者自身の人生(魂)を織り込んでいく姿勢に感動しました。体調管理だの働き方改革だの言ってる場合じゃないというか。少なくとも板場やなつにそれを求めるのはナンセンスだと私は感じます。その役目は別にできる人がいるだろうし、だからこそのチームでの作業だと思うし。二人には魂の赴くままに作り続けてほしいと思いますし、このままお互いを支えあう良いパートナーに公私ともになっていくと思うのですがどうでしょう。
あと、麻子さんは、絶望ではなく、本当に物語に感動して、自分のスタイルとの整合性をまだ租借しきれてないだけじゃないかと感じます。そもそもの魔女造形は彼女のもので、そこから物語は動き始めてるのだから、彼女の魂に火が付くのも時間の問題じゃないかと思います。
ともあれ、今後の展開に目が離せない「なつぞら」です。